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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
32/43

31

 玲次や理音の言葉を予感したように、寒さが本格化してきた十一月の終わり、それは起こった。

 一週間ほど神罰が起きず、生徒の間の空気がまた緩み出していた。

 この時期ともなると、生徒は神罰の妖魔にそれほど臆することなく戦っている。

 とは言っても、現れる妖魔の大部分は俺が一人で潰しているのが現状であるので、緩むことも仕方ないのかもしれない。

 生徒の死者も数ヶ月前の大百足の神罰以来ないため、神罰というもの自体をそれほど恐れなくなっている。

 俺の天羽々斬の全力を使うことがない状態に、安堵を覚えていた。

 しかし、それは再び起こった。

 正午のチャイムと同時に体中に悪寒が走り抜け、先ほど飲んだばかりの烏龍茶を口から戻しそうになってどうにか耐える。

 机に手を突き、倦怠感が消え去るのを待ちながら視線を後ろに向けると、心葉も同様に辛そうに顔を歪めていた。

 この感覚は、夏休みのあの神罰以来のものだ。

 席を立ち、左手に天羽々斬を生み出す。

「何度起きるんだよ、今年は……っ」

 窓際にやってきた玲次が拳を振るわせて呟いた。

 玲次の視線の先、校庭の端に一つの大きな空間の歪みが存在している。

 再び起きた、単体神罰。

 結界が校舎を覆い尽くすと同時に、空間の歪みから現れた人型はその体をグラウンドに突き刺した。

 降り立ったではなく、突き刺した。

 人型であるのにそういう表現になってしまうのは、現れた妖魔にある特徴があったからだ。

 骨。

 体の至る所に血肉はなく、その全身が真っ白の骨のみによって形成されている巨大な人型。

 全長は五十メートルくらいだろうか。超高層ビルにも匹敵するほどの巨大な体躯の全ては骨のみだ。

 しかし、その骨はただの骨ではなかった。

 全ての骨が刃の様に薄く、そして剣のように尖っている。

 そんな体の造り故、妖魔はまともに地面に足を着けることができず、足の骨を地面に突き刺して立っている。

 本来、血肉があってようやく人の体を保っていられるはずであるが、妖魔の骨は空中に固定されており、落下することなく人の形を保っている。

 この神罰の歴史の中で初めて現れる妖魔。

 それは俺でも簡単にわかった。あの妖魔はそれほどまでに有名なのだが、過去の神罰では現れたことがない。

「【ガシャドクロ】……」

 心葉がその名前を呟いた。

 誰も見たことがなく、記録に残っていない妖魔であるが、ガシャドクロはそれほど有名な妖怪であり、おそらくほとんど人間がわかったはずだ。

 この妖怪が世に出たのはそんなに昔のことではない。ここ数十年の間に創作された妖怪とも言われているが、神罰において現れる妖魔は本来この世のものではない常世の存在出あるため、歴史の古い新しいは関係ない。

 それに、ガシャドクロという名前はつい最近考えられたものだが、長い歴史の中を見れば巨大な骸骨の絵を描いた人はいる。その人はもちろん、ガシャドクロを描いたわけではないが、それでもガシャドクロがいたのであればこういう姿であるというのはよく言われる話。

