14.かわいいあたし、ゴングを鳴らす2
2回目
あたしは起き上がってシャコの様子を確認する。
シュッシュッシュッ。
相変わらずの無表情で空ジャブを繰り返している。
どうやったらあいつに勝てるんだ?
あたしはもうあいつのパンチを二発も食らってしまっている。
二発も食らえばそのパンチの威力というものを嫌でも実感する。
その実感があたしの動きを鈍らせる。
もうあいつに近づきたくないという欲求。
もし近づいたらまたパンチが飛んでくるんじゃないかという恐怖。
あたしの中でいろいろな感情がごちゃ混ぜになって二の足が踏み出せない。
その次にあたしはゆっくりと振り返る。
そこには肩を寄せ合ってぶるぶると震えている兄弟がいた。
ここであたしが諦めてしまえば兄弟たちはシャコのスマッシュパンチで海の藻屑になってしまうだろう。
それだけは避けねばならない。
あたしは兄弟たちの愛らしい仕草に救われてきたのだし、兄弟たちがいたからこそ寂しさを感じずに生きてこられた。
あたしは一人ぼっちになるという恐怖を山奥で過ごしたときに散々と味わった。
惨めでみすぼらしくて心細くて膝を抱えて泣いた。
でもあたしがいくら泣いても涙を拭ってくれる王子様は現れてはくれないのだ。
現れるのはいつだってバッタだ。
あたしの衣服に勝手に貼りついてくるバッタだ。
心細すぎたあたしはそんなバッタに対しても世間話をして気を紛らわせていた。
一人ぼっちになるのはもう嫌だ。
あたしは死んでも兄弟を守りきる。
「どうしたシャコ野郎。かかってきな。満ち潮になる前に」
あたしはカンフー映画の師匠キャラのようにちょいちょいとハサミを曲げて挑発する。
シャコは小首を傾げた。
挑発には乗ってこないか。
つまらない野郎だ。
それとも用心深いのか?
仕方がないのでシャコのリーチの外ギリギリの位置まで近づいた。
これ以上近づいたらあたしの体は木端微塵に弾け飛ぶだろう。
だからこのギリギリのラインから一歩も奴の内側に入らないように注意して、くるりと背中を向けたあと尻尾をふりふりしてシャコを馬鹿にする。
「やーいやーい。おバカさんこっちにおいでー。お尻ぺんぺーん」
一歩でも近づいてきたらあたしの【銀槍】で串刺しの刑に処してやる。
青魚だってトラップをしかけてきた。
あたしはその実戦経験からひとつでも多くを学んでいる。
油断させておいてからのトラップは相手の心を折るのに最適。
実際にあたしは心が折れた。
「どうしたのかなー? あたしに怖気づいたのかなー? やーいびびりー!」
シャコは小首を傾げた。
「なんなんだよさっきからてめえはよお!」
小首を傾げるしか能がないのかよ。
「自分の状況わかってのかお前。馬鹿にされてんだぞ。びびりって言われてんだぞ。じゃあかかってこいよな。あたしにいつまでお尻を振らせてやがるんだ。あたしはダンスレッスンをしにこの海まで来たんじゃねえんだぜ。てめえを食うために生まれてきたんだ」
シャコはやはり小首を傾げる。
言葉が通じていないのかもしれない。
こっちから攻めるしかないのか。
仕方がない。
あと一歩近づいて奴の反応を見てみよう。
あたしはさらに奴に近づく。
ズパン!
「ひっ!」
奴のスマッシュパンチが鼻先をかすめた。
物凄い水圧で顔面が持って行かれそうになる。
なるほど。
この位置が本当に本当のデッドラインか。
奴の腕のリーチまで1センチといったところ。
これ以上近づけばあたしの命はない。
ということはここからあたしの【銀槍】が届くのを祈るのみだ。
あたしは全身に力を漲らせて銀色の槍を体中から生やす。
シャキン!
