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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
24/43

23

 祭りの熱気は盛り上がる一方だった。

 島全体が息づいたように脈打ち、鼓動をしているようだ。

 祭りが最大の盛り上がりを見せる五日目、八月十五日。

 俺は昼前までたっぷりと睡眠を取り、久しぶりに清々しい朝を迎えた。最近は何かと忙しく、ゆっくり寝る暇がなかったのだ。

 祭りは初日に行ったきり行っていない。

 心葉と出店を回りながら、玲次が役割を終えて七海とこっちに来るのを待った。玲次たちは深夜を回った頃にようやく神輿を終えて返ってきた。

 そんな時間なら普通の祭りなら出店は全て店仕舞いをしているが、こと美榊島に限ってそれはなかった。

 深夜を過ぎても店を閉めている場所など一つとして見当たらず、神輿の行列から祭りの主役が返ってきたことで一層の賑わいを見せた。

 寝ても覚めてもお祭り騒ぎ。神罰がないことで命の危険にさらされることのない生活を満喫することができた生徒たちも多く見受けられた。

 俺はそんな祭りで賑わっている中でも、神罰を調べることを再開した。

 元々祭りに行ったことにも神罰に関係する目的があったのだが、その目的は果たされないことがわかった。だから祭りはとりあえず初日を満喫したので十分満足だ。

 机に本を広げ、ホウキにキャベツを振りながらゆるりとした昼時を過ごす。現在この寮には俺以外は残っていないだろう。

 こうして毎日本を読み漁り、気になることがあれば高校の図書室や街に出て行くこともあった。

 しかし、行き詰まりを感じずにはいられない。

 これまで俺は神罰の不審な点に目を付け、重箱の隅を突くような気持ちで探りを入れてきた。外れが多いことは言うまでもないが、当たりや収穫も十分あった。

 ただ、神罰の術者の姿が見えない。はっきりとしない。

 俺は、この島の人間全てを神罰の容疑者、術者であることを前提として考えている。

 当然、限りなく違うという人間もいる。心葉や玲次、七海たちはまずあり得ないと見るのは当然だし、他にも考えにくい人はいる。御堂が死んだ際に俺が教室で視認できた人たちも違うだろう。

 そんな考えに捕らわれていたら、いつまで経っても術者に辿り着けないこともわかっている。

 最悪、人かどうかもわからない。神が人に成り代わってる可能性が一番高いことは否定できないが、それでも動物や植物、果ては石ころや土地自体が神であるということも否定できない。

 神に人間の常識など持ち込むべきではない。

 俺の頭程度ではわからないのかもしれない。

 でも、やるしかない。

 それしか、今を変える手段はないのだ。

 ガリッと手で嫌な音がした。

 ホウキが俺の指を咥え込んでいた。

「いってぇ!」

 思いっきり振り払うとホウキは飛んで逃げていった。

 悪びれもせずに毛繕いを始めるホウキを恨めしげに一睨みし、長大息を溢して部屋を机の上を片付けていく。

 本に埋もれていた携帯電話を発掘した。ランプがちかちかと光っており、開くとメールが来ていた。スマートフォンを持っていない俺には未だにメールで連絡が入る。ラインフェイスブックツイッター何それおいしいのなのだ。

 全部で五通来ていた。二通はどうでもいいが解約するのも面倒なメルマガで、残り三通は俺宛のメールだ。

 一通は玲次からで、祭りの最終日くらい来いというメール。気が向いたらと返信しておく。

 次のメールは父さんからだった。長らく連絡が取れなかったが、また取れにくくなるとのことだ。どうやら今度は少しの間海外に行くらしい。急ぎのようならパソコンにメールをくれとのことだが、どうせ送っても返事が来るのはずっと先なので同じことだ。父さんは基本的に機械系に無頓着で、使えないわけではないのだが進んで扱うことが少ない。

 最後のメールは心葉からで、三十分ほど前だった。本に夢中でまったく気が付かなかった。

《おっきい虹が出てるよ。鑑賞推奨!》

 心葉はたまに突拍子もないメールを送ってくる。ツイッターなどのつもりなのか、その時々で不意に感じたことをメールで送るようなのだ。ついこないだは、おにぎりおいしいという文面のメールが来たことがあった。本人も特に深い意味は持っていないようなので、こちらが気にしなくても気を悪くしたりはしないので助かる。

 しかし今回は一応意味のわかるメールだったので、ベランダに出て外を眺めてみた。

 確かに少し雨が降ったようで、少し湿っぽい空気が鼻孔に流れた。と言っても本当に僅かであったようで、ベランダなどは湿ってはない。

 ただ、三十分して虹はもう消えてしまったようで、空には所々に覗いた青空とゆっくりと流れる雲だけが映っていた。

「残念だけど、もう見えなかった」

 最後に悪いなと打ってメールを返信する。

 パタンと音を立てて携帯電話を閉じ、寝室に向かう。着ていたジャージを脱ぎ、服を着替える。無地のノースリーブの上に水色のシャツを羽織り、ジーンズを穿く。

 ちょっと高校の図書館まで行って、別の本を借りてこよう。司書の円谷先生はいないが、俺は図書室の鍵と本の貸し出しは自由に行っていいと許可を得ているので、好きなように図書室を利用させてもらっている。

 最近は、神罰のことより術者に焦点を絞っている。

 過去の資料から、神罰開始当時から生きている人間を中心に、そこから神罰の発端となった事件に関わる人間を調べている。当時から生きているとするなら、最低でも五十は歳を取っていることになる。

 神がこの島の誰にかに成り代わったとして、赤ん坊や幼少の子どもに成り代わるとは考えにくい。当時は別に閉鎖的な島ではなかったようなので、見ず知らずの子どもがいたところで不思議ではないのだが、それも考えにくい。過去情報を洗ったが、当時この島でそんな子どもは見つかっていないし保護もされていない。神罰が始まって過敏になっていた島で、そんな不可思議な存在がスルーされるとは思えない。

 つまり、大人として人間に成り代わり、徐々に島に浸透していけば成り代わりは不可能ではない。

 事実犯罪や問題を起こした人間も、地方などで普通に暮らすことなんて珍しいことではない。ある程度の繋がりさえ作ってしまえば、生きていけるのが現在の人間社会なのだ。

 現に父さんもほとんど身一つで本土まで行って不自由のない生活を送っている。

 とするなら、仮に当時十歳の子どもであったとすると、そこから五十数年経ち現在は六十幾ばくか。

 この高齢社会の世の中で、本来定年である六十を超えても存命な方々はこの島でも多くいる。しかも人材が限られる島であり、尚且つ閉鎖社会であるため、現役で働く人は多い。

 実は三人に一人は六十を超えている。平均年齢は五十数歳だったはずだ。

 なので、成り代わった神がそのままこの島に潜んでいることは可能性として十分あり得る。

 しかし、人間に成り代わるよりもっと簡単なもの、物に変わるということも考えられる。五十年の間、同じ形を保っているものとは、存外少ないものだ。いくつか見当はつけある。

 卒業前になったら、それら全てを壊して回る予定だ。犯罪者となることは確定な上、とんでもない負債を抱えることは間違いないのでそれは最終手段だ。父さんにもこの島の人にも迷惑がかかる。

 借りていた本を一纏めにしショルダーバッグに入れ、戸締まりをして部屋を出る。

 祭りが始まってからの四日間は一人も美榊高校で修行に励んでいる生徒はいなく、先生たちも出突っ張りで、美榊高校は入れるが誰にも会わない状態となっていた。

 彩月さんのいない受付前を通り外に出ると、微かにアスファルトが湿っていた。雨の降りた後の嫌な臭いが仄かに漂っている。

「おっ……虹、こっちに出てたか……」

 ベランダからは見えない高い位置に、本当に大きな虹が出ていた。しかしもう消えかかっているようで、その姿は透明で儚げだ。

 しばらくその虹を見てぼうっとする。

 その虹をなぞるように、高い場所からホウキがふらふらと滑空して飛んできた。

 そして、高校の敷居に横付けされるように止まっていた車に激突していた。

 ……何やってんだあいつ。

 車のボンネットはがっつり凹んでいたが、見なかったことにしよう。俺は悪くない。悪くないんや。

 ホウキも逃げるように虹の向こう側に飛んでいった。

 それにしても虹なんて見たの、数年ぶりだ。毎日地面ばかり見て生きてきたようで嫌になるな。

「……まあ、いいか」

 ホウキのバカの行動もそれ以外も深くは気にせず、キラキラと光る道を歩いて行く。

 門は開いている。基本的に美榊高校は夜間でも修行ができるようにと常時門が開くことになっている。唯一閉じる時間帯が、神罰が始まる正午から長くても終わる一時までの間のみ。その間は完全に自動で閉まるようになっており、神罰が起きなかった日は手動で開けるのだ。

