第五話
これで一区切りとなります。これからは小話として書いたものをあげていきたいと思います。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
次の日、さらは図工の授業が終わってからさっそく中野先生に話しかけた。
「中野先生」
「どうしたんですか?森沢さん」
中野先生はやさしい微笑みを浮かべました。
「あの、先生に教えてほしいことがあるの」
「なんだい?」
「バラの上手な描きかたを教えて」
中野先生はちょとんっとした顔をした。
「どうしたんですか?急に」
中野先生がそう言うのも無理はない。今は木工をしているからだ。
「えっと、こういうのを作りたいの」
「どれどれ」
さらは昨日一生懸命描いた完成図を中野先生に見せた。そこには四角く区切られた中に花が三輪描かれていた。どうしてもバラにならなくて、よくある花びらが五枚の簡単な花を描いたのだ。
「そこの花をバラにしたいの。だけど、どうしてもうまく描けなくって……」
「なるほどねー。ちょっと待ってね」
中野先生はペン立てから古い鉛筆を手にとった。
「まずがこうして輪郭を描く」
中野先生はふにゃふにゃと丸を描いた。これでは花ではなく綿あめだ。しかし中野先生は続ける。
「次はこうして……こうして」
次に丸の内側でも下のほうに、輪郭と同じような線を描く。そして三角形をイメージしながら、線同士がくっつくようにバランスを考えて線を描き足す。するとあっという間にバラになった。
「ね、バラになっただろ?」
「わあ!すごいっ。もう一回描いて」
今度はさらもいっしょにバラを描いた。そのときにどうすれば、よりバラらしくなるかアドバイスもしてもらった。
「ほら、もうすぐチャイムが鳴るから教室に戻りなさい」
「はい。ありがとう、中野先生」
さらは自分の思いが、どんどん目に見える形になっていくことが嬉しくてたまらず、教室に戻る足どりは軽やかだった。
その日の休み時間はずっと自由帳にバラを描く練習をしていた。最初に比べるとずいぶんそれらしくなってきた。
放課後にはけいちゃんとみゆちゃんに遊ぼうと声をかけられたが断った。一刻も早く図を完成させたかったのだ。自然と足が速くなる。
もうさらの中には店長のことしかなかった。過ごした日々は宝物ののようにきらきらと輝いて、店長の穏やかな笑顔を思い出すと心が温かくなる。一目でもいいから会いたい。そう思った。けれどぐっと堪えた。きっと今会いに行っても、このあいだのように追い返されるだろう。だから『今は』まだ行かない。店長への思いをひとかけらも残さず伝えるために。それでだめなら諦めるしかない。けれど不思議と伝え切れるような気がしていた。
完成図を描き終えたさらは、さっそくお母さんといっしょにビンを割った。玄関に新聞紙を敷いて、ビニール袋の中にビンを入れて金槌で叩き割った。お母さんはさらに軍手までつけさせた。さらは心の中で心配性だなあと思った。
粉々になったガラスの中から使えそうなものを拾う。あまりにも小さいと使いづらそうなので、捨てることにした。作ってみて足りなかったらいけないので、お母さんにビンをとっておいてもらうことにした。
部屋に戻ったさらは次の作業に移った。ガラスのかけらに油性の赤ペンでひとつひとつ色を塗る。
「しまった……色を塗ってから割ればよかった」
思っていたよりも手間がかかることに気がついたさらは、少し後悔した。けれど大好きな店長に、思いを届けるためだ。
「何日かかったってきれいに塗るんだからっ」
さらは小さな破片を赤いマジックで塗りはじめた。
それはとても気の遠くなる作業だった。何日も何日もかかった。塗りむらなどないように、しっかり塗ったので余計に時間がかかった。放課後に遊ぶことも減り、休みの日には一日中ガラスの破片に色を塗っていた。花びらの赤、茎の緑、花束の包み紙の水色。
気がつくと最後にフィーユに行ってから一カ月以上経っていた。
「終わったー!」
ようやくすべてのガラスのかけらを塗り終えた。次の段階に移る。
買った紙粘土をよくこねて、四角く形を整える。その上に、台所からとってきた竹串でうっすらと下書きをする。中野先生に教えてもらった描きかたを何回も練習したので、ずいぶんときれいに描くことができるようになった。その線を目印に花びらをガラスのかけらを埋め込みバラを咲かせる。しかし様子がおかしい。どんどんバラが赤い塊になっていく。
「あ、あれ?」
これではまるでりんご飴だ。
「おかしい……なんで?」
さらはじいっとバラからりんご飴になった紙粘土をまじまじと見た。どこがどうしてこうなってしまったのだろう。さらはうんうんうなった。たしかに線は引いた。それなのに、線がなくなっている。
「あれ?そういえば線手……。そうか、線が見えなくなったからんだ!」
原因がようやくわかったさらは、何度も「そっかあ、そうだよねえ」と呟いた。当たり前のことなのに、やってみないとわからないものだ。
