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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
31/43

30

 まだ日も昇っていない早朝。

 吐いた息が白く伸びて空気に溶けていく。

 十一月ともなると、日の沈みはずいぶん遅くなり、日の出は遅くなった。

 寮のベランダから感じられるものは、月日が流れるとともに変わっていく。

 ついこの間まで暑い風が鬱陶しく感じられていたのに、今ではもう寒い空気に体が震える。

 本土よりかなり南東に位置する島とはいえ、さすがに日も上がっていないと寒い。

 ましてや薄手のジャージしか着ていない今の状態では、ただ単にバカなだけだが仕方ないことだ。

 高校生の寮なので、夏などは朝からベランダに出ると結構賑やかに他の生徒ががやがややっているのが聞こえたり、朝の準備を騒々しくやっているのが聞こえたりしたものだ。

 しかし寒くなってからは中々起きられないのか、朝は静かなものだった。鳥のさえずりが少し聞こえる程度である。

 コーヒーを片手に、マーガリンを塗って砂糖をかけたトーストを囓る。

『そのトーストというのは美味しいのか?』

「最高だね。パンは人類が作り出した至高の食べ物だ」

 ちなみにご飯も好きだが俺はパン派。いつも不思議なのだが、昔の人はどうやってパンを作るという技術を手に入れたのか本当に疑問だ。

 天羽々斬とたわいもない話をしながらまた息を吐き出した。

 心葉の願いを聞き入れたあの日、俺は心葉と別れて寮に帰った後、すぐに志乃さんに連絡を取った。

 神罰のことは続ける。本年度が終わるまで、この島ではお世話になると。

 志乃さんは安心したようなしたような悲しそうな声で一言、そうですかと言っていた。

 俺からそれだけ聞くと、これから仕事が忙しいとのことで、すぐに通話を終えた。

 俺と話し合いをするためだけに時間を取ったのも、志乃さんには結構な負担になっていたはずだ。大翔さんたちが志乃さんの仕事を肩代わりしていたらしいが、それでも志乃さんの仕事量には完全には追いつかなかったようだ。

『今日はどうするんだ?』

「いつもと同じ。術者の調査」

 今日は平日の水曜日で神罰が起きる可能性があるので正午は高校に行かなければいけないが、それ以外は市役所に行って島民の名簿を調査している。

 神がこの島の誰かに成り代わっている。それはほぼ間違いない事実だ。

 であるなら、その誰かは五十年にも渡って神罰を起こし続けていることになる。

 正直かなり厳しいことをしている自覚はあるのだが、最初を調べるのは重要なことだ。

 市役所にある資料室は、結衣さんか琴音さんに一言伝えれば自由に出入りができるようにしてもらっている。

 志乃さんに会う際に渡されたカードキーは相当権限が高いところにあるものらしく、大抵の部屋は出入りができる。

 残った問題は、もう術者の正体を突き止めるだけなのだ。

 志乃さんからの情報で、それ以外に必要な情報は大方手に入った。

 後は、それらの情報を元に術者の正体を特定するだけだ。

 不意に、右にある部屋のベランダが開き、人が出てきた。俺の部屋をベランダから見て右手には三つ部屋があるが、その内二つが空き部屋である。紋章所持者を一般生徒から遠ざけるためのものだ。