 あれが本当にガシャドクロかどうかはともかく、目の前に現れた刃によって作られた骸骨の巨人に、生徒たちは言いようもない恐怖を覚えた。

 しかしいくら見てくれが凶悪だったとしても、過去一度も現れたことがない妖魔に、すぐに行動を起こすことができず、俺たちは戸惑っていた。

 それが誤りだった。

『今すぐ離れろ!』

 鋭い声を発したのは、教室に板生徒たちでも俺でもなく、天羽々斬だった。

『離れろって言っても、これだけ距離があるのに』

 声に出さずとも、念じることによって俺の考えを天羽々斬に伝えることができるようになっていた。

 天羽々斬は俺に考えに焦りを覚えるように、俺の手の中で震えた。

『いいから今すぐこの校舎から全生徒を外に出せ!』

 天羽々斬の言葉にただ事ではないと感じ、玲次たちに声をかけようとした、そのときだった。

 ガシャドクロが骨だけでできた右腕を胸の高さに持ち上げた。

 先ほども言ったが、校舎からガシャドクロは相当な距離がある。元々が広いグラウンドの端に現れたこともあり、二百メートル以上は離れている。

 しかし俺は、いや俺だけではなくその光景を見た生徒全員が、明確な敵意を見た。

「全員――」

 天羽々斬に言われたことをそのまま口に出そうとそのとき、ガシャドクロの腕の骨が固定化を解かれてバラバラに空中に別れた。

 そして、その全てが一斉に校舎目掛けて飛来した。

 俺は咄嗟に後ろにいた心葉を抱え、天羽々斬の白炎を周囲に張り巡らせて防御する。

 他の生徒たちの間にも同じように張り巡らせたのだが、あれほど巨大な質量を持つものの飛来を完全に防げるわけがない。

 ガシャドクロから穿たれた骨の刃は校舎のそこら中に突き刺さった。

「きゃあっ!」

 腕の中で心葉が悲鳴を上げる。

 教室の中であろうと容赦なく飛来する骨に、教室中が阿鼻叫喚に包まれた。

 崩れた天井や割れた窓ガラスがそこら中に散乱する。

 衝撃が収まり、顔を上げる。

「っ……大丈夫か?」

「う、うん、ありがと」

 白炎の防御は砕かれて一部破損しているが、それでも俺と心葉は完全に守ってくれた。

「玲次、玲次大丈夫か!?」

 名前を呼ぶと、体から窓ガラスの破片を落としながら立ち上がる影があった。

「なんとか、な……っ」

 窓際にいたことが原因で、玲次は骨の刃の直撃こそ受けていなかったが割れた窓ガラスによって体の至る所に傷を作っていた。強固に作られたブレザーのおかげでそれほどひどくはないが、それでも滲み出した血がブレザーを赤く染めている。

