39
「き、貴様ああああああああッ!」
「はは……」
口から笑いが零れる。
いい面だ。
そんな嫌みの一つでも言ってやりたかったが、出血のあまり意識が朦朧としてきた。
「いや、いやいやまだだ!」
酒呑童子は俺を見据え、口元を釣り上げる。
「お前の体をもらえば、そして外に出て行き、神が倒れたことにすれば、ごまかせ……る……」
その可能性がないことを、酒呑童子が悟った。
なぜなら、それは酒呑童子が仕組んだシステムの一部だからだ。
紋章を使用した人間が保有する神力は消滅する。一片の漏れもなく。
こいつ自身が、そういう風に決めたのだ。
現に俺の体の神力は既に尽きている。
アドレナリンが頭で溢れているからか、執念からか、左目を失い、体中傷だらけになっているも関わらず、まだ立っていられる。
酒呑童子は、俺の体を奪うことができない。
この体はもう死が確定しており、酒呑童子が移ったところで、結局酒呑童子自身も死亡することになるのだ。
「なぜだ! なぜ自分の命まで投げ打って、そんなことができる! 下等生物如きが!」
喚き散らす醜態は、もはや神の余裕はなかった。
「いいだろう! 構わない! お前は我に止めを刺せなかった。外の連中は所詮血の薄まった弱者ばかりだ。全員、皆殺しにしてやる! お前は精々、あの世で自分の無意味さに嘆いていろ!」
酒呑童子にとって幸いと言うべきか、俺の紋章を受けても酒呑童子の神力は全て失われているわけではない。
紋章の効力によって破壊されたはずの酒呑童子の神力は、ある程度の量が残ったままになっている。
その力を使えば、その言葉を実行できる可能性は確かにある。
だが、矛盾しているがそんな可能性は絶対にない。
倒れそうになり、どうにか足を突いて踏み止まる。
神力がなくなると、心葉のように意識を失い、やがて衰弱し死亡する。
ここで意識を失えば、もう二度と目を覚ますことはないだろう。
その前に、やるべきことを、果たす。
首の黒いマフラーに指を入れる。
悪いな心葉。血で汚れてボロボロになったけど、もう少しだけ力を貸してくれ。
マフラーに挟んでいたそれを引っ張り出す。
それは簡易的な術が描かれた呪符だ。
二本の指で挟み込み、俺は悪神に向けて精一杯の笑みを浮かべる。
「酒呑童子、勘違いすんなよ。俺は外の連中にお前を殺させるつもりはない。それはあくまで保険の保険の保険の保険。お前は、俺の手で、殺す」
指に付いた血を、呪符の文様に滑らせる。
同時に呪符に込められた呪符が発動する。
ここに来る以前に神力を込めていたもので、これであれば神力が枯渇している俺も起動くらいでどうにか使用することができる。
呪符から光の玉が生まれ、地面に落ちた。
そして、それは一瞬で広がり、地面に陣を描き出す。
その光景を見た酒呑童子は呆気にとられたが、途端に笑い始めた。
「あはははは! 何をするかと思えば。それは神降ろしの術式だろう? その術は神力がないお前には使うことができない。そんなことも知らなかったのか?」
嘲りが耳へと届く。
お前こそ、知らないのか。
そう返してやりたかったが、そんなことに使う力すら残されていなかった。
確かに神降ろしには神力を使用する。
それが普通であり、それ以外の選択肢は常軌を逸しているため行われることはない。
だが、不可能ではない。
足元の地面には、俺から流れ出した大量の鮮血が染み込んでいた。
「天照大神の御子たる神人が願い奉る――今ここに高天原より来たれ――我は汝の力を欲する者なり――我に悪鬼羅刹を打ち払う力を与え給え――」
覚え立ての詠唱が不思議と違和感なくすらすらと頭から出てくる。
ここまでの行程で、本来は神降ろしの詠唱は終わりだ。
だが、さらにここで一節加えることも可能だ。
「我の元へ、我に宿れ。汝の名、【天羽々斬】」
詠唱が終わると同時に、それは起こった。
グラウンドに刻まれた陣、さらに俺の体中から溢れていた血が、一斉に輝き始める。
その光景を見て、酒呑童子がようやく気付いた。
もう、遅い。
不敵な笑みを浮かべると同時に、陣を中心に巨大な光の柱が現れる。
