エピローグ
「本当に、よかったのか?」
「その質問、何度目?」
心葉がおかしそうに笑いながら、潮風に流される長い黒髪を押さえる。
俺は丁度一年前、貨物船で美榊島へと降り立った。
その際はデッキで一人だったが、美榊島を出ることとなった今日この日、四月八日は、俺の右隣にはもう一人いた。
左目を失った俺の視界に入りやすいようにと、彼女はいつも俺の右手に立ってくれる。
少女は、楽しげに目を輝かせながら、徐々に離れていく島に目をやった。
「これでよかった。自分で考えて、動いて、信じた先には絶対、自分が望んだ結果がある。凪君が教えてくれたことだよ?」
心葉は、眩しい笑みを浮かべて、そう言った。
「私は、凪君と、玲次君と七海ちゃんと一緒に美榊島を出る。これがきっと、私が初めて自分で決めた、私自身の選択だから」
俺は高校三年生の年末年始を、病院のベッドの上で過ごすことになった。
はずだった。
癒えることのない目などの傷を除いても、全治三ヶ月と言われていた大怪我を負っており、心葉も体に押さえ込まれた神力が体に馴染むまでに、まだ一ヶ月はかかるだろうと言われていた。運動神経が著しく低下していたので、とても外出できる状態ではなかった。
しかし、その年最期の日、大晦日に突如として部屋に窓から乱入してきた玲次や七海、理音に捕獲された俺と心葉は、散々文句と怒りと少しの涙をぶちまけられた。
父さんがこの病院から出るのを理音が見ており、美榊の大学病院にいるという推測から俺たちの病室を調べ上げたらしい。
死んでいた心葉が助かったことは三人とも手放しで喜んでいたが、俺はたぶん怪我を負っていなければ、半殺しにされていたと思う。
それほど鬼気迫った状態であり、隠し持っていた紋章のことやどうやって酒呑童子と戦ったかまでを洗いざらい吐かされた。
理音にもそんな話はしていなかったため、さすがの理音もおかんむりだった。
玲次と七海には、神器を勝手に奪ったことに始まり、あそこまで無茶な扱いをし、あまつさえ消滅させてしまっては何を言われても仕方なかったと思う。
二人はそんなことはどうでもいいと言っていたが、自分たちに何も言わずに決定を行ったことに怒り心頭だったご様子。
お返しとばかりに、俺と心葉は車椅子に乗せられ、病室を運び出された。
何人もの医師や看護師が止めようとしたが、黄泉川先生が笑みを浮かべて許可していた。
無茶もいいところだったが、大翔さんと結衣さんがそれぞれ運転する車に詰め込まれ、初詣へと向かった。
数え切れない人が俺たちの元へやってきた。
芹沢先生や円谷先生や彩月さん、仏頂面の柴崎や、クラスメイトなど知っている人もいれば、初対面の人が俺たちの元にやってきた。
来年度になるまで、実際は神罰が終わったかどうかはわからない。
しかし、志乃さんが告知したことが絶大の効果を持っていたようで、大抵の人はそれを受け入れていた。
まだ不安げな人もいたが、それも来年度になればわかることだ。
初詣を済ませ、それからの日はあっという間に過ぎていった。
まともに動けない状態でも始業式には参加し、授業は受けた。
九尾の神罰によって、数十名に上る生徒が死亡したことで空席は相当な数になっていた。
俺たちの担任は、黄泉川先生が引き受けてくれた。
心葉も俺も、そして他の誰にも紋章が現れておらず、神罰を起こす条件が揃っていない三学期は、当たり前だが神罰が起きることはなかった。
父さんはそれだけを確認すると、大学へと戻っていた。
あとは、ただ勉強漬けの毎日だ。
九尾の神罰のせいで二学期末考査が自然消滅してしまい、二学期と高校三年生の僅かな三学期の範囲を含めた最終考査が二月に行われていることになったからだ。
神罰がなくなり、神力を持つ者が優遇される時代は終わる。
そう判断した俺と心葉と七海は、徹底的に玲次に勉強を叩き込んだ。