 教室は凄惨たる状態だった。

 穿たれた骨が何本もそこら中に突き刺さっており、生徒の血が床を赤く染めている。

 完全な不意打ちにまともに防御できた者も回避できた者もほとんどおらず、無防備に攻撃にさらされていた。

 確実に、何人か死んでいる。

「七海ちゃん!」

 心葉が悲鳴のような声を上げて走り出した。

 廊下側一番前に席がある七海は、本来攻撃を一番受けにくい場所にいたが、運悪く骨の刃が近くに飛来したようで、その攻撃の直撃を受けていた。

 俺と玲次も七海の元に駆け寄った。

 床に倒れ込み、七海は顔を歪めて片足を押さえていた。押さえている場所からおびただしい血が流れ出していた。

 七海の押さえていた片足、右足は、膝から先がなかった。

「あっ……ぐっ……!」

 斬り離された足は近くの壁際に転がってる。

 痛みを堪えるように歯を食いしばって呻く七海の額には、大粒の汗が浮かんでいた。

「七海ちゃん! 七海ちゃんしっかりして!」

「だ、大丈夫よ……これくらい……っ」

 大丈夫なわけがない。

 しかし、生徒を率いる立場にいる七海が泣き言は許されない。

 俺は天羽々斬の刃に指を走らせ、そこから白炎を伸ばすと、七海の太もも辺りをきつく締め上げた。

「あぐっ!」

 炎とはいえ熱はないようにしているが、それでも走り抜けた痛みに七海が顔を歪める。

 これで失血死することはないだろう。

 だが戦闘には参加できない。

 近くに、七海の足を斬り裂いたガシャドクロの骨が突き刺さっている。

 本来の骨の形はまるでしていないが、それでも人の足や体をいとも簡単に斬り裂くほどの鋭さと質量を持っている。

 気を付けながらそっと刃に触れる。

 だが、触れた途端に骨は震えると、緩慢な動きで動き出して教室の外へと飛んでいった。

 校舎に向かって飛んだ骨の刃は全て、元あったガシャドクロに向かって戻っていく。

 あれが戻ると、また攻撃が来る。

「玲次、心葉、今すぐ全生徒と先生たちを連れて校舎から離れて門の辺りまで逃げろ」

 二人が驚愕に顔を染めて振り返る。

「ならあの妖魔はどうするんだ? まさか……」

「そのまさかだ」

 俺の考えを理解した玲次に肯定してみせる。

 教室にいた生徒たちを素早く見て回り、止血が必要な生徒は七海に採った方法で同様に止血する。

 中には、既に息のない生徒も、いた。

 上半身と下半身が分かれている男子生徒。肩から脇にかけて切断された女子生徒。顔を縦に割られた男子生徒。

 先ほどまで普通に生きてきた生徒が、一瞬の時間の内にただの動かない肉の塊へと変わってしまった。

 体に沸き上がってくる感情を、必死に押さえる。

 ここで爆発させたところで、状況はよくならない。

 窓の方へと向かって歩いて行くと、心葉が近づいてきた。

「凪君、私も戦う」

「いや、お前は生徒を避難させることに力を使ってくれ。攻撃をそちらに行かせないようにはすけど、止め切れるかわからない。そのときはお前が止めてくれ」

 心葉が心配そうな表情でこちらを見上げてくる。

 その意味を読み取って、無理矢理笑みを作った。

「安心しろ。もう前みたいに諦めたりしない。絶対、あいつは俺が倒す。それに――」

 左手の相棒を掲げながら、俺は言う。

「今の俺は一人じゃないからな」

 俺は窓から外に飛び出した。

 空中に作り出した白炎を蹴って向かっていきながら、ガシャドクロに目を向ける。

 まだ骨はガシャドクロに戻りきっていない。飛ばすのは簡単だが、戻すのにはそれなりに時間がかかるようだ。

 俺が天羽々斬に言われたときにすぐに行動に起こしていれば、助けられた生徒もいたかもしれない。

 俺自身、皆と同じで今の特に脅威を感じない神罰に慣れ過ぎていたのだ。

『あまり自分を責めるな。先ほどの攻撃は誰に予想できるものではない』

 天羽々斬が励ましてくれるが、その声にも苦いものが滲んでいる。

「わかってる。ありがとう」

 返事を返しながら、天羽々斬を握りしめる。

「速攻で片付けるぞ」

『ああ、やむを得まい』

 このまま戦いが長引けば、今生きている生徒も負っている傷が原因で死亡する可能性がある。七海だってそうだ。

 だから、一分一秒でも早く、ガシャドクロを殺す。


 ――神懸かり。

 

