26
夏休みが終わり、九月一日木曜日。
二学期が始まった。
芹沢先生が壇上で全校生徒を前に挨拶をしている。残暑厳しい太陽がまだ爛々と降り注いでおり、体育館の中は蒸し風呂のように暑い。
窓は全て開け放たれていて、涼しい潮風が流れ込んでいるのが唯一の救いだ。
「それと、夏休みに神罰が起きたことだが――」
よくある始業式の挨拶から、半月前にあった異常事態の話に移る。
視線や意識がまとまって、一番後ろに並んでいる俺に飛んでくる。俺は大あくびをかまして知らんぷりを決め込んだ。
あの日寮に緊急離脱してから、俺は部屋にやってきた芹沢先生たちとともに市役所に連行された。
市役所では夏休みに起きた神罰について議論されており、何が原因か、今後の夏休みや冬休み、休日の神罰はどのようになっていくかが話し合われていた。十日前のことであるが、何しろことは数十年一度も起きなかったことだ。昔から神罰を見てきて、今後のことを恐れた役人たちで溢れかえっていた。
俺は勘違いをしていた。
この島の人たちは、神の罰であるあの現象に、どちらかと言えば批判的な意見を持っている者がほとんどだと思っていた。
しかし、現実は真逆だった。
数十年、どのような方法を採ってきても神罰が止まらないという現象を見てきたこの人たちにとって、神罰は本当の意味でどうすることもできないのだ。
ある程度の対策は行うことができても、根本的な解決は何一つ行うことができず、ただただ自分の子どもたちが死ぬのを見るしかない。
神罰は変えられない、終わらせることなどできない。それが、美榊島の役人たちの考え方なのだ。
彼らの考え方が悪いというわけではない。
俺や父さん、御堂、この島の神罰に疑問を持っている人間たちの考えが、ただ青いのだ。
もしかしたらあの場にいた役人たちも、昔は神罰を止めようと必死に努力をしてきたのかもしれない。だが、神罰に下手に手を出せば殺され、いくら頑張っても糸口すら掴めない。そんな現状を何度も見てくれば、人の心というのは病んでくる。強くあることがことができなくなる。
俺はひどく罵声を浴びせられ、責められた。
お前が神罰なんてものを止めようとするからこんなことが起きた、自業自得、いっそ死ねばよかった。
そんなことまで言われた。芹沢先生や天堵先生たちは庇ってくれた。
しかし、彼らのことは悪いとは思わない。
見方は違うにしても、彼らも根本的にはこの島の子どもたちや他の島民に死んでほしくないと思っているだけなのだ。
彼らは悪ではない。しかし、俺と考え方が違うのも事実だ。
その場に市長はいなかった。
もしかしたらいるかもしれないという微かな打算があったから、こうやって大人しく召喚に従ったわけだが、こんな場になっても市長が出てくることはなかった。
当たり前だが、市長は仕事をしていないわけではない。むしろ、とんでもなく恐ろしい仕事量を持っているそうだ。
以前聞いたが、市長はこの島のほぼ全ての産業に関与し、その仕事を統括している。そのため、人前に出てきて悠長に会議などする暇がないそうだ。上がってきた報告や書類から全ての情報を把握し、的確な指示を出す。
作業を同時進行でいくつも行うことをマルチタスクと言うが、市長の技術はまさにそれだろう。
一体どんな人をしているのかは疑問ではあるが、遠くない先に会わなければいけないのも事実だ。
ともあれ、罵声に混じって様々なことを質問されはしたが、俺は知らぬ存ぜぬを貫き通した。
事実何かを知っているわけではないし、推測されうることいくつかあるが、それをこの場で話しても仕方がない。
俺の存在を把握していない人間など一人もいない。誰もが神罰では役に立つが神罰を阻害しかねない危険因子として見ていた。
質問攻めに俺はたっぷり十時間ほど拘束され、解放されたのは夜になってからだった。
俺を残して今後の神罰の対策なんて話し出すものだから、俺が用なしになっても普通に会議は続いてしまったのだ。まったく勘弁してほしい。
市役所から出ると、そこでは律儀にも心葉、玲次、七海、理音が待ってくれており、拘束されていた俺を労ってくれた。
彼らともようやく落ち着いて話すことができ、今回の神罰はイレギュラーなものであるから心配はしなくていいと話しておいた。
それが、会議での結論であった。
しかし、不意に神罰が起きて巻き込まれる生徒が出る可能性もあったので、高校敷地内は教員生徒も含めて立ち入り禁止になった。この行いが過去会った生徒を校内から完全に除外するという行為に抵触するかどうかというのは一種の賭ではあった。
