6.かわいいあたし、大志を抱く
ヤドカリ三兄弟の頂上であたしが片腕を広げて「うおお!」と雄叫びをあげていると、不意に頭の中にスパークが炸裂して身動きが取れなくなった。
「うおお!」が「うおっ?」に変わった。
どうやらそれはヤドカリ三兄弟も同じことのようで、言い知れぬ違和感を抱きながらあたしたちはお互いに目配せをする。
「なにかきたきゅぴ」
「ぞくっとしたきゅぴ」
「ワシこわい」
わかる。
あたしたちは電波を受信した。
どこか遠くの星から送られてきた電波をあたしやあたしの兄弟がゆんゆんと受信したのだ。あたしたちは送られてくる電波の受信を止めることができない。全身ががくがくと震えて壊れかけの洗濯機みたいになってオートマチックに電波を受信しつづける。
なんだ?
なにが起こってやがるんだ?
あたしたちの体はぶっ壊れちまったのか?
そしてあたしは異変に気づく。
あたしや三兄弟の体が緑色に変色していたのだ。
「きめえ!」
あたしは仰け反る。
仰け反ったまま自分の胴や脚を眺める。
十円玉の錆みたいな緑色だった。
ヤドカリ三兄弟もあたしと同じ緑青を体に感染させて、「きゅぴ!?」「きゅぴぴ!?」と焦った声を漏らす。あたしも「きゅぴぴ!?」と狼狽する。兄弟たちよりも怯えた声が出て少し恥ずかしく思うがヤドカリなので顔が赤くならずに済んだ。もしあたしが人間だったなら生まれたてのブタの赤ん坊のように顔を赤くしていただろう。
状況を把握するためにトーテムポールを解除していそいそと顔を寄せ合う。
「一体どうなっているんだ?」
「わからないきゅぴ」
「緑きゅぴ」
「考えられる可能性は、あたしたちがワカメを食ったからこうなった」
「だと思うきゅぴー」
「だからワシ言ったじゃん。やだって言ったじゃん」
「聞いてないきゅぴよそんなこと」
「いま言ったもん」
「えっ」
「実はな、ワシもいやだった」
「えっ。じゃあワシも」
「食ってからガタガタ言ってんじゃねえよ兄弟。もう食っちまったもんは仕方ねえんだ。いま大切なのはこの体の異変をどう解析してどう対処することだろうが」
「そうきゅぴね」
「きゅぴー」
「どうだ? どこか痛いところとかあるか?」
「そうきゅぴねー」
「体に不調はないきゅぴー」
「ただ単に色が変わっただけきゅぴー」
ふむ、とあたしは考え込む。
「じゃあたぶんこれが正解だろう。このワカメを食べた奴は、体の色が緑色に変わる。それは一時的かもしれないし永遠にそうなのかもしれない。どっちにしろ最悪だ」
「えっ。ワシ緑のままでいい。一時的とかやだ」
「ワシも緑がいい」
「ワシもワシも」
「はあ?」
あたしは激怒する。
「嫌だろうが! 緑色の体とか絶対に嫌だろうが!」
舐めてんじゃねえぞキモグロエイリアン。
ぺけれ。
あたしは舌打ちをする。
「ぺけれ」
「ぺけれ」
「ぺけれ」
三兄弟に舌打ちをし返される。
思わずリズムを取りたくなるようなコンビネーション舌打ち。
「馬鹿野郎。今は兄弟喧嘩なんかしてる場合じゃねえだろ」
「でもワシ緑でいいし」
「ワシもきゅぴー」
「もっとワカメ食べよっと」
慌てふためくあたしを放って三兄弟がむしゃむしゃとワカメを食べ始める。
「むしゃむしゃ」
「むしゃむしゃ」
「むしゃむしゃ」
「おいふざけてんじゃねえぜ兄弟?ただでさえ気持ち悪いのにこれ以上気持ち悪くなってどうするつもりだ?緑のよしみでキュウリとお友達になろうってか?ご免だぜあたしは」
「そうかっかせずに姐御も食べるきゅぴー」
ワカメの切れ端を無理やり口の中に押し込められた。
もぐもぐ。
「やはりうめえ!」
あたしは阿呆か。
美味いのはわかってる。
問題なのは体が変色することなのだ。
そのとき、甲高い笑い声が海底に響き渡った。
「ぴょぴょぴょぴょぴょ~!」
「なんだ?」
あたしは目を剥く。
この甲高い笑い声はどこから聞こえてくるんだ?
新手の敵か?
ならばすぐに岩場に引き返すべきか?