 体中を覆っていた白炎がさらに燃え上がるように光を放つ。

 俺と天羽々斬の存在が一つに重なり、神に近い存在へと昇華する。

 白い刀はその形を崩し、巨大な炎刀へと姿を変えた。

 爆発的に全ての力が向上するのを肌に感じながら、足場を必要としなくなった体を進めてガシャドクロへと飛ぶ。

 直後、ガシャドクロの体へと戻った骨が再び放たれる。

 先ほどのように肩の付け根から放たれるのではなく、手の一部のみを使った、狙いを俺に絞った攻撃だ。

 手の骨というのは人間で言えば大した大きさではないが、ガシャドクロサイズの骨は一本一本が数十センチにもなる凶悪な武器となる。

 燃えさかる白銀の炎刀を右手で持ち、体から溢れ出した神力でもう一本同一の炎刀を作り出す。

 高速で回転しながら飛来する骨の刃を前に、両手の炎刀を振り抜いた。

 一度に五本の骨が炎刀によって切断される。

 続いて飛んできた骨の刃も、天羽々斬の破壊の炎を前に呆気なく砕け散り、そして消滅した。

 人間の部位で例えるなら骨は歯の次に硬い部位とされ、おそらく骨を模しているガシャドクロの剣の骨格も相当な強度を誇っていることは間違いない。

 しかし、天羽々斬の炎の前にそんなものは通じない。

 天羽々斬の破壊の炎が破壊する対象とするのは、その存在そのものだ。

 いくら相手が硬かろうが膨大な質量を持っていようが関係ない。その存在を破壊する。

 対抗手段がないわけではないと天羽々斬は言うが、それでも生半可な存在である妖魔如きに破壊の炎を防ぐ手立てはないらしい。

 破壊され消滅した骨の刃はガシャドクロに戻ることはなく、右手の骨は何本かが書けた状態となっている。

『あいつの倒し方はわかっているのか?』

「ああ」

 首肯しながら空中に静止し、背後の校舎に視線を向ける。

 校舎全体が慌ただしく逃げる準備を始めている。

 背後にも気を配っておかねば、俺が攻撃を取りこぼして校舎に飛ぶようなことがあってはさらに被害が出かねない。

 校舎とガシャドクロの間以外に回り込めば流れ弾の心配はなくなるが、もしガシャドクロの攻撃が俺ではなく校舎に向けられでもしたら、先ほどの攻撃速度からして対応できそうもない。