「ふぁー……」

 つまりは大きく欠伸をしながら現れたパジャマ少女は紋章所持者であるわけだ。

 寝ぼけたまま目をこすり、きょろきょろと辺りを見渡す。

 そして、こちらに気付いた。

「ああ、凪君おはよう」

 溶けたような目を和ませて笑った。

「おはようさん。コーヒーあるけど飲むか?」

「うん、ありがと。じゃあ、お言葉に甘えて」

「すぐ戻ってくるから、それまでに顔でも洗ってきなさい」

「はーい……」

 心葉はもう一度欠伸をして部屋へと戻っていった。

 俺も部屋へと戻り、ポップアップ式のトースターに一枚食パンを放り込み、焼き上がるまでの間にコーヒーを淹れる。

 チンという音を立ててトースターからパンが跳ね上がる。

 冷蔵庫からマーマレードを取り出し、トーストに薄く塗って皿に置く。

 木製のトレーにトーストとコーヒーを淹れたカップを置き、もう一方の手に自分のコーヒーとそのカップの上に食べかけのトーストを持って、ベランダに戻る。

 心葉も戻ってきており、手すりに両腕を乗せて眠そうにうとうととしていた。

 俺は手すりに足を乗せると、隣の部屋に飛び乗っていきながら心葉の部屋まで辿り突いた。

「はい、おまたせ」

「おおー、ありがとー」

 心葉は顔を洗ってもまだ目が覚めていないようで、のんびりとした手つきでトーストとカップを手に取った。

 トレーはベランダに設置されているエアコンの室外機の上に置き、少し冷たくなってしまった自分のトーストを囓る。

「んー、寝起きに彼氏が朝食を用意してくれるなんて、私は幸せ者だね」

 マーマレードを塗ったトーストにぱくつきながら、心葉は笑う。

「こっちも作りがいがあるから助かりますよ。時間をくれればもっと手が込んだもの作るけど」

「いえいえ、これで十分幸せなのです」

 本当に幸せそうに、熱いコーヒーを一口飲んだ。

 心葉との関係は、紋章の真実を知ってからそれほど変わっていない。

 こういう風に、何気ないやりとりをすることが心葉にとっていいことなのだ。

 お通夜みたいな空気で過ごすなんてあり得ない。

 でも、心葉は残り数ヶ月しか生きられない。

 それはもう決定していている事実だ。

 覆すことなどできない。わかってしまったのだ。

 天羽々斬は、そのことに触れようとはしなかった。神力のことについてこいつが知らないことなどないだろう。

 その天羽々斬が、志乃さんに会うまで俺に教えず、俺が知った後も補足するでも否定するでもなかった。

 肯定したわけではない。

 しかし、何も言わないのは肯定以外の何物でもない。

 だから俺も触れないし、天羽々斬からも何も言ってこない。

 確定された出来事に対して、何をやったところで意味などない。

 必要なのは、俺が今するべきことをするだけだ。

 ベランダの手すりに腰を下ろし、心葉と並んでコーヒーを飲む。

 そろそろ日の出の時間だ。

 ベランダは西に向かってあるため日の出は拝めないが、空がずいぶん明るくなり始めた。

 あと一時間もすれば登校を始めなければいけない。

「そういえばさ」

 不意に心葉が言った。

「今日神罰がなかったら、午後は高校に立ち入れなくなるって聞いた?」

「ん? 初耳ですな」

 俺のところにはそんな情報は入っていない。

 でも昨日、天堵先生が昼を過ぎたら話があるから教室に残っていろとか言ってた気がする。

 昨日は神罰が起きたが、大したことがない妖魔だったのでまた他の生徒に戦わせることなく全力で叩き潰した。

 しかし、前日深夜まで市役所にいたので疲れてそのまま校庭の隅で昼寝をしていたのだ。かなり寒かったが、日も照っていたので思ったよりも快適な眠り心地だった。

「なんかね、また高校の改築工事をするらしくて、それで昼から明日の朝まで測量したり現地調査したり色々するんだって。邪魔だから生徒は入るなーって。ま、いつものことなんだけどね」

「改修工事ねぇ……」

 神罰において、この高校は幾度となく破壊されている。最も戦場となりやすいグラウンドはもちろん、グラウンドの周囲に植えられている花木、体育館や校舎など、戦闘によって何度も壊されている。

 しかし、どんな形まで壊されたとしても戻るのが神罰である。

 だから壊れた建物の補修工事などではないのだが、それでも改修工事が行われる理由はやっぱり神罰だ。

「工事をする場所は主に中庭辺りらしいね。渡り廊下の数を増やすのと、石碑の場所を変えるらしいよ」

「石碑って、あの黒い祝詞が掘られた?」

「そう、それ」

 なんでも、今年神罰において強力な妖魔が現れていることで、校門近くに移動させるかという案が出ているらしい。

 全て元通りにはなっているが、神罰で壊れたり倒れたりはかなり頻繁にされている。心葉の話では、ダイダラボッチの神罰の際も俺の攻撃が石碑を粉砕していたらしい。まったく気が付かなかったが。

 あの石碑は、神に許しを請うために作られたものであり、さらにはこの高校の歴史を体現されているものなのだ。

 それが、いくら元通りに復元し戦いの後とは思えない状態になるとは言え、島民からすれば壊されるのは面白くないらしい。

 大きさも校舎に並ぶほど大きな石碑なので、簡単に動かせいものであるため、これまで放置してきたがそろそろさすがにということだ。

 確かに校門辺りは神罰が始まっても妖魔が現れることはないし、壊れる可能性もずっと低くはなるだろう。

「地味なことするな」

「ま、まあまあ、そう言ってあげないで」

 心葉が何とも言えない笑いを浮かべる。

「それと、銃器を神罰に用いてはどうかという案を実行するかって話が出てて……」

「……ああ、玲次のせいか」

「そ、そういうわけではないと思うんだけど」

 いや、どう考えてもそうだろう。

 あんな神罰で銃の、それもレールガンのような豪快な銃器をぶっ放していたら、神罰に使えないかという案が出るのはわからないでもない。

 というより、神罰よりずっと以前から銃器を神罰に持ち込むという案はあったのだ。

 単純に強力な武器だし、攻撃力だけなら刀剣の類いより強いのは間違いない。

 だが、神降ろしが神罰に持ち込まれてからは神器の方が優れている点が多いのだ。

 銃器の問題点はいくつかあるが、神罰において大きな問題は同士討ちをする可能性があるということと、発砲音が大き過ぎること、扱いに練度が必要という、主に三つの問題がある。

 刀や剣、槍などであればある程度周囲に気を配っていれば同士討ちになることはない。しかし、銃器は強力になればなるほど飛距離や貫通力が増すので、射線に気を付けなければまともに撃つことさえできない。

 また、発砲音が大きいというのも問題である。最近はサプレッサーがあるため音を消すことができるが、それでも連射や命中精度などの問題を考えると、使わない方が銃の性能としては安定する。ただ、どでかい発砲音を響かせでもしたら、それこそ妖魔の注意を引いて、囲まれでもしたら銃器は終わりだ。

 そして最も問題なのが、何より練度。

 銃器は大人でさえ膨大な時間をかけて訓練するものだ。俺たちみたいなガキが、適当な訓練を行ったところでまともに扱えるわけがないし、何年も前から時間をかけて準備をする必要がある。