嫌がる玲次に勉強を教えるのは楽しかった。
「もうだめ、頭ゆでた」
とわけのわからないことを言う玲次をしばき上げた。
最終考査ではザ・平均の汚名を返上し、見事上位十人に滑り込んだ。本人は真っ白になっていたが。
そして、一ヶ月以上神罰が起きなかった二月中頃、俺たちの世代の神罰犠牲者、その葬式が一斉に執り行われた。
神道式の神葬祭と呼ばれる葬儀は、数日かけて執り行われ、実に高校全体の四分の一の同期生の遺影が並んだ。
ようやく立って歩ける程度には回復した俺と心葉も参列した。
青峰によって殺された吉田、御堂、そして青峰自身も並んでいる。
青峰のことは、特に批難されることもなく島民たちの間を流れていた。
彼女自身が被害者であったことは、神罰を知る者ならわかるはずだ。
青峰も、他に死んだ生徒と同じように弔われる。
人数分の棺桶が、美榊島で一番大きな神社の本殿前に並べられる。
遺体がある者、ない者、遺体はあったが損傷が激し過ぎていたがために既に火葬されている者など様々であったが、一人一人に棺は用意されていた。
後に、神罰最期の犠牲者と言われる彼らが、出棺される。
神葬祭は滞りなく終了した。
神罰が終わり、美榊島の止まっていた時間が、一斉に動き始めた。
俺が受験するはずだった父さんが教授を務めている大学で、特別推薦枠というものが、神罰最期の代から選ばれることになった。
まともに受験をすることが難しい俺のために、父さんが大学側と交渉して作ったものらしく、当初に言っていた無理矢理にでも入学させるという方法を有言実行してみせたのだ。
しかし、その推薦枠が一人であるというのはおかしな話である。
故に、希望者は美榊島から父さんの大学へほとんど試験なしで進学できるような状態になっていた。
そこで、真っ先に立候補を上げたのが。
椎名心葉、片桐玲次、西園寺七海。
以上の三人だ。
おもしろいことに、希望者を募られたその日に、まったく別々のルートで相談などを意図して行わず申し出た。
お互いがお互いに流されないようにと配慮をしたにも関わらず、見事三人が揃った。
元々の希望枠も四人から五人とされており、希望者はそれ以上出ずに、俺を含めた四人が特別推薦枠に選ばれた。
まったく、面白いメンツである。
玲次と七海はそれなりに両親と揉めたらしい。
心葉はおじさんとおばさんがすんなり許可をしてくれたとのこと。
元々、紋章があったため絶対に生きられないとされていた、卒業後を生きられることになった娘の人生だ。それくらい甘やかしたいというのが親心だろう。
結局、三人の両親が俺のところに来て、息子娘をよろしく頼みますと言っていった。
ちなみに、心葉のおばさんからはかなり念を押され、おじさんには恐ろしい笑みで肩を掴まれ、そのまま握り潰されるかと思った。
神罰が本当になくなったかどうかは、そのときにならなければわからない。
それを確認するまではさすがに俺たちも島を出ることができなかった。
卒業式から数日が経ち、半月が経っても、次回の神罰を予告する紋章所持者は現れなかった。
さらに一ヶ月が経ち、四月八日。
俺たちの次の代、太刀山たちの始業式が行われた本日正午、神罰は起きることがなかった。
神罰が始まって初めて、これまで一度としてなかった神罰の起きない始業式が終わったことを確認し、俺たちは美榊島を出ることになった。
大学ではもう既に入学式や講義が始まり、俺たちは遅れてそこに参加することになるがそれは仕方ないと言えよう。
島を出たことを後悔していないと言う心葉に、笑みを溢しながらため息を吐く。
「色男は、どうしてる?」
「さっき胃のものを全て吐き出してもだえてたよ。今七海ちゃんが看病してる」
卒業式であんな大立ち回りをしておきながら、船酔いに負けるとはこれいかに。
三月一日。
卒業式が行われた。
それはこれまでの神罰の苦しみからも脱するという、特別なものだった。
