35.かわいいあたし、ウツボと対決する2
あたしの手の先で骨ドリルがウィンウィンとけたたましい音を奏でる。
「なんだァ、そのおもちゃはよお! ヒャッハッハッハッ!」
背中を反らせてウツボが笑い声をあげる。
声が城内で反響してあたしに降りかかってきた。
「イカの真似でもしてんのかいよおぉい!? 全然真似できてねいぜい!?」
「でも、てめえを倒すには十分だ」
「そいつはどうかなァ!? ヒャハ!」
足を踏み込んで駆けてウツボの顔面に大穴を開けるつもりでドリルを叩き込む。
だがウツボはまたもや旋回して竜巻防御を展開した。
壁のような水圧が襲ってきてあたしはいとも容易く弾き飛ばされてしまう。
くそ。
あの防御がある限り近づけねえ。
今すぐにでもあいつの顔面を殴ってやらねえと気が済まないのにそれも叶わない。
今ならエルシャラの気持ちがよくわかる。
少しは自分が強くなれたと思い上がっていたが、いざ実戦に乗り込んでみるとまるで歯が立たない。そのような現実に直面して今までの努力とはなんだったのだろうと考え込んでしまう。あたしはあいつには勝てねえのか。あたしは無力なのか。あたしは誰かの役に立てねえのか。数多の後ろ暗い感情が沸々と沸いてくる。
だがなエルシャラ。
あたしは諦めないぜ。
諦めの悪い女選手権であたしは市内一位なんでね。
立ち上がって、もう一度突撃する。
スマッシュパンチをお見舞いすると見せかけてそれは誘いの一手。
奴はまんまと引っ掛かって何もない空間で竜巻防御を展開し、旋回動作のあとに少しばかりの硬直時間を生んだ。
このときを待っていた。
押し流されるほどの水圧を感じるがあたしは何とかその場に踏みとどまって腰を捻って待機する。
腰を捻って待機しているのは当然ドリルパンチをお見舞いするための予備動作だ。
「喰らいなウツボ野郎。待ちに待った渾身の一撃だぜ?」
ここでウツボは初めて表情らしい表情を見せる。
「クソがァ! 女ァ!」
「しっかり味わうんだ。いいかい?」
ギュンドガン!
あたしが放ったドリルパンチを、奴は華麗な身のこなしで回転して躱そうとする。
棒高跳びのバーを越えるみたいにひらりと螺旋回転。
だがあたしのパンチのほうが一足早かった。
回転途中のウツボの背中をあたしのドリルが掠めて肉を削り取る。
「ク゛ソ゛か゛あ゛! 女ァ!」
ごろごろと床に転がりながらウツボが喚き立てる。
「痛え! 痛え! 痛えよ! クソ女! やりやがったなクソッ!」
「へっ。おもちゃがなんだって?」
背中から赤い血を沸き立たせるウツボを見下ろしてあたしは微笑んでやる。
「もう許さねえ……! てめえは俺様の胃袋で一緒になるんだよ……! 永遠に俺様の女になれヤドカリ女ァ! 食ってやる食ってやる食ってやる……!」
突然ウツボの瞳が紅く輝き出した。
「なんだ……?」
あまりの威圧にあたしは一歩後退して様子を窺った。
「食ってやる食ってやる食ってやる食ってやる食ってやる!」
「完全にラリってやがるぜコイツ……」
正気とは思えない。
目の色が変わってから狂ったように牙を見せつけてくる。
何度も何度も歯と歯を打ち鳴らして重く鈍い音を響かせる。
ウツボが首を窄めた。
と思ったら次の瞬間にはバネのように弾け飛んできた。
「ちょっ!?」
咄嗟にドリルパンチでカウンターを入れようとするが腕の付け根を掴まれてしまう。
奴の側部から生える人間の手で!
ウツボが上に伸しかかって力づくであたしを押さえつけ、強靭な顎で二つのドリルを紙細工のように噛み砕いた。バラバラになった骨の欠片をあたしは絶望した目で追いかけていく。
やられた!
