1.かわいいあたし、ちょっぴりメランコリー
「そこの可愛らしいお嬢ちゃん。モロヘイヤを買って行かないか?」
「あ? 可愛らしいお嬢ちゃんってあたしのことか? 褒めてもなんも出ねえぜ?」
「いいや、これはおじちゃんの本心だ。可愛いものを可愛いと言っただけにすぎんさ。お嬢ちゃんほどのべっぴんさんなら、この店にあるもの全部百円でいいよ」
「やめな。あんまり幼気な少女をからかうもんじゃねえぜ、八百屋の親父」
「なにを言ってるんだ。おじさんはね、美人に美人と言うのが好きなんだ」
「やめなって。あたしはまだ中二だ。美人って歳じゃあねえよ」
「嘘じゃないさ。お嬢ちゃんは大人の魅力と子供の魅力を兼ね備えたいい女だ」
「商売上のお世辞ってやつなんだろう?」
「おじちゃんはそんなに嘘がうまかねえよ。お嬢ちゃんを見かけたとき、思わず二度見しちまったもんだぜ。川を流れるロリータピーチかと思ったもんさ」
「まったく。口が達者だね、八百屋の親父。いい品はあるのか?」
「おうとも。カリフラワーに紫キャベツ、レンコンさんにニンジンさんもあるぜ」
「生憎あたしはにんじんが食えねえんだ」
「そいつは聞き捨てならねえな。ニンジンは肌にいいんだ。カロテンが含まれているんでね。まあ、お嬢ちゃんみたいなべっぴんさんには必要ねえかもしれねえがな」
「いくらなんでも誉め過ぎだ、親父。にんじんをひとつ、もらおうか」
「可愛いからただでくれてやるよ」
「商売下手だな、親父。いつか損するぜ」
ここまであたしの独り言。
淋しい。
山奥で生活をし始めて一週間になるがそろそろ頭がおかしくなってきたんじゃなかろうか。お腹が空きすぎて頭が回らなくてここ数時間は雑草を引き抜いてはぱくぱくと食べてばかりいる。
白くて透き通った根っこにしゃぶりつくと舌先が痺れてヤバイ。
びりびりきてヤバイ。
ハマる。
土のにおいのする白根で鼻の奥をこちょこちょするとくしゃみが出て面白い。
ヤバイ。
ハマる。
あたしが山奥で生活するようになったのはどれもこれも兄貴が悪いのだ。
高校二年生の兄貴と中学二年生のあたしはアンドレア・ピルロとハメス・ロドリゲスのどちらがよりイケメンかということで口論になって、兄貴推しのピルロがやや優勢になったためにあたしは涙目になって家を飛び出したのだ。
家出。
だって仕方がない。
だって、ハメロリもかっこいいけどピルロもかっこいい……。
あたしはピルロを押し下げてハメロリを持ち上げるような真似なんて絶対にしたくない。
絶対にしたくないけど、ハメロリ推しのあたしはイケメン勝負で兄貴に負けるということも絶対にしたくなかった。
兄貴に負けるのは大事に取っておいたプリンを腐らせることよりも嫌なことで、なんなら国語の授業中に先生のことをお母さんと呼んでしまうことよりも嫌なことなのだ。
あたしはあたしに負けることよりも兄貴に負けることのほうがずっと悔しい。
悔しいから家には帰らない。
もう一週間も帰っていない。
お腹が減って死にそう。
お風呂に入りたい。
ぐあー。
雑草ばかりでは腹も膨れないということであたしは早速狩りに出かけることにする。
女の子座りから立ち上がってホットパンツをぱんぱんと叩いて森の奥へとずんずん進む。
木の根元にキノコが生えていた。
真っ赤なキノコ。
はいはい収穫収穫。
根元からポキッと折ってそのまま生で口に放り込む。
奥歯で噛み噛みしてごくりんこ。
「キノコうめえ!」
あたしははしゃいでその場で太極拳を披露する。
