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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
35/43

34

 それから日が変わるまでの時間に、何があったのかよく覚えてない。

 心葉の死は、少し日が経ってから、全生徒に告知すると校長が言っているのを聞いた気がする。

 今知らせることによって、無用な騒ぎを起こしたくないためだ。

 本年度最期の九尾の神罰によって、心葉を除き、四十五名の生徒が、九尾の戦いによって死亡した。

 心葉を神罰が始まった直後に殺しておけば、その四十五名の命は失われずに済んだのだ。

 自分勝手な理由で神罰の続行させた俺はもちろん、玲次たち生徒会、紋章所持者を殺してでも生徒の命を守るという役割を担っておきながら、その任を怠った教師たちの責任は追及されずにはいられないだろう。

 全ては俺に起因しているとしても、大人たちの社会はそういう見方をしてくれはしない。

 全校生徒に今心葉の死を伝えたことで、神罰が終わったと喜ぶか、それとも生徒が死んだことを嘆くか。

 生徒によっては人それぞれだろうが、無意味に混乱を招く可能性があることをするべきではない。

 そういう考えだ。

 島全体が慌ただしく動いているのがわかる。

 美榊島にとって、心葉の死一つは些細な問題としか見なされない。

 どれほど優れた力を持っていたとしても、どれほど愛されていたとしても、数十人の生徒の命に比べれば、心葉の命はプラス一つでしかない。

 でも、それでも俺は――

 誰もが寝静まった夜、病院で渡されたカードキーを、玄関の横に備え付けられたスリットに通す。

 ピッという電子音が響き、電子ロックが解除されて扉が開いた。

 冷たくこもった空気が、住人がもういないことを再確認させるように流れ出てくる。

 真冬の中を長々と歩いてきた俺にとっては、大した冷たさではなかったのだが、それでも胸が締め付けられた。

 部屋に入り、俺は中に足を踏み入れた。

 以前にも何度か踏み入れたことがある部屋。

 リビングに入ってすぐ右手にあるボタンに触れて、部屋の明かりを点ける。

 俺の部屋と同じ間取りになっている部屋は、同じ部屋と思えないほど綺麗に片付けられており、今はなき部屋の主の性格を裏付けている。

 俺も部屋は綺麗な方だとは思うのだが、それは単純にものが少ないというだけであって、ここのように片付けられているわけではないのだ。

 入ってすぐ右手に、本棚がある。

 持ち主は、ここで人生の最後を迎えることが最初からわかっていたので、生まれてきてこれまで持っていたものの多くを、実家の家から可能な限りここに移していたと言っていた。

 五段組になっている本棚の上から二段目に、小中学校の卒業アルバムや日記などが並んでいる。

 その中の、真っ白のノート。

 俺は、その中のものを受け取るように、カードキーとともに寮の管理人である彩月さんから言われた。

 一番右のアルバムに隠れるように、薄い大学ノートが挟まっている。

 左手でアルバムを避けながら引き抜いた。

 表紙に何も書かれていない大学ノート。ぱらぱらとめくってみても、中の罫線の間には一つの文字も刻まれていない。

 中程までめくると、そこには三つ折りにまとめられた数枚の手紙が挟まっていた。

 大学ノートをリビング中央にある机に置き、椅子に腰を下ろした。

 まとめられた手紙を、ゆっくりと開いた。

 最初の一文は、可愛らしくも綺麗な字でこう書かれていた。


 ――凪君へ。


 心葉が俺へと残した手紙、遺書だ。

 

 凪君がこれを読んでいるいるということは、私はもうこの世にいないっていうことなのかな。まさか自分がこんなセリフを書くことになる日が来るとは、なんかロマンチックだね。