「ヒャッハ……食ってやる……ヒャッハ……」
両腕を床に押さえつけられてぴくりとも動かせない。
ウツボの舌先があたしの顔を舐めてくる。
「姐御を放せー!」
「退けー!」
キュピ之介とチワワの必死の突撃を、ウツボは尻尾を振るっただけで無力化した。
丸太の鞭にぶち当たった二匹が水中に打ち上げられてくるくると回転し、やがて天井に激突して大穴を開けて二階へと消える。上部から城の瓦礫が岩石となって降り注ぎ、床に落下するたびに途轍もない振動を生じさせた。
「女ァ……! ようやく、二匹だなあ……!」
「うるせえ」
「その減らず口から叩き直してやるぜ?」
ボゴン!
ウツボの頭突きがあたしの水月を抉ってくる。
ゴムを押し込まれたように息が詰まった。
目の端から血の涙が滲み出る。
くそ!
くそお!
「ぐう! ぐうう!」
全身全霊で腕を振るおうとするが床に縛りつけられて動かせない。
こいつの力は強大すぎてどうしようもならなかった。
「味見といこうか女ァ!」
にたりと笑うウツボの口から鋭く長い短剣のような牙が露わになる。
「や、やめろ……やめ……ぐううううううううっ!」
ぶちぶちぶちぶち!
あたしの肩の肉がごっそりと齧り取られた。
甲殻ごと肉繊維の引き千切れる音が響き渡って、あたしの嗅覚がとんでもない密度の血のにおいを感じ取った。欠損した体の部位が焼けた鉄を押し付けられたかのように熱くなる。圧倒的な質量を持った激痛が津波のように押し寄せてきてもう駄目だった。
ヤバイ。
意識が。
遠くに。
「ヒャッッッッッハァァァァァァ! 最高に美味えぜ女ァァァァァァ!」
視野が狭まる。
音が遠ざかる。
聞こえるのは心臓の音だけ。
何も見えない。
もう何も。
「わかるか女ァ! 今お前の一部がァ、俺様と一体化したんだぜェ!」
ウツボが興奮して何かを叫んでいる。
それがどこか遠くの世界で起こっているような気がしてくる。
あたしはただ、村を守りたかったんだ。
村を、守りたかった。
あたしは文化祭の前日のときみたいに笑顔で頑張っている風景が好きだったんだ。
ボロボロになって疲労困憊になっても大きな行事のために頑張るその姿がたまらなく好きだったんだ。ひたむきに頑張る姿は美しい。心を打つ。前を向いて生きていこうという気持ちになる。あたしはそんな気持ちで世界が満たされればいいなと思ってる。
だからこそ、ウツボに騙されていることが許せなかった。
マッチポンプが憎かった。
村のヤドカリたちは何も知らずに搾取されていた。
それがなんだかあたしにはヤドカリたちの頑張りを穢されたような気がしたんだ。
ヤドカリたちの純粋な想いが踏みにじられた気がしたんだ。
クラゲのパスタも美味かったなあ……。
ヤタロウも可愛いし、サザ衛門もいい奴だった。
あの村には陽気な奴らで溢れ返っている。
このまま不幸になっちゃいけねえんだあいつらは。
幸せにならなくちゃ割に合わねえ。
なんとかしないと。
あたしがなんとかしないと。
でも脚が、動かない。
あたしがなんとかしないといけねえのに。
なんで動かねえんだあたしの体は。
動けよ。
動けってば。
動けよ。
いま動かねえでいつ動くんだよ。
「これで終いだ。俺様に食われて一緒になろうぜ女」
漆黒の暗闇の中で、ウツボが大口を開けてあたしに迫ってくる。
ただ、村を、守りたかったんだ、あたしは。
みんなに、笑顔のままで、いてほしかったんだ。
みんな、すまねえ。
すまねえ。すまねえ。すまねえ。
無力なあたしを許してくれ。
馬鹿なあたしを許してくれ。
「ぐぁああああああああ!? 痛ええええええ!?」
声の主はウツボだった。
ウツボがあたしから離れてもがき苦しんでいる。
「ぴょぴょぴょぴょぴょ~!」
ウツボの腹の下から聞き慣れた女の声が聞こえてきた。
あたしの視界に光が戻ってくる。
闇が振り払われていく。
温かな気持ちが流れ込んでくる。
見間違うわけがない。
見間違うわけがなかった。
あの桃色で、気色悪くて、物知りなプリティーガールの姿を、
あたしが見間違うわけがない。
「あーら。なんだか愉しそうなことをしてるのね。わたしも混ぜなさいよ」
桃色は触手をくねらせて言う。
ヤドカリクエストⅤ 海底の紅姫。
唯一無二の相棒。