 結局のところ、校舎を背後に背負って戦うしかないわけだ。

 ガシャドクロが再び攻撃をしてくる。

 今度は右手の尺骨を一本だけこちらに飛ばしてきた。数メートルにもなる柱のような刃が高速で回転しながら飛来する。

 両手の炎刀を一本に束ね、こちらも三メートルほどの刀に武器を変える。

 回転し迫る骨の軌道に合わせるように天羽々斬を振り抜き、刀身に纏っていた炎を放つ。

 放たれると同時に炎の神力は大爆発を引き起こし、回転していた骨を跡形もなく消し去った。

 消滅した骨はガシャドクロに戻ることはなく、またガシャドクロの体に隙間が空いた。

 やはり予想していた通り。

 ガシャドクロは、野垂れ死んだり戦死したりしたといった非業の死を遂げてしまった怨念が骸骨の形になってしまったとされる妖怪だ。

 しかし、全ての怨念が合わさって一つの形を保っているわけではない。

 先ほど七海の足を斬り裂いた骨に触れてわかった。

 あの骨は一本一本が人間一人の怨念の形なのだ。

 ガシャドクロは、全身の骨の数だけ怨念が集まった、言わば集合体の妖魔。だから骨の刃は消滅させれば元に戻ることはないし、新たに生まれることもない。

 この倒し方は付喪神が本体だった鎧武者の神罰と同じものだ。

 人間の骨の数は、成人で二百六本。

 今、十一本破壊したから、残りは百九十五本だ。

 全身の骨を片っ端から破壊すること。それがガシャドクロを倒す方法だ。

 ガシャドクロは無傷の左腕も掲げると、残っていた両手の骨を全て飛ばしてきた。

 再び両手に炎刀を作り出す。さらに、足にも白銀の炎を収束させる。

「相性が悪かったな。ガシャドクロ」

 空中で体を踊らせる。

 攻撃の取りこぼしがないように注意を払いながら、放たれたガシャドクロの骨を片っ端から斬り落としていく。

 上下左右の感覚がなくなるほどの感覚の速さで空中を飛び回り、骨の刃をただ砕いていく。

 は一度二つに割ってしまえば復元することはなく、炎に焼かれて消滅していく。

 大きな一撃は必要ない。骨の刃だけに合わせた攻撃力さえあれば、骨の刃を砕くことはそれほど難しくない。

 先ほどの攻撃で用いられた骨の数は数十本に上るが、それだけの攻撃であっても攻撃の手数は二刀と両足があれば事足りる。

 神懸かりを使用した際の能力の向上は、本当にそれこそ神懸かっており、動体視力や瞬発力が仙術とは比較にならないほどに高くなっている。

 感覚もどこまでも研ぎ澄まされており、おそらく目を閉じても神力の気配だけで攻撃を凌ぎ切れるほどだ。

 飛ばされた両腕の骨は全て破壊した。一つの漏れなく破壊したことによって、ガシャドクロの両肩から先は綺麗になくなってしまった。

 次に攻撃がくるであろうその短い攻撃の間に、燃えさかる神力を両手の刀に集め、ガシャドクロに向かって飛ぶ。

 ガシャドクロは体中の骨を動かして最期の攻撃をしようとしていたが、もう遅い。

 高々と舞い上がり、ガシャドクロの頭上から火柱のように巨大な二刀の刃を振り下ろす。

「ハアアアアアッ!」

 頭蓋を砕き、肋骨を全て破壊し、二つの剣戟が両足まで突き抜ける。

 百本を越えていた体のありとあらゆる骨が天羽々斬の炎によって破壊される。

 消滅していく骨の中からいくつか攻撃を免れた骨が飛び出して襲い掛かってきたが、それも天羽々斬の一閃によって呆気なく砕け去った。

 全ての骨が破壊され、ガシャドクロは消え去った。

 ダイダラボッチのようなひたすら再生するような妖魔でなければ、天羽々斬の脅威にはなり得ない。

 美榊高校を覆っていた結界が晴れていき、校舎も元に戻っていく。

 しかし、元に戻らないものもある。

 神懸かりの状態を解除し、元の白刀に天羽々斬を戻しながらそのまま消す。

『あまり気に病むな』

「わかっているよ」

 答えるものの、声に力がないことは自分自身が一番わかっていた。

 足早に自らの教室に戻る。

 既に逃げ出していた生徒のほとんどは教室に帰ってきていなかった。帰ってきても邪魔になるだけだし、否応なく突き付けられる現実を目の当たりにしたくないのだ。

 教室の入り口には玲次や七海、心葉だけがいた。

 どうやら七海は無事だったようだ。

 切断されていた足は体に元通りに戻っており、二つの足でしっかりと立っている。

 だが、七海は無事だったか、なんて言葉をかけられるわけもない。

 教室の中から臭ってくる鉄錆の臭いが、既に中がどういう状態か教えてくれている。 中を覗き込む。

 まだ数人の処理班の人と黄泉川先生が来ているだけで、実質的な作業は行われていない。