 門をくぐり、校舎までの長い道を歩いて行く。

 夏休みが終わるまで、あと半月。それが終わってしまえば、二学期と三学期を残すのみとなる。

 また、あんな地獄が続くんだ。

 もしかしたら、夏休みの間に神罰を終わらせられる手掛かりが掴め、夏休みが明けたら、神罰なんてない平和な高校生活が送れるという希望も、少しだけ俺の中にあったのだ。

 現実はそんなに甘くはなかった。決定的なものは何一つ見つけられていない。

 焦る気持ちが心の中に少しずつ募っていく。

 校舎に入ると、やはり誰もいなかった。監視カメラなどはあるので気休め程度の防犯はある。まあ、この島では外部からの人間が滅多に入ってこない上、多少入ってはいる現在でも誰が入っているかは入念に管理されているので空き巣なんかも入らないのだ。

 田舎などで家に鍵をかけていないのと同じ理由だ。かけていなくてもそもそも盗人がいない上、周囲との繋がりで生活している島民にとってそもそも鍵をかける必要がないのだ。

 図書室に入り、まずは貸し出し管理を行うパソコンを立ち上げる。図書室の鍵は開いていたがやはり誰もいなかった。

 閑散として図書館内をうろつきながら、自分が借りていた本を元あった場所に戻していく。ついで、他に返却籠に戻されていたが、まだ円谷先生が処理できていなかった本も返却処理をして棚に戻した。

 今は誰もない。集中できる環境ではあるし、少しだけここで本を読んでいこう。

 軽くほこりが被っていた机の上を払い、その上に一冊の本を広げる。

 本は紐で綴られるほど古いもので、外に持ち出そうにも崩れてボロボロになりそうなものだ。元々本来は貸し出し不可なものなのだ。円谷先生からどんな本も貸し出していいと許可を得ているのだが、あまりに古いので持ち出すのが憚られた。

 この本は、神罰が始まった当初にこの島に生きていた人の名簿だ。島という限られた場所であったため、名簿に残すことは容易かったのだろう。

 全員に目を通すつもりはないのだが、こういう名前をうろ覚えでも覚えておくと、どこかで何かに繋がるかもしれないのだ。

 名簿には名前だけでなく簡単な役職なども書いている。

 美榊島は旧家や名家を大事にしている島なので、名前が何代も前から続く家も珍しくない。だから俺が知っている人と間違いなく繋がっている人たちの名前も載っていた。

 俺の名前である八城や、椎名や片桐、西園寺などの名前が普通に載っている。間違いなく俺たちの親類であるだろう。

 姫川の名前もあった。しかし、俺は父方も母方も祖父母の顔どころか名前すら知らない。俺が子どもになるまでに既に他界していた。俺との繋がりがあるのは、もう父さんだけだ。

 故郷に行くというのはおじいちゃんやおばあちゃんのところに行くこと、というのが一つではないかと思う。しかし、俺の中にはそういった考えはない。

 だから、故郷という考えが薄く、繋がりといったものはない。

 この島を去るときには、もっと何かを残せるだろうか。また帰ってきたいと思えるのだろうか。

 不意に、そんな考えがよぎった。

 でもそれは、神罰を終わらせることでしかあり得ない未来だ。

 再び、名簿へと戻す。

 何人かは俺が知る人も本名で乗っていた。

 円谷惟茂先生、芹沢如月校長先生、それから志藤天樹先生。

 志藤先生は以前、芹沢先生から聞いた数年前までこの高校に勤めていた先生だ。神罰開始当初からいた先生で、亡くなった当初で既に八十歳を超えていたらしい。

 この先生の命を奪ったのも、やはり神罰だ。それが、玲次の兄、片桐総一兄ちゃんの命をも奪った神罰と同じものらしい。

 空白の世代を作った、最悪の神罰が原因だ。

 本当に長い間頑張っていた先生らしく、神罰に関する知識も誰よりも持っていたとのこと。

 その先生が生きていて話を聞けたら、こんなに今苦労することもないのかもしれないが、無い物ねだりをしても仕方がない。

 ひたすら、ひたすら、一覧の名前を詰め込んでいく。

 名前と聞いて、ふと思い出したことがあった。

 夏休み前、猫又の神罰で、マリが言っていた。

 我々にとって、名前とは重要なものなのだと。概念的な部分が多く、実態を保つために必要だとも言っていた。

 そして、天羽々斬が天羽々斬たる所以が、いつかわかるときが来ると。

 あの日から、天羽々斬を理解しようとしているが、マリが言った意味まで辿り着くことはできていない。力を扱いは日に日に上達しているのだが、父さんやマリが言うように理解をできているとは思えないのだ。

 俺にはまだ何かが足りない。

 それがどういうものかなんて見当も付かないが、俺に欠けていて必要なものなのだ、きっと。

 二時間ほどかけて名簿をあらかた頭に叩き込み、ひとまずは帰ることにした。

 新たに数冊の本を貸し出し処理をして、パソコンをシャットダウンする。

 このまま真っすぐ寮に帰ってもよかったのだが、どうにも気が乗らなかった。

 行き詰まりを感じているときは、気分転換が必要だ。

 散歩がてら、グラウンドへと降りた。

 先ほど雨が降ったことも、グラウンドは既に半分ほど青空を覗かせた空か漏れる太陽でひどく蒸し暑くなっていた。

 グラウンドは広い。神罰が起きているときは広さなど気にもならないが、何もなければ俺たちだけで使うには広過ぎるグラウンドだ。

 中程まで歩いていると、一つの紙切れが落ちていた。どこかに引っ掛かっていたものが風で飛ばされてきたのか書いてあるものすらほとんど読めない状態となっていた。先ほどの雨を受けて少し湿っており、一層読みにくくはなっていたが何なのかはすぐにわかった。

 呪符の初歩の初歩。込めた神力を使用することで呪符に描かれた術を投影するというものだ。

 実際心葉は術に呪符を用いることが多く、呪符を加えることで術の性能を飛躍的に向上させることもできる。式神などを扱う際も、紙に様々な文様を描いて使用するのだ。

 グラウンドを撫でるように突風が吹き荒れた。

 指に挟んでいた紙切れが剥ぎ取れられ、空高く飛んでいった。

 紙切れはすぐに見えなくなった。

 雲の切れ間から降り注ぐ光が、真っすぐ美榊島に落ちている。

 エンジェルラダー。神秘的な光景に思わず見とれてしまう。

 

 突然、視界が歪んだ。


 危うく倒れそうになったが、たたらを踏んで踏み止まる。

 急な目眩に、額を押さえる。

 風邪でも引いたのかと考えが頭の片隅をよぎったのだが、この感覚に覚えがあった。

 続いて、体中を虫が這い回るような嫌悪感が走り抜ける。皮膚が粟立ち、気温はこんなに高いのに寒気を覚える。

「……冗談だろ」

 乾いた笑いとともに絶望が競り上がってくる。

 視界を黒く染めるそれは、本来あり得ないものだ。

 美榊島に帰ってきてから何度も見てきた光景。しかし今月は一度たりとも見ることがなかったもの。

 漆黒の結界がいとも簡単に美榊高校を覆い尽くした。

「一体どこの誰だよ……」

 誰にともなく吐き捨てる。

 俺が立つグラウンド中央から体育館側、校舎とは反対側に、巨大な時空の歪みが生まれた。

 半分ほど歪みは地面に埋まっており、地面を巻き込んで歪みと化している光景は今までにないものだった。

 しかし、間違いない。見間違うことなどない。

「夏休みには、神罰がないって言ったのは……っ」

 空間の歪みが消えた。

 何もないグラウンドだけが残る。

 だが、何かいる。

 轟音とともにグラウンドが爆発した。

 同時に巨大な腕が飛びだし、真っすぐ俺へと振り下ろされた。

 大きく後方に跳び退くと、先ほどまで俺が立っていた巨大な手のひらによって押し潰された。

 土煙が周囲を覆い尽くす。

 その向こう側で、巨大な塊がグラウンドから這い出てきた。

 蹲っていたそれは、ゆっくりとその巨躯を起こす。

 大地の巨人だ。

 体の所々から木や根っこが飛び出しており、体全体が土でできている。体の造りは人間と類似しているものがあるが、腕が異様に長く太い。直立しているにも関わらず指先が地面に触れるほどだ。

