43.かわいいあたし、最終決戦に挑む4
「そんなにその小娘が大事か」
ウツボが心底おかしそうに聞いた。
「大事と言いますか、気のいい方だと思っております。初めて会ったときは、あっしもどうしようかと思いました。頭の病気なんじゃないかと思っておりました。でも倅を助けてもらったので無下にはできず、嫌々と接していたのを覚えております」
そこでドウザンは首を振った。
「ですが触れ合っていくうちに、あっしらはこの方に心惹かれるものを感じました。あっしらがとうの昔に捨てたものを、この方は大事に心の内に持っているのです。眩しく思いました。子供の頃のあっしも、確かこんなだったなあと懐かしく思いました。それと同時に、なんで捨てちまったかなあとやりきれなくなりました」
熱い眼差しで、ドウザンがお館様を見上げた。
「この方には、その気持ちをいつまでも忘れずに持っていてもらいたいのです。あっしらのために死んでいいヤドカリではないのでごぜえます。どうか、お館様、ご容赦を」
「じゃあ、どうすればいいか、わかるな?」
「わかっております。これまで以上に仕事に励みます。もう二度と叛意は抱きません」
「二倍だ」
ウツボの言葉が重く伸しかかった。
「はい」
「これまでの二倍の量を用意しろ」
「……わかりました。二倍の〈海の結晶〉を用意すると約束いたします」
「駄目だ……ドウザン……」
あたしは首を振りながら声を絞り出した。
二倍の〈海の結晶〉なんて無茶だ。
これまで以上に疲弊してしまう。
あたしは結晶の栽培がどれだけ大変かは知らない。
でも村の様子を見れば一発で大変どころではないのがわかる。
それを二倍も用意しないといけないとなると、絶対に破綻してしまう。
絶対にどこかで心が折れてしまう。
そうなると待っているのは絶望だ。
死よりも苦しい絶望。
「これしかないんです。マーキュリーさん、あなたを救う方法はこれしか」
「でも……」
「ヤタロウを助けてくれたこと、すごく感謝しています。だから今度はあっしの番です。マーキュリーさんはあっしらのことなど忘れて、すぐに村を発ってください。何もなかったことにしてください。あっしらの村など見なかった。それでいいじゃありませんか」
よくねえよ。
全然よくねえよ。
あたしはこれまでのことを思い出す。
店でパスタを食っていたときに、ドウザンはこう言っていた。
「あっしはこの村が好きなんです。店を出すと言ったら、多くの方にお祝いされました」
村全体が家族のようなものだった。
ドウザンは向かいのばあちゃんに小さい頃から世話になっていて、何かにつけてよく叱られていたらしい。ドウザンは腕白な子供だった。ドウザンが店を出すと知って一番喜んだのは、両親ではなく血の繋がっていない向かいのばあちゃんだ。
泣きながら「立派になったねえ」と繰り返したという。
昔は小言のうるさいばあちゃんだと思っていたドウザンも、ようやく気づくところがあった。
自分は一匹だけでは生きていけないということに。
誰かに支えられて生きているということに。
そして自分の頑張りを、必ず誰かが見てくれているということに。
報われないとき、誰しもが孤独感に苛まれる。
どうしてこんなにうまく行かないんだと塞ぎ込んでしまう。
でも誰かがきっと見てくれていると気づくだけで、それだけで、挫けずに済んだ。
だからドウザンはこう思ったのだ。
自分も誰かを見ていてあげよう。
ドウザンは村を見守ることにした。
村の頑張りを見守ることにした。
ウツボが現れて荒んでいっても、自分が支えようと思った。
だけど村のヤドカリたちは病魔に巣食われたように生気を失っていった。
知らず知らずのうちにやつれていった。
それがドウザンには悲しいことだった。
だからドウザンはお館様に直談判しようと考えて、行動に移した。
説得する必要もなかった。
気触れの魔物を操るお館様を見てしまったからだ。
騙されていた。
発火するほどの怒りが生まれた。
この事実を村長も知っているとわかったが、何も対策を取らないことに落胆した。
でも自分は決めたのだ。
この村を見守ろうと。
支えようと。
村のことが大好きだった。
なのにドウザンは今、地べたに這いつくばって、許しを請うている。
あたしにはドウザンの気持ちが痛いほどわかった。
今ドウザンがどのような気持ちで頭を下げているのか、心中を察すると、刃物で刺されたかのような痛みが胸に広がった。
「顔を上げなよドウザン。あんたは顔を上げてパスタをつくっているほうが似合う」
「マーキュリーさん……」
床のドリル穴からいくつか気泡が立ち昇った。
あたしは全身に外骨格を纏って金属化した。
疑似的なハサミを生成して仁王立ちになる。
「あたしはまだ戦える。あたしはまだ死んじゃいない」
「もう、もういいんです、マーキュリーさん。このままではあなたが」
「ドウザン。あたしもあの村が、好きなんだ」
お祭り前夜のような空気が、いいなって思ったんだ。
周りからしたら、ちっぽけな理由かもしれない。
でもあたしからしたら、空気感ってものがすごく大事なんだ。
あたしはそのときの衝動に突き動かされて生きている。
あたしにとって空気感は命だ。
それがマーキュリーにとってのすべてだ。
あたしは青臭い衝動を胸に突っ走って死にたい。
誰に認められなくてもいい。
あたしが刻み付けるんだ生きた証を。
あたしはここにいるって。
「マーキュリーさん……」
ドウザンが、ぼろぼろと涙を零した。
顔をくしゃくしゃに歪めて、縋るような目であたしを見てくる。
わかってるよ。
あんたの悔しさは十分わかってる。
一匹でよくここまで頑張ってきた。
もう休みな。
「小娘ェ。邪魔だなァお前」
お館様が鼻頭にしわを寄せる。
あたしは跳躍した。
アイキャンフライ。
ブルー・ブルー・オーシャンスカイ。