「先生たちの中でも、被害にあった人がいるらしいの。だから遺体を運び出すのはもう少し時間がかかるそうよ」

 そう説明する七海の姿はやりきれない表情に歪んでいた。

 生徒会として、生徒を守ることができなかったことに後悔の念があるのもわかる。

 七海も後ちょっと運が悪ければ死んでいた身だ。

 気を落とすなと言ってやりたいが、そんなことが無意味なことも承知している。余計なことは言わない。

 しかし、こんな状態になって最低なことをすると思うが、確認しておかなければならないことがある。

「失礼します」

 断りを入れてから教室に足を踏み入れる。

「……悪いことは言わないから入ってくるな」

 相変わらずの無表情でありながら、難色を示す黄泉川先生。

 引き下がるわけもいかず、頭を下げながら教室に入る。

 机と椅子は教室の隅に床にあるものを避けるように避けられている。

 教室の床には四つの遺体があった。

 男子生徒と女子生徒がそれぞれ二人ずつ。

 全員が体の大部分を損傷しており、おそらくは即死だ。

 ほとんど関わりを持たなかったとはいえ、もう八ヶ月近く同じ教室で高校生活を送ってきた。

 名前はもちろん、どんな話し方をするやつだったか、どんな性格だったか、どんな容姿をしていたかくらいは、簡単に思い出せる。

 級友の死に、思わず胸が痛んだ。

 以前、天堵先生が行っていた授業で、一瞬で死にたいか、痛みを伴って死にたいかと問われた際、彼らの答えは一瞬で死にたいというものだ。

 その答え通りに死んだ彼らは、果たして嬉しかっただろうか。痛みなく死ぬことができて満足と思っているだろうか。

 そんなわけはない。

 死にそんな嬉しかったやよかったは存在しない。

 後に、そんな感情が残るわけがない。

 心臓の行動が痛いほど早くなり、体を突き破らんばかりに暴れている。

 顔を歪め胸を押さえる俺に黄泉川先生が歩み寄り、指でそっと胸を突いた。

「早く出ろ」

「……すいません。確認しておかないといけないことがあるんです」

 黄泉川先生だけに伝わるように小さな声で答え、俺は前に進んだ。

 後ろから呆れたようなため息が聞こえてくる。

「ちょっと下がっていてくれ」

 黄泉川先生が処理班の人たちに声をかけた。

 目を丸くして俺と黄泉川先生の顔を見比べるが、首で振って離れるように示すと、すぐに亡くなった生徒から離れた。

 死亡時、生徒たちの目は死の直前のまま見開かれていたが、今は先生たちによって閉じられている。

 俺は床にできた血溜まりの上を歩き、亡くなった生徒の傍らに膝を突く。ぬめりとした感触がズボンを伝ってくるが、そんなものは気にもせず生徒の体に触れる。

 まだ少し暖かいが、もう体の熱は失われつつあり、体温は生きている人間の平温よりもずっと低い。

 逃げ出したい気持ちに駆られるが、それをどうにか押さえ、指先から僅かな神力を流して生徒の体にリンクさせようとする。

 これは心葉など一部の人間が使える、自らの神力を他人の体にリンクさせることで治癒力を高めるためなどに使われる高等技術だ。

 俺では大した治癒力は望めないのだが、それでもこの数ヶ月の間に心葉にレクチャーを受けながらどうにかリンクさせる程度には会得した。

 亡くなった生徒の体に神力を伝わせていく。

 そして、わかった。

 志乃さんから聞いた通りだ。

 リンクさせるべき、神力が亡くなった生徒の体に欠片足りとも残っていない。

 神力は所持者が死んだからと言ってその瞬間消えるようなものではない。時間をかけて徐々に消えていくものだ。

 それが、たった十分くらいの間に完全に消え去っている。

 手早く他の生徒の体を確かめてみるが、結果は同じだった。

 体にある神力が根こそぎ消え失せている。

「……」

 背後に立つ黄泉川先生の視線が突き刺さるのを感じる。

 最期の女生徒から手を離すと、膝を突いたまま頭を垂れる。

「……助けられなくて、ごめん」

 謝罪の言葉など意味がない。誰にも届きはしない。

 そんなことはわかっているのに、自分のために頭を下げる。

 卑しさに反吐が出る。

 自らへの嫌悪に顔をしかめながら、小さく息を吐いて立ち上がる。

「黄泉川先生、彼らはこれからどうなるんですか?」

 先生に俺の目はどう映っていたのかはわからないが、あまり見られたものではなかったのは事実だろう。

「……お前も知っているだろうが、死亡した生徒の葬儀はその年の神罰が終わってからだ。生徒たちの遺体の損傷があまりにひどいため、体の修復を行い、遺体安置室に保管される」