 最たる特徴はその身長だ。本来高く設計されている美榊高校の三階建て校舎よりさらに高い。おそらくは五十メートルほどもある。

 巨人は土をボロボロと落としながら口を開け、咆哮する。

 重低音の叫びが結界を揺らし、衝撃波となってグラウンドを突き抜ける。

 即座に天羽々斬を召還し、白煙をぶつけて衝撃波を緩和する。

 衝撃波が校舎の窓をびりびりと揺らした。

「どれだけ運がないんだよ、俺は……」

 夏休みに神罰が起きているというだけでも本来ならあり得ない珍事のはずだ。

 そのせいで、おそらく現在校内にいる生徒は俺一人。満足に戦える状態ではないのだ。

 だが、それを嘲笑うように現実は残酷だった。

 神罰において最悪の神罰。今年、二回目の単一神罰。

 そんな馬鹿げた状態を、俺は引き当ててしまった。

 土と巨人。そんなわかりやすい巨人はたった一つしかいない。

「ダイダラボッチ。とんでもないやつを当てちまった」

 でいだらぼっち、レイラボッチ、大太郎坊、別称は様々である。

 物語に登場するダイダラボッチは、日本各地の山や湖、川などはダイダラボッチが関わってできたと伝承されており、別段攻撃性を示すような話はない。

 しかし、神罰で出てくる妖魔のダイダラボッチは、違う。

 突然、ダイダラボッチが走り出した。

 一歩一歩が地面を激しく揺らし、地面に巨大な足跡が残っていく。

 そして、俺の前まで来たところで足を大きく引いた。

 仙術で足を強化し、全速力でダイダラボッチの右に回り込む。

 俺が立っていたグラウンドが、一メートルほどの地面とまとめて抉り取られた。

 地面ごと蹴り飛ばした大木のように太い足、それが今度は横薙ぎに振るわれた。

 まだ着地をしてなかった俺は避けることができず、咄嗟に体に全身を仙術で強化し、全身を白煙で固める。

 ダイダラボッチの蹴りが完全に俺を捉えた。

 体がピンボールのように弾き飛ばされる。

 グラウンドを勢いよく転がっていきながら体勢を立て直す。

 防御しなければ全身の骨が粉々に砕かれていた。

「いっつぅ……ここまで攻撃的なもんなのかよこいつ……」

 ダイダラボッチの妖魔は、現在確認されている妖魔でもトップクラスの好戦性を持った妖魔だ。

 過去一度だけ現れたことがある妖魔なのだが、そのとき、半数の生徒がこの妖魔に狩り殺された。残り半数が生き残ったのは、殺された最後の生徒が紋章所持者だったからだ。

 殺された生徒数は七十八名。その生徒たちが殺されるまでにかかった時間は、たった二分。

 たった二分だ。

 一秒から二秒の間に、一人が殺される計算。

 それほど短時間に七十八名の生徒を殺すほど、積極的に生徒を殺して回ったのだ。

 残虐なまでに容赦なき殺し方。

 紋章所持者が巨人の大顎に噛み砕かれて死亡し、その年の神罰の終了とともに巨人が消える際、巨人の体は生徒たちの血液で真っ赤に染まっていたと記されている。

 その悪魔と、俺はたった一人で向き合っている。

「やばい――」

 死ぬかもしれない。

 最悪な考えが頭をよぎる。

 ダイダラボッチがグラウンドを蹴る。

 その巨体からは考えられないほど俊敏に走り、四十メートル近くある腕を鞭のように振り下ろした。

 横に跳んで回避する。

 しかし、グラウンドは爆弾が炸裂したように爆ぜ、砂とともに石や岩が飛散し、その内の一つが額を掠めた。

「いづッ!」

 鋭い痛みとともにグラウンドに僅かに血液が飛び散った。

 だがそんなことを気にしている場合ではない。

 砂煙の向こうから、もう一方の腕が俺のちっぽけな体を掴み取ろうと伸びてくる。

 指の間をすり抜け腕に飛び乗ると、一気に土塊の腕を駆け上がった。

 ハエを払うように振るわれる手を躱し、さらにその手を足場に跳び上がり、ダイダラボッチの首元まで辿り突く。

 白煙で垂直の壁を作り出し、天羽々斬に纏わせた刃を巨大化させる。

 刃渡りが五メートルほどになった刃を手に、白煙の壁を蹴った。

 横一文字に、ダイダラボッチの首を薙ぎ払う。

 腕に確かな手ごたえが伝わってくる。

 十分なリーチを用いたつもりだったが、ダイダラボッチの首を切断するには至らなかった。

 だが、確実に三分の二ほどを切り離している。

 ぞくりと、背中に嫌なものが走った。

 死角から伸びてきた腕が空中にいた俺は掴み取った。

 握り潰されそうになるすんでの所で、周囲に白煙を張り巡らせてなんとか防御した。

 ダイダラボッチの首は切断されていたにも関わらず、切断面からぼこぼこと生み出される土によって縫合され、驚いている間に傷は完全に埋まってしまった。

 ダイダラボッチの黒い土でできたような空虚な目が向けられる。

 両手で包み込むように俺を握り、その圧力にこれまであらゆるものを防いできた白煙の防御が崩れ始めた。

 白煙がガラスように割れて行き、神力の残滓となって消えていく。

「くそッ……がぁッ!」

 天羽々斬の刃を周囲に纏わせていた白煙を吸収しさらに巨大化させ、防御がなくなり潰される一瞬の間に迫り来る手を斬り刻む。

 周囲にボロボロと土塊が飛散する中で、振り上げた刃に神力を注ぎ込んで至近距離からダイダラボッチの胴に叩き付けた。

 衝撃で俺の体は吹き飛ばされ、ダイダラボッチから離れたところに着地する。

 石の破片で切った額から流れ出した手を服の袖で拭う。お気に入りのシャツだったが、土や血で汚れ見る影もない。

 ダイダラボッチの手首から先は原型を止めておらず、鳩尾から下腹部にかけて大部分が抉れている。

 それでも、ダイダラボッチは立っている。

 失った両手と腹部は、グラウンドから土を吸い上げて瞬く間に復元した。

「再生能力……」

 あまりに絶望的な状況に、引きつった笑みがこぼれる。

 そんな能力は、過去の神罰の資料には載っていなかった。過去の生徒はダイダラボッチと戦闘を行ったが、まともな戦いに持ち込むことができずに敗れてしまったからだ。

 既に戦闘が始まってから二分は経過している。過去の生徒よりは戦いになっているが、そんなものは何の慰めにもならない。

 本来ならあり得ない、休みの、それも夏休み中の神罰。なぜ起きているのか、それは非常に気になることではあるが、今はそんなことは言っている場合ではない。ここで死ねば、全てが水泡に帰す。

 この妖魔は規格外だ。

 単純な戦闘力で言えば、俺たちが戦ってきた如何なる妖魔も霞んで見えるほど。ダイダラボッチからすれば、俺は人間で言う小動物程度の大きさだろう。大きければ動きが鈍くなるなどという安直な考えは通じず、むしろ常識を外れた動きを見せている。

 それに加え、倒す方法がはっきりしない。

 妖魔は基本的に生物的な特徴を持つ。つまり、普通の生物が弱点となる部分は妖魔も大抵弱点になるのだ。

 頭部、胸部、心臓、首、目、そういった部分はほぼ間違いなく弱点になり得る。

 しかし、ダイダラボッチにはそれがないようだ。鎧武者、付喪神の神罰がそうであったように、完全に生物としてではない概念として形成される妖魔だ。

 首を切断しても腹部を吹き飛ばしても、ダイダラボッチを倒すには至らなかった。

 いくつか倒す方法は考えられるが推測の域を出ない。

 倒せないなら、神罰が終わるまで逃げればいい。そんなことも考えたが、それも現時的に考えて不可能だ。

 神罰が妖魔を倒すことなく終わるのは時間に差異があるが、短くても三十分、長ければ一時間ほども続く。

 ダイダラボッチはその巨体からは考えられないほどの瞬発力を持っており、いくら俺が仙術で瞬間的な速度で上回ることができたとしても、逃げ切ることなどできない。仙術は神力の消費が激しい。あくまで短時間的な使用しかできないのだ。

