8.かわいいあたし、デビルフィッシュと相まみえる
海水の中を兄弟たちとすいすい歩く。
うんいいね。
不思議な感覚。
人間だったころは水に顔をつけただけで「あびゃあ!?」とパニックに陥っていたあたしだったが、今では水中にいることこそが安心に繋がっている。まるでベッドの中に寝転んでいるときのような安心感。自堕落ベイビー・あたし。
あたしたちが歩いているのは白い砂で、あたりにはゴツゴツとした馬鹿でかい岩も見える。ということはもしかすると海面が近いのかもしれない。海岸が近いのかもしれない。
陸の近くには岩がごろごろ転がっていると相場が決まっている。
山肌やら河口に近いからだ。
「なんか生き物はいるか? できれば小物がいい」
「きゅぴー」
三兄弟が一斉にきょろきょろと見渡しながら歩く。
見えるのは大物のヤバそうな生き物ばかりだ。
もっと簡潔に言うと魚系。
赤くてトゲトゲした奴や青くて風船みたいな奴。
形状が正八面体の魚もいて気色悪い。正八面体の辺の部分にヒレやら尾やらが生えていて、前方らしきところにホースのような口が突き出ている。泳ぎ方はパタパタパタパタと小刻みにヒレを扇ぐ感じで阿呆に見える。何をそんなに必死で扇いでいるんだ? 真顔で扇いで楽しいか? 炭火焼なら屋台でやりな?
見つかったら瞬殺されるのは丸わかりなので、なるべく岩陰から岩陰へと渡り歩くようにして進む。
「ぎゅびい!」
そのときチワワの悲鳴が聞こえた。
「どうした!」
あたしはすぐさま振り向く。
チワワが馬鹿でけえタコに襲われていた。
脚の長さを含めれば体長は5メートルを優に越える。
マジかよ!
タコは長い脚をにゅるにゅると伸ばしてチワワの胴体をぐるぐるに巻き上げてしまった。
「チワワ・ザ・デストロイ!」
あたしは叫ぶ。
タコはショッピング袋みたいにチワワを脇に抱えている。
「ぎゅびい! 吸盤が吸いつくきゅぴっ!」
「待ってろ! いま助ける!」
すぐにあたしは他の兄弟へと視線を走らせ、
「おいお前ら体当たりをするぜ。同時に行く。奴の脚の付け根だ。いいね?」
「きゅぴ」
「きゅぴ」
「5」
あたしは言った。
「4」
それと同時にキュピ之介とエルシャラの体が水中に浮かぶ。
「3」
あたしも浮かぶ。
「2」
助走をつけて水中を疾駆する。
「1!」
行け。
「ゴーゴーゴーゴーゴー!」
弓矢となったあたしたちはタコに向かって体当たりをする。
「ヤマタノオロチ!」
タコに衝突すると同時にあたしたちはタコの脚へと鋭い牙を立てた。
タコの脚を無残にも食い千切ってチワワを解放する。
黒い墨が海中に撒き散らされた。
「逃げろ! ゴーゴーゴーゴーゴー!」
チワワを含めてあたしたちは岩陰に転がり込む。
後ろにはもうもうと砂の濁りが残っていた。
「ふざけんじゃねえぜクソタコ野郎! 餌なら魚の切り身が大量にあんだろうが!」
息も絶え絶えに言う。
「ファック・ファック・ファック!」
なんだってあたしたちを狙うんだ。
どいつもこいつもあたしたち兄弟を虐めて楽しいのか。
岩陰の狭い入口からタコの長い脚が侵入してきた。
あたしは即座に兄弟たちを抱き寄せて岩の奥へ奥へと後退していく。
タコ脚の先端がぐいと伸びて、あたしの鼻先でちろちろと様子を窺っている。
あたしは寄り目になる。
やべえ。
あと数センチでも脚が長ければあたしの体に触れてしまう。あたしたちの後ろにはもう隙間がない。背中をぎゅうぎゅうと押し付けて精一杯後退するがこれで手一杯だ。
タコの脚は尚もあたしたちの存在を確かめようとちろちろうねる。
「あんっ」
くそ。
声が漏れた。
奴の脚の先端があたしの体に触れやがった。
どこ触ってやがんだロリコン野郎。
「あんっ」
くそ。
変な声が出ちまう。死ね!
「あんっ」
くそ。
耐えろ。
耐えるんだあたし。
まだワカメしか食っていないあたしたちにはタコになんて勝てやしない。
ワカメを食ってなんになるって言うんだ。緑色に肌の色が変色するだけだ。変色したところで迷子センターの幼女を泣かせるくらいしか効果がねえ。ワカメを食ったあたしは世にも奇妙な緑のお姉さんだ。はん。
「大丈夫だ兄弟。安心しな。あたしがついてる」
兄弟を励ますことも忘れちゃいけない。
「姐御……」
「なに心配には及ばねえ。奴の脚はここまで届かないみたいだ。あたしたちを絡み取るにしても、あと数十センチは長くないと駄目だ。今のままじゃあ、あたしにセクハラをするくらいがせいぜいさ」
チワワがガタガタと震えて泣いている。
エルシャラは目をつぶって現実逃避している。
キュピ之介は水中に泡を吹いて遊んでいる。
「あんっ」
くそ。
あたしはタコの触手でセクハラされつづける。
だが脅威はない。
岩蔵はあたしたちの防護シェルター。
あたしたちのアドバンテージ。
ここを突き破れるものならタコだってとっくにそうしているはずだ。
それができないということはあのタコと言えどもこのシェルターには手も足も出せないということ。奴が諦めるまでここで引き籠っていればそれでいい。
奴も兵糧攻めまではしてこないだろう。
よろしい、持久戦と行こうじゃないか。
◇
海底が暗くなって、明るくなった。
夜が明けたらしい。
あたしは一晩中タコにセクハラされたのちやっと解放された。
持久戦に根負けをしたタコ野郎は、しゅるしゅると脚を回収してどこかへ消えた。
兄弟たちはすやすやとお休み中である。
まだ奴が外でうようよと漂っていたのではたまったものではないので、あたしはしばらくこの岩蔵の中で兄弟たちと楽しい楽しい夢を見ることにする。おやすみ。
◇
夢の中であたしはあのタコを引き千切って高笑いしていた。
巻貝にくっついているベニヒメもぴょぴょぴょぴょと笑う。
夢の中のあたしと現実のあたしが交錯する。
夢の中にいるのにこれが夢だとあたしは気がついている。
これが未来になればいい。
絶対にいつか食い尽くしてやる。
首を洗って待ってなタコ野郎。
あたしたちは何て言ったってマネビガウナだぜ?
世にも奇妙な緑のお姉さんだ。
◇
「よし、行くか」
「きゅぴー」
「きゅぴー」
「きゅぴー」
目が覚めたあたしたちは重い腰を上げて歩き始める。
岩蔵から出ようとすると赤色の星型が目に入った。
ヒトデだ。
1メートル級の気色悪いヒトデだ。
「兄弟。カモがネギを背負ってやってきたぜ……?」
「ひっひっひ」
「ワシらにも運が回ってきたきゅぴね」
「ワシ、ヒトデ、食う」
じゃあ行こうか兄弟。
楽しい狩りの時間だ。