 凪君がこの島に帰ってきてから、もう八ヶ月が経ちました。

 残り三ヶ月くらいしか時間が残っていないとすると、寂しい気持ちになります。三分の二があっという間に過ぎてしまっています。

 人生、早く感じるということはその日々が充実しているからだと聞いたことがあります。

 私のこの八ヶ月は、十八年という大人から見れば短いでしたが、光のように過ぎていきました。

 ただただ、自分たちが迎える神の罰へ、死へ向けて力を付ける毎日。

 七海ちゃんや玲次君たちと一緒だったから、それなりに楽しくもできたけど、それでも、いつが自分たちが先輩たちと同じように化け物と戦わないと行けない日が来る。

 そう考えるだけで、何度も夜に泣きました。今だから言えることだけどね。

 でも、凪君が来てからの毎日は、化け物たちと戦っている日々でさえ、凪君がいてくれたから、希望を持って生きることができました。

 本当にありがとう。心から感謝してます。

 私の人生は、今年の三月、紋章が出たときにはこうなることが既に決定していました。

 助けも救いもそこにはない。ただ、終わることのない無のみが続く。

 神様がいるこの世界でも、死者は等しく死者。

 私もそこに行っているでしょう。

 ああ、何言ってるんだろう。忘れて!

 

 凪君だけじゃないね。

 他の人にもたくさん、たくさんお世話になりました。

 お母さんにもお父さんにも、心配をさせて、悲しませて、私は本当に親不孝な娘でした。紋章を持った私が、二人にできることは、もうちょっとしか残されていなかったけど、少しでも、恩を返せたでしょうか。私みたいな子どもを持ったことを、後悔させなかったでしょうか。

 私は、二人の子どもに産まれたことを、本当に誇りに思っています。

 七海ちゃんには、いつもいつも迷惑をかけたと思います。主体性が少なく、自分でも呆れるくらい思えるくらいお人好しな私が面倒事を持ってきたときはいつも解決に手伝ってくれました。

 凪君とデートをしていないことにも、私より早く気付いて、意見してくれました。

 私たちの残り時間が短いことに気を遣ってくれました。

 玲次君は、高校での立場を悪くしてしまったことを申し訳ないと思っています。

 影では私に早く死んでほしいと、紋章を使ってほしいとそれなりにいるのは当然ですが、表だって誹謗中傷がなかったのかは、玲次君がそれを押さえてくれていたことを知っています。私が、気持ちのいい最期を迎えられるように力を尽くしてくれたことに感謝します。

 理音ちゃんは周囲とのバランスを取ってくれて、折り合いをつけてくれました。校内新聞を作るためと言って、情報を集めて困っている人がいないか、辛い目に遭っていないかと、気にかけていると聞きました。情報源は御堂君です。

 以前、一度図書室で二人っきりになったときに、ぼやいていました。バカなことをするなんて言っていましたけど、その口元が誇らしげだったのを覚えています。

 いつまでも、私や御堂君が友達として、許嫁として誇れる理音ちゃんでいてください。

 これまで、私がこの手紙を書いている間にも、私が犠牲になるだけで助かる命が、多く失われてきました。

 そのことを謝罪したところで、おそらく皆は許してくれないでしょう。私も同じ場所に行けたのなら、どんな責め苦を受けるつもりです。

 そのことで、柴崎君や青峰さんには、ずいぶん嫌われていたと思います。

 私たちの中でも特に仲間思いだった二人にとっては、私は早く死んでほしい存在だったと思います。

 でも、柴崎君は絶対に私に直接危害を加えるようなことはしなかったですし、たまに気にかけてくれていたことにも気付いています。

 私を直接殺そうとしていた生徒を、止めてくれたとも、こっそり理音ちゃんが教えてくれました。

 青峰さんにも、別の意味で嫌われていたと思います。

 凪君は隠れて女子から結構人気があったって知ってる? 神罰であれだけ活躍してて、悪目立ちをしているとは言っても優しいし見た目も格好良いから、そりゃあ人気も出るよね。

 これは言ってはいけないかもしれないけれど、青峰さんもその一人です。

 神罰が終わった後に生徒が早く帰っていなくなる時間帯には、たまに凪君の話をしたりもしました。

 怒らないでね。七海ちゃんには玲次君のことがあるから少し話しにくかったのでできなかったけど、私も人並みには恋バナをしてみたかったのですよ。

 先生たちにも、たくさん迷惑をかけました。

 芹沢先生は、毎年何人もの生徒が死んでいくのを見ていて、紋章所持者は紋章を早く使うべきという当たり前のことを知っているのに、私に紋章を使えとは一度も言いませんでしたね。