 挙げ句、再生能力などとチートにもほどがある。

 限られた体であれば、ひたすらその質量を削っていけば、倒せないということはない。

 しかし、ダイダラボッチはグラウンドの土で体を再生している。質量を減らすことができないのだ。

 とんだ化け物だ。

 ダイダラボッチは修復された手と腹部を確認するように動かしている。

 でも、助かったと思う。

 この神罰が、俺一人のときに起きてよかった。

 こんな化け物が他の生徒がいたときに現れたと思うとぞっとする。

 過去の神罰でそうであったように、多くの生徒が命を落としたことだろう。

 それほどまでに圧倒的な強さを誇る妖魔だ。

 もしかしたら、心葉も、死んでいたかもしれない。

 ダイダラボッチが再び俺を見る。

「かかってこいよノッポ」

 叩きのめしてやる。

 天羽々斬の刀身から、稲妻のように神力が迸る。

 初めてのことだ。

 左手に鞘を生み出しながらふと思う。

 これまで幾度となく戦ってきた。

 他の生徒と、この島の人と、妖魔と、様々な場所で力を使ってきた。

 だが、常に相手や周りを気にして戦う必要があった場面ばかりだ。

 相手を殺すわけにも怪我をさせるわけにもいかない対人戦。神罰で妖魔と戦うときでさえ、周囲に被害が及ばないように終始気を配っていた。

 天羽々斬の力は大き過ぎる。力の応用性が多岐に渡るため、神力とそれを扱う構築力さえあればどこまでも攻撃力が増していく。

 神罰が始まってから、誰もグラウンドに来ない。夏休みに起きた超イレギュラーの神罰だ。本来であればその異常事態に誰もがやってくるはずだ。それなのに、誰もグラウンドに降りてこない。

 つまり、現在この高校内には俺しかいない。

 巻き込む生徒もいない。壊して困る建物もない。全て復元する。

 全力で戦える。

 修行をする際であっても、最大まで力を出したことはない。一瞬一瞬に力を爆発させることはあっても、全力を維持したまま扱ってはいなかった。

 全ての力を出し切る。でなければおそらく勝てない相手だ。

 負けることは死。

「ふっ……」

 短く息を吐き出し、天羽々斬を鞘に納める。

 ダイダラボッチが再び走り出した。

 数十メートルあった距離が一瞬で詰められる。

 抜刀して刃に神力を乗せて放つ。

 地面を縫うようにして放たれた神力の刃が巨人の両足首を切断する。

 巨人はバランスを崩すが、長い手を突いて倒れることを防いだ。

 素早く天羽々斬を鞘に納め、神力を圧縮し爆発させる。

 左右の柱のような両腕を、円形に放った一閃で切断する。

 両腕は足よりも太かったため、切断するには至らなかったが、巨人の体重を傷ついた腕支え切れるはずもなく、腕は中程から砕けて折れた。

 ダイダラボッチの体は支えるものを失い、そのままこちらに向かって倒れてくる。

 天羽々斬の切っ先を巨人の胸に向け、神力を切っ先に集中して集める。刀身が変化し、巨大な槍へと変化する。

 そして、そのまま跳び上がり、ダイダラボッチの胸に突き立てる。

 まるで岩石を突いたような衝撃が腕に走るが、構わず槍を押し込み、爆発させる。

 土塊でできた胸板は粉々に砕け、ぽっかりと穴が空く。

 俺はダイダラボッチの穴を通り抜け、上空に舞う。

 刀は再び鞘に納めベルトに固定し、両手で印を結ぶ。

 頭で暗記し口に覚えさせた呪文を素早く読み上げていく。

 ダイダラボッチが地面に倒れると同時に術が完成し、放つ。

「【天雷法】!」

 印から打ち出されるのは竜の形をした巨大な稲妻だ。

 轟音を響かせながら稲妻の竜はダイダラボッチの頭部を穿つ。

 天雷法はダイダラボッチの頭を粉々に粉砕し、周囲のグラウンドを溢れた稲妻が削り取った。

 グラウンドは稲妻によって削り溶かされ、蒸発した地面が煙を上げている。

 さらに、再度抜き放った天羽々斬の神力を惜しみなく注ぎ込み、頭上に掲げた。

 天羽々斬の刀身が刀の形を崩し、迸る神力となって純粋なエネルギーの刃と化す。

 それを体の大部分を失っている巨人に振り下ろす。

 閃光のように閃く純白の刃が、グラウンドごと巨人を縦に真っ二つに砕き裂いた。

 グラウンドはもう既にグラウンドとしての形を留めておらず、度重なる攻撃と最期の一撃によって荒れ地と化している。勢いあまった刃は百メートル以上は離れた場所に合った校舎までをも一部破壊していた。

 ダイダラボッチの体は見る影もない。両手足、胸部、頭部を同時に破壊し、最期の一撃でほぼ体の全てを破壊した。

 通常の妖魔であれば、ここまでダメージを与えるだけで十分過ぎるほどだ。四肢を斬ったことで行動力を大幅に制限させ、急所となり得る、胸部と頭部を同時に潰したのだ。

 だが――

 倒れたままの体勢から放たれた巨大な裏拳が、空中にいた俺を殴り飛ばした。

 拳が直撃するまでに天羽々斬を抜き放ち、タッチの差で白煙の盾を生み出して防御することができたが、空中で受け止めきることができず、衝撃は諸に走り抜けた。

 あまりの衝撃に上か下かもわからなくなり、そのままグラウンドに落下する。

 サッカーボールのようにグラウンドを数十メートル転がり、勢いがなくなったところでどうにか体勢を立て直して踏み止まった。

 刀を地面に突き刺してふらふらと立ち上がる。

 口に鉄臭い味が広がり、それが自らの血の味だと気づくまでに少し時間がかかった。

 次に目にしたのは、自らに向かって振り抜かれる巨大な足だった。

 跳び退いて躱すが、さらに虫を踏み潰すように何度も足を振り下ろしてきた。自身のように地面を揺らす衝撃が何度も響き、揺れるグラウンドに足を取られてバランスを崩す。

 そこに、巨大な岩を連想させる一つに集約された巨大な鉄槌が振り下ろされる。

「【風天印】!」

 風の法術を放ち、その推進力で体を飛ばした。

 だがろくに呪文も読み上げずに放った風天印の効力は僅かで、数メートル体を逸らした程度だった。

 体の側のところを拳が通過し、地面に叩き付けられた。

 隕石が落下したような衝撃がグラウンドを割る。

 自らを省みない威力で放たれた鉄槌は自身の拳をも砕き、あまりに多すぎる地面の塊が腹部を打った。

「がっ――」

 肺からの空気が無理矢理外に吐き出され、同時に赤い飛沫が舞う。

 さらに追い打ちをかけてこようとする敵に、ろくに狙いも定めずに放った神力の刃がたまたま足元のグラウンドを打ち、バランスを崩して追ってはこなかった。

 俺は普段なら大げさとしか取られない距離を開け、校舎とは反対側の体育館側へと逃れた。

 視線を、敵に戻す。

 大地の巨人、ダイダラボッチ。

 先ほど俺がしたことが何だったのかと疑いたくなる光景だ。

 両手足、胸部、頭部、その他の部位。

 原形を留めないまでに破壊したそれらの部位が、空間の歪みから現れたときと同じ状態でそこにあった。

 通常考えられる部位という部位を破壊し、本来なら動くどころか生きている可能性など欠片もないまでの状態に破壊したのだ。

 それなのに、ダイダラボッチは生きている。それどころか、一方的に消耗していく俺とは対照的にまるでそんな様子は見せず、徐々に俺の動きに付いてくるまでに対応している。圧倒的に不利な状態になりつつある。

 この手の妖魔に考えられる攻略法で真っ先に考えられたのが、鎧武者の付喪神と同様に特定の部位を破壊することだ。

 鎧武者の場合は、体があると推測された内部に幾度となく攻撃を加えても倒すことには至らなかったが、纏っている鎧を破壊することによって倒すことができたのだ。付喪神は廃品に取り憑く神なので、中身は関係なく外の鎧だけが本体だったわけだ。

 ダイダラボッチも同様だと考えた俺は、周囲に人がいる条件下では絶対に使用しないまでの力を行使し、ダイダラボッチの土でできた体を完膚なきまでに破壊したのだ。

 その体の核がどこにあるかなんて考える問題ではない。玲次や七海が鎧武者の神罰の際に行っていたように、相手がどのような敵であっても倒せる戦い方。

 俺はそれを行おうとしたのだ。体の部位という部位を持てる力の全てを用いて破壊した。核がどこにあろうと、どの部位であろうと関係ない。体全てを壊せば、それがどの部位であっても倒せるはずであったのだ。

 だがその方法でも、ダイダラボッチを倒すことはできなかった。

 ダイダラボッチは、品定めをするように、こちらを生気のこもっていない黒い目で見つめてくる。

 全身に広がる痛みと出血を仙術で抑え、損傷も修復とするが俺にはどう足掻いてもダイダラボッチのような回復能力は持ち合わせていない。

 こちらはかなりのダメージを負った状態で、相手の巨人は現れたときとは変わらない状態を保っている。あまつさえ、攻略法さえわからないのだ。

 明らかに、俺の分が悪い。

 このまま戦闘を続けても俺の勝ち目は限りなく低く、今のような攻撃を何度も凌ぎ切れるとは思えない。

「……仕方ないな」

 戦略的撤退だ。

 このまま戦っていてもジリ貧になるだけだ。

 それなら、可能性はかなり低いがこのまま校舎や木などの障害物を使いながらひたすら逃げた方がまだ勝算がある。

 幸い現在校内には俺一人しかおらず、俺が逃げることによって生まれるリスクはない。

 限りなく可能性は零に近いが、逃げ続けることで神罰終了まで時間を稼げるかもしれない。神罰が始まってから約十分。最低でも二十分近くは逃げ続けないといけないだろうが、このまま戦っていた二十分もしない内に俺が殺される。