普通の神降ろしで現れる光の柱は、精々数メートルの神力による光の柱が生まれる程度だ。
だが、俺が行った神降ろしの光の柱は天を突く勢いで貫き上がる。
グラウンド中を覆い尽くし、視界の全てが神力の青白い光に包まれる。
俺の神力はもう欠片も残っていない。
では、この神力はどこから来ているか。
答えは、生贄、代償だ。
地面に落ちていた、服に付着していた、体から流れ出した、俺自身の血液。
それを代償として差し出すことで神降ろしを行った。
玲次が言っていた。
昔、神力の扱い方が今のように確立されていない頃、神降ろしは体の一部を生贄に捧げることによって行っていたと。
術に工夫を加えられた今となっても、基礎理論が変わらなければ術を行使することは可能なのだ。
致死量に迫る量の血液。
こればかりは天に任せるしかなかったが、血液は代償として十分役に立ったようだ。
『まさか、本当にお前の予想通りになるとはな。最悪の終わり方だ』
光の中から声が聞こえると同時に、陣の中心に神力の粒子が集まり、一振りの刀が形成される。
純白の日本刀だ。
「何言ってんだ。まだ終わりじゃないだろ」
笑いながら答え、地面から刀を抜き放った。
光の柱が刀を中心に収束する。
「悪いな、天羽々斬。無茶なことをして」
俺が任意で降ろした天羽々斬は、どこかの知らない天羽々斬ではなく、先ほど俺の手を離れてしまった天羽々斬自身だ。
『謝るくらいなら初めからするな。もう、言ったところで遅いがな』
俺の体の神力はもう空っぽだ。
これから俺が死ぬことは間違いない。
流れ出た血はもちろん、体に残っている血の一滴まで使い果たす。
その上で、最後にやり残したことを正しく終える。
天羽々斬の柄から鎖が飛びだし、再び心臓に絡みついた。
神力を発することができなくなった器官ではあるが、縁を結ぶことは必要だ。
体がふっと軽くなる。
消えかけていた意識が覚醒し、再び力が戻ってくる。
俺の、命を代償にした力だ。
一呼吸を落とし、目の前にいる神へと目を向ける。
瞳孔の開きかかった目が、震えながらこちらを見ていた。
「なぜ、なぜお前はそこまでする! これからお前は死ぬんだ。後のことなんてどうだっていいだろう!? それなのに、それなのにどうして我の邪魔をする!」
酒呑童子は叫び声を上げながら喚き散らす。
「言っただろう。お前にはわからないと」
顕現したばかりの天羽々斬を眼前に構え、俺は言う。
「お前は玲次の兄、総一兄ちゃんを殺した。御堂を殺した。結衣さんの許嫁を殺した。青峰を殺した。母さんを殺した。父さんを苦しめた。心葉を殺した。数え切れない子どもたちからあらゆる未来を奪った」
湧き上がり残っているのは、こいつを殺したいという感情のみ。
生かしておくことなどできない。
「お前は、子どもたちの今を、未来を、夢を、願いを、全て奪い去った」
俺の命全てを、その一点に向ける。
「いいことだとか悪いことだとかは関係ない。ただ単純に、俺はお前が生きていることが許せない」
酒呑童子の顔が忌々しげに歪む。
「だから俺は、お前を殺す」
言葉を吐き出すとともに、天羽々斬から白炎が吹き出し、俺の体に纏わり付く。
周囲に降りていた雪を一瞬で蒸発させる。
「ここからは神と神人の戦いじゃない。墜ちて力を失った神もどきと、お前の言う下等生物との戦いだ。あの世に行く前に、しっかり見とけよ。お前の前にいる存在が、これまでお前が殺してきた子どもたちが、下等生物だったかどうかをな」
「――貴様あああああああああああああ!」
狂ったように叫びを上げ、掲げた右手に紫色に輝く刀を作り出す。
その刀は、鬼斬安綱に違いなかった。
『……どうやらあいつは、溜め込んでいた神力と元々残っていた神力を別々に体に配置していたようだ。溜め込んでいた膨大な神力は全て破壊されているが、元々残していた力は健全のようだな。おそらくそれだけでも、全快時のお前と同等の神力保有量だ』
「上等だ。たったそれだけで勝てるほど人間は甘くない。それを思い知らせてやる」
天羽々斬の切っ先を怒り狂う悪神に向ける。
「殺す! 殺してやる!」