 この島での神罰の犠牲者は、多いときには数日毎に発生する。そのため、神罰において亡くなった生徒たちの葬儀は神罰が全て終わった後に執り行われるのだ。

 原を初めとした一番初めの神罰の犠牲者たちも、鬼斬安綱の呪いによって殺されたとされる御堂もまだ葬儀は行われていない。

「そうですか……」

 もう一度四人の生徒たちにそれぞれ目を向ける。

「早く神罰を終わらせて弔うから、それまで待っていてくれ」

 再び意味のないことをその場に残し、俺は教室を出た。

 心葉たちに軽く目をやってから、廊下を血で汚さないように足の裏に付着した血に白炎を纏って階下へと降りる。

 二階にはジムがあり、そこには隣接してシャワーブースがある。

 血の付いたブレザーや靴はまとめてここで処理をしてもらう。亡くなった生徒に少し申し訳ない気持ちが残るが、感染症になる危険も考えると仕方のないことだ。

 シャワーブースには誰もいなかった。

 コの字にシャワーが並び、二十人くらいは一度に入れるくらいの広さがあるにも関わらず、一人の生徒も利用していない。

 先ほどまで誰かが使っていた形跡はあるが、水の滴る音がするだけだ。

 俺は頭から冷水のシャワーを一気にかぶる。

 体が震え上がるほどの低温に、火照った体が冷めていく。

 吐き気が込み上げ、吐きそうになるすんでの所でどうにか押し止める。

 きっと、つい先ほどまでここでは多くの生徒がシャワーを使っていたはずだ。女子用の方もそうだろう。

 目の前で級友が一瞬で肉塊になり、その血を浴びた生徒も少なくないはずだ。

 皆、すぐに体を洗い、現実から逃げるために高校を飛び出している。もしかしたら、亡くなったとも友達のところに戻っている生徒もいるかもしれないが、そんな生徒は極僅かだろう。