 また、逃げる中で攻略法が見つかるかもしれない。手持ちの手札を試した以上、無理に戦ったところで無駄な消耗をするだけだ。

 このまま一旦、背後にある体育館を使ってダイダラボッチを煙に巻く。

 俺は踵を返して体育館へ向かおうと足を引く。

 だが、それより先にダイダラボッチが動いた。

 俺に背を向け、ゆっくりと歩き始めた。

 予想外な行動に俺は眉をひそめた。

 先ほどまでダイダラボッチは確実に俺を獲物として狙いを定め、好戦的な獣となって襲いかかってきていた。それこそ俺を殺すためにだ。

 しかし、俺は万全とは言えないがまだまだ動ける状態ではあるし、この程度の距離を取っただけで目標から外されたのはどう考えてもおかしい。

 それはつまり――

 それに気づいて俺は驚愕した。

 ダイダラボッチの進行先には校舎がある。

 その三階、俺のクラスであるAクラスの教室に、人影があった。

「――心葉!?」

 仙術によって強化された視覚は、はっきりと心葉の姿を捉えていた。

 窓際に立つ心葉は、薄手のコートという私服姿で、自らのクラスの教室にいる。その表情は青ざめ、胸を押さえて震えている。

 なんで、こんなところにいるんだ。

 頭によぎる、心葉から送られてきたメール。察してはいたのだ。

 メールで送られてきた虹の内容は、寮のベランダからはあ見えない方角にあった。それなのに心葉は虹を見ていていた。

 つまり、初めから外にいたのだ。そのことはすぐに気付いていた。

 だが、まさか高校にいるとは思ってもいなかった。

 美榊島が祭りで賑わっているそんな日に、そちらに行かずに高校に来ている変わり者など俺ぐらいかと思っていた。

 しかし、思い返せば不思議なことではない。心葉は遠出するときは大抵誰かしらに何かを言っていくが、高校程度だったら特に何もなく出て行く。別に心葉を拘束しているわけもないので当然だ。

 だから、心葉が俺たちに連絡なしに外出していた段階で、高校にいる可能性に気付いておけばよかったのだ。

 ダイダラボッチは、真っすぐ校舎、心葉に向かって進んでいく。

 俺を標的から外した理由、それは俺以外に目標を変えたからだ。

 ダイダラボッチは徐々に足を速めていく。

「――ッ!」

 地面を蹴った。

 空中に白煙の足場を形成しながらダイダラボッチまで一直線に向かっていく。

 校舎にそのまま突っ込むように走って行くダイダラボッチにギリギリ追いついた。

 巨大化させた天羽々斬で頭部を刺し貫いた。

 一応動きは頭で行っているようで、動きを止めたダイダラボッチはグラウンドに倒れ伏したが、その勢いで長い腕が校舎へと激突した。

 幸い心葉がいる三階までは届かなかったが、一階と二階の一部を潰した。もとより強固に造られている校舎だったため倒壊するような心配はなさそうだが、それでも大質量に窓や壁が砕けていた。

「凪君っ!」

 三階の窓を開けて顔を覗かせた心葉が叫んだ。

「なんでここにいるんだ!」

 天羽々斬を引き抜きながら怒鳴る。

 しかし、心葉に憤りを覚えたところでお門違いだ。

 そもそも夏休みは神罰がないはずなのだ。それなのに神罰が起きている。無警戒であっても仕方がない。

「頭を出すなッ! 中に入ってろッ!」

 叫ぶと同時にダイダラボッチの腕が自らの頭を叩くように落とされ、バックステップでダイダラボッチの足まで下がると、片足の腱を斬りつけ距離を取る。

 片足で不格好ながらも立ち上がり、感情のない表情をこちらに向けた。

 白煙を針の形に変えてその顔目掛けて投げる。額に命中したが、距離もあったためまともなダメージにはならずに弾き返されて地面に落ちた。それを神力に戻してまた自分に吸収する。

 ダイダラボッチは足を再生させて起き上がると、緩慢な動きでこちらを向いた。

 予め上空に飛んでいた俺は、巨人の目に天羽々斬を突き立てた。

 蚊を潰すように叩かれた手を巨人の顔を蹴り飛ばして躱す。

 低い唸り声を上げながら潰された目を押さえ、もう一方の手を俺に伸ばしてくる。

 それを避け続けると、徐々に巨人は校舎から離れ始めた。

 巨人の注意が校舎にいる心葉に向かないようで、できるだけ顔周辺に軽い攻撃を加えながら、標的をこちらに絞らせる。

 状況は、さらに悪くなった。

 もう逃げることができない。俺がダイダラボッチから逃げれば次の攻撃対象は心葉になる。おまけにあの索敵範囲の広さだ。俺が逃げると言うことも成功する可能性は低く、心葉と二人となればそれはもう不可能だ。

 心葉と共闘して戦うという選択肢もなくはない。

 だが、心葉はおそらくダイダラボッチとは相性が悪い。仙術が使え、法術などの術全般が得意と言っても、あの俊敏性に対応するのは難しいだろう。

 俺は白兵戦や制空権を生かして仕掛けることによって懐に飛び込み、ダイダラボッチの無駄に長い手などのリーチなどでは戦いにくい間合いにいるからこそ戦えるのだ。

 心葉のように距離を取って悠長に呪文を唱えていれば、一気に間合いを詰められてまともに術を使うこともなく敗れるだろう。

 ダイダラボッチに勝つ方法がない。それだけなら、まだよかった。

 このままでは、最悪の結末を迎える。

 心葉では戦いにすらならない以上、俺が距離を取らずにひたすらダイダラボッチの注意を引いて戦い続けるしかない。

 だがそれでは驚異的な再生能力を持つダイダラボッチを倒すことができず、俺の神力が枯れて動くことすらままなくなる。

 そうすれば結局俺は殺され、次は心葉の番だ。二人とも死に、この神罰は終了する。

 同様のことを、心葉も考えているはずだ。

 そのとき、心葉はどうするか。

 答えは、簡単だ。


 このまま俺が負けそうになれば、心葉は紋章を使用する。

 神罰を強制的終わらせることによってダイダラボッチを消滅させ、俺を助ける。

 そして、心葉は死ぬ。

 それが、この先に待っている最悪の結末だ。


 ダイダラボッチの神罰が始まってから、どれくらいの時間が経ったのかわからない。

 幾度となく、攻撃を繰り返した。その数倍、攻撃を避け続けた。

 それでもなお、ダイダラボッチは倒れなかった。首を斬り落とされ、四肢を飛ばされ、体を完膚なきまでに破壊されても再生によって元の状態に修復する。

 それどころか、こちらの攻撃を学習し、単調な攻撃は予測され対応されるまでになった。

 度重なる攻防に、俺は少しずつダメージを受けていった。致命傷は奇跡的になかったが、こちらは回復能力が常人より僅かに高い程度の人間だ。小さな怪我でも積み重なれば、動きを鈍らせ、それをカバーするためにさらに力を使わなければいけない。

 満身創痍ではあったが、肩で息をしながら背後にある校舎の三階を睨み付ける。

 Aクラスの教室では心葉が今にも飛び出しそうになりながら、それを堪えて窓枠を握りしめていた。

 顔は青くし体を震わせながら、窓を掴んでいないもう一方の手で胸の制服を掴んでいる。その場所には、以前に見せてもらった心葉の紋章がある。

 今もずっと、心葉は紋章を使おうかどうか戸惑っている。紋章は所持者の使うという明確にして迷いのない意志がなければ発動しない。

 だが、俺がいよいよ死ぬとなれば心葉は躊躇いなく紋章を使うだろう。

 俺は戦いながらも心葉に視線を送り、心葉が紋章を使わないように牽制している。俺はまだ戦える。大丈夫。絶対に勝つ。その意思をぶつけ続けている。

 心葉が苦しそうにきつく口を閉じているのを一瞥し、眼前に視線を戻す。

 正面では体を粉々に粉砕されたダイダラボッチが大きな土塊となって散らばっている。

 これまでで最大限の力を持って、ダイダラボッチの体を攻撃したのだ。

 それでもダイダラボッチを倒すには至っていない。散らばった土塊が地面を引きずりながら集まり、一つに戻ろうとしている。

 天羽々斬の刀身は迸る神力の刃となっていたが、頼りなげに揺れた後、本来の刀の姿へと戻った。

 神力の残りも微々たるものだ。

 このままでは数分と経たずに神力が切れて動けなくなる。

 必死に思考を巡らせて突破口を模索する。

 ダイダラボッチを倒す方法は、なんとなく見当が付いた。絶対に死なない妖魔など存在しない。通常の部位を破壊するなどの条件で倒せない上、特定の条件があると考えるべきだ。