「できるもんなら……やってみろよッ!」
お互いが同時のタイミングで駆け出す。
『神懸かりは使えない。わかっているな?』
「わかっているよ。心配するな」
いくら血を代償に神力を得ていると言っても、元々所持していた神力の量には遠く及ばない。
それでも、残っている全てを使っても、あいつを殺す。
振り下ろされた鬼斬安綱に合わせて下段に構えていた刀を振り上げる。
だが刀がぶつかり合う直前に刀を引き、刀で空を切りバランスを崩した酒呑童子の顔に回し蹴りを叩き込んだ。
鼻っ面の骨が砕け、血を撒き散らしながら吹き飛ぶ。
「天羽々斬! 傷の修復はもういい! あと全部を身体能力だけに回せ!」
『だがそれでは、お前の体が……』
「構うな! どうせ死ぬ体だ。まともに動けさえすればもう必要ない!」
天羽々斬はしばし口を閉ざして黙り込んだが、すぐに体の傷に回していた力を身体能力の強化、仙術へと回す。
吹き飛び受け身を取って着地した酒呑童子の懐に飛び込み、胸に向かって刀を突き出す。
「この、人間如きが!」
拳で無理矢理刃を殴り軌道を変えると、右手に持っていた刀を振るう。
左目を失ったことで、左半分の視界は死角となっている。
そのことは気に留めていたつもりだったが、それで攻撃を躱し切れず首を斬り裂かれた。
浅くであったためが、血は勢いよく飛び出る。
それも、天羽々斬が勝手に神力に変換してくれる。
さらに一歩踏み込み、刀を振り切った酒呑童子の腕を押さえる形で体を合わせる。
刀を引き戻せずに顔を歪めた悪鬼の腹に肘を叩き込んだ。
酒呑童子が呻きながら後退したところに腕を伸ばし、右脇から肩にかけて斜めにかけて天羽々斬を薙いだ。
深々と斬り裂いた一撃に、酒呑童子が大量の血を口から吐き出した。
先ほどまで、攻撃を受けると同時にすぐに回復が始まっていたにも関わらず、今の状態でそんな大それた力は使えないのか、破れた黒の袴と傷は修復されない。
上に振り上げた刀にさらなる力を込め、強引に酒呑童子に叩き付ける。
酒呑童子は咄嗟に横に構えた刀で防御をするが、衝撃まで殺せずに数メートル地面を滑って後退した。
間合いを開けさせまいと距離を詰める俺に、酒呑童子は片手で印を結び掲げる。
緑色の光線が一斉に撃ち出され、体中に突き刺さった。
「――ッ」
全身に激痛が走るが、走ることを止めない。
「なっ――」
酒呑童子が目を見開く間に、俺は距離を詰める。
こちらはもう死ぬ身だ。
お前を殺せるなら、どんな傷を負っても構わないんだよ。
心の中で呟きながら懐に飛び込んだ俺に、焦ったように鬼斬安綱を振り下ろす。
逆手で握った刀で受け止めながら、もう一方の手に白炎を纏わせ、それを胸へと叩き込む。
「ぐああっ」
拳の打突は上空に高々と酒呑童子を打ち上げる。
それを追うように跳び、酒呑童子に腹に天羽々斬を振るい、横一文字の傷を刻む。
続く一撃で体を回転させ、浴びせ蹴りを頭部に叩き込んだ。
下に落ちた酒呑童子の頭を、すかさず天羽々斬によって斬り上げる。
顔が斜めに斬り裂かれ、大量の鮮血が舞う。
「ああああああっ! に、人間如きがあああああ!」
叫び声を上げながら振り下ろされる鬼斬安綱を飛び退いて躱し、足場に作った白炎を利用して高く跳び上がる。
再び法術が放たれ、脇腹に炎の槍が突き刺さる。
気にも留めず、刀を握りしめる。
「天羽々斬ッ!」
呼び声に答えるように、体内に残っていた血液を全て神力に変え、刀身に纏わせる。
純白の刀が燃え上がり、輝く炎刀と化す。
上空に作り出した白炎を蹴り飛ばす。
「終わりだ――酒呑童子――ッ!」
「これで、終わりになるものかあああああッ!」
迎撃するために振り上げられる鬼斬安綱。
二つの神器が交叉する。
天羽々斬の一撃は、鬼斬安綱を粉々に砕き折る。
そして――
天羽々斬の炎刀は、酒呑童子の体を肩から脇腹に真っ二つに斬り裂いた。
グラウンドに降り立った俺の背後に、酒呑童子の体が落下した。
「ば……バカ、な……。人、間……下等生物、如きに……」
酒呑童子は、斬り裂かれた部分から徐々に神力の灰となっていく。