 あまつさえ、亡くなった生徒たちを前に遺体の状況を確認するような異常な人間は、俺しかいないだろう。

 生徒が亡くなったのを一つの機会としてしか見ていないような、そんな自分の行動にただただ嫌気が差す。

『お前は神罰を終わらせようとしてるだけだ。間違ったことをしているわけではないだろう』

 体内に宿る神がそんなことを言って励ましてくれる。

 でもそんなことは、わかっている。

「それでもな、こうして人が死ねば、普通は悲しんで動けなくなるんだよ」

 なぜ自分の体がそんなことになってしまっているのかもわかっている。

 心葉のことがあるからだ。

 あいつが死ぬと、本当にもう助からないのだと知らされたときの痛みは、こんなものではなかった。

 世界の全てに絶望した。現実を疑った。

 あのときの感情に比べると、他の生徒の死はどこか淡く感じられてしまう。

 それに心のどこかで、俺は心葉のことを諦め切れてない。

 まだ助けられる方法があるのではないかと探してしまう。神罰を終わらせれば何か変わるのではないかと、そんな淡い希望にすがってしまう。

 あるはずがない可能性を模索し、未だに逃げようとしている自分が、本当に嫌いになりそうだ。

 脱衣室に戻り、大量に用意されている新品の衣服から自分のサイズに合うブレザーを選び出し、手早く体を通す。

 シャワーブースから出ると、俺は教員棟の方に回り、屋上へと上った。

 教員棟は生徒棟と同じ三階建てなのだが、元々生徒棟の方が高い位置作っているため教員棟の屋上に上っても、目線は生徒棟の三階より低い位置に来る。

 白衣を身に纏った人たちが教室に雪崩れ込んでおり、死亡した生徒を運び出していく。

 大量の血液が教室に散っていたため、今日中は入ることができないだろう。

 処理班の人たちはこんなことには慣れており、さらに優秀なので明日の朝には全て何もなかったように処理を行ってくれる。

 教員棟の屋上には生徒棟の屋上のように庭園になっているわけではなく、ただ広い場所にいくつかベンチと机が設置されているだけだ。

 ベンチには座らず、白炎で適当に下を払ってその上に座り込んだ。

 しばらく特に何をするわけでもなく視線を上に向けて流れる雲に目を向ける。

 美榊島は本当によく晴れる。

 雨が降るときはとことん降るのだが、大抵はちらほら雲があるだけの青空を見ることができる。

 不意に、先ほど上ってきた階段部屋が開き、そこから二人現れた。

 真っすぐ俺に近づいてきたので、スカートの中を覗かないように先に体を起こしておく。

「なんであんたはそんなに屋上が好きなのよ」

「なんとかと煙は高いところが好きって言うだろ。それにお前の隣にいるやつにも言ってやれ。高校生活の半分くらいはそいつも屋上にいる」

「凪君も同じようなものじゃない」

 それは否定しない。

 現れたのは心葉、それに七海だ。

「さっきは助かったわ」

「あの程度のことに礼はいらないよ」

 後な、と俺は続ける。

「屋上に来るのは空がよく見えるからだ。考え事をするときは空を見るのが一番。色んな考えが浮かんでくるんだ」

 それは星空であろうと青空であろうと変わりはない。

 晴れていても曇っても雨が降っていても、空はいつも色んな答えを持っている。

「……何人だ?」

 後ろに立つ二人に尋ねる。

「生徒が二七名。それに、階下にいた処理班の人が三人亡くなっているわ」

 三十人死んだ。

「そうか……」

 その事実が、頭に重く伸し掛かる。

 処理班の人たちなんて、そもそも校内にいる必要などないのだ。たとえ全員過去に神力を持っていた強者であっても、戦闘能力は俺たち生徒の十分の一にも満たないだろう。

 それなのに、俺たち生徒を生徒だけで戦わせないために、自らの身を危険にさらしてまで彼らは俺たちと一緒にいてくれる。

 そんな彼らまで死なせてしまった。

 自分を責めたところで仕方ない。

 これまでと同じだ。

 俺が自分を責めると言うことは、心葉にも同様の重荷を背負わせることになる。

 紋章など使う必要がない心葉に、紋章を使わせるようなことだけはあってはいけない。

 これ以上同じ話を蒸し返しても気分が悪くなるだけだ。

「それで、お前らここに何しにきたんだ?」

 心葉と七海は俺の左に二人で腰を下ろした。

「バカが屋上で暢気に寝ているから来てみたのよ。ここは生徒棟からよく見えるの」

 そりゃあそうだ。

「お前らはもう降りてろって、玲次君に追い払われちゃってね」

 心葉がどこか辛そうな笑みを浮かべて言う。

 関わりは希薄になっていたとは言え、心葉や七海にとっては長い間一緒に成長してきた仲間たちだ。

 その仲間たちが一度に三十人近くも死んだのだ。

 俺よりもずっと辛いのは、いつものことだ。

 そして、それは玲次も同じはずだ。

「あのバカも、私たちに気を遣い過ぎなのよ。自分だって、同じ子どものくせして」

 悪態を吐きながら、七海は立てた両膝に顔を埋める。

 そして、声を殺して泣き始めた。

 死亡した生徒の中に、七海と仲のよい生徒がいたのだ。

 同じクラスの女生徒で、玲次や心葉といないときは、よく一緒にいたのを見ている。

「あいつの気遣いも、わかってやれよ」

「……っ。あんたに言われなくても、わかってるわよ」

 溢れ出す感情を必死に押さえながら、七海は泣いた。

 自分も涙を流しながら、心葉は七海に寄り添って支えていた。

 俺たちの代では、神罰の犠牲者は目に見えて少なかった。

 だから皆忘れていたんだ。

 神罰では人が死ぬ。いつも横にいる友達が、ほんの少し後には死んでいる可能性があるだろうということを。

 七海も、心葉も、そして、俺も。

 歯がゆい思いに唇を噛む。

 一刻も早く神罰を終わらせなければいけない。

 俺たちは失い、そして奪われ続ける。

 そんなことはもうたくさんだ。

 もうすぐ、冬が来る。

 卒業式は、三月一日。十一月が来れば、残りのタイムリミットは四ヶ月。実に三分の二までやってきている。

 心葉が生きられる残りの年月であり、俺が島にいられる期間でもある。

 神罰を終わらせる。

 それができる時間の終わりも、刻々と迫っていた。

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