 私に紋章が表れて、真っ先に駆けつけて話を聞いてくれたときも、君はそんなことを考えず、自分のやりたいように生きればいい。

 もちろん紋章を使っても構わないし、使わなくてもいいという言葉には、思わず涙が出ました。定年して、もう高校を離れてもいい時期なのに、私たちをいつも助けてくれる、そんな芹沢先生が大好きです。

 黄泉川先生は、不器用だけど、いつでも生徒のことを第一に考えてくれる優しい先生でした。

 先生たちはいつも懐に拳銃を入れないといけないことに、腹を立てていましたね。あんなものを生徒に向けなければいけないことが、そういう状況でしか生徒のためにできることがないと言っていましたけど、絶対にそんなことはありません。

 死にたくなっても、自ら命を絶つ勇気がないときは、すぐ来いと言ってくれたのも、申し訳ないですがほっとしました。私の命に手をかけてくれていると、紋章がなくても死ぬことができるのだと、ちょっと安心しました。

 でも、先生に生徒を殺すことはしてもらいたくないので、先生に頼ることはないので、先生も安心してください。

 彩月さんは、私のもう一人のお母さんでした。

 毎日寮を綺麗に管理してくれて、私たちにおかえりと言ってくれる、一年もない短い期間ではありますが、私のもう一つに家をくれました。

 紋章に選ばれて、真っ先に入寮した私が部屋で泣いていると、マスターキーを使って有無を言わせず部屋に入ってきたのは、滅茶苦茶だとは思いましたが、その強引さが嬉しかったです。美味しいご飯も作ってくれましたし、毎朝様子も見に来てくれました。二人っきりの鍋パーティーは、私の寒がりを気遣ってのことだったんですよね。

 神罰のとき、いつも外では彩月さんが祈ってくれていると思うと、どれだけ辛い状況でも心強かったです。

 あ、それと、凪君は黄泉川先生と彩月さんが許嫁だって知ってますか? でも、神罰で黄泉川先生がいつ亡くなるかわからないからということで、籍を入れてないのです。

 これを読んだら、早く身を固めるように私が言っていたと伝えてください。

 天堵先生は、いつも凪君が無茶ばかりするので、もっと体に気を付けるように言ってあげてくださいと言ってくれましたね。

 それが私に話しかける口実だと言うのは最初からわかっていました。若いながらも、この島の決まり事を絶対に守ろうとする反面、紋章所持者の私は生きるべきと言ってくれましたね。夏休みの神罰のときも、凪君が死んじゃうことが怖くて私が紋章を使おうとしたときに止めてくれました。

 私が生きなければ、彼が戦う理由を否定することになると。まったくその通りです。結局自分が傷つきたくないから、早く楽になろうと逃げていただけなんだよね。

 円谷先生は、たくさんの本を私に勧めてくれました。これを読むと明るい気持ちになれる、元気になれる。女の子は生き生きしていないとダメなんだと、いつも言ってくれましたね。

 内緒で本来生徒が見てはいけない資料もいくつか貸してくれました。全ての神罰を見てきた先生は、全て知っているにも関わらず、紋章所持者がどうなるかを誰よりも知っているのに、私と関わってくれました。

 でも、神罰のとき、自分でも戦えそうな妖魔が校内に入ってきそうだったからと言って戦うのは危ないから止めてください。たとえ牛鬼や化け火が相手でも、妖魔であることに変わりはないのですから。

 先生には、元気なままで図書室にいていただきたいので、これからも、あの本たちを守ってあげてください。

 

 こんなことを凪君に言っても、困らせるだけでしょうけど、私が皆に感謝をしていたことを伝えてもらえると助かります。

 皆が皆、私を助けてくれました。

 私がこの世界に生きてよかったんだと教えてくれました。

 この世界の優しい人たちに、私は本当に感謝しています。


 既にだらだらと書いてしまった後でこんなことを言っても仕方ないのだけれど、また書き直すことになると思うので、そろそろ締めたいと思います。実はこの手紙は記念すべき五十通目で、これまで何度も私が死んだ後の人たちへの思いを綴り、何度も書き直しています。