 例えば今年から準備をしたとしても、実用化されるのは十年は先だろう。

「どうせ、うまくいかないだろうな」

 ぼそりと呟いた。

「……そんなこと、先生たちの前で言っちゃ駄目だかんね」

「はいはい。わかってますよ」

 心葉にたしめられて適当な返事をする。

「どのみち、そんな準備が完了するまでに神罰は終わる。必要ない話だ」

「……ははっ。そうだね。よろしく頼みますよ」

 笑いながらばしばしと背中を叩かれる。

「わかっとるわい」

 返事を返しながら、俺はコーヒーを飲み干し、心葉から空になったカップを預かり、トレーに乗せる。

 そして手すりに足を乗せて立った。

「じゃあ、俺は行くよ。もう少し寝たら」

「遅れてくるの?」

「ああ、まだ寝足りないんだよ。昨日も丑三つ時くらいまで起きてからな。変な時間に目が覚めただけだったんだよ」

「そっか、じゃあ、また後でね」

 再び手すりを飛び渡っていきながら、自室まで帰る。

「じゃあねー」

「おう」

 手を振ってきた心葉にこちらも手を振り返し、部屋に入る。

 後ろ手に扉を閉める。

 数部屋隣で、心葉も部屋に戻っていったのを感じる。

 俺は窓に背中を預け、ずるずると座り込んだ。

 トレーを床に滑らせると、弾かれたカップが底に残っていたコーヒーを散らしながら転がっていったが、どうでもいい。

『……大丈夫か?』

 心配そうな声音で、天羽々斬が尋ねてきた。

 答えることができずに喉を詰まらせ、熱くなった目元に抱えるようにした膝を押し当てる。

 それでも隠すことができずに、溢れ出した涙はジャージを濡らした。

 心葉のことを考えると、胸がいっぱいになって何も考えられなくなる。頭が沸騰しそうなほど熱くなって、枯れても枯れても感情を押し止めることができない。

 紋章の真実を知ってから、心葉に会うたびに泣きそうになる。

 そのときこそ、心葉に心配をさせないために取り繕った笑みを浮かべるが、すぐに堪え切れなくなる。

 心葉が死ぬ。

 唯一の支えをなくし、悲鳴を上げる。

 自分がこんなにも弱い人間だとは思ってもみなかった。

 俺は他の生徒たちとは違う。彼らが苦しむような泣き出すような痛みを俺は負っても、強くあれる。

 そんなバカな考えすら自分の中にあった。

 とんだ間違いだ。

 俺はこれまで大事なものをなくしたことがなかっただけ。作らなかっただけ。

 俺も皆と変わりはしない。

 大切なものを失うだけ簡単に壊れかけるほど、弱い人間なのだ。

 みっとなく、毎日のように泣いている俺に、天羽々斬が語りかけてくる。

『心を強く持てとは言わない。弱くたって構わないんだ。それは人が持っているべきものだと私は思う。私たちには持てないものだからな』

「……そうなのかもな」

 乾いた声を絞り出し、腕で目元を拭う。

『吐き出したいものがあれば好きするといい。私も、そこの白いのもいる』

 天羽々斬が意識を向けている先に目をやると、いつの間にか寄り添うようにコールダックが俺の横に座っていた。

 ホウキは時折首を傾げながらこちらを見上げてくる。

 ただ腹が空いているだけなのかそうでないのかはわからないが、それでも一つの存在と一匹の同居動物の気遣いに、心の中に暖かいものが広がった。

「お前らがいてくれて、本当に助かるよ」

 泣き笑いを浮かべながら言う。

 天羽々斬は少し笑ったようだったが何も言わず、ホウキも小さく丸まって俺が動き始めるまで側にいてくれた。

 神罰は終わらせる。その目的は変わらない。

 第一目的が潰えた今、俺は心葉の願いを叶えるために神罰を止める。

 そういう理由も、ある。

 だがそれ以上の理由がある。

 母さんを父さんから、俺から奪い、そしてこれから心葉をも奪っていく神罰を、神罰を起こしている神を、俺は絶対に許さない。

 この手で、殺す。

 

  Θ  Θ  Θ


『――そんな話は、初めて聞いたが』

 久しぶりに連絡が取れた父さんに、紋章のことを伝えると当然だが知らなかった。

 市長から口外しないように言われているが、父さんにであれば構わない。許可はもらっている。

 神罰がないとわかった正午、俺はすぐに市役所に向かった。

 駅で電車を待っていると、ジーンズのポケットに入れていた携帯電話が音を立て、二つ折りの携帯電話を開くと父さんからの名前が表示されていたのだ。

 近くにあった自販機に百円玉を入れながら、俺は答える。

「ああ、市長もそう言っていたから」

 父さんは俺に神罰を止めさせるために美榊島へと俺を送った。

 だがそれは同時に、紋章所持者である心葉を救うためという理由もあったのだ。

 電話の向こう側で、父さんは黙ってしまった。

 微糖コーヒーのボタンを押し、出てきたコーヒーを手の中で転がす。

 片指でプルトップを押し上げ、一気に半分ほど飲み干した。熱くほどよい苦みが喉を滑り降りていく。

『……すまない。そんなつもりでお前を島にやったわけでは』

「ああ、わかってるわかってる。父さんにそんな他意があったとは思ってないから」

 謝罪を始めた父さんを遮り、俺は言った。

 心葉を救うために俺を島にやったようだったのに、心葉が救えないとなれば、父さんは俺が苦しむことをわかった上で、何の希望もない地獄に放り込んだことになる。

 父さんがそんなことをするわけがないのはわかっている。

 駅には他にも高校の生徒がいたので、少し離れて隅の椅子に腰をかける。

「調べてみたけど、それがわかったのはここ十年くらいのことらしい。父さんが知らなくて当然だ」

 父さんの世代ではまだ、紋章とは体に刻まれたただの模様で、本当に目印などと考えられていた。

 術などであることは考えられていたのだが、それでもその紋章が神力器で作られているとは誰も想像しなかった。

 志乃さんは口にしなかったが、体から紋章を引き剥がすという出来事の前に、もう一つ紋章に関する実験が行われている。

 紋章所持者の紋章を、手術によって物理的に取り除いてみてはどうかというものだ。その紋章が目印であり、それが要因となって紋章所持者が識別されているのであれば、その紋章を体から切除してみてはどうかというものだ。

 簡単に考えつきそうではあるが、神の行いの前に無意味な気しかしないが、それでも試す価値はある実験だ。

 当時の所持者は脇腹に紋章があったようで、それを切除することになった。

 しかし、その手術の最中に所持者の様態が悪化し、心肺停止にまでなった。執刀医が素早く状況を判断し、手術は直ちに止められ、紋章は所持者の体へと戻され、すぐに所持者は回復した。

 このとき、初めて紋章は所持者の生命維持に関わるものと予想されたらしい。

 その後、同生徒の希望により、儀式の術によって紋章を体から引き剥がすということを行った結果、所持者は死亡し、その紋章が神力を生成する器官であることがわかったようだ。

 この情報は父さんにとっても衝撃的な話だろう。

 父さんもかつて、許嫁という紋章所持者を助けるために力を尽くしていたのだ。それが今になって、本当は助からなかったのだと知った。

 おそらくだが、父さんほど過去紋章所持者を助けようとするものはいなかった。その上で、島側は本当に紋章所持者を救うことができないかということを本腰を入れて調べてわかった結果ではないかと思っている。