さらは一度すべてのガラスを剥がした。ガラスには紙粘土がへばりついている。これではもう使えない。いや、もう一度使うことはできる。しかしきれいなバラにはならないだろう。店長にはきれいに咲いた、ガラスの花束を渡して思いを伝えたい。
「……しょうがないや。もう一回作り直そう」
またビンを割って、ガラスに色を塗ることを考えると気が遠くなりそうだった。ため息が出てしまうのもしょうがない。けれどやめる気は一切ない。
「だって、この三本のバラがわたしの気持ちだから」
この三本のバラが、店長への気持ちを必ず届けてくれるとさらはそんな気がしていた。
愛しています。それが、さらが今一番伝えたいことだ。
さらがフィーユに来なくなって二カ月、いやもうすぐ三カ月が経とうとしていた。売上そのものは変わらないが、英二の心にはぽっかりと穴があいたままだった。
「ありがうございました」
客が商品を買って嬉しそうに出て行く。ベルがちりりんと鳴る。誰もいなくなった店内で英二は机に突っ伏した。気を抜くと頭に浮かぶのは、ガラス細工のアイディアではなくさらの笑顔だった。
「ああ、女々しくって嫌になる」
英二は不思議に思った。今まで頭を切り替えるのに、こんなに時間がかかったものだろうか。記憶では一カ月、長くても二カ月ほどで心の整理ができていたような気がする。
「俺ってそんだけさらちゃんに惚れていたのか……」
ごんっごんっと机に頭をぶつける。人間は失ってから大切なものを知るというが、その典型である。自分にできるのはさらの幸せを願うことだとわかってはいる。事実幸せになってほしいと思う。その相手が自分ではないとしても、だ。それなのにこのぐるぐると、もやもやとしたものは一体なんなんのだ。ため息をついてゆっくり目を閉じる。そのときチリリンッと来客を知らせるガラス製のベルが鳴った。慌てて体を起こす。
「いらっしゃいま……」
入ってきた客を見て英二は固まった。そこにいたのはさらだったからだ。
「ひ、ひさしぶり店長さん」
さらははにかみながら挨拶をした。なぜさらがここにいるのだろうか。英二は混乱した。ファーストキスを不本意に奪われ、厳しく当たられたのだから普通はこんなところに二度と来ないはずだ。
「そうだ、来るはずないんだ。さらちゃんが今になって。あーあー、女々しいなあ」
英二は、ここが夢の中だと結論づけた。それにしてもいったいいつの間に眠ってしまったのだろうか。さらは英二がなんの話をしているのか、さっぱりわからなくて首をかしげている。そんなさらの状態など目に入っていない英二は、吹っ切れた様子で言った。
「そうか、これが夢ならなにを言っても構わないわけだ」
英二は立ち上がってさらに近づいた。そしてさらの右腕をつかみ、自分のほうへと引き寄せた。全身のぬくもりをのがすまいと、頭の後ろを押さえて包み抱きしめる。思っていたよりも小さな体は、少しでも力をこめれば折れてしまいそうだ。
「好きだ。好きなんだ、さらちゃん」
熱い吐息とともに抑えていた思いを吐き出す。そう、これが夢ならすべてさらけ出しても問題はないはずだ。さらの体を一層強く抱きしめる。
「さらちゃんが店に来なくなって、どうにかなりそうだった。今までなんとも思わなかったのに、もう一生会うことがないってなってようやく自分の気持ちに気がついた。頭では切り換えたつもりなのに、なかなか心がついていかなくて……ああ、こんなに求めているのが情けない。今まで恋をしなかったわけじゃないのに……ねえ、さらちゃん、どうやったらこの気持ちなくなるんだっけ?君が欲しいのに、欲してはいけない。君の将来を閉ざしてはいけないんだ。ああ、もう助けてくれ、どうにかなりそうなんだ」
そして英二は最後に「この夢が覚めなければいいのに……」と悲しそうにつぶやいた。さらはわけがわからなかった。夢、と言ったことが理解できなかった。さらは起きている。もしかして寝ぼけているのか、と近いけれど正解ではない結論にたどり着く。
「あ、あのね店長さん。これ、夢じゃないよ?」
「うん、わかっている。都合がよすぎる夢だ……」
これは話が通じない、とさらはわかった。頬をつねって夢ではないことを知らせたいが、強く抱きしめられていてはできそうにない。そして抱きしめられているという事実に今頃気がつき、さらは耳まで真っ赤になってしまった。嬉しさと恥ずかしさなどいろんな感情が混ざって、さらの頭はパンク寸前だだった。
「て、店長さんっ、店長さんったら!い、一回離れてっ」
さらがそう言うとようやく、名残惜しそうに英二はさらから離れた。ぬくもりはあっという間に逃げ、さっきまでの抱擁がまるでなかったことのようにされたかのようだった。英二から解放されたさらは、少し強めに英二の頬をつねった。このままなにもかも夢にされてしまいたくない。
「い、いたたたっ」
「ね?店長さん。夢じゃないでしょう?」