長い年月を生きてきた魂が朽ちるように、徐々に、徐々に粒子となって消えていく。
「わ、我は……酒呑童子……なる……ぞ……」
残っていた頭部も、神力の粒子となって最後の言葉とともに消えていった。
かつて天堵修司という人物の体は、悪神に体に乗っ取られていたことの代償により、肉片すら残さず消滅した。
そして、長年美榊島の生徒を、俺たちを苦しめてきた悪神自身も今、討ち滅ぼされた。
ほとんど力の入らない体を引きずって、小さな同居動物が倒れているところまで歩く。
「ホウキ……」
この島にやってきて、本来であれば一人暮らしをするはずだった俺の元に、こいつはずっと一緒にいてくれた。
その同居動物が、ふわふわだった体の羽毛を赤く染めて倒れている。
法術をその身に受け、ほとんど即死だっただろう。
「ありがとうな。お前のおかげで、勝てたよ……」
すっかり軽くなったしまった体を抱き上げ、そっと胸に抱える。
近くにあった木の根元に、そっと寝かせてやる。
ここなら、誰かが見つけてくれるだろう。彩月さんがきっと、手厚く弔ってくれる。
青峰も、どうにかしてやりたいが、もう中庭まで行く体力も残っていない。
残る力で、ふらつきながらグラウンドの方へと歩いて行く。
分厚い雲に覆われた空を見上げる。
高校敷地内だけを取り囲んだ結界の上から、大粒の雪が降りてくる。
冷たい雪であるはずだが、もう体は熱すら感じない。
もうすぐ自分がこの世から消えるということが、はっきり実感できる。
「この結界は?」
『酒呑童子が消滅した今、結界も消えるのが道理。自らの力の供給が途絶えてもしばらくは続くようになっているが、それもあと半時で消えよう』
「そっか」
それなら結構。
皆がここに来るまで俺は保ちそうにないけど、皆に文句を言われずに逝けるのは安心したようで、半分辛い。
結局、満足に別れを告げることがなかった心葉と同じになってしまっている。
父さんには、最期にメールを送っただけで、結局電話をしていない。
怒るか、呆れるか、バカだと思うか、どれだろうな。
親不孝な息子だったよ、まったく。
「天羽々斬、酒呑童子は間違いなく、倒せたんだよな?」
少しの沈黙の後、俺の愛刀は答える。
『ああ、完全に消滅している。お前のおかげだ。これで、もうこの島に神罰が起きることはない。長い間この島を覆っていた苦しみを、お前が解放したんだ』
「そう……だな……」
確かにそうだ。
俺は、美榊島が五十年以上苦しんできた縛りからこの島を解き放った。
誰もできなかったことを成し得て、この先神罰によって死ぬはずだった子どもたちの運命を変えてみせた。
誰もが憎悪していたこの現象を、俺は終わらせることができて、数え切れない人の仇を討つことができたんだ。
でも、でもどうして……。
頬に、涙が伝い、薄らと積もり始めたグラウンドへと落ちる。
「俺さ、神罰を終わらせることができたら、もっと嬉しいものかと思ってたよ」
込み上げてくるこの気持ちを抑えることができない。
「どうして、こんなに……虚しいんだろうな……っ」
心の中に広がるのは悲壮感や虚無感のみ。
嬉しい気持ちなどこれっぽちも浮かんでこなかった。
理由は、わかりきっている。
「なんで、俺は昨日までに、心葉が死ぬまでにこの真実に辿り着くことができなかったんだ。どうして、あいつを助けてやることができなかった」
心葉さえ生きてくれていれば、俺はどうなってもよかった。
この身一つで心葉を助けることができたのなら、俺は喜んで差し出した。
でも、もう心葉も死んでしまい、どうすることもできない。
俺はここに、復讐に来た。
心葉の死の原因を作った神を、殺すためにここに来た。
誰かが言った。
復讐をしても、何にもならないのだと。死んだ人間が生き返るわけではないのだと。
本当にその通りだ。
結局、心葉が死んだという事実は変わらず、助けられなかったという事実だけが残っている。
溢れ出す涙は、留めどくなく流れ出し、足元へと落ちていく。
「それでも、お前はあの娘の願いを叶えた」
普段感情を抑えた天羽々斬が僅かな感情を覗かせて言う。