 きっと、父さんの中でも複雑で苦しい気持ちが渦巻いていることだろう。でも、父さんにはできるだけ多くの情報を伝えておきたいのだ。

「父さんが知らないことは、俺が知っているよ。でも、神罰のことは止めないからな」

 電話の向こうで、父さんが息を呑んだのがわかった。

 意外だったのだろう。心葉を助けられないとしても俺が神罰を終わらせようとしたことが。

 それほど、俺が心葉に依存していたことを父さんは見抜いていたのだ。

 そう考えるとひどく恥ずかしくなってきた。

 話を変えるため、俺は父さんに尋ねる。

「父さん、俺はある程度この神罰の真相は掴んでいると思うんだ。それでも、術者が誰なのか、未だに見当が付かない。父さんのときは、何かわからなかったか?」

 後は本当に術者の正体だけだ。

 さっき、心葉から少し興味深い話を聞いたが、それも術者がわからなければ正直役に立ちそうにない。

『術者、か』

 忌々しそうに父さんが呟いた。

『確かに、それは私も探した。周囲の人間全てを疑ってかかった。誰がそうであってもおかしくはなかったからな』

 しかし、まったくわからなかったのだと父さんは言う。

『誰であっても不思議ではなく、誰でもなくてもおかしくもない。そんな状態だった。私の代で既に三十年も人のように溶け込んでいるやつだ。簡単にぼろを出すわけがなかった』

 俺も、唯一ある手掛かりと言えば、御堂が殺された際のアリバイの有無くらいなのものだ。

 だが、わからない人間の方が圧倒的に多いその状態で限定しろというのがそもそも無理な話だ。

 そこから糸口を掴むことができればと考えたが、それ以外に手掛かりなど出てこない。

 だから父さんを頼ったのだが、父さんでも難しいようだ。

 残っていたコーヒーを一気に飲み干し、五メートルほど離れていたゴミ箱に缶を投げる。

「また何かあったら連絡するよ」

 放物線を描いた空き缶は、ゴミ箱に見事ドロップしていい音を立てた。


 神力を持つ人間。

 実は、数こそ少ないがそういう人間は全国にもいる。

 俺や心葉や、玲次や七海といった俺たちの家系は旧家などと呼ばれており、美榊の歴史を見ても相当昔からいる一族だ。

 では、それ以外の人はどこからやってきたか。

 美榊が全国の孤児から神力を持つ子どもを探し、島に招いているのだ。

 神力は、使い方を知らなければただのエネルギーでしかない。本土の人間の中にも、一定数存在する。

 一般家庭に生まれてそのまま育つのであれば美榊は干渉しないが、もし孤児に神力を持つものが見つかった場合は、様々な手続きを行った上で美榊島に招いていた。

 今でこそ、閉鎖的な社会になって数が少なくなっているものの、神罰が起きる以前は相当な孤児を島に集めていた。

 太平洋戦争終結後、疎開していたため生き残った数え切れない孤児が現れた。それが大体神罰が起き始める十数年前だが、その際は数百名近くの孤児を全国から集め、島に招いているという記録が残っている。

 神力を持つ者は貴重だ。

 仮に、神罰がなかったとしても、この島で神力を持つ者の血を途絶えさせないためにはどうしても外部の血を入れる必要があったのだ。

 血縁が近い人間が子どもを作った場合、何かしらの障害を抱えた子どもが生まれる可能性が高い。三等親から結婚できるとされているが、それでも障害を持った子どもが生まれる可能性は上がることになる。

 そんな事態を避ける最も簡単で有効な方法が、外部の血を入れること。

 それだけのことをするだけで多様性が広がり、障害を持つ子どもが生まれるリスクを軽減するとともに、神力の血が絶えることを防ぐことができる。

 本来離島の限られた人口であってもここまで考える必要はないのだが、美榊島の場合は神罰で戦うために、神力を持つ人間をどうして絶やすことができず、その上で一定数は必要という縛りがある。

 現在だけのことを見れば問題ないのかもしれないが、この先十年二十年のことを考えた際、神力を持つ人間を増やすことに変わりない。

 この島にやってきた場合は、その子どもは神罰で戦うことになるかと言えばそうでもなく、高校生になる際に選択をするのだ。

 神罰で戦うか、戦わないか。

 本来この島では関わりのない子どもたちに神罰を無理強いできる道理はない。

 戦うと意志があったのであれば神罰で戦ってもらい、意志がないのであればそのままこの島で生活してもらい血を残してもらう。

 元々、外部にいた孤児には神力が多い者はあまりいない。それは先祖に神力を持った人間がいたため、隔世遺伝によって神力を持っている人間が多いからだ。

 俺たちのように直系であるのならともかく、遺伝によって伝えられる神力はそういった場合強い力を持っていることは珍しいのだ。

 だから、ほとんどはこの島に住んでもらって血を残してもらう。それが一番多いパターンだ。

 市役所の資料室で、この島での孤児について書かれた記述や島民のリストに目を滑らせながら小さく息を吐く。

 多くのラックが並べられ、所狭しと資料や本が差し込まれた資料室は、綺麗に整頓されている。

 一部雑然と積み上げられた過去の資料もあるが、それは整理中のもののようだ。

 資料を保管するために部屋の温度は低めに設定されているようだが、十一月の寒くなってきたこの時期であれば少し暖かいくらいのちょうどいい状態だ。室内には防虫剤の臭いが広がっているが、それもここ連日の来室で慣れてしまった。

 島民のリストに目を走らせながら、孤児の情報を確認していく。

 術者の可能性として一番高いのは、おそらく島外から招かれた子どもたち、孤児だ。

 長い美榊の歴史の中で、ここまではっきりと島民のデータを管理している美榊の中に、いきなり異質な人間が紛れ込むと考えにくい。

 神罰の原因となる事件以前に起きていた神隠し。この時期から少し以前に、その神はこの島の人間に成り代わってしまったのだと考えられる。

 どこからともなく現れた人間が、この島で見つからないというのも考えにくい。

 であれば、最も考えられるのが孤児の中に紛れて侵入したのではないかということ。

 太平戦争終結に数百名にもなる孤児がこの島にやってきた。

 この時期は、神隠しが始まる少し前に当たるのだ。

 志乃さんもおそらくこのことには気付いている。

 しかし、神罰の術者である可能性が予想された人は亡くなってしまったというのが、この人たちのことなのだ。

 既に六十年以上も昔のことだ。亡くなっていても不思議ではない。

 だが、生きている人もいる。

 それも、現在美榊高校で働いている人が何人か。

 芹沢先生である芹沢如月先生、図書室で司書を務めている円谷惟茂先生の二人だ。

 芹沢先生は物心着くか着かないときに、円谷先生は中学生くらいの年齢のときにそれぞれこの島にやってきている。

 このどちらかである可能性が、現段階では一番可能性として高い。

 それ以外の人は亡くなっているのだ。

 つい数年前まで可能性の高かった人物として、この神罰が起きたときからいた志藤天樹先生や、俺の曾祖父である八城輝などもいたが、亡くなってしまっているのであればどうすることもできない。

