5.かわいいあたし、ワカメを食う
「姐御ー、ご飯きゅぴよー」
「ご飯きゅぴー」
「美味しいきゅぴよー」
三匹の幼生が魚の切り身に群がっているが、岩蔵の中で膝を抱えるあたしには関係のないことだ。あたしはただぶっきらぼうに返事をする。
「いらない」
「どうしてきゅぴかー?」
「あたしとマザーが協力関係にあるなら食べるけど、これはただ単にマザーの好意で恵まれただけ。だからあたしはそれを受け取らない。あたしはあたしの力で勝ち取ったものしか口にしない」
あたしはまだマザーと協力関係すら築いていない。
「頭わるそう」
「うるせえな。それがあたしのルールなんだよ。熱力学第二法則だ」
「どうでもいいけど姐御ー、食べようよー」
「うるさい。いらないったらいらない」
「こんなに美味しいのにー」
「そのかしましい口を閉じなキモグロエイリアン。あたしが今この世で最も嫌悪する言葉は〝美味しい〟だ。わかったのならDHAでも摂取して少しは頭を働かせるんだな」
「死ねきゅぴー」
「死ねきゅぴー」
「死ねきゅぴー」
あたしは無視する。
マザーはというと、巻貝の奥に引っ込んで眠りこけている。
生き残ったあたしたち四匹を確認したあと、「生き残るは四匹か。試練の開始を岩場から遠くに設定したとはいえ存外少ないものである。何にせよ貴様たちはよくやった。我からはもう何も干渉せぬ。好きに生きよ。我は寝る。大海の誇りだけは忘れぬようにな」とだけ告げて本当にぐうぐうと眠ってしまった。
まことに傾奇者よの、とあたしは思う。
岩蔵の外では、「うまうまあ!」というヤドカリたちの歓声が聞こえる。
マジか。
そんなに美味いのか。
肩を組んでぐるぐると回るほど美味いのか。
くそう。
でも食べない。
首を振る。
それがあたしのルールだ。
目をぎゅっとつぶったあたしは岩蔵の住処から這い出して、砂の上をかさかさと歩いて、波に揺られている海藻の前まで到達する。
ワカメだ!
声に出してみる。
「ワカメだ!」
ちらりと奴らを盗み見してみる。
三匹のヤドカリたちはあたしを無視して組体操をしながら美味しさを表現している。
くそう。
それほど美味いのか。
あたしも好きなんだよサバとかイワシとか……。
それに対してあたしの目の前にある緑色のカーテンみたいな海藻は、表面がぬるぬるしているしところどころが変色しているしあまり美味しそうには見えなかった。
「でも食うぜあたしは。宣言したからなワカメ。おい聞いてんのかワカメ!」
ワカメはしゃべらない。
でもあたしはしゃべる。
「おい聞いてんのかってあたしは聞いてんだワカメ。なにか言ったらどうなんだ藻屑野郎。悔しかったら足でも生やして追いかけてくるんだな。ウサイン・ボルトのように」
ワカメはしゃべらない。
ただ沈黙を貫いてゆらゆらゆらゆら揺れているだけだ。
ちっ。
あたしは舌打ちをするが、舌が動かないので「ぺけれ」という音が出る。
ぺけれ。
あたしは奴らを盗み見する。
三匹のヤドカリたちは肩車の上に肩車をつくってトーテムポールになっていた。
あたしは噴き出した。
ゲラゲラと笑って、
「お前らふざけんなよ。大人しく食べてろよ。何がしてえんだよまったく」
「姐御に言われたくないきゅぴー」
「いいや、お前らよりよっぽどあたしのほうがマシだね。鼻くそ豆マン」
「死ねきゅぴー」
「死ねきゅぴー」
「死ねきゅぴー」
あたしは無視する。
緑色のワカメに視線を向けて、まだハサミにも成りきれていない柔らかな前脚を掲げる。
緑のカーテンをつかむ。
ぬるぬるする。
強引に引き千切ってワカメの一部に牙を立てる。
もごもごと咀嚼してごくりと呑み込んだ。
あたしは馬鹿みたいに吠える。
「くそうめえ! ワカメくそうめえ!」
想定外の幸福だった。
食感は紛うことなきワカメのコリコリとしたもので、塩味の利く中でほんのりと海藻特有の味わい深い風味が口の中に広がる。そもそも海藻は出汁が取れるほどの旨味成分の宝庫なのだ。不味いわけがない。それにあたしはワカメスープ超好き!