しかし、始業式が終わったその直後の正午、無事、という言い方は正しいのかどうかは微妙であるが、高校だけに限定した神罰は起きた。
屋上で待機していた横になっていた俺は、神罰開始の不快感に叩き起こされて、ほっと胸を撫で下ろした。
可能性として、これから神罰が起きなくなり、来年度にこの島全体で神罰が起こるという最悪の出来事が起こる可能性は、過去の例から推測され得うることだった。
だが、こうして問題なく神罰が行われるということは、来年度以降も通常運転で神罰が起きるはずだ。
もっとも、来年度までは神罰が終わっているはずなので、正直どうでもいい話ではあるが。
それはともかく、二学期もまた神罰が起きた。
俺には半月ぶり、体感的には五日ぶりぐらいであるが、他の生徒にとっては四十日ぶりくらいだ。緊張していることだろう。
俺は、乗っていた階段室から飛び降りると、手すりの上に着地してグラウンドを見下ろした。
結界が完全に高校全体を覆い尽くすと同時に、眼下のグラウンドに空間の歪みがいくつも現れた。
単一神罰ではなく、複数体の神罰だ。さすがに、連続でそうそう化け物クラスの妖魔は来なかった。それは前とは変わらない。
左手に鞘に入った天羽々斬を生み出した。
「神懸かりは使わずに行くぞ」
『あれは奥の手だ。神力の消費も大きい。それに使ったときの戦闘能力は周囲の生徒も巻き込む可能性が高い。基本的には使わないものだと考えろ』
でも今はもう、一人じゃない。
「わかってるよ、天羽々斬」
眼下のグラウンドで空間の歪みが消え、そこに火の玉が現れた。
どす黒い炎の火の玉。大きさは大体直径四メートルほど。ただの火の塊が、徐々に形を変え、人の顔を思わせる形に姿を変えた。目と口くらいしか識別できるものはないが、明らかに人の頭部を模した造りとなっている。
地面すれすれを一様にゆらゆらと浮いている。
「化け火だな」
『ああ、飛び抜けて強い妖魔ではないが、厄介な相手だ』
厄介と言いながら天羽々斬の声は至って冷静だ。
校内放送が始まった。敵がどのような敵なのかを説明するためのものだ。
しかし俺は、そんな説明が終わるのを待つつもりはない。化け火が動き始めるまでの時間はこちらとしても優位に戦えるし、派手にヘイトを稼いで注意を俺に引き付けることがこれまで続いてきた役割だったからだ。
天羽々斬を鞘から引き抜いた。
真っ白な刀身が露わになり、刀身からは煙ではなく純白の炎が溢れ出して体を纏った。
神懸かりをしていないときでさえ、力には大きく変化があった。
これが初お披露目という形になるが、ちょうどいいだろう。
「行くぞ、天羽々斬。また力を貸してくれよ」
『好きなだけ持っていけ』
俺は手すりを蹴ってグラウンドに飛び降りた。
あの妖魔、化け火は実態を持つ人狼や牛鬼など違い、肉体自体をほとんど持たない妖魔だ。ほとんどというだけで、完全に実態がないわけではない。
その実態こそが、化け火に攻撃ができる場所であり、弱点で核であるのだ。
煙の代わりに炎を蹴って移動しながら、校舎に一番近かった化け火に向かって突っ込んでいく。
ダイダラボッチのときは自由に空を駆け巡っていたが、あれは神懸かりを使用していたからこその力だ。神懸かりを使っていない平常時は、やはり足場に何かを使わない限りは空中を移動することはできない。
刀身は巨大化し、刃渡り三メートルほどの長刀へと姿を変えた。
飛び降りた勢いを利用し、化け火の目と目のちょうど間から口の中心に目掛けて刀を振り降ろす。
刀身の切っ先が鉱物のような固いものに触れた感触があったが、そんなことは関係なく、天羽々斬は真っ二つにその固いものを斬り裂いた。
一瞬悲鳴のような、火が消えるような音を響かせて、化け火の炎が消失する。残ったのは直径二十センチほどの黒く丸い石だ。地面に落ちると同時に二つに割れ、炎同様消え失せた。
地面を蹴って次の化け火に飛びかかり、先ほど同様に化け火の中心目掛けて、今度は横薙ぎに長刀を振り抜く。
黒い鉱物が真っ二つにされると同時に、化け火の炎は消え、鉱物も消失する。
化け火の倒し方は至って単純。
それは、化け火の体のど中心にある、核を破壊すること。炎は実態がないため、如何なる攻撃も受け付けないが、逆に核は軽い攻撃でも受けて壊れるほどもろい造りとなっている。
こう聞けば案外簡単そうに聞こえるが、実はほぼ百パーセント相性が善し悪しを左右する厄介な妖魔なのだ。
まず、俺は炎には触れないように刀身を長くしているため問題ないが、化け火の炎は直径四メートルある。生徒たちの中で一番多い武器である刀の長さを一メートルとした場合に、化け火の炎に触れないようにすればどうしても中心の核に攻撃が届かないのだ。