 その他の可能性として、これらの死んでしまった人間が誰かに乗り移るか成り代わるかしてこの神罰を続けているという可能性もないわけではない。

 そうすると、必然的に可能性が高くなるのはここ最近孤児やそれ以外の理由でこの島に招かれた人物。

 さすがに、この島に初めからいる人物に成り代わるのはリスクが高過ぎる。見抜かれた一発で終わりだからだ。

 それよりかは、人間関係や人格の形成がまだ固まっていない子どもや人物に成り代わった方が簡単だしリスクも低い。

 今見ている資料を閉じて、元あった場所に戻す。

 その際に、何かの資料を探しに来た役員が部屋に入ってきた。

 女性役員だったが、制服姿で資料を触っている俺に訝しげな目を向けてくるが、さらにと受け流して目的の資料を手に取る。

 女性役員も自分の用があった資料をすぐに探し当てると、俺になど目をくれることなく資料室を出て行った。

 一応、俺がこの資料室を使っている人は関係者に伝わっているようで、最初こそ誰だお前は的な状態になったが、今はほとんど関心すら持ってもらえなくなった。

 子どもがこんなところで何をと言う感じの視線をぶつけられるが、関わってもろくなことがないのはお互いだ。

 俺は元いた机に戻り、新たに手に取った資料を机に広げる。

 今年の美榊第一高校の生徒、及び職員の名簿だ。

 ここには、現在美榊第一高校に在籍する全て人間のデータがある。

 もう何度も見た資料だが、何度も見る必要があるのだ。

 ここの資料は全て閲覧自由だが、コピーや複製、メモに至るまで全てのことを禁止されている。

 携帯電話なども持ち込ませてはもらえず、全てはこの部屋の中で済ませること。それがこの資料室を利用する条件だ。

 ともかく、記憶と間違いがないか確認をしながら再度目を通していく。

 一人一人の来歴やどういう家族構成や経歴を持っているかなど、かなり事細かく記載されている。

 俺のことなども記載されており、文書によって改めて自分の特殊な立場に苦笑を漏らしたものだ。

 しかし、こうして目を通すと、今年の生徒の孤児率は高いのかもしれない。

 先生たちの中にも、孤児の人たちがそれなりにいる。

 そういった先生たちは、案外神罰を経験していないことが多いようだ。

 在学時は、力が弱かったり決心が付かなかったりという理由で神罰には参加していないが、自分たちを生活させてくれている恩返しとして、教員になった人は多いらしい。

 寮の管理人をしている林原彩月さん、養護教諭をしている天堵修司先生も孤児らしい。

 また、生徒の中にもそれなりにいる。

 柴崎明彦やいつも一緒にいる川上燐や白海真澄、大百足のときに神罰によって死んだ二人も孤児だったようだ。

 つまり、あいつらの付き合いは孤児という付き合いの中であったということだ。

 それに、青峰梨子もそうらしい。

 そういえば、青峰は自分のテレキネシスの力を、この島では珍しいという表現をしていた。それは暗に、自分がこの島の出身ではないということを示唆していたのだろう。

 孤児だけに可能性を絞るなら、出てくるのは僅かこれくらいの人間。

 しかし、生徒の中に神罰を起こしている人間がいるとは考えにくいが、気になっていることがあるのも事実。

 教職員の人たちについても、いまいちはっきりしないことが多い。

 本当にこの切り口でいいのか、それすらもわからない。

 とりあえず、父さんに調べてもらうことが必要だ。

 あらかた記憶し終わり、目を閉じて自分の記憶に間違いないかを簡単に確認する。

 目を開けて席を立ち、時間を確認すると腕時計の短針が下よりもう少し進んだところを示していた。

「こんな時間か」

 昨日は本当に日が変わるまでここにいた。

 疲れもそれなりに溜まっているし、腹も減ってきたそろそろ引き上げるとしよう。

 資料を全て片付け終え、荷物をまとめると資料室の扉が叩かれた。

 首を傾げて扉の方を覗き込むが、誰かが入ってくる様子はない。

 先ほどの女性役員もそうだが、別にここはノックなどは必要な部屋ではない。

 いつまで待っても入ってこないので、帰るついでに扉を開ける。

「お、出てきた」

「いるなら早く出てきてくださいっすよ」

 部屋を出るなり、文句を言われた。

 そこにいたのは玲次と理音だった。

「入りたいなら入ってくればいいだろ。と言うか何しにこんなところに来てるんだ?」

 使わせてもらっているのにこんなところ呼ばわりはあんまりだと思ったがまあ気にはしない。

 理音は少しむくれて自分のカードキーをひらひらとさせた。

「僕らの権限じゃ、ここには入れないんすよ。何飛び越えて行っちゃってるんすか」

 つまり俺はこの二人より上の立場になってしまったということか。

「よし、ではこれからは俺の言うこと従ってもらおうか」

 バカなことを言ってみると、玲次に笑いながら腹を小突かれた。

「俺たちの指示を満足に聞いたことがないやつが何言ってんだよ」

 それを言われるとぐうの音も出ない。

 勝手に神罰を終わらせている俺は玲次たちの指示を待つなどということは行っている。そんなものが関係ないほどの力を身に付けてしまった。

「それはともかく、何しに来たんだ?」

 改めて質問をし直すと、玲次が俺の右手を指さしながら言った。

「もういい時間だから飯でも一緒にどうかと思ったんだよ。俺と理音も別件でここまで出てきたからな。別棟にレストランがあって、カードキーの権限使えばタダで食えるからな」

