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18.かわいいあたし、ウツボを泣かす

1回目




「お、おぉん……? な、なんだてめえは……? ヒャ、ヒャハ……!」


 地面に倒れるウツボが目を白黒させてあたしを睨む。

 ヤドカリの住人たちは真っ青になってこれ以上いらないことをするなとあたしに目で合図を送ってくる。でもあたしは止まらない。あたしはあたしの衝動に身を任せる癖がある。それを何とか制御しようと思っていたこともあったが今では無理だと悟り好き勝手に生きている。しょうがない。無理なものは無理だ。

 生きることが下手くそなんだあたしは。


 あたしは中腰になって右のハサミを前方に伸ばす。


「おひけえなすっておひけえなすって、手前生国は島国ジパング東京でござい。姓は星空、名はマーキュリー、人呼んで『渋谷の水星』と発します。以後お見知りおきのほど、お頼みお頼み申します。レディース、エーン、ジェントルメーン!」

「ヒャ、ヒャハ……! キ、キチガイかよおめえ……!」


 バチン!


「ぶぴゃあ!?」


 あたしはウツボの頬を殴る。

 ウツボがあたしを見上げる。


「て、てめえ。俺様に何をしたのかわかってんのかおぉん!?」

「知らねえなあ」

「お、覚えていろよ。親父にこのことを言ってお前を地獄に送ってやるからな」

「知らねえなあ」

「俺様の親父を知らないって馬鹿かよてめえ。海神の加護を受けた親父だぜい?」

「知らねえなあ」

「首を洗って待ってろクソ女。泣いて許しを請うても許さねえぜい? うへーん!」


 それだけを告げるとウツボは涙目で逃げ帰っていった。

 親父に頼むのではなくお前が来いよウツボ野郎。


 あたしは早速ボコボコに殴られたヤドカリの幼生のもとに向かう。

 周囲から冷ややかな視線が送られるが無視する。

 しゃがみ込んで怪我の具合を確認。


「こいつはやべーな……」


 内臓が破裂しちまってる。

 兄弟たちが、頼りになりそうな親ヤドカリを連れてやってきた。

 巻貝を背負った親ヤドカリは血だらけの幼生を見るとすぐに抱き上げてどこかへ運ぼうとする。


「とりあえず医者へ運ぶ。怪我の具合が大変だ」

「かひゅ……かひゅ……」


 幼生の口からかすれた吐息が聞こえる。

 今はこの親ヤドカリの指示に従っておこう。


 あたしたちは親ヤドカリの向かう先へついていく。

 とにかくあの子共の容体が心配だった。

 巨大な巻貝ハウスの中に入って病室に子供を運んだ。

 ベッドで寝かしつけた子供のお腹あたりに、医者ヤドカリが海藻の塗り薬をぺたぺたと塗っていく。だが次第に顔をしかめて言う。


「ひどい怪我だ……もしかするともしかするかもしれん……」


 あのウツボ野郎め。

 幼気なヤドカリを半殺しにするとは許せねえ。


 個室の外からバタバタと慌てたような足音が聞こえてくる。

 次の瞬間に現れたのはスタイリッシュなヤドカリだった。


「ヤタロウ! 無事かヤタロウ!」


 この子共の親族なのだろうか。

 ベッドで目をつぶって意識を飛ばしているヤドカリに向かってスタイリッシュヤドカリが声をかける。その声には悲しみと焦燥が入り混じっていた。


「なんでウツボ様にぶつかるんだヤタロウ……あれほど注意しろと言っていたのに……」


 あたしはスタイリッシュヤドカリの肩に触れる。


「あんた誰だ?」


 スタイリッシュヤドカリがこちらを向く。


「俺はヤタロウの知り合いだ」

「知り合い? 家族じゃねえのか?」

「ヤタロウの親父さんが出してる定食屋で、アルバイトをしている一級アルバイターだ」

「ほう。名前は?」

「サザ衛門」

「そうかいサザ衛門。あたしはマーキュリー。探偵だ」