 凪君。

 毎日泣いていた世界に、ただ辛いだけだった世界に、凪君が光をくれました。七海ちゃんも玲次君も、本当に感謝していると思います。

 同じ高校生とは思えないくらい強くて、周囲から嫌われても、反感を買っても、それでも他の生徒を助けるために力を使っていた凪君は、本当に格好良かったです。

 凪君が来てくれたことで、何か大きな運命が動いた。そんな気こそしました。

 私の運命は変わらない。それは最初からわかっていたのに、凪君に希望を持たせて、神罰を止めようと、私を助けてくれようとしていたのに、黙っていたのは最低だと思います。ごめんなさい。

 凪君なら、何十年もの間、誰もが変えられなかった運命を変えられる気がしたから、希望を見てしまいました。

 勝手にそんなものを背負わせてしまって、凪君の高校三年生の青春を私の自分勝手な理由に付き合わせたことに、謝罪します。


 だから、もう神罰を止めようとするなんて、止めてくれて大丈夫です。

 好き勝手ばかり言ってごめん。

 これからは凪君のために生きてください。


 凪君が好きだということは真実です。傲慢と思われるかもしれませんが、それだけは信じてください。

 私は、凪君のことが、本当に、本当に大好きです。

 初めて凪君のことを意識したのは、たぶん道場で一人竹刀を振り続けている姿を見たときからです。

 大人から一本取れるほどの技術を、まだ小学生にもならない、自分と同じ子どもが持っている。その信じられないほどの強さに、きっと憧れを持っていたんだと思います。

 でも、道場で一人がむしゃらに竹刀を振る姿は、この世界にたった一人残されたような絶望の中にいるようで、心配になって、いつの間にか目で追うようになりました。

 ませた、嫌な子どもだね。

 今でこそ、凪君に心配されてばかりですが、昔はもっと頼りになるけど守ってあげなければいけないという、お姉さん心をくすぐられました。

 それとですね、私が凪君の命を救ったという一本杉での出来事ですが、あれは、実は凪君が一本杉の方に行ったのを知ったから後から追いかけたからなのです。実は、凪君が行っていたルートよりもっと早いルートがあるのですよ。私のとっておきなのです。

 あのとき、私が追いかけて、木の上で待っていると、やっぱり凪君が来て、何をしているのかなと気になって体を踊らせていると、足を滑らせて落ちてしまったのです。

 あれで自ら命を絶つことを止めてくれて、私のことを好きになってくれたんだよね?

 それだけでも、私はこの世界に生まれてきて、凪君に会えてよかったと思います。

 

 優しいところが好きです。

 がむしゃらなところが好きです。

 たまに泣き虫になるところが好きです。

 格好良いところが好きです。

 私と一緒にいてくれるところが好きです。

 努力を惜しまないところが好きです。

 物思いに耽る横顔が好きです。

 かわいい寝顔が好きです。

 私を守ってくれるところが好きです。


 凪君が、世界中の誰よりも、本当に、大好きです。

 

 私を好きになってくれて、本当にありがとう。


 心の底から、凪君のことを愛しています。


 もう、私は凪君の隣に入ることはできないけれど、それでも、天国から凪君の幸せを祈っています。


 ありがとう。それと、さようなら。


 追伸


 もうすぐ凪君とのデートなので、その日までは、この手紙が読まれることをないことを祈っています。

 次の五十一通目の手紙を書くまで、お願いします。

 もし、凪君がこの手紙を読んでしまったのなら、本棚横にあるキャビネットを開けてください。

 お願いします。


 椎名心葉。

 十二月二十二日。


 心葉の名前と日付は、どうしてか滲んでしまっていた。

 他の文字も、次第に歪み視界に映らなくなってくる。

 溢れ出した涙が、手紙へと流れ落ちた。

 一つ、また一つと染みが広がっていく。

「この……は……」

 視界がぼやけ、もう文字が読めない。

 

「さようなら、じゃねぇよ……ッ」

 