 ほう、そんな機能があったのか。俺が使っていいのかどうかは怪しいものだが。

 後ろ手に扉を閉めて電子ロックがかかる音を聞きながら、再度腕時計を確認する。

 確かによく考えれば今は作り置きの食うものもないし、電車で帰ってそれから作るというのは少し面倒だ。

「そういうことなら俺も食べて帰るよ。案内よろしく」

 二人に案内されて連れられた場所は、市役所の隣に併設された巨大なレストランだ。ここは一般の人にも開放されており、誰でも利用ができるようになっている。そのため、フロア全体がレストランになっているにも関わらず、時間も時間なのでほとんどの机が埋まっている。

 食券システムが使われており、食券機の前に並んでいる列に並ぶ。

 三人でバラバラに並んでいると、タイミングよく三人同時に食券機の前に来た。

「おすすめは?」

「揚げ物スペシャル盛り一択」

「エベレストジャンボパフェっすね」

「わかった、鯖の味噌煮定食だな」

「なんで聞いたんだよ!」

 お前らのおすすめ偏り過ぎ。極端過ぎるわ。

 おそらく普通に買えば相当な金額だろうが、二人は自らが勧めたものを迷いなく押した。

 理音に至ってはただのデザートであるはずが、他には一切買うことなくカウンターに食券を持っていった。

 俺と玲次も食券をカウンターにいたふくよかなおばさんに食券を渡した。代わりに小さなリモコンのような機械を受け取った。

 丁度よく窓際の角っこの席が空き、理音が速攻で席を取りに行った。

 四つある席の三つにスマホ、財布、メモ帳を置いて素早く席を確保する。

 ああ、俺もたまにやるけどあれやられると本当にむかつくんだよな。

 現に、席を探していた若い社員たちが舌打ちを溢している。座りにくい。

「玲次ー、凪ー、こっちっすよー」

 理音が声を張り上げて手を振る。

 相当目立っているが、突っ立っていても目立つだけなので素直に席に座る。

 俺のところには丁度メモ帳が置いてあり、不意に手に取った。つかみ所が悪く、ちょうどスピンが挟まれているところが開き、中が見えてしまった。

「……」

 俺が最近何をしていたかという情報が事細かに記載されていた。

 何時何分にどこに行ったか、どの電車に乗ったか、何時に起きたかに至るまで、様々なことが書かれていた。

「……」

 言葉が出ないというのはこういうことをいうのではないだろうか。

 メモ帳が消失したのではないかと思うほどのスピードでひったくられた。

「いやー、困るっすね凪。乙女のメモ帳勝手に見ちゃダメっすよ。あははは」

「おい待てやこら。今のはなんだ?」

「ん? 何のことですか? これは白紙のメモ帳ですよ?」

 理音はおどけた表情でメモ帳の拍子を叩く。

 なんでメモ帳が白紙なんだよばっちり書いてただろうが。

 理音はしれっとポケットにメモ帳をしまい込んだ。

「いやですね。僕が凪のスケジュールを把握しておくのは当然じゃないっすか。何のためのマネージャーだと思ってるんですか?」

「お前のようなストーカーをマネージャーに雇った覚えはねぇよ」

 と言うか、いくら何でもここ最近のスケジュール丸裸にされ過ぎだった。こいつに尾行されて気付かないほど間抜けではないと思いたいが。

 なぜだと思考を巡らせると、ふと思い当たることがあった。

 ブレザーの内ポケットから取り出す、黒いカードキー。

「まさかこのカードキー……GPS仕込んでるんじゃないだろうな」

 ぎくりと理音が肩を揺らす。

「あれ、お前聞いてないのか?」

 玲次がどかっと俺の横に腰を下ろしながら似たようなカードキーを取り出して指で弾いた。

「これ、悪用されないようにGPSとかレコーダーやカメラも仕込まれてるんだ。ソーラーで動くようになってて、いざとなればすぐに起動させて音声や映像を記録することができるんだぜ? ほら、ここに端子とか差せば機能拡張できたりもする。我が島が誇る最新鋭の技術だ」

 なにそれ怖い。

 悪用されないことが目的な機能でどうしてプライバシーを簡単に侵害されにゃならんのだ。

 玲次にさらっとネタばらしをされて、がくっと机に突っ伏した。

「だ、だって仕方ないんすよ。評議会の上層部がカードキーを自由に使わせるならどこで何をしているか管理して逐一報告しろっていうっすよ。僕だって好きでこんなことしてるんじゃないっすからね」

 ふざけているわけではなく、本当に申し訳なさそうに言う理音。

 こいつがこんな風に言うのだから、本位でないのは事実だろう。

 俺は机の上にある後頭部に手刀を降ろす。

「あだっ」

「それなら最初から俺に一言言っとけよ。別に怒ったりしねぇから」

 後頭部を押さえて、呻きながら理音が顔を上げる。

「で、でも、もし凪が心葉の部屋に一晩中一緒にいたり、ラブホテルに反応があったりしたら、気まずくなっちゃうじゃないですか」

「何お前そんなことしてんの!?」

「してねぇよっ! 理音お前あらぬ誤解を広めるな!」

 周囲の視線が痛い。

「ねぇままー、らぶほてるってなにー?」

「あなたが生まれることになった起源、オリジンよ」

「おりじん? それ格好良いー!」

 隣の席で親子が意味不明でストレートな会話をしている。

 大体高校生がラブホに泊まれるかよ。

 心葉に一晩中いるってことも、ねぇな……。

 もう、そんなことを考えられる状態でもなくなっているし。いや考えたわけでもないですよ?

「つうか実際、そんなことを報告したからって何になるって言うんだよ」

「どうしたいって言うか、実際凪は市長に会ったでしょ? 市長はこの島の最高責任者であり島を支えている人っすけど、なんと言うか、もうお歳ですから。後釜を狙った人とかが代わりに凪の行動を把握しておかないととかって思ってるんすよ」

「……お前、その後釜狙いがいるであろう建物でそんな話していいのか?」

 どこで聞き耳立てられているかわからないと言うのに。

 しかし、理音はあっけらかんとした表情で答えた。

「別にいいっすよ、聞かれたって。どうせ何もできやしないっす。上司だから指示に従っているだけで、うちの財団には逆らうことができない小さな人っすから」

 そういえば、理音は財団の御令嬢だったか。上司と言っても、理音のような家柄が大きく後ろ盾がある人間には子どもであってもやりにくいところがあるのだろう。

「大体っすね。あれがあるせいで僕らが大変なときに、自分たちの派閥争いに僕らを使うとか何を考えてるって話っすよ」

 突然、理音が机に肘を突き、窓の外を眺めながら愚痴を零し始めた。

「今日も玲次と一緒に来てくれとか言われたから一体どんな用かと思って来てみれば、ただ二、三質問されただけっすよ。それぐらい電話で済ませてくれって話ですよ。媚びを売るために呼び出されるとか、いちいち相手にしてらんないっす」