トノサマバッタに笑われた気がしたので中指を立ててやる。
「おいなに見てやがる、鎮守の森のグリーンデビル。消え失せな」
ぷいっと背中を向けたあたしは次の獲物を探してずんずん歩き出す。
また木の根元に真っ赤なキノコを発見して思わず小躍り八拍子。
お尻をふりふりしながらキノコを引き抜いて傘の部分を丸かじりした。
「やはりうめえ!」
あたしは気分が高揚していくのを自分でも感じて、「今日はキノコ狩りと洒落込もうじゃないか」と木枝の小鳥たちに語りかける。小鳥たちは必死の形相で飛び去っていく。
デコボコした山道をあたしはスキップで駆けのぼる。
歌を歌ってみたりもする。
作詞作曲 あたし
タイトル あたしちょっぴりメランコリー
「タコ焼きの中のタコがちょっと小さい~♪
あたしは店員に文句を言う~♪
お宅のタコ焼きにタコ入ってますの~♪
顕微鏡がないと見えませぬ~♪
恋する乙女のロマンチカ~♪
メランコリック日本国憲法~♪
げろぉ!」
あたしはゲロを吐いた。
なんだこれなんだこれ。
視界がぐにゃりと曲がって木々の茶色や苔の深緑がどろどろに混ざり合って、ついにあたしまで灼熱のチョコレートのように溶けていってしまう。
ヤバイ。
これ超ヤバイ。
あのキノコ、駄目な部類のキノコだったのかよ。
力が抜けてだんだんと気持ちよくなっていくあたしは急に意識が朦朧とし、へろへろになって涎を垂れ流して天国にいるのではないかと思えるほどの幸せを感じる。
おおエンジェル、あたしはここよ。
どこへでもあたしを連れて行って。
「げろぉ!」
口から大量のゲロをぶちまけつつあたしは大きな木の根元で横になる。
なんだか急に眠たくなってもう目が開けられない。
◇
溺れる!
気がついたときにはあたしは水の中にいた。
手足をばたつかせて水面に浮かび上がろうとするけど、手足が十本もあって「あひゃあ!?」と悲鳴に似た声をあげる。
うまく手足を動かせない。
じゃなくて。
そんなことはどうでもよくて。
今の問題はこの体だ。
どうして手足が十本もあるんだ?
どうして胴体の先に尻尾みたいなものがあるんだ?
どうしてあたしは水中で呼吸ができているんだ?
一体あたしに何が起こってやがる?
ここは海なのか?
海底らしきところには白い砂が降り積もっていて、その上に貝殻やら岩石やら朽ち果てた宝箱やらが見える。砂を押しのけて伸びる海草は波に揺られて右へ左へと踊りを踊る。
うす暗い水の中にはあたしに似たようなエビ型のエイリアンがうようよといた。
ふと後ろを振り返ってみると薄い膜状の球体がいくつもぷよぷよと漂っており、球体の膜を突き破ってエビ型のエイリアンがびよんと飛び出してくる。
ぶち。
ぶち。
ぶち。
ドモ、コニチワー。
「きめえ!」
あたしは仰け反る。
なに?
あの球体は卵?
脚に絡まっている半透明の膜から、あたしもあの卵から生まれてきたのだと推測できる。
でもどうして?
あたしは人間だぜ?
キノコを食ってはしゃいでた美少女だぜ?
毒キノコを食らって、変な生き物に生まれ変わっちまったのか?
黙りこくったまま周囲に視線を巡らせて状況を把握する。
2メートルくらいの巻貝から半透明の卵が放出されていた。
巻貝の宿主と眼が合った瞬間にあたしは肝の底を冷やす。
巻貝の宿主はあたしよりも一回り大きなエビ型のエイリアンで、つまるところあたしのお母さんで、さらにつまるところあたしの正体は馬鹿でかいヤドカリなのだった。
「きめえ!」
疾走感を追求したいです。