スタ!
警戒したシャコが後方に飛び退った。
「ははっ!」
びびってやがる。
奴もあたしの【銀槍】が怖いとみた。
もう一度銀色の槍を生やしてみる。
シャキン!
スタ!
間違いない。
奴はあたしに恐れをなして逃げている。
この岩蔵は少々手狭なので若干シャコに有利になる。
ならば今度は奴をこの岩蔵から追い出して広大な海の底で第二ラウンドと行こう。
シャキン!
スタ!
シャキン!
スタ!
何度か【銀槍】を発動させてシャコを岩蔵の外に追い出すことに成功した。
このくらい広ければあたしも自由に動けるし、馬鹿みたいに奴の正面から真っ向に殴り合う必要もなくなったというわけだ。
「すまんね、シャコ。ここからはあたしの土俵だ。なんせあたしにはこれがあるのでね」
あたしは腕をぎゅいんと伸ばした。
タコの特質【伸縮】。
あたしの腕を最大で2倍伸ばせる特質だ。
これで奴のリーチ外から攻撃することが可能になる。
それもここは岩蔵の外なので、馬鹿みたいに正面から殴り合わなくてもいい。
シャコを中心にぐるぐると回るあたしはスライド移動でまず一発ぶん殴る。
バチン!
あたしのジャブがシャコの脇腹に命中した。
「よし!」
攻撃が入ったことにあたしは安心する。
試しにもう一回攻撃する。
バチン!
おっけー。
ちゃんと入った。
これなら兄弟たちも戦いに参加させてもいいだろう。
岩蔵の入口に顔だけ向けてあたしは叫んだ。
「おい兄弟。お外に出ておいで。シャコの攻略法が見つかった」
「きゅぴっ?」
兄弟たちがぞろぞろと雁首そろえて出てくる。
「怖くないよ。あたしの動きをよぉく見ておくんだ」
あたしは八本の脚をかさかさと動かした。
シャコの周囲をぐるぐると回ってときどきフェイントを入れてみたりもして先ほどと同じようにシャコへのジャブを実演してみせる。バチン!
「ちゃんと見ていたかい。こんな感じで戦えば、いくらシャコと言えども余裕だ」
「す、すごいきゅぴ」
「あのシャコが手も足も出せないきゅぴ」
「これならワシも……」
あたしたち兄弟はシャコを取り囲んだ。
四面楚歌!
にゅるんと腕を伸ばした兄弟たちがシャコに攻撃し始める。
シャコの正面にはあたしがいて、シャコが兄弟に対して危害を加えようとするとすかさずボディーにストレートをぶちかます。
だからシャコは兄弟に目を向ける暇がない。
目を向けたらあたしの拳が飛んでくるからだ。
これがほんとのタコ殴り。
「アディオス! シャコ野郎! ヤマタノオロチ!」
シャコはあたしたちの攻撃に耐えられなくなってとうとう地面に倒れた。
今回はシャコが単独だったので助かった部分がある。
でも勝った。
勝利したという事実が大事だ。
それに数の暴力には頼らねばならない。
たった四匹であってもだ。
青魚は何百匹と軍団をつくって生き延びているが、あたしたちは四匹でもやってやれないことはない。今回それが証明された。数の暴力というものは生存戦略にとっては優先事項であり、日本の戦国時代も兵士の数が多ければそれだけで相手が降伏したほどだった。
だけどあたしたちは四匹でもこの海の群雄割拠を生きてゆける。
あたしは新たな能力を得られることよりも、キュピ之介やエルシャラやチワワが今回の件で自信を持つことのほうがうれしい。これは掛け替えのない経験になる。
どんなに強大な敵に見えても、知恵と勇気を振り絞れば対抗できうるってこと。
あたしはそのことを兄弟たちに知ってほしかった。
自信を胸に抱け。
あたしたちは何が何でも生き残る。