 不満を壊れた水道管のように吐き出すのは、やさぐれた社畜会社員のようだった。これで左手にジョッキに入ったビールでもあれば完璧。

「大体玲次もへえこらしすぎっすよ。だから付け上がるんす」

 矛先が変化球のように玲次に向けられる。

 なんとか捕球した玲次は苦笑しながら指で机を叩く。

「わかった悪かったよ。だからちょっとは場所を考えてくれって。ここも市役所の施設だぞ? ここでそんなこと言ってたら皆からの信用を失うだろうが。ちょっとは場所を考えとけって」

 子どもに諭すように意外にもまともなことを言う玲次。

 それを聞いた理音はますますしかめっ面になり、ため息を零す。

「そんなことを言う玲次は玲次じゃないっす。素直に何でも吐いていたあの頃の玲次はどこに行ったんすか?」

「生徒会長になったら、色々背負うもんができて変わったんだよ」

 再度、理音が長々としたため息を吐き出して、小さく笑う。

「つまらなく、なっちゃいましたね……」

 つまらないという言葉に込められていたのは、たぶん玲次のことだけではない。

 きっとあいつなら、理音の言葉にぶっきらぼうではあるが賛同していたのでないかと思う。取り繕うことなく思ったことを口に出すのは、玲次の言う通り立場が変われば、成長するほど難しくなっていく。

 今みたいに愚痴を零した理音に答えてくれるやつはもうここにはいないんだ。

 玲次もそれを読み取ったのか、一瞬言葉に詰まった。

 何か言おうと口を開いたところで、渡されていたリモコンが電子音を立てた。

 どうやら料理が完成すると音を立てて知らせた上に、席まで持ってきてくれるようだ。

 俺の席には、鯖の味噌煮定食。中央の皿に盛られた鯖の大きな切り身が美味しそうな香りを放っている。炊きたてご飯とコールスローが盛られたサラダ、たっぷりの豚汁が添えられた、何とも豪勢な定食だった。

 自分でお金を出して購入した場合がいくらなのかと持ってきた人に聞くと、なんと五百円。ワンコインで買えるらしい。この豪華さでこの手頃さならこの人の入りも頷ける。

 そして玲次の前には、その名の通り揚げ物をとりあえずなんでもかんでも放り込んだような異様な料理(?)があった。ラーメンのどんぶりを五回りくらい大きくした器に、唐揚げにとんかつにエビフライにオニオンリングにタコ唐にアジのフライに串揚げに、色が変わって様々な具材の天ぷらが盛られている。

 ……見ただけで食欲が半分カットされちゃったんですけど。

 濃い色の玲次に対して、理音は真っ白だった。

 エベレストの名前は伊達ではない。これまた普通のパフェグラスを十回りくらい大きくした器に、コーンフレークと生クリームを何段にも重ねて積み上げ、その上にケーキやらでかでかと切ったフルーツやらポッキーやらコーンやらを突き刺し、果ては上から真っ白になるほど粉砂糖が振りかけられている。俺が生きてきた短い生涯ではあるが、これほど無意味に白いパフェを見たことがない。