 途中でその攻略法を思い至り、実行しようと先ほどから動いているのだが、思うようにいかない。そもそも無茶なことではあるのだ。

 そんな方法を、このほとんど枯れた神力ではどうすることもできない。

 ダイダラボッチは、体を完全に修復し、ゆっくりと立ち上がった。あれほどの俊敏性を持ちながらの緩慢な動きは、俺がもうまともに動けないことをわかっているようだ。

「万事休す……か」

 諦めの言葉が、心に落ちた。

 同時に、先ほどまで猛っていた闘志が一気に冷え消えてった。

 言霊という概念があるが、心の中で人が思っていることは全てその人の中だけで完結している、言わば幻のようなものなのだ。それを言葉にして外に出すことによって、思いは現実となり、力となって外界に放たれる。

 俺の今の一言は、言ってはならない一言だった。

 自分の中にあったまだ勝てると考えている理由や気持ちの全てを灰燼に帰し、俺が生き残るという希望を摘み取った。

 上げていた天羽々斬が、だらりと下に落ちる。地面に切っ先が当たり、柄を握る腕に刻まれた傷が痛んだ。

「心葉!」

 声を張り上げ、背後の校舎にいる心葉に呼びかける。

 背後を見上げると校舎から心葉が顔を覗かせていた。

「これから俺が可能な限り時間を稼ぐ。その間にお前は、校門の辺りまで逃げろ!」

「な、何言っているの!?」

「このままじゃどうやってもあいつは倒せない。時間を稼いで神罰が終わるのを待つにはお前がいたら邪魔になるんだ。だから離れてくれ」

 邪魔扱いしたことは、口には出さずに謝罪しておく。もうきっと伝えられる機会はこない。

「凪君一人で逃げられるの?」

 強がって笑みを浮かべる。

「当たり前だろ!」

 多くは紡がずに少なく答える。

 裏切っている罪悪感が募っていく。

「お前が紋章を使わなくても俺は絶対に生き残ってみせる。だから早くここから離れろ!」

 再び天羽々斬を構え、こちらを見下ろすダイダラボッチと対峙する。

 死をここまで間近に感じたのは、初めての神罰で人狼にいきなり襲われたとき以来だろうか。

 それ以外のときは、何かしら勝って生き残るための術を持っていたのだ。

 だが今は、そんなものは全て消え去ってしまった。

 ダイダラボッチが俺に止めを刺すために走り出した。

「こっちは大丈夫だから――」

 悪いな。

「早く――」

 こんなろくに別れも告げることができない終わり方で。

「行けッ!」

 俺は残った神力を掻き集める。

 このまま生き残った後の心葉のことが頭をよぎった。

 玲次、七海、理音、誰にも何も告げられずに死ぬ。

 これが神罰で死ぬということなんだ。

 これまで何人もの人が通ってきた道を、今俺も通ろうとしている。

 神罰を止めるなんて息巻いておいたところで、結局俺も有象無象の一人だったわけだ。

 まったく、嫌になる。

 でも、心葉のために死ぬって考えると、不思議と悪くないと思えた。

 足に力を込めて蹴――。


「ふっっざけるなあああああああああああああ!」


 叫び声とともに巨大な火柱が放たれ、迫り来る巨人の胸を打った。

 あまりの衝撃に校舎の強化ガラスで造られた窓が全て吹き飛び、同様にダイダラボッチもグラウンドの反対側まで吹き飛ばされた。

 熱気はグラウンドにいた俺をも焦がし、飛び散った火が周囲の植木を燃やした。

 術を放った心葉は、窓枠に手を乗せて異常なまでの荒さで息をしている。燃費や効率などを全て度外視した火界呪に、体が悲鳴を上げているのだ。

 顔を上げた心葉は泣いていた。これまで見たこともないような怒りの形相に、大粒の涙を浮かべていた。

「バカバカバカバカアホーーバカ凪ー!」

 子どもっぽい罵声を浴びせられるが、普段心葉はそんな言葉を絶対に口にしない。それだけ、怒っているということなのだろう。

「何ふざけたこと言ってるの! そうやって私を凪君が見えないところに行かせておいて、凪君が死ぬまで紋章を使わせないようにするのが目的なんでしょ! 凪君が死んだ後に紋章を使っても私はただの無駄死にだから、とりあえず今は紋章を使わせずに自分が死ねば、私は逃げ切ることができるって考えてるんだ! そんなの見え見えなんだよ!」

 言われた通りだった。

 俺の目的は、まず心葉をこの俺が見える状態から排除すること。今心葉が紋章を使おうか迷っているのは、俺が負けそうになっているところを見ているからだ。だから少なくとも、心葉をこの場から引き剥がしてしまえば、俺が後に死んでしまったとして心葉が紋章を使って俺を助けるという選択肢を外すことができる。

 俺が稼げる時間は最大でもおそらく五分ほど。それだけの時間で心葉をこの場から引き剥がしてしまえば、心葉の仙術と一人でこれだけの校内を逃げ回ることができるのであれば、高い確率でこの神罰終了時まで逃げ切ることが可能なはずだ。それも、現状から言えばという程度の低い確率ではあったのだが。

 しかし、その可能性はあっさり消え去った。

「もう私は逃げ回るほどの神力は残っていないからね!」

 自慢にもならないことを事も無げに、それどころか清々しい笑みを浮かべて言い放つ。

 ろくに呪文も唱えずに放たれた規格外の火界呪。その威力を作り出すために使用したエネルギーは、おそらく心葉が通常使用する神力の量を大幅に超えていた。

 俺がまだ神力の扱いが拙かった頃と同様に、たった一度の術に分不相応の神力を込めたのだ。それも意図的に。

 ダイダラボッチは体を修復させながらも中々動けないようだった。それほどの一撃をいきなり放たれ、僅かではあるが怯んでいるようだ。

 その間に心葉は畳みかけるように吠える。

「私が紋章を持っていて、生きられても卒業までっていう事実を知ったときの凪君はどこに行ったの!? 神罰を終わらせて、私を助けてくれるって言った凪君はどこに行ったの!?」

 子どものように泣きじゃくりながら、心葉は言う。

「私を助けてくれるんじゃなかったの!? 私は今ここで紋章を使わずに生き残ったとしても、長くても三月までしか生きられないんだよ! 死んじゃうんだよ!」

 心葉は言いたいことを言うだけ言ってしまうと、乱れた呼吸を整えるように喘ぐように呼吸をした。

「凪君に使われている天羽々斬も泣いてるよ! こんな妖魔相手に勝てないほどその刀は弱くない! 弱いのは凪君だ! こんなところで勝てないって諦めて、何が万事休すか、だよ! 格好悪いんだよ!」

 これだけの距離があるのに、しっかり俺の言葉を聞き取っている心葉の地獄耳にも恐れ入ったが、心葉の言葉が、気持ちが、痛いほど心を打っていく。

「私を助けてよ! 生きて卒業させてよ! もっと色んな世界を見せてよ! 凪君の話をもっと聞かせてよ! 凪君が私をどんな風に思っているのか教えてよ!」

 大きく息を吸い込み、結界を揺らしそうな大声で、叫ぶ。


「私に期待をさせておいて、勝手に死のうとするなあああああああ!」


 消えていた俺の中に、再び火が灯った。

 徐々に、そして急激に大きくなっていき、体を満たす。

 自然と口元が緩み、天羽々斬を握りしめ、グラウンドの遥か先に立ち上がったダイダラボッチに向き直る。


「極めて了解」


 そうだった。そうだったな。

 俺がここで死んで、何の意味があるんだ。何にもならない。

 ただ、今年の神罰で本来辿る死亡者リストの中に俺が入るだけだ。

 俺が戦うと決めた理由は何だった。神罰を終わらせたいと願った理由はなんだった。

 こんなところで無駄死にをさらして、ちょっとは死亡者を減らせましたと、どうでもいい自慢を天国か地獄でするためではない。

 俺は、俺の命の恩人である心葉に恩返しをするために、俺がこれまでどんな思いを胸中に秘めて生きてきたのか知ってもらうために戦っている。

 お互いに生きた、その上で伝えたいことがあったんだ。

 心葉の言う通り、何が万事休すかだ。

 まだまだ戦えるだろうが俺は。

 試していないこともある。ダイダラボッチがもしかしたらあと六分経てば消えるかもしれない。

 あっていいのはできなかっただけ。できそうにならないから、やらなかったというのはダメだ。

 いや、この場合できなかったっていうのもいただけないな。

 やるしかない。それだけで、十分じゃないか。

 ダイダラボッチは、大きく開けられた距離を詰めるように歩き出した。先ほどの攻撃を警戒してか、無防備に突っ込んでくるということを止めたようだ。妖魔とは思えない学習能力だ。