 残された最期の手紙を握りしめる。

 項垂れ、震え、頬を流れ落ちていく涙を拭うことも忘れる。

 心葉は、こんな別れの手紙を五十通も続けていたんだ。

 俺たちと別れることを覚悟していた。

 まだ十八になったばかりの少女が、これほどの痛みと苦しみを背負っていたのだ。

 心葉自身、この手紙が読まれることを望んでいたわけではないが、死はいつ訪れてもおかしくない。

 薄氷の上を歩くように、いつも死の上にいた。

「皆に助けられてきたことに感謝しているのならっ、自分で言えってんだよ!」

 俺なんかに頼まずに、自分で言えばいい。

 俺のことが好きのなら、自分の口で言葉にしてくれなければわからない。

「俺はお前に……さよならすら言えてないッ。もっと言ってやりたいことがたくさんあったんだ!」

 もう、心葉と言葉を交わすことができない。

 声を聞くことも、笑いかけてもらうことさえ、二度とない。

 心葉が死ぬことは、遥か以前に決定していた。

 自分がいつ死んでもおかしくない状況など、俺にはわからない。

 でも、その耐えがたい苦しみの中で、あいつは笑い、前に進み、戦うことを選んでいた。

 心葉は、最期まで穏やかな微笑みのまま、息を引き取った。

 体から全ての神力が消え、神人としての力を全て失い、生命維持ができなくなった結果、死亡してしまった。

 医師たちが手の尽くしようがないと言った後も、俺は心葉の名を呼び続けた。

 玲次も七海も理音も、おじさんもおばさんも、先生たちも心葉が目を覚ますことを願っていた。

 これまで、何十人もの人が、そして、父さんが願ったように。

 奇跡よ起これ。

 この世界に、本当に神がいるのであれば、俺たちのこの大切な存在を、奪わないでくれ。

 何でもするから、お願いだから。

 延々と心の中で渦巻き続ける思い。

 受け入れがたい現実が、一歩、また一歩と近づいてくる中で、心葉は静かに息を引き取ったのだ。

「お前がいなくなっちまったら、俺は何にすがって生きていけばいいんだよ!」

 俺は心葉に依存していた。

 自分の生を、面と向かって初めて肯定してくれた心葉がいてくれたから、俺はどんなときでも前向き、ただ前だけを見て進むことができたんだ。

 こんなものが押しつけであることはわかっている。

 重荷を背負わせていたこともわかっている。

 でも、それでも、俺は、それほどまでに。


「俺は、ただお前さえ生きてくれれば、それでよかったのに……ッ」


 俺の命を差し出して心葉が救えるのなら、喜んでそうしただろう。

 世界を壊してみせろと言われた、如何なる手段を使ってでも破壊しただろう。

 

 奇跡など、起こりはしなかった。


 実際に神がいる世界であっても、いないのと同じ。

 神様は、俺たちに何もしてあげられない存在なのだ。

 わかっているのだ。そんなことは。

 

 父さんも、こんな気持ちだったのだろうか。

 愛する人が紋章に選ばれ、死んでいくのを見送るしかなかった父さんも、神が決めたことだから仕方ないと、割り切っただろうか。諦めただろうか。

 会ったこともない母さんも、生まれたばかりの俺や、将来を誓い合っていた父さんを残して死んでいくことに対して、どんな思いで紋章を使ったのだろうか。

 心葉と同じように、俺たちを守れるならそれでという思いで、全てを納得していただろうか。

 そんなことが、あるわけがない。

 割り切れるはずも、諦め切れるはずもない。

 理不尽に押しつけられた死に納得して、死ぬことなどあるはずがない。


「心葉……」


 何度も名前を呼ぶが、ただ部屋の冷たい空気だけが肌を撫でるだけ。

 流れ落ちる涙を止めてくれることは……なかった。


 ――――。


 頭の片隅で、何かが引っ掛かった。

「……」

 伏せていた机から体を上げる。

 ちょっと……待て……。

『……凪?』

 俺の心情を察してか、これまでずっと何も言わなかった天羽々斬が、声を上げた。

 頭で響いている声であるにも関わらず、耳に入らなかった。

 心葉の手紙を、再度読み返す。

 これまでのことを、心葉が振り返り書いた手紙。

 そこには、ただ心葉が感じたことを書いてくれているだけだ。


 だが違和感を覚えた部分があった。


「どういうことだ……。だって――」


 頭の中で、何かが動いた。


「――――」


 刹那の時間に、俺がこの島にやってきてから今までの情景が、全て流れた。

 

