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4.かわいいあたし、死を受け入れる



 まるで時の流れがゆっくり流れているように思えた。

 上方から迫りくるアジだかサバだかよくわからない巨大青魚は、歌舞伎役者がタイキックに耐えているかのような憤怒の顔で水中を切り裂いてやってくる。

 ゆっくりとだがあたしにだんだんと近づいてきている。


 誰も奴を止められないし、あたしの運命も変えられない。


 人間に生まれてこなかったというだけでこのような目に遭うのだ。

 よくドラマや映画で「どうして私だけこんな目に」とかほざく女がいるが、自然界ではそれが当たり前なのだとあたしは気づいた。殺人犯に夫や息子を殺された母親がそう嘆くことも無理からぬことであるが、あたしのマザーはもう何百という自分の赤子を食い殺されている。それも目の前で。マザーはハサミを振り回して必死に抵抗しているが自然の厳しさというものはそれでも抗うことができない。何度も何度も抵抗を試みるがそれでも無残に殺される。


 マザーは一体どういう気持ちなんだ?

 マザーは今なにを考えてロケットジャンプをしているんだ?

 あたしはもう自分の命を諦めているというのに、マザーはどうして何度も何度も立ち上がろうとするんだ?


 あたしにはわからない。

 わからないから運命を受け入れる。


 九本の脚を広げて青魚の受け入れ態勢に入った。


「あたしはお前を尊敬するよ。よい戦争であった」


 お前に殺されるのであればそれも悪くない。

 あたしは必死で頑張った。

 それで駄目だったのであればもう仕方がない。

 諦めもつく。

 次にまた生まれ変われる機会があるのなら、今度はキノコに生まれ変わりたい。


 さあ、あたしを食え。


 青魚の魚雷攻撃があたしの胸を食い破




 真っ白な砂埃が舞った。




 さらさらとした雪の光景が晴れる前に、あたしの嗅覚に鉄のにおいが届く。

 赤だった。

 真っ白な砂に混じる奇妙な色は赤。

 そして赤と白の光景が晴れて垣間見えたのは、青魚を海底に押しつけるマザーの姿であった。


「生きよ」


 ぞく、とあたしに電気が走る。

 マザーはハサミを青魚の背中に突き刺さして、海底に押しつけて、魚の腹部から赤黒い内臓をぶちまけさせる。そして青魚を海底に縫いつけたまま慈しみの溢れる瞳であたしを見つめる。洞察に優れた深い眼差し。そして、厳しい母親の眼差し。


「生を諦めるは野生の本懐にあらず。何ゆえ我が娘は生を諦めるか」

「…………」

「悟りの境地に達したと嘯く暇があれば生き抜くことだけを考えよ。ここで立ち止まるは、大海の野生に似つかわしくあらぬ矮小者ぞ。貴様はこの大海の果てに何を望む」

「し、知らない。あ、あたしはただの人間で、」

「甘えは捨てよ。己が身はもはや野生の身。これ以上大海を泣かせるな」


 マザーはそれだけを告げるとロケットジャンプをして戦争の渦中に舞い戻った。

 一瞬で十の魚が斬られた。

 あたしは涙を拭く。


 生きねば。


 片腕を失ったあたしは不様でも滑稽でも前を見つめる。

 前だけを見る。

 手足を動かす。

 あたしはマザーが何度も何度も立ち上がろうとする姿に疑問を持っていた。どうしてそこまでしてあたしたちを守ろうとするのかわからなかった。もうやめてしまえば楽になるのに。今回は時期が悪かったと諦めてまた今度赤子を産めばそれでいいのに。


 でもマザーの背中が教えてくれる。


 そうじゃないのだ。

 それではよくないのだ。

 それでは大海の矜持に泥を塗ることになる。


 マザーは挫けないのではない。

 挫けてはならぬのだ。

 己が矜持ゆえに。

 大海の野生であるゆえに。


 あたしは甘えを捨てる。

 あたしは野生だ。

 野生の寿司だ。


「ぐがあああああああああああああああっ!」


 届け!

 届け!

 届けえ!


 視界の端に青魚の姿が見える。

 また横からのトラップ攻撃だ。

 来ることは最初からわかっている。

 逃げるが先か。

 食われるが先か。

 もう迷わない。



「ふぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



 あたしは岩の隙間に転がり込んだ。

 水中で砂を舞い上がらせながらもんどりを打って、右の岩や左の岩に体をぶつけて軟体をべちゃっと潰してしまうが構わない。背後では青魚の流星群が轟音を立てて過ぎ去っていく。あたしは自分の体をぎゅうと抱き締めて歓喜で打ち震える。


「ざまあみろ! ざまあみろ、ざまあみろ!」


 あたしはのた打ち回る。

 飛び跳ねる。

 拳を突き上げる。

 あたしは寿司になれた!


「ファッキューだぜ腐れフィッシュ! 地獄へ堕ちな! ヘイ!」


 青魚の一匹が岩の隙間に顔を突っ込んで牙をがちりと鳴らした。

 あたしは即座にお口をチャックする。

 青魚はしばらくのあいだ窮屈な岩場の隙間であたしに食ってかかろうとしていたが、入口に引っ掛かってこれ以上前に進めないと判断したのか詰まらなさそうに踵を返していった。


「……なんだよ。びびらせやがって。ぶっ飛ばすぞマジで……」


 マジだからな。

 マジでぶっ飛ばすからなほんと。

 あたしがぶつぶつと呟いていると、必死の形相で三匹のヤドカリが飛び込んでくる。


「きゅぴー!」

「きゅぴー!」

「きゅぴー!」


 弾丸のように岩の隙間に入り込んで、ずざーと海底に顔を擦らせる。


「お前ら!」


 あたしたちは熱い抱擁を交わした。


「無事か?」

「なんとかきゅぴー」

「そっちは大怪我きゅぴね」


 幼生があたしの前脚に痛ましい視線を投げかける。


「あたしのことはいいんだよ」

「きゅぴー」

「それより他のみんなは?」


 あたしたちはそれからずっと待ちつづけたが、この岩場にやってくるヤドカリはあたしたちの他についぞ現れなかった。生き残りはあたしを含めて四匹。たったの四匹。


 それ以外は全滅だ。


 マザーと流星群の戦争も終結して、青魚たちは回遊航路を変更してどこかへ消えた。


 この結果を喜べばいいのか悲しめばいいのかあたしにはわからない。

 でもあたしは、前を見て生きるのだと決意した。

 生きることが死んでいった兄弟たちへの手向けだし、海に生きる生物としての矜持でもあった。マザーに説教を受けてからこの海で生き抜く覚悟はできている。


 あたしは前だけを見据える。


 海の底には青魚の切り身が降り積もっていて食料には当分困らなさそうだった。

 これだけあればあたしが脱皮をして貝殻を探すまでの間は十分に持つ。

 だけどそれは違うのだろう。

 この魚の切り身はマザーの手柄であってあたしの手柄ではない。あたしは自然のシビアさというものを嫌というほど思い知ったし、今回の経験を生かして順応して行かねばならないと焦っている。だからおいそれとマザーの手柄に頼り切っていてはいけない。

 それはたぶんこの世界の流儀に反することだと思う。

 マザーが食えと言ってもあたしは食わない。

 受け取らない。

 あたしはあたしの力で狩ったものしか口にしない。

 それがあたしのルール。



 だからまずはお前から食ってやろう。ワカメ。




 もうなに言ってるかわかんないですこの主人公。

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