美榊第一高校の体育館に、後輩である一年生と二年生、保護者が並び、卒業式は行われた。
しれっと父さんも混じっていた。本当に抜け目がない。
かつての同級生たちに囲まれ、仏頂面だが楽しそうに話すという珍しい光景を見ることができた。
送辞を行ったのは、まさかの太刀山。
俺に吐いていた毒や刺すような視線をどこにやったのか、優等生のように滑らかに送辞を読み上げた。
まだ確定はしていないが、神罰を止めてくれてありがとうとかそんなことも混じっていた。
ちらりと俺に視線が投げられたのは気のせいではないだろう。
それに答えるは我らが生徒会長、片桐玲次。
神罰の終了を疑わないあれは、もう優良な生徒会長を演じるつもりは欠片もなかった。
持ち前の身体能力で壇上に駆け上がると、立派な机の上に跳び乗った。
一同が唖然とする中、玲次はまず一言目に言った。
「七海、俺と結婚してくれッ!」
答辞なんて知ったことかと言わんばかりにいきなり公開プロポーズ。
その場で、大衆の真ん前で、これまで自分がどれだけ七海のことを思ってきたかをひたすら語った。
あまりに突然過ぎる話に、止めるべきはずの先生たちも何も言えず、身動き一つ取れていなかった。
俺と心葉は、玲次の行動について知っていたため、ただ穏やかに様子を見守っていた。
玲次と七海、二人が特別推薦枠を希望したのは理由がある。
彼ら二人はこれまで神罰があったがために許嫁とされていた。
それが神罰が終わった今となって、関係があやふやなことになっている。
だから、これからはお互いがお互いを正しく認識でいるようにと、一度距離を取ろうと考えた。
その結果、誰に相談するでもなく希望したにも関わらず、二人揃って希望をした形になった。
お互いが、完全に同じことを考えているのだ。
さらになぜか、玲次はこれは自分と七海は離れられない運命だと、曲がった捉え方をした。
そして、公開プロポーズが行われたのだ。もうこうするしかないと。
たっぷり五分間自分の気持ちを吐き出した玲次は、体育館中央にいる七海に向かって答えを聞いた。
モーセの十戒のように生徒が玲次と七海の間を開けた。
七海は、顔を真っ赤にし、静かに涙を流しながら、そのプロポーズを受け入れた。
直後、大喝采。
俺たちの卒業式は、まさかの公開プロポーズをもって幕を閉じた。
「あ、プロポーズと言えば、黄泉川先生と彩月さんが正式に籍を入れることにしたらしいよ。凪君が神罰を終わらせたおかげで」
「神罰を終わらせてよかったことリストが、また一つ増えたか」
冗談めかして言ってみせるが、本当に喜ばしいことであった。
黄泉川先生と彩月さんは昔からの許嫁であったが、黄泉川先生が美榊第一高校の養護教諭ということで死亡する可能性があるということから、どうしても踏み切れなかったらしい。
お互いの気持ちは変わっていないにも関わらず、神罰なんて異常なものがあったと言うだけで結婚ができないなんて悲し過ぎる。
しがらみから解放され、いよいよ籍を入れることができるようになったとのこと。
来年まで待ち、神罰が起きないことを再度確認することができれば、今の高等学校のシステムを一新するという計画もあるらしい。
現在のシステムは神罰を中心に据えられたものであるため、神罰がなくなった今、非効率にもほどがある体系なのだ。
これからは神力の有無や学年によって高校を分けていたようなことはする必要がなくなるだろう。生徒たちも、もっと普通な学生生活が送れるようになるだろう。
そして、神力や術のことは秘匿するこれからも必要なことだが、それは個人が気を付けることによってある程度可能だ。
神罰という人の手では隠せない事項が消え去り、美榊島は閉鎖的な体勢を取る必要がなくなった。
そのおかげで、志乃さんが市長として行っていた膨大な仕事が割り振られることになった。