英二はその言葉の意味を理解すると、さあっと血の気が引いた。一生告げるつもりがなかった思いを本人に知られてしまったのだ。冷たくあしらった意味がなくなる。英二はさっきの告白をなかったことにしようと、口を開きかけた。しかしさらの小さな人差し指が英二の唇を押さえ、それはできなかった。
「店長さんばっかりずるいから聞いて」
さらは大きく息を吐き出した。心臓の音がどっどっどとうるさい。
「……あ、あたし、店長さんのことが好き、です。やさしくて、ガラス細工作っているときはかっこよくて、でもお茶目で……。店長さんの全部が好きです。あのね、これ……受けとってくださいっ」
そう言ってさらが英二に手渡したのは、ラッピングされた正方形の平らな箱だった。英二は迷った。本当にこれを受けとってもいいのだろうか。これはさらの気持ちだ。それを受けとるということは、さらの気持ちを受け入れるということになる。さらの好き、というのは大人に対する憧れや敬意がそれらしい顔をしているものだとわかっている。それでも自分の気持ちを自覚してしまった今、さらからの贈り物を拒絶することなどできなかった。
恐る恐る贈り物を受け取る。さらは「開けてみて」とうながした。英二はそろそろとラッピングを外し、真っ白な箱を開ける。中身は三本のバラが描かれたプレートだった。紙粘土で出来て、バラを描いているはガラスのかけらだ。よく見るとひとつひとつ、透明なガラスに油性ペンで色を塗っている。骨が折れたであろうと察しがつく。
「あのね、バラの花言葉と本数の意味って知っている?」
「花言葉と本数?」
さらはまるで先生が生徒に教えるように言った。そんな大人ぶっている姿もかわいい、と思ってしまうほど英二の心はさらに奪われていた。そんなことも知らずさらは、勇気を振り絞って言った。
「あのね赤いバラの花言葉は情熱とか、三本のバラは……あ、愛してますっていう意味、なんだって……」
耳まで赤くして恥じらいながら説明するさらを、英二は我慢できずにもう一度抱きしめた。あれだけ必死に拒んできたのに、すべてが無駄になった。これだけ思いを込めてくれたものを拒絶できるほど英二の意志は強くなかった。もう一度、今度はやさしく抱きしめる。
「ありがとう、さらちゃん。俺もさらちゃんが好きだ。もちろん男女として」
その返事を聞くとさらは、嬉しそうな笑みを浮かべて抱き返した。二人はしばらく抱き合っていた。そして英二が体を離すとさらは少しさみしそうな顔をした。
「さーて、さらちゃん。俺達はお付き合いをするんだけど」
「……う、うんっ。そうか、そうだよねっ」
さらは思いを告げることで頭がいっぱいだったので、その先のことを忘れてしまっていたのだ。英二はぽっとまた赤くなるさらの頭を撫でた。それは子どもをかわいがるようにではなく、愛おしい人にするものだった。
「実は問題が一つあるんだ」
「えっ……」
さらの表情がくもる。ようやく両想いになれたのに、なにがあるのだろうか。また会えなくなるのではと考えると苦しくなった。そんなさらの表情を見た英二は慌てて「大丈夫だよっ」とフォローした。
「実はね……大人は十八歳以下の子とは付き合っちゃいけないっていう条例があるんだ。まあ、お互いに恋愛感情があれば別にいいんだけどね」
そうこればかりは、年齢は今すぐどうこう出来る問題ではない。
「て、店長さん逮捕されちゃうの?」
「だ、大丈夫だと思うよ……多分。んー、でも外ではちょっといろいろ大変そうかなあ。だからまだ、さらちゃんが大きくなるまで誰にも言わないでほしいな」
「お母さんにも?」
「……うん、お母さんにも友達にも」
自分がどれだけひどいことを要求しているのか、英二はもちろんわかっていた。大切な友達にも、一番大事な家族にさえ言えない秘密を作らせることになる。いつも後ろめたい気持ちをさせることになるのだ。英二はできないっと断ってほしいという思いと、受け入れてほしい気持ちがごちゃ混ぜになったいた。そんな中さらははっきりと、年齢など感じさせないくらいしっかりした口調で言った。
「じゃあ誰にも言わない。もう店長さんと会えなくなるのはいやだもん。大人になるまで我慢する」
大人になるまで、それがどれほど長い時間かさらは実感できているのだろうか。そしてそんなときまで一緒にいてくれるのだろうか。英二はそんな風に思った。
「うん。ありがとう、さらちゃん」
そしてさらの耳元で低めの声で自分の名前を告げる。
「それから俺の名前は英二だよ」
そのまま頬に軽めのキスをする。さらはゆでダコのように真っ赤になり、英二の大人の色気にどきどきして気絶してしまった。
「さ、さらちゃんっ?」
英二は倒れる前にさらを抱きとめた。その表情が幸せそうで英二は安心した。もう一度さらを抱きこむ。
同級生など目もくれないような愛情を注ぎ、英二以外の男に興味を持たないように時間をかけてじっくり育てよう。そんな大人の汚れた欲望の混ざった感情をどこか楽しんでいる英二だった。