 神罰    妖魔     御堂

          紋章

    鬼切安綱       術者

 神宮寺      神降ろし

孤児

    美榊      イレギュラー

         猫又

      神人        依り代

 神隠し    ホウキ

   心葉       名前    術 


「まさか――」


 バラバラになっていたピースが動き、繋がる。

 ありとあらゆる偶然が、必然が、事実が、現実が、それら全てが――


 一つの真実へと帰結する。


「そうか――そういうことかよ――」


 俺が追いかけて止まなかった神罰。


 その謎が、全て、解けた。


 皮肉な、話だ。

 心葉を失い、これまで戦っていた理由を失った今、俺が、俺たちが、これまで神罰に苦しめられ続けた人たちが追いかけて止まなかった真実。

 今更わかったことで、それは遅過ぎる。

 初めは心葉を救うために。

 神罰を終わらせるだけでは心葉を救えないとわかってからは、心葉の願いを叶えるために。

 そのどちらも、心葉が死んでしまった今となっては、意味をなさない。

 心葉の最期の手紙にも、もう神罰に関わることを止めるようにと書かれている。


 だから、こんな真実がわかったところで、もう神罰を止めようなんて愚かなことはしない――






「そんなわけないだろうが。バカ心葉」






 手紙を折りたたみ、そっと握った。

 頬と目元を濡らしていた涙をリストバンドで拭い取る。

 心葉から最初で最後のデートでもらったリストバンド。五色もらったものの内の一つ、青いリストバンドで、あれからはずっと心葉からもらったリストバンドを左腕にはめている。

 心葉は、常にここにいてくれているのだ。

 立ち上がり、机から離れる。

 本棚横にある、白いキャビネット。ガラス扉が二つ付いた、シンプルで綺麗なキャビネットだ。

 ガラス扉を開けると、中には化粧道具や丁寧に整理された書類類がある。

 そして、左上の部分に、プレゼント包装がされたピンク色の包みがあった。

 真ん中部分に、クローバー型の付箋で、「凪君へ」と書かれている。

 包みを開ける。

 中には、黒いマフラー。暖かく肌触りのいい素材で作られたものがあった。

 ここにも、小さな手紙が一枚納められていた。


 凪君へ。

 クリスマスプレゼント兼誕生日プレゼントです。

 一緒になって申し訳ないですけど、これを読んで受け取っているということは、最期のプレゼントになってしまっているでしょう。

 本当は直接手渡しをしたかったですけど、こんな形になってごめんなさい。

 私の最期の贈り物として、大事にしてくれると嬉しいです。

 なんか重いこと言っちゃってごめんね。


 では、これがおそらく最期の手紙になると思います。


 もう一度言います。


 凪君、神罰のことは忘れて、私のことも覚えてくれているだけで十分ですので、幸せになってください。


 さらに、マフラーともう一つ。

 小さなビニールの包みが入っていた。これにもクローバーの付箋が付いている。

 

 元気がないときは、これを食べてください。

 凪君が島に帰ってきたばかりのときに私にくれたものの、お返しです。


 袋の中には、イチゴミルク味の飴玉が三つ入っていた。


「ははっ、最期まで、あいつはもう……」


 再び流しそうになった涙を、堪える。

 中から飴玉を取り出し、袋を開けて口に入れる。

 口の中に、甘い味がほんのりと広がった。

 笑みを零しつつ、黒のマフラーを首に巻き付ける。

「ごめんな。心葉」

 お前の最期の言葉、守れそうにない。

 神罰のことを忘れることは、簡単だ。

 このまま島を出てしまえば、それで全てを放り出すことができる。

 真実だけを島民に伝えて、俺は関わらないだけでも問題なく終わらせることができるかもしれない。

 でも、どうすればそんなことができるというのだ。

 今にも爆発しそうなほど滾っているこの感情は、そんなものでは抑えることができない。

 先ほどまで冷たくなっていた部屋が、どこか暖かく感じる。

 寒いと感じていたのは、単純に俺が死人同然だったかだ。


「ここから先は、お前のためでも、美榊島のためでも、神々のためでもない――」


 もう、後戻りはできない。


「俺自身のために、この神罰を起こしているやつを、ぶっ飛ばす」


 言葉だけを残し、俺は足早に心葉の部屋を後にした。


 全てを終わらせる戦いに。

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