 もう、このまま定食を残して帰っていいのではないかと思うくらい、お腹いっぱいになった。

 俺が胸焼けを起こしてもだえている間に、二人は先ほどまでの会話がどこに行ったのかと思うほど、喜々としてその料理もといオブジェを腹の中に納めにかかった。

 みるみるうちに削られている二つのオブジェが見る内に、早く食べないと本当に気分が悪くて残しそうだったので、箸で鯖を切って口に運ぶ。

 口の中に味噌の甘いコクと生姜のほどよい酸味が広がる。

「やばい、すげぇうめぇ……」

 思わず感激した。

「何これどうやって作ってんの?」

 主婦染みた発想が湧き、調理場を覗き込もうとするが造り上それはできなかった。

 顔を近づけ、美味を噛みしめながら鯖をじろじろと眺める。見れば料理法が浮かんできてくれるかと思ったがそんなことはなかった。

「そんな見てないで早く食えよ。できたてがうまいんだから」

 口からエビフライの尻尾を覗かせて言う玲次の説得力は抜群だった。

 自然と箸が進み、気が付けば完食していた。皿の上にはキャベツの千切り一本、米粒一つ残っていない。

 最近ろくなものを口にしていなかっただけに、最高の夕食となった。

 同時に、本当に同時に玲次と理音がオブジェを食べ終わった。

「ふぃー、ごちそうさん」

「やっぱりここのパフェは最高っすね」

 二人ともご満悦の様子だ。

「あ、そういえば」

 不意に理音が思い出したように言った。

「なんかうちの姉がセクハラを働いたそうですね。結衣さんから聞きましたっす」

 ああ、あの車の中での話か。

 確かにセクハラを受けたな、逆セクハラ。

「心葉に言いつけてもいいっすか?」

 謝罪の言葉が出ることが頭によぎった俺がバカだったよ。

「お前は俺に何の恨みがあるんだ。出るとこ出るぞこん畜生」

 理音は腹を抱えて楽しそうに笑った。

「その場で、玲次の兄さんと姉ちゃんの関係も聞いたそうっすね」

 横で玲次が顔を苦くしている。

 時間も時間なので、レストランは急激に空き席が増え始め、俺たちの回りにはほとんど人がいなくなった。

 それをいいことに、理音は言う。

「びっくりっすよね。総一さん、あんなに強かったのに」

 窓の外を見ながら理音が零した。

 ただの感慨などではなく、もっと重く深いものがその言葉にはあった。

 そのまま時が流れれば、自分の義理の兄になっていたであろう存在。総一兄ちゃんのことだ。理音にも世話を焼いていたに違いない。

「俺たちだって、人ごとじゃないだろ」

 小さく、玲次が呟き、ちらりと俺に視線が向けられたが気付かないふりをした。

 今の視線は俺に言っているのではない。

 玲次たちに一度も見せていないし言ってもいないが、俺が天羽々斬から得た力はおそらくどんな妖魔が相手でも負けることはない。

 口に出せば慢心するなと天羽々斬に注意されるだろうが、それほど神降ろしの力は絶大だ。

 玲次が言っていることは、心葉のことだ。

 心葉もこれから死の運命にある。それは結衣さんの許嫁がそうだったように絶対的なものだ。

 玲次の視線は、俺がやろうとしていることに対する疑問と期待。これまで幾度となく向けられてきた視線だ。

 でも、二人は知らない。

 二人はまだ俺が心葉を助けようとしていると思っている。

 皮肉なものだ。

 心葉が絶対に助からないと思っていた玲次や理音が心葉が助かるかもしれないという希望を持ち始めたと言うのに、俺は違う。

 絶対に心葉を助けられると思っていたのに、絶対に助からないものなのだと教えられ、知っている。

 だから玲次の視線が非常にもどかしく、心がまた痛んだ。

 それを悟られないように、コップの水を飲み干し、新たに水差しから冷たい水を注ぐ。

 ついでに玲次と理音のコップに水を注ぎながら言う。

「どうにかしようぜ。残りの期間は僅かだけど、俺はそれまでに神罰をどうにかする。それまで、お互い死なないよう頑張るしかないだろ」

 思わず、心葉を助けるではなく、神罰をどうにかすると言ってしまった。

 その二つの言葉にどれほどの開きがあるのかを知っているがために、思わず出てしまった。

 しかし二人は気が付くことなく、笑って頷く。

「そうだな。皆を率いる俺たちがこんなじゃ、示しが付かない」

 ばしっと顔を両手で叩いて気合いを入れた。

「確かにそうっすけど、いくらなんでも凪が強過ぎですからね。僕らお荷物になるっすからね」

「何言ってんだ。最近は弱いのばかりだからいいけど、強いやつが出てきたら協力頼むぞ? 単身の妖魔でも出てきたらいくらなんでも周りの被害にまで気を配っていられないんだから」

 俺と妖魔だけが対峙した場合なら、妖魔に負けることがないというのは概ね正しい。

 しかし、死亡者が出ないかと言われるとまた別の話だ。

 もし、俺と心葉だけでなくもっと多い人がいる際にダイダラボッチが出ていたとしたら、俺が神降ろしを使えたとしても犠牲者が出てしまう可能性は十分にあった。

 倒し方を攻略する間に、おそらく数十単位で生徒が死ぬ。もしかしたら、過半数の生徒が死ぬかもしれない。

 だから、本当に強い敵が現れた場合は、俺が一対一で戦える状態に持ち込む必要があるのだ。

 それで俺の死亡率がどんなに高くなっても、勝つ確率は一番高くなるだろう。

 最も、そんな状況にはなってほしくないので、そんな敵が現れないことを祈るばかりであるが。

「でも、今年の神罰って、本当におかしいよな。お前、なんかしたんじゃないだろうな?」

 玲次が肘で脇を突いてきた。

「日常的にやってるからどれのことかわかんないよ。と言うか、お前らから見てどこがおかしいんだ?」

 神罰がおかしいのは俺も感じている。島に来てこれまでの神罰がどのようなものかわかっていない俺がそうなのだから、ずっと見てきたこいつらはもっと違和感を抱いているはずだ。

 理音はラックを引いて食器を片付けにきたおばさんに、机の上の食器を手早く乗せてい離れてもらった。

「そうっすね。神罰の回数自体は多くありません。平均からすれば少ないっす。ですが、現れる妖魔が明らかに強すぎるんすよ」

 理音が明らかに強いと称するほど、神罰の妖魔は強いのだ。

 玲次は食後のコーラを一気に飲み干しながらため息を吐く。

「俺たちはこれでもな、神罰始まって以来の強世代って呼ばれている。お前が来なくても、相当強いって言われてたんだ。そこにお前が加わって、文句なく最強の世代になっている。妖魔に挑めるような人間は、その世代にいても一人か二人。それなのに俺たちはその倍はいるからな。他の面々も、十分な力を持っている。でも、俺たちが先陣切って戦わないと犠牲が出るレベルに妖魔が強いんだ」

 玲次たちは、俺が好き勝手に戦ってもそれに対して文句は言わない。

 ただ自分たちが戦わなくてもいいからと思っているわけではなく、他の生徒を無闇に前に出させれば死亡者が出る可能性が高いからだ。

「凪が神罰を止めようとしているからとか、そんな理由じゃないようには思うんすよね。何か問題があったと言うか、焦っていると言うか……。それが凪が神罰を止められそうになっているからっていうのなら嬉しいんすけどね」

 だが、俺もその可能性は低いように思う。

 何かが違うんだ。

 もう知りたい情報はかなり集まっている。

 しかし、術者の正体の手掛かりはほとんど掴めていない。それは相手もわかっているはずだ。

 それなのに、焦りを見せるように神罰が起きているのだ。

 俺以外に、何か変化が起きているのだ。

 おそらく、神罰を起こしている神にとって、不都合なことが。

「今年、何か例年と明らかに違うことってなんだ?」

「お前が来たこと」

「凪っすね」

「……それ以外で頼む」

 途端に二人は考え込む。

 他にあんだろ他に。

「いや、でも特にないんっすよね。凪が来たことで物事が大きく動いていることが大きいす。ここまで派手に神罰をかき乱す人間はこれまでいなかったすからね」

 理音は乾いた笑いを浮かべながらやや疲れを顔に落とす。

 暗に苦労していると言われている気がするが、気にするのはよそう。

「神罰の……目的……」

 ぼそっと呟き、指で冷たい机をトントンと叩く。

 この神罰には、おそらく明確な目的がある。

 神罰を起こしている神にとって、不都合なこと。それが今年の神罰に妙な影を落としている気がする。

 初めの方はおかしいことはなかったんだ。だが、徐々に急いでいるような感じがある。

 俺が神罰の真実に近づきつつあるからということも考えられるが、それ以外のことが原因であるようにも思う。

 何か、決定的に違うことがあるはずだ。

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