「なんだこれ! なんだこれ! ワカメ超うめえ! やべえ!」
そのときヤドカリ三兄弟が冷ややかな目線を送ってくる。
「そういうのいいきゅぴから」
「必死で演技してるのバレバレきゅぴ」
「そこらへんに生えている海藻が美味しいわけないきゅぴよ」
「なんだか見てて可哀相になってくるきゅぴね」
「姐御もこっちにおいで」
「一緒にお魚食べよ」
「きゅぴきゅぴ」
あたしは全力で手を振りかざす。
「いやいやいやいや! 嘘じゃねえから! これマジもんだから! ほら見て!」
あたしは大量に摘み取ったワカメを口一杯に頬張る。
両頬を膨らませて目玉を輝かせてもごもごと口を動かして見せる。
ごくり。
「やはりうめえ!」
ヤドカリに生まれ変わって味覚が変わったのかは知らないが、たぶん人間だったときよりも美味しく感じる。あたしの記憶ではワカメがこれほどまでに美味しいと感じたことは一度もない。
三匹のヤドカリは訝しげな視線を向ける。
「それほんときゅぴかー?」
「ワシらを騙してないきゅぴよね?」
「どうする? ワシらも食べてみる?」
「まあ一口だけならいいきゅぴ」
「騙されたと思って食べてみるのもアリきゅぴね」
ヤドカリ三兄弟が気持ち悪い脚を動かしてちょこちょこと近づいてくる。
あたしはその場を譲ってお手並みを拝見する。
緑色のワカメを丁度よいサイズに切り分けた三兄弟は、それぞれが恐る恐るといった様子で口の中に放り込む。疑心暗鬼な表情でゆっくりと咀嚼し、
「!」
「!」
「!」
あたしは胸を張るのを隠さない。
「なんだこれは!」
「一体どういうことだ!」
「これが海藻だと言うのか!」
「奇跡だ!」
「奇跡に違いない!」
「奇跡に決まっている!」
あたしは無言で兄弟のもとに近づいた。
うんうんと何度もうなずいてそっとその肩に片腕を回してやる。
「!」
「!」
「!」
目で合図を送って唇の端を吊り上げる。
「姐御!」
「姐御!」
「姐御!」
あたしたち四匹は肩に腕を回してその場をぐるぐると回り始めた。
ぐるぐるぐるぐる。
下手したらあたしたちを中心に渦潮ができるんじゃなかろうかというほどぐるぐると回転して、ワカメという至宝に出逢えた喜びを表現する。迷惑そうにウミガメが通り過ぎるが知らねえ。知ったこっちゃねえ。見せもんじゃねえんだ消え失せな。玉手箱のないウミガメにはあたしは用がねえんだ。今あたしに用があるとすればそれは、この愛すべき兄弟たちと喜びを分かち合うことだけだ。ハロー・オーシャンワールド。
あたしたちは何も言葉にすることなく肩車をつくり始める。
一匹が一匹の体をよじ登り、一匹が二匹の体をよじ登り、あたしが三匹の体をよじ登る。
一丁上がり。
ヤドカリトーテムポールの完成だ。
世界が羨むトーテムポール。
あたしたち四匹は神聖な顔で海中に目を向ける。
世界は慈しみで溢れている。
ハロー・オーシャンワールド。
あたしはここにいる。