 たとえ心葉が今のような火界呪を連発できたとしてダイダラボッチには通じないというわけだ。学習され、おそらくは校舎を迂回したり間合いを計ったりしながら攻めてくるに違いない。そこまでされれば、どう足掻いても堪え切れない。

 もう一度、心葉の方を振り返る。

 両手を胸の前で組んで、祈るようにこちらを見ている。

 そうだな、俺も、神に祈ってみるとするか。

 手の中にある、白い刀。周囲に纏う神力である白煙。

 それらは、世界を創造した神の一柱と呼ばれる天羽々斬だ。

 父さんが言っていた。

 俺が願えば、天羽々斬は必ず答えてくれると。

 マリは言っていた。

 名前は重要な神にとって重要なものであると。天羽々斬が天羽々斬たる所以が、いつかわかるときが来るのだろうと。

 俺は、自分を過信している。そんなつもりはないと口先だけで言ったとしても、それでも自分は一人でもっと戦えると勝手に勘違いをしている。

 それは大きな間違いだ。

 思い返せば、これまでの神罰を生き残ってきたのはひとえに天羽々斬の力があったからだ。ただの何の能力も持っていない刀なら、どう足掻いてもここまでの戦闘能力を発揮することはできない。

 一人で戦っているわけでない。

 玲次や七海、理音たちが一緒に戦ってくれているとかそういうことではなくて、もっと近いところに一緒に戦ってくれているのがこの神様なのだ。

「天羽々斬。聞こえるか?」

 祈りながら、願いながら、俺は紡ぐ。

「今までずっと、こんな俺に力を貸してきてくれたことを本当に感謝してる。でも、今の力ではあいつを倒すことができないんだ。俺は弱いから、たった一人の女の子を守ることもできない」

 自分を認める。弱さを認める。

 何ができるのか、何をしたいのかを口にする。

「俺はもっと力がほしい。あいつを助けることができるだけの力が。俺だけの力じゃ足りない」

 情けないことを言っていると思う。

 でも、きっとそれでいいんだ。

 自分だけでなんでもかんでもできるなんてただの驕りだ。

 俺はそんなに強くない。力もない。

「頼む、天羽々斬。俺に――」

 だから、ただ願う。


「俺に――力を貸してくれ」


『――ああ、いいだろう』


 突如、何もない空間から数え切れない鎖が現れ、純白に染まる刀身に絡みついた。がっちりと絡め取られた刀は動かそうと思ってもびくともしない。

『お前の願い、覚悟、しかと受け取った』

 声が聞こえる。

 それは、俺がこの島に戻ってきて、初めて天羽々斬に触れた際に聞こえた。

 重々しく尊厳な声。頭に直接響く声音は、どこかとても安心感を覚える声だった。

 歩き出していたダイダラボッチが、唐突に足を止める。

 表情は無機質な感情の欠片も見えないものだったが、どこか戸惑っているように見えた。

 鎖によって雁字搦めにされた刀。傍目から見るそれは、どんな光景に見えているだろうか。

『久しぶりだな。こうして話すのはいつぶりだろうか』

 ずいぶん当たり前に話しかけられた。

「大体四ヶ月と少しかな。なんで急に答えてくれたんだ?」

 あの日聞いた声が聞き間違いであるわけがなく、はっきりと会話をした相手。

 幾度となく話しかけ、答えてくれるのを待っていた。でも答えてくれることはなく、ただ独り言を繰り返すだけになっていた。

 俺の問いに、少し面白がったような声が響く。

『我は、我ら神は、人の願いがなければ完全に力を発揮することができない。お前は今まで、自らの力さえあれば何でもできると思っていた。それも悪くはない。だが時に人は、自らの力だけでは進めない壁にぶつかる。そのとき、壁を前に諦めるか、自らの弱さと向き合ってそれでもなお先に進もうとするか。お前は先に進むことを選んだ』

「自分だけの力じゃなかったけどな」

『それでもだ。人の力は自らの力だけではない。周囲から力を貸してもらえる。それもお前自身の力だ』

 一人だったら諦めていただろう。それほど、現在の自身の力に限界を感じた。

 でも、あいつがいてくれたから立ち直れた。あいつの力を借りたことが悪いとか、そういうことはじゃないんだ。

 俺は、信じてくれたあいつの期待に応える。ただそれだけでいいんだ。

『さて、長々と話している場合ではなかったな』

 刀の意識が俺から離れ、俺も前方に佇む巨人へと視線を向ける。

『ダイダラボッチ。もうあれがどういう存在かはわかっているな?』

「ああ。でもそれには力が足りない。力を貸してくれるか?」

『もちろんだ。我は、そのためにここにいる』

 心臓のように、刀の柄から手に脈動が伝わってきた。

『これから、我とお前の間に縁を作る』

「やっぱり、俺とお前の間には縁はまだなかったんだな。でも、それでどうやって俺はお前の力を扱っていたんだ?」

『単に我が自らの力を外に溢れさせ、お前が使えるように調整を行っていたんだ。だがそれでは扱える力に限界があり、全ての力を扱うことができない。だからこれから縁を形成し、我の力を全てお前に譲渡する』

 これを行うことによって、初めて俺と天羽々斬の関係が正しいものになるのだ。俺までは仮の契約のようなものだったのだろう。

 父さんが降ろしていた神器を、ただ使える範囲で使っていた。そんな感じだ。

「縁を形成したとして、あいつに勝てるか?」

『縁を結ぶだけは五分五分と言ったところだ。だからこれから、我がお前を一時的に我ら神の領域へと引き上げる』

「引き上げるって、どうなるんだ?」

『人の身を外れ、我々と同じ概念へと昇華させる――【神懸かり】だ』

 神懸かり。今まで扱っていた力を俺自身に降ろすということか。

 自然と口が緩み、笑いが漏れた。

「人間じゃなくなる、ね。上等じゃねぇか。頼むよ」

『いいだろう』

 満足したように答えると同時に、柄の先端から何本もの鎖が飛び出し、それが服を突き破って胸の中央に突き刺さった。痛みはなく、体の中をうごめく鎖は心臓へと絡みついた。

 これが縁。俺とこいつを繋ぐ因果。

 周囲の鎖が揺れて音を立てた。全ての鎖に罅が入っていく。この鎖は、これまで世界にこの一柱の神を繋げていた縁。この世界に止まろうとする意思。

 それが、俺へと移る。

 俺自身が、この世界へこの神を繋ぎ止める楔となる。

 柄に力を込め、刀身を縛っている鎖を無理矢理引き剥がしていく。大きな音を立てながら鎖が罅割れる。

『八城凪! 叫べ! 我が名を!』


「――天羽々斬ッッ! 俺に力を貸してくれ!」


 力任せに全ての鎖を破壊し、天羽々斬を解き放つ。

 砕けた鎖の破片が周囲に飛散し、甲高い音を立てながら散らばった。

 天羽々斬から伸びて俺の心臓へと宿った鎖は、空気に溶けるように消えていく。

 直後、胸の内から力が奔流のように流れ出した。

 一瞬、体が爆発したのかと思った。

 体から溢れ出した力が、神力が俺を中心に光の柱を生み出す。結界を突き破らんばかり立ち上がった白柱。

 その光に照らされるように、天羽々斬の刃が輝き始めた。

 全ての枷から天羽々斬自身の神格が解放される。

 ダイダラボッチが体をすくませて一歩後ろへと下がった。

 あの巨人の妖魔を怯ませるほどの力が今俺が纏っている。

『行くぞ! 耐えろよ!』

「問題ない!」


「『――神懸かり!』」


 声が一つに重なり、俺たちの存在が一つになる。

 溢れ出していた神力が束ねられ、俺の体に収束する。あまりの光に目を開けられなかった。

 心臓が早鐘のように打ち、張り裂けそうな痛みが走る。

 徐々に鼓動が収まり、俺は目を開ける。

 視界が、白銀に燃えていた。

 俺が今まで纏い扱っていた白煙が、白い炎となって猛り狂っている。

 体の所々から発火したように炎が吹き出しており、全身が燃えているようだ。

 熱や風は感じず、ただそこにある。まさに概念のような炎だ。

 掌中の刀。それも姿を変えていた。

 刀身は、本来あった刀の姿より五割増しくらいに巨大化しており、その刀身も白い炎となって燃えている。かろうじて刀の形を保っているものの、既に本来の姿を外れている。

 白い炎刀。それが天羽々斬の今の姿だった。

 俺が扱っていた力は、天羽々斬が与えてくれたものだったと言う。つまり、外に出ていた白い煙は天羽々斬が俺に与えてくれていた力であり、煙という形を取っていたのは縁も結んでいない不完全な状態だったからだろう。