 サザ衛門が目を丸くする。


「じゃああんたがヤタロウを助けてくれたっていう?」

「助けたってほどのものじゃねえよ。ちょっとばかしウツボを殴り飛ばしただけだ」


 急にサザ衛門が渋い顔をする。


「村では今そのことで問題になってる」

「ふうん?」

「この村は気触れの魔物に囲まれている。それでも無事でいるのはお館様のおかげなんだ。海神の加護を受けたお館様の力で、なんとかこの村は平和に暮らすことができている」

「海神ってのはなんだ?」

「知らないのか、海神を?」


 サザ衛門がきょとんとする。


「ああ。ちょいとばかりあたしの頭はメロンパンなのでね」

「海神っていうのは、この海を支配する絶対王者のことだ。この海を統治して魔物から守ってくださっている。お館様も海神に送られた統治者だ」

「へえ……」


 あたしは目を細める。

 ならば海神って奴があたしのライバルになるわけか。

 面白い。

 敵は強大であればあるほど燃える。

 神殺し。

 いい響きじゃないか。きひっ。


「大体事情はわかったよ。あたしは殴っちゃならねえ奴を殴っちまったってわけだ」

「ああ……。お館様に宣戦布告したと言ってもいい……」

「でもあたしが殴らなければヤタロウは死んでたぜ?」

「わかってる。村のみんなはマーキュリーのことを邪険に思っているが、俺は心から感謝している。この村の全員がマーキュリーの敵になっても、俺だけは味方だ」

「く、口説いてんのか?」


 ヤドカリ相手にドキドキしてしまうあたし。

 ぽっ。

 顔が熱くなる。

 一度でいいからこんな台詞を言われてみたかったんだ。

 夢がひとつ叶った。


 そのときあたしとサザ衛門の間に何者かの影が入り込んできた。

 チワワ・ザ・デストロイだ。


「やいやい。姐御に手を出そうなんて100年早いきゅぴ」

「そうきゅぴ」


 エルシャラも加担する。

 キュピ之介に至っては水中に浮かび上がって、


「笑止。我々の姐将軍が貴様のような下等ヤドカリにほだされるわけがあるまい」


 とか言っている。


「身の程を知るためにもう一度卵からやり直すがいい」


 とか言っている。

 あたしはため息を吐く。


「お前らのヤキモチは嬉しいが殺気をしまうんだ。ここは病室だぜ?」


 兄弟たちは触角を垂れ下げる。


「きゅぴぃ……」

「きゅぴぃ……」

「きゅぴぃ……」


 あたしは医者ヤドカリに向き直ってヤタロウの容体を聞く。


「で、こいつはどれくらいで全治する?」

「綺羅サンゴの欠片があればあるいは……」


 医者ヤドカリが首を振って沈鬱な声を出す。


「綺羅サンゴってやつを見つけてくればいいんだな?」

「まあ、そうだが、しかし……」

「じゃああたしが見つけてきてやるよ」

「え?」


 医者ヤドカリがびっくりする。


「そうすればヤタロウの命が助かるんだろう?」

「それはそうだが、村の外は気触れの魔物が大勢いるんだぞ!?」

「構わねえよ」

「馬鹿な!?」

「ヤタロウのために冒険することが馬鹿だって言うのなら、あたしは馬鹿にでも何にでもなってやるぜ? あたしの野望の前にはこの程度の問題、些細なことに過ぎねえのさ」

「し、しかし……」

「なんて言ったってあたしはマネビガウナだぜ? 世にも奇妙な緑のお姉さんだ」

「……そうかい。あんたも粋なヤドカリだね」


 医者ヤドカリは顔を青くしつつもニヤリと笑ってみせる。


「感情のままに走る乙女なんでねあたしは。誰にもあたしを止められやしないさ」


 たとえそれが海神であろうともな。




     ◇




 岩に貼りつくイソギンチャクがそっと呟いた。


「暇ね……」





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