「きゅぴっ?」
ヤドカリ三兄弟たちもワカメを食べることをやめて辺りを見渡し始める。
「やーだ。貴方たち何も知らなのね。わたしびっくり」
どこからともなく声が聞こえてくる。
「どこのどいつだ? 隠れてないで姿を現しな?」
「現してるじゃない。ここよ」
「ふえ?」
声の聞こえてくる方角に意識を向ける。
あ。なんかいた。
「見えたかしら?」
「マジかよ……」
視点を石の一点に定める。
「ずっといたのよここに。貴方たちの奇妙な運動会も一部始終見せてもらったわ」
「ほう……」
あたしの視線の先にはスパゲッティみたいなイソギンチャクがいた。
大きな石にへばりついてピンク色の触手を無数に伸ばしている。
「ずいぶんと変わったご趣味をお持ちね。おかげで退屈しなかったわ」
「ちょい待ちやがれ。さっきから話しかけてくるのはお前なのかピンクの悪魔」
「ええそうよ。わたし」
あたしと兄弟は目を合せて黙り込む。
やがて決心してイソギンチャクのもとへかさかさと歩んでいった。
「わたしの名前はベニヒメ。チュパカブライソギンチャクの仲間よ」
「あたしはマーキュリー。星空マーキュリー。探偵だ」
あたしの自己紹介に三兄弟が飛び跳ねる。
「きゅぴっ?」
「姐御、名前があったきゅぴか?」
「まあね。あんたたちにもそのうち名前をつけてやるよ」
「姐御!」
「姐御!」
「姐御!」
それからあたしはベニヒメに向き直って聞く。
「それで、あたしたちが何も知らないっていうのは一体どういうことなんだ?」
「そのままの意味よ」
「勿体ぶらずに教えてくれ、桃色ペヤング」
「貴方たちの体が緑色になった意味よ」
「ほう。あんたは知ってるってわけだ。このクロレラ現象を」
「もちろん」
「聞こう」
「情報を教えるには条件があるわ」
「なんだ?」
相手に先手を取られるのは癪だったが仕方がない。
ここは相手の先導に乗ってやる。
あたしは駆け引きのできるいい女だ。歯並びもいい。
「貴方たちと共生したい」
「なに?」
「もともとイソギンチャクとヤドカリは共生関係にあるの」
「そうなのか?」
「貴方たち四匹は一緒にいても飽きが来なさそうだから、わたしも共生してもいいと考えてるの。この条件を呑んでくれるのなら、わたしは貴方たちに情報を提供する。どお?」
あたしは兄弟に目配せをする。
どうする?
伸るか?
反るか?
兄弟たちはアホ面をぶら下げて手にしたワカメをむしゃりと食べた。
話にならねえ。
あたしが決めるしかない。
あたしは言う。
「ピルロとハメロリ、どちらがよりイケメンか」
「え?」
ベニヒメが戸惑う。
「答えろ。ピルロとハメロリ、どちらがよりイケメンか」
「……えっと、ハメロリ?」
あたしはにやりと笑う。
「合格だ。あんたの提案に乗ろう。共生は成立だ」
ベニヒメの触手と握手する。
ベニヒメ、マイフレンド。
水爆を抱き抱えた諸葛孔明。
「それで、あたしの体が緑になってるってのは?」
「それはね、ワカメの特質ではなくて貴方たちの特質なのよ」
「ふうん?」
「貴方たちの種族名はマネビガウナ」
「マネビガウナ?」
「貴方たちはまねぶのよ。つまりね、食べた物の特質を真似することができるの」
「ほう?」
「ワカメを食べた貴方たちはワカメの緑色を意図的に出すことができるわ。擬態に使ったりもできるし曲芸に使ったりもできる。貴方たちはそういう特質を受け継いだ種族なの」
「てぃきん!」
あたしはようやくベニヒメの言っていることに得心がいった。
「じゃあもしあたしが電気クラゲを食べたら?」
「電気を纏うことができるわ」
「タコやイカを食べたら?」
「墨を吐けるし手足が伸びるわ」
「ウツボを食べたら?」
「変顔ができるわ」
「あんたを食べたら?」
「毒針を発射できる」
「……そうかい」
あたしはあえて素っ気ない態度を取った。
最強の特質の存在を聞かされてもあたしは喚かない。
だが心の中ではマグマにも劣らない苛烈な感情が膨れ上がっている。
この特質があればあたしはこの海を支配下に置くことができる。
驚愕と歓喜で自身の体が蒸発しそうなほど燃え滾ってきた。
この感情をなんと呼べばいいのかわからない。
この万能感になんて名前をつければいいのか見当もつかない。
ただ唯一わかることは。
大海の矜持。
マザーはあたしに言った。
――貴様はこの大海の果てに何を望む。
あたしは胸の内で答える。
――この海はあたしのもんだ。あたしはこの海の女王になる。
――無慈悲な夜の女王である月のようにな。マザー。