 白煙が、白炎に。うん、字体は変わったけど読み方は変わらないな。

 先ほどまでの俺の全力が、霞んで見える程の力。

 扱い切れるのかはわからないが、この力があれば……。

『今のお前の状態では神懸かりは保って三十秒。その間に、やつを倒せ』

「それだけあれば、十分」

 心葉を安心させてやるために声をかけてやりたいが、そんな時間も惜しい。

 ダイダラボッチが戸惑いを振り払うように雄叫びを上げた。

 抉れる程の力で地面を蹴りながら、圧倒的な速さで向かってくる。

 左手に白い鞘を生み出し、燃えさかる炎刀を鞘に納めた。

 ダイダラボッチまでの距離は五十メートル。一歩毎に十メートルは縮まる程大きな歩幅だが、相手の間合いに入るまで待つつもりはない。

 十分こちらの間合いだ。

 抜刀すると同時に、刀身に纏った炎を刃にして放つ。

 俺自身は熱は感じない。だが、撃ち出すと同時に一瞬に熱を帯びた。

 地面と空気を蒸発させる程の熱量を持った刃は空中で回転し、無数の刃へと姿を変え、迫り来る巨人に襲い掛かった。

 縦横無尽に飛び回る刃はダイダラボッチの体を切り刻んでいく。大地の体を焼き切る音が痛々しく響く。

 体の節々を斬られたダイダラボッチは動きを鈍らせる。

 体中を炎の刃で斬り裂いたが、どこかの部位を切断するといった方法は採らない。取ってはいけないんだ。

 仙術で足を最大限に強化し、地面を蹴る。

 五十メートルあった距離を一気に縮め、巨人の懐に飛び込んだ。

 俺の行動を学習していたダイダラボッチは、飛び込んできた俺に両拳を同時に突き出した。

 それを読んでいたのはこちらも同じだ。

 左手の鞘が形を崩し、右手のものと同様の刀に変化する。

 迫り来る二つの拳に二刀を一閃する。

 放たれた炎は拳を覆い尽くし、手首から先を完全に炭化させた。

 だが今度はダイダラボッチは怯まなかった。

 その巨体を生かし、俺を押し潰そうと倒れ込んでくる。このまま動かなければ、何トンあるのか想像もできない巨体に虫のように潰されるだろう。

 しかし、俺はその場に止まった。

 下段に天羽々斬を構え、体から溢れさせた炎を刀身に集め、圧縮する。

「ぶっ飛べデカブツ!」

 振り上げた刀身からレーザーのように炎が飛び出し、ダイダラボッチの胸を打つ。

 グラウンド全てを吹き飛ばすように衝撃が走る。砂塵が巻き上がり、炎が吹き荒れる。

 ダイダラボッチのその巨体が、グラウンドの上空へと高々と打ち上げられた。

 下を向いた状態で飛ばされたダイダラボッチの目が、大きく見開かれた。初めて、明らかな動揺が見て取れた。

 それはそうだ。

 ダイダラボッチは、もう再生することができない。

 大地の巨人、ダイダラボッチ。

 その驚異的な再生能力は、地面と繋がっていることで大地からエネルギーを得て再生をしている。

 いくら切り刻んでも重力に引かれてその体は地面に落ちる。倒されることで体内のエネルギーを一度失っても、地面に落ちることで何度もエネルギーを得て体を修復する。

 それともう一つ、ダイダラボッチの腕が地面に突きそうなほど異様に長い理由が、地面からエネルギーを得やすいからなんだ。攻撃を受けてもすぐに体を支えられ、そうすることによってエネルギーの吸収効率を上げている。

 空中に投げ出された巨人を追い飛び立つ。

 もう足場を作るといったこと補助は必要ない。体を宙に浮かせることを意識するだけ自在に空中を移動できた。今の自分が、人間という存在の枠を出てしまっている存在だと、改めて認識させられる。

 両手の炎刀を合わせるように握ると、天羽々斬は刃渡りが三メートルほどの長刀へと変化した。

 一直線に飛翔し、上昇しきって落下を初めたダイダラボッチのその胸に、深々と長刀を突き刺した。

 たちまち炎は燃え広がり、これまでダメージを与えてもほとんど怯まなかったダイダラボッチが、初めて苦痛に満ちた唸り声を上げた。焼け落ちた腕を動かし、俺を払い落とそうと振るってくる。

 刀を燃え朽ちた胸から引き抜くと、暴れる腕を躱し、ダイダラボッチの頭部に移動しその額に回し蹴りを打ち込んだ。

 大砲でも受けたような衝撃に大きく頭が仰け反り、ダイダラボッチは仰向けに、俺はその上で再び鞘に天羽々斬を納めた。

 推測できる倒し方は二つ。

 一つは、ダイダラボッチが大地から供給される力を全て失うまでひたすらダメージを与え続けること。不可能に近いが、圧倒的な力で大地のエネルギーが枯渇するまで攻撃を加えることができれば、おそらくダイダラボッチは再生することができずに倒れるだろう。

 もう一つは、地面に体が接することができない、遥か上空にダイダラボッチを移動させた上で攻撃をすること。接地面がなければダイダラボッチはいくらエネルギーが地面にあろうと体を修復することができない。

 だから、空中にいる間にダイダラボッチを、地面に接するまでに確実に絶命させる。そうすることで、ダイダラボッチは体を修復することなく倒せるはずだ。

 ダイダラボッチの反応を見る限り、おそらく間違いない。

 実際、どちらの条件もかなり厳しい。

 まず、この限られた空間で巨人とは思えない程俊敏に動くダイダラボッチにひたすらダメージを与えるなど、全校生徒がこの場にいたとしても不可能だし、何人犠牲が出るかもわからない。

 そしてもう一つも、ダイダラボッチをあそこまで高い位置に打ち上げるなど、俺も天羽々斬の神懸かりを使わなければ絶対に不可能だった。

 鞘に収めた刀に、残る全ての神力を注ぎ込む。

 鞘から炎刀を抜き放ち、放つ。

 刹那に放たれた神力の刃。

 それはダイダラボッチを縦に両断し、その下の校内を端から端まで横一文字に傷を刻んだ。

 ダイダラボッチの全身は一瞬で燃え上がり、全てを飲み込む白炎に包まれた。

 地面の底から響いてきそうな低い断末魔の叫び声を炎の轟音が掻き消した。

 同時に、体を纏っていた白炎が消え去り、天羽々斬は元の日本刀の姿へと戻る。

 体を動かせないほどの脱力感と倦怠感が全身に広がり、一瞬意識を失いかけた。

『よくやった』

 天羽々斬の声が、消え行く意識の中で優しく響く。

 霞む視界の先で、ダイダラボッチの体が炎に包まれて朽ちていく。これまで、どんなダメージを与えれば瞬きするほどの間に再生が始まっていたにも関わらず、腕や足といった体の先から炭化し消え去る。

 落下しながらただの灰と化していくダイダラボッチ。

 だが次の瞬間――

 炭化した塊から一本の土の柱が飛び出し、空中にいた俺に向かって飛んだ。

 もう飛行能力を失い、天羽々斬で足場も作ることもできなかった俺は、その攻撃を諸に受けた。

「ぐぁ……ッ」

 先ほどのダイダラボッチさながらに吹き飛ばされ宙を舞う。

 もう体勢を立て直す力も気力もなく、そのまま落ちていく。

 視界の隅で、ダイダラボッチの体が全て炎に包まれて消え去った。今の攻撃が、ダイダラボッチの最期の攻撃だったのだろう。

 体がふっと軽くなる。

 傷ついた体や服が復元を始める。これまでの激しい戦いの傷痕を残した破壊も、神罰の終了を知らせるようにたちまち修復されていく。

 真上にある結界が崩れ落ちていき、爛々と燃える太陽が顔を覗かせた。つい三十分ほど前まで雲の多かった空は、嘘のように晴れ渡っていた。

「はは……やってやった……」

 口元に小さな笑みを残し、俺は落ちる。

「――凪君ッッッ!」

 耳の片隅に心葉の悲痛な叫び声を聞きながら、俺の意識は完全に途絶えた。

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