さらに炎は妖魔というだけあって普通の炎よりも熱量が大きく、地面すれすれを浮いているだけで地面を焦がして煙を上げているほどで、一度体に燃え移ると中々消えないらしい。怖いので試すつもりはないが。
そしてもう一つ厄介なのが移動速度だ。二体倒されたことによって、化け火が俺に向かって突っ込んできた。おそらく、時速百キロはあるのではないかという速度。高速道路を走る車と同程度のスピードだ。
大きさも相まって、さながら高速道路を走るトラックが自分に目掛けて一直線に突っ込んでくるようなもの。それも何体も同時にだ。
人の顔をした化け火は人を見るとニヤリとして襲い掛かってくる。
これだけの悪条件が揃えば、一般的な生徒では満足に戦いに持ち込むことすらできずに炎に焼かれる羽目になる。
だから、相性がいい人間が、一人で戦ったりする方が案外よかったりもする。
化け火は、過去五度ほど起きている神罰だ。過去の資料に記された情報通りの妖魔のようだ。
大体の情報を確認し終え、核のある位置も二度の攻撃で把握し、耐久力もない。
七海の放送が終わり、あと一分も経たない内に生徒はグラウンドに降りてくるだろう。
グラウンドの端にいる俺を目掛けて全ての化け火が群がってくる。
『他の生徒がやってくるまで終わらせろ』
いきなり無茶なことを言ってくる。
「わかりましたよ。やってやりますよ」
伝説の神刀にここまで言わせてるんだ。やってやろうじゃねぇか。
眼前に迫り来る数十にもなる火の塊。
失敗すれば焼け死ぬことになるかもしれないが、そんなことにはならない。
地面を蹴って走り出した。
一刀で二体の化け火の核を破壊する。
核は二十センチと小さなものなので、完全に核を捉えられないこともあるのだが、天羽々斬の炎が関係なく破壊してくれる。
化け火も炎だが、こちらの炎はただの熱量を持つだけの炎ではない。
天羽々斬の炎は、破壊の炎だ。
触れたものを熱とか力とか、そういうことではなく、根本的な部分から破壊消滅させることができる。それほどまで恐ろしく強力なのだ。
天羽々斬の刀身には揺らめく白炎を纏わせている。この刀身が核を掠めるだけでも、それだけで化け火を倒すことができる。
化け火の群れの中に飛び込むと、化け火たちは俺を取り囲むように襲い掛かってくる。
しかし、相手は体の炎をこちらにぶつけて燃やすという簡単な攻撃方法しか持ち合わせていない。
対してこちらは三メートルのリーチを持つ神刀だ。
近づく化け火を片っ端から倒していく。
右から突っ込んでくる化け火の核を一突きにし、そのまま刀の腹を地面に叩き付けて体を浮かせると、足から炎を噴射して体を回転させ、後方から迫っていた三体の化け火を倒す。
さらにちょうどよく並んでいた化け火五体に向かって纏っていた炎を切り離して放つ。
化け火を中心に爆発が起き、まとめて五体の核を跡形もなく消滅させる。
上空から三体の化け火が落ちてくる。
しかし、三メートルの長刀は低い位置より高い位置にいてくれた方が戦いやすい。あまり長過ぎて地面に当たってしまうからだ。
上から落下してきた化け火を、刀を踊らせて斬り刻む。
その最中に嫌なタイミングで一体の化け火が突っ込んできた。
左手を柄から離し、左手に纏わせた炎を化け火の炎に突っ込んで爆発させる。それだけで核は砕け散り、消滅した。
化け火の炎は十分に驚異的な熱量を持っているが、天羽々斬の炎を体に纏っているおかげで、その熱すら寄せ付けない。グラウンド自体も相当な熱気だったのではあるが、気にもならなかった。
相手の移動が早いおかげで、こちらから向かわずに勝手に間合いに入ってきてくれる。
それをひたすら叩き伏せていった。
そして、生徒たちを玲次と七海が率いてグラウンドに降りてきたときに、きっかり最期の化け火を消滅させた。
『見事だ』
天羽々斬から賞賛の言葉が贈られる。
「ほとんどお前の力だけどな。俺一人じゃこうはいかない」
『我単体でもこうはいかない。我とお前が揃って我らの力だ。それを忘れるな』
「ああ、わかってるよ」
天羽々斬を消して、黒く染まっている空に大きく息を吐き出す。
吐息が空に溶けて消えると同時に、覆っていた結界が解け始めた。
上空に広がる空は、絵の具を落としたような青をしており、その空はどこまでもどこまでも高かった。
秋空が、これほど恨めしく感じられたことはない。
俺は結界が完全に消え去るのを見届けると、校舎に向かって歩き始めた。
呆けていた玲次たちの横を通り過ぎていく。
今年の神罰が終わるまでの時間は、残り僅かだ。