『半世紀もの間誰もできなかったことを、お前がやり遂げたのだ。そのことをあの娘も心の底から願っていた。自らの命を犠牲にしたことは褒められないが、それでも私は、誇るべきだと思う』
珍しく言葉を選びながら、天羽々斬は優しげな声で紡ぐ。
俺を慰めてくれているのだと、すぐにわかった。
「ありがとう」
口に僅かな笑みを零す。
この島に戻ってきて、凄く自然に笑えるようになったと思う。
感謝や喜びを、簡単に表に出すことができるようになっている。
そんな風に俺を変えてくれた皆に、こいつに感謝している。
「もう、行くのか?」
『ああ、我の役目は終わった。意味もなく我が現世に現界しているわけにはいかないのだ』
もとより世界のバランスを保つために遣わされた神々の使者。
その存在が長居をすれば、それも安定を崩す原因となるだろう。
「色々、迷惑をかけたな。現世のことに、お前を巻き込んでしまって」
『それはこちらのセリフだ。元はと言えば、我ら神の問題が発端なのだ。謝罪をしてもしきれない』
天羽々斬が現世に来てから二十年近く。
一柱の神は、俺たちでどうにかしなければいけない問題に力を貸してくれた。
そのことに、心から感謝している。
『では、行く』
白刀が俺の手を離れ、俺の前へと浮き上がる。
「ああ、俺もすぐに行くから。お前と同じところではないだろうけどな」
自嘲気味な笑みを浮かべる。
もうほとんど時間は残されていない。
『我は、お前とともに戦えたことを誇りに思う』
天羽々斬がやや力のこもった声で言った。
『お前の父によってこの世界に降ろされ、お前へと渡り、短い間だったが、お前に使役されていたことを嬉しく思う』
最高峰の神にそんなことを言われて、こちらも嬉しくないわけがなかった。
「俺こそ、お前とともに戦えたことを誇りに思うよ。短い間だったけど、俺の人生でお前と一緒に戦えてよかった。たぶん、お前と一緒だからここまで来ることができた。この島に神罰を終わらせることができた。本当に、ありがとう」
刀の形を取っている天羽々斬に表情というものはない。
しかし今、天羽々斬が笑ったのがはっきりと感じ取れた。
『お前という神人に会えたことを、我は忘れないぞ。八城凪』
「俺も、忘れないよ。天羽々斬」
天羽々斬は満足げな笑いを残した後、切っ先から神力へと変化し、空高く上っていった。
一人、俺はグラウンドに残る。
目の前には、白く雪が積もり始めた地面が広がっている。
真っ白大地にたった一人、俺はいる。
ここに、誰もいなかったことはよかったと思う。
今なら、心葉が一人車道に飛び出して死のうとした気持ちがわかる。
会いたいという気持ちもあるが、それ以上に、残る人を悲しませたくないという気持ちが強い。
身勝手な理由ではあるが、それでも、怒っているであろう皆を前に、言い訳の言葉が見つからない。
母さん、せっかく俺を産んでくれたのに、自分から命を絶つみたいなことをして、ごめん。
父さん、言いつけを守らずに、自分が死ぬ選択をして、悪かった。
そして、心葉。
ボロボロになったポケットから飴玉を取り出す。心葉からもらったイチゴミルク味のものだ。
心葉の部屋で一つ。ここに来る際に一つ。そしてこれが、最期の一つだ。
力がほとんど入らず震える手で、包装を破る。
中から白と淡いピンクの混じった飴玉を取り出し、それを口に含んだ。
味がまったくしない。飴玉が悪いのではなく、俺からその感覚すらなくなっている。
でも、とても暖かい気持ちになった。
心葉、悪いな。手紙の言いつけを破って。
それでも、俺は後悔をしていない。
こうすることが、正しかったと思う。
お前を助けられなかった俺が偉そうに言えたことではないけれど、お前の願いを叶えることができてよかったと思うから。
俺も、そっちに行くから、そうしたらきちんと謝るから。
だから――
視界が歪む。
体からふっと力が抜ける。
待っていて、くれよな。
俺の体は重力に引かれ、積もり始めた雪の上に倒れる。
痛みも苦しみもなかった。
視界に闇が差していき、やがて、何も見えなくなった。
そして、俺は自分の十八年という生涯に、幕を閉じた。