元々志乃さんが本来一人で抱えるべきではない膨大な仕事を抱えていた要因は、神罰のことが漏洩することを防ぐためであった。
志乃さんの情報処理能力や作業量におんぶにだっこであることが、情報漏洩を防ぐのに一番効果があったという、失礼な話だが情けない状態であったのだ。
神罰が終わったことで、これまでの無理な仕事の割り振りをする必要がなくなった。
その体制がしっかりすれば、志乃さんもようやく市長を引退できる。
美榊島が、神罰が終わると同時に一斉に動き始めた。
停止していた時間が動き出し、半世紀遅れてではあるが、美榊島があるべき道へと流れ始める。
少しずつ離れていく美榊島を眺めながら瞼を降ろした左目に触れる。
体中の怪我は、心臓にある自身の一つになっても膨大な神力を溢れさせる神力器のおかげで完治して何の違和感もない。
ただ、欠損した左目に関して、当たり前だが治ることはない。
右目だけになり視力が落ちるかと思いきや、神力の影響か視力の状態はよくなっている。さすがに遠近感は掴めないが。
眼帯を付けるのは面倒くさいから義眼にしてみたのはいいが、見えないのならと大抵瞼を降ろしている。
「凪君こそさ、美榊島に帰ってきて、よかったと思う?」
少し不安そうに、心葉が尋ねてきた。
「あったり前だ」
軽く心葉の頭を叩きながら答える。
左目と、高校三年生の一年間と引き替えに、俺はかけがえのないものをたくさん手に入れた。見てきた。感じてきた。
もう父さんに美榊島に戻ることを禁止するということはなく、卒業後は島を出て戻ることを許さないと言われていた志乃さんとの約束も、当然無効になっている。
そして何より――
俺は隣に立つ少女に微笑みかけながら答える。
「前にも言ったろ。お前を神罰から助けることができるタイミングで帰って来られることができてよかったって。それで、本当にお前を救うことができた」
もちろん、俺たちの代においても多数の犠牲者を出してしまった。
文句なしの結果とは言えない。
でも、それでも美榊島に帰ってきてよかったと言えば、答えはイエスだ。
「あっ――」
心葉が急に声を上げ、美榊島の方を指さした。
片目の視力では初めは何があるのか見えなかったが、すぐにそれが見えた。
白い小さな体を必死に羽ばたかせて空を駆ける生き物。
一羽のコールダックだった。
俺を守って傷を負ったあいつの遺体はなくなっていたと聞いている。
コールダックは俺たちの上を旋回する。
ここまで飛んでくるのは辛いくせに、粋なことをしやがって。
俺は大海原に向かって声を張り上げる。
「ホウキーーーー、また、帰ってくるからなーーーー!」
「ガァーーッ」
ホウキは答えるように大きく鳴き帰すと、再び翼を羽ばたかせて美榊島へと戻っていった。
美榊島が少しずつ離れていく。小さくなっていく。
神々が遊びに来る島、美榊島。
神罰によって半世紀以上苦しめられ、多数の子どもたちが命を落とした。
その神罰が終わり、これからあの島はどのように成長をしていくだろうか。
そこに、俺も関わっていけたら最高だ。
心葉とともに。
「この島に帰ってきて、よかったよ」
俺は心葉の手を取り、指を絡めた。
「そっか」
心葉は満足げに輝かしい笑みを浮かべると、そっと握り返してくる。
一度はすり抜けてしまった、彼女の手。
優しい温もりが伝わってくる。
もう絶対に手放したりしない。
「また、皆で帰ってこようね」
「ああ、もちろん。俺の故郷だからな」
だから――
「な、凪……心葉……助けてくれ……うぷっ……」
「じっとしてなさいよ。動いても気分がよくなることなんてないわよ。凪、手を貸しなさい」
ふらつく玲次を七海が支えながら、デッキへとやってきた。
俺と心葉は顔を見合わせ、笑い合った。
「私、何か飲み物買ってくるね」
「ったく、しょうがないやつだな」
たとえ神罰が終わっても、俺たちの日々は終わらない。