17.かわいいあたし、ウツボと相まみえる
5回目
「お、おい。あのウツボはなんだよ。キチガイだろ」
あたしの声が震えた。
無理もない。
ぎゃんぎゃん喚き立てるひょろ長いウツボはどこからどう見ても頭がおかしそうだ。
もしかしてコイツがお館様なのか?
おいおいマジかよ。
この村の運命終わったな。
ご愁傷様。南無阿弥陀仏。ドロン。
「あのお方はお館しゃまの息子しゃまです。オイラは嫌いでしゅ」
「そ、そうなのか」
そりゃそうかとあたしは思う。
あんな奴に村が統治できるはずもないし逆に統治されてたまるかという感じである。
それにしてもやべえ野郎だ、ウツボ。
「ヒャッハー! ブンブンブブブン! 俺様参上、立つ場所檀上、ミラクル誕生!」
い、意味がわからねえ。
あたしも人のことを言えた義理じゃねえがコイツよりはマシだと思いたい。
頭のネジの緩んだあたしでも理解できない奴がいるとは思いもしなかった。
世界とは広いものだね。
「ヒャハヒャッハー! ヒャハヒャハヒャッハー! チンプンカンプンだぜい?」
だ、だから意味がわからねえ。
こっちがチンプンカンプンだぜ。
まったく。
「マネビガウナしゃま、ウツボしゃまがおいでになるので、ひざまずくでしゅ」
「あ?」
「ヤドカリがひれ伏さないと、ウツボしゃまは機嫌が悪くなりましゅ」
「そうか……」
面倒臭い野郎だな。
あたしは兄弟たちに小声で指示を送る。
「とりあえず言うことを聞いておこうぜ。あの阿呆とは関わり合いになりたくねえ」
「同感きゅぴー」
「きゅぴー」
あたしたちは膝を折りたたんでその場に屈した。
他のヤドカリたちがやっているように見よう見真似でひれ伏す振りをする。
権力を持った者は権力を振りかざし権力に溺れる。
その末路があの阿呆だ。
よおく見ておくんだ兄弟。
どうだやべえだろ?
この海を支配下に置いてもあたしたちはああはなりたくないものだね。
ちらりと上目遣いでウツボの様子を窺う。
ウツボはずいぶんと太い胴体を持っていて全長はかなりのものだ。
あたしなんかが巻きつかれたら五重巻きくらいにはされるんじゃなかろうか。
奴の眼は気持ち悪いくらいにぎょろっとしていて、薬物中毒のようなイってるヤバさが迸ってくる。あいつ完全にラリってやがるな。どうすればあれだけのイっちゃってる眼を持つことができるのか。そこの部分は才能だなとあたしは思う。
あいつはラリってる表情の天才だ。
もしかして本当にラリってるのか?
普段がキチガイだからあたしには判断がつかない。
口の隙間から覗く牙は中々に剣呑で、噛みつかれたらただでは済まないだろう。
顎は無駄にしゃくれている。
突然のことだった。
遊びに夢中だったヤドカリの幼生が後ろ向きに駆けて路地裏から飛び出してウツボの胴体にどんとぶつかった。あたしの隣でガキンチョヤドカリが人知れず息を呑む。
どうしたんだ?
ヤバイのか?
さらにもう一匹のヤドカリの幼生が路地裏から現れて、後ろ向きのヤドカリを追いかけようとする。追いかけっこの最中だったのだろう。楽しげな表情だ。だがすぐに、逃げるほうのヤドカリのぶつかった相手がウツボだと気づいて腰を抜かした。
「お、おまえ……」
とか言って、逃げるヤドカリに向かって指を差す。
誰にぶつかったのか教えようとする。
でも逃げるほうのヤドカリはまだ気づかない。
ぶつかった相手のことには気にも留めない。
甲高い声ではしゃぎながら逃げていく。
追いかける側がへなへな崩れ落ちてもう追いかけようとしないことに気がついて、そこでようやくぶつかった相手を幼生が確認する。
幼生の表情が一瞬で抜け落ちたのが面白かった。
口から可愛らしい悲鳴が漏れ、その場で腰を抜かしておしっこを漏らす。
視線の先には眼を吊り上げたウツボがいた。
「おぉん!? 痛えじゃねえかクソガキおぉん!? おいクソガキ、てめえは一体誰にぶつかったんだおぉん!? 俺様だとわかっていてぶつかったのかおぉん!?」
「ご、ごめんなしゃい……」
「謝って済むもんじゃねえんだよゴミカスがッ!」
ボゴン!
ウツボが凄まじい頭突きを幼生にぶちかました。
幼生の体が吹き飛んで巻貝状の建物に衝突する。
「ぎゅばあっ!」
苦悶の声が零れ出る。
ひざまずくヤドカリたちはその光景に顔を逸らしてぎゅっと目をつぶった。
おいおい。
これがこの村の日常ってわけか。
いけ好かないね。
親父さんがお館様やら魔物退治やらでお偉いのかは知らないが、子供相手に本気で殴り飛ばすというのはちょっと違うんじゃないか、ボーイ。
それに偉いのはお前の親父であってお前じゃない。
そこのところがわかっていないうちは女子中学生の足元にも及ばないね。
あたしが立ち上がろうとしたとき。
隣にいたガキンチョがあたしの脚を掴んで強く制止した。
真剣な眼差しであたしを射抜いてくる。
「そうかい」
あたしはまたひざまずいた。
坊やの真剣な眼に免じて今回は許しておいてやるよ。
余所者が首を突っ込んで面倒事を起こすのも癪だしな。
ここの村の歪な日常はここの村の者が解決するべきだ。
あたしの出る幕じゃあない。
ウツボは胴体をうねうねと蠢かせて吹き飛んだ幼生のもとまで泳いだ。
ぐったりとしている幼生のお腹を目掛けて何度も何度も頭突きを入れる。
「この野郎が!」
ボゴ!
幼生が血を吐く。
「一体誰に向かって!」
ボゴ!
幼生が血を吐く。
「ぶつかってきやがったんだ!」
ボゴ!
幼生が血を吐く。
「ヒャハ! 聞いてんのかガキ!」
ボコ!
幼生が血を吐く。
「答えろよガキ!」
ボゴ!
幼生が血を吐く。
「俺様が聞いてるんだぜ?」
ボゴ!
幼生が血を吐く。
「ヒャハ! ヒャハ! ヒャハ!」
ボゴ!
ボゴ!
ボゴ!
幼生が血を吐く。
バチン!
「ぶぎゃあ!?」
あたしはウツボの顔面を殴り飛ばした。
ウツボが水平に吹き飛んでいく。
ポポポン村の時間が一瞬で停止した。
恐れるものは何もない。
あたしはこの海を支配するのだし、支配するのだから目の前のものも好き放題にする。
村の事情など知ったことではない。
ムカついたから殴る。
あたしは発情期のメス猿だ。
メス猿程度の知能さえあればいい。
だからただ単に、ムカつく奴を殴る。
あとのことは知らない。
なんて言ったってあたしは家出するほど短気なものでね。
海の底からアーメン。
ウツボ:
こちらから危害を与えない限りは大人しい魚。
四国の一部の地域で食されているそうです。刺身や干物などが有名で、なかなか美味であるとか。ウツボを食べるとか四国すごいです。
ウツボさんは「黄金伝説」という番組にレギュラー出演。
大抵が素揚げされる模様。
連続更新はこれにて終了です。
ありがとうございました。




