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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
23/43

22

 八月十一日。夏休みもいよいよ半分を切ってしまった。

 この夏休みで得られているものはあまり多くはないが、それでも確実少しずつは情報が集まりつつある。

 ただ、やはり決定的な何かが足りない。

 自分の部屋でエアコンも入れずに床に横になって長々と息を吐き出す。リビングの机には他にものの置き場もないほど本や書類が散らばっている。

 過去の資料にどれほどの手掛かりがあるのかはわからないが、確実に手掛かりになるものも中には存在する。

 少しずつ、神罰を起こしている術者、神についての推測はいくつかある。その中のどれかが、必ず術者特定に繋がるのかは自信がない。

 でも、やらないといけないんだ。

 大翔さんと結衣さん、御堂の兄と姉に会ってからしばらく経っている。

 勝ったことで得た要求は近々にどうこうなるものではないので、気長に待つしかない。

 父さんとは、夏休みに入る前までは時折連絡を取ったりメールを送ったりしていたのだが、夏休みに入ってからほとんど連絡が取れなくなった。たまにメールで連絡が入っているが、電話はまったく通じない。大学教授は忙しいことこの上ないのだろう。

 ベランダの方でがたんと音がした。

 ペット用の扉からホウキが外から戻ってきて、暑さを紛らわせるように羽ばたいた。

 コミカルな歩きで俺が寝ているところまでやってくると、黄色いくちばしで頭をつついてきた。

「ガァーガァ!」

 飯をよこせとせっついてくるホウキを手で払いのけ、のろのろと立ち上がる。

 既に昼を回って二時間ほど経っているが、朝から牛乳を一杯飲んだだけだ。

 夏ばてというわけではないと思うのだが食欲はあまり湧かない。

 冷蔵庫を開けて中に頭を突っ込む。

「ああー、買い出し行かないとなー。何もねぇ……」

 ここ数日あまり部屋から出ることがなかったので、食い物はあらかた食い尽くしてしまった。

 とりあえず切り置きしていて古くなった野菜はホウキの皿に盛ってやり、ご飯をどうしようかと考えながら机の上を片付けていく。

 片付けが終わったところで、部屋のインターホンが音を立てた。

「はーい」

 気のない返事をしつつ、玄関へと向かう。

 扉を開けると、私服姿の七海がいた。

「おっす」

「……あんた、まともにご飯食べてるの? なんか夏休みに入ってやつれたわよ」

「マジか……」

 思わず自分の顔に手を伸ばすかが、触ってわかるものでもない。

「心葉がちょっと遅いけどお昼一緒にどうかって言ってるんだけど、来る?」

「それはありがたい。玲次もいるのか?」

「あいつはまだ戻ってないわ。祭りの打ち合わせ中よ」

「祭り? もしかして夏祭りか?」

「……本当にこの島に住んでるのよね?」

 心底呆れられたため息にちょっと傷つく。

 七海さんは裏表がないところがいいのだが、その分真っすぐな気持ちが心に来る。

 どうやら俺がほとんど外出しない間に、島は祭り一色になっていたようだ。

 いや、気付かなかったわけではないのだが、特に興味がなかったので考えることもなかった。

 祭りとは本来、人が神に近づく行事とされている。祭りの本来の語源はマツであると言われており、すなわち、神が来てくれることを期待してひたすら待つことが元々の意味合いだと言われている。

 その祭りの元来の意味がどの程度地方の祭りに残っているのかはわからないが、この島にとって祭りは非常に重要な意味合いを持つ。

 美榊島は神が遊びにくると言われている島で、神が現れていることが確認されている。その神聖な土地で神を待つというのは、本当に神が来るのを待っているという意思表示になるのだ。

 神道にはキリスト教や仏教などにある、体系化された教義や聖典がなく、その代わりにあるのが祭りとも言える。

 ちなみに、玲次は今年の氏子に選ばれているらしい。祭りは祭りで出店や屋台などが出て賑やかにやるそうなのだが、それと平行して厳粛な祭事も行われるらしい。

「それで玲次は今神社で打ち合わせ中と」

「うん、私と七海ちゃんもさっきまで手伝いに出てたんだ。お昼も過ぎたからもう上がっていいって言われたから帰ってきたところ」

 心葉の部屋でご相伴に預かりながら、俺は祭りの説明を簡単に受けていた。

 何度かやってきた心葉の部屋はいつも丁寧に片付けられており、女の子女の子して可愛らしい。丁寧に並べられた本の数々、観葉植物や花などもキャビネットに置かれており、よく手入れされているのが一目でわかる。

 リビングの机の上には大きなガラスの器にゆでられた素麺がふんだんに盛られている。氷水で冷やされた素麺は手軽だが夏にはたまらない一品ですね。

「二人はなんか役割あるのか?」

 めんつゆに素麺を浸しながら尋ねると、七海が付け合わせのちくわ天を食べて言った。

「私たちは基本的にないわよ。玲次の付き添いで行ってただけよ。大体考えてみなさいよ。私たちは今この島に降りかかっている神の罰を一身に受けてるのよ? そんな私たちが祭りの中心にいるべきじゃないのよ。だから基本的に美榊高校三年は祭りにおいての役割は与えられない。玲次は生徒会長だから生徒の代表でね。毎年恒例なのよ」

「よかったー、はぶられてるのかと思ったぜ」

「はぶってたのよ」

 危うく麺汁の器を落としかけた。

「俺、もう立ち直れないかもしれん」

 ずーんと凹む俺に心葉は慌てて説明に入る。

「ち、違うからね凪君! 今凪君を島の中心人物が集まるところに連れて行くと色々面倒なことになりそうだったから声をかけなかっただけだよ。その、まだあの話出回ってるから」

「……どの話かな、心当たりがあり過ぎるんだけど」

 よくよく思い返して見れば俺この島に来てからろくなことしてねぇな。そろそろ本当に罰が当たってもおかしくないような気がする。

「ついこないだやった結衣先輩との模擬戦に決まってるでしょ。あんな大問題起こしておいて、簡単に片付くわけないわ」

「問題て、別に悪いことしたわけじゃないだろ」

「十分悪いのよ」

 ギロリと二つの目で睨み付けられる。

「七海ちゃん七海ちゃん、どうどう」

 心葉に諫められてなんとか怒りのボルテージを押さえてため息を吐く。

「……結衣先輩に勝って、ただよかったぐらいにしか思ってないかもしれないけど、あんたは警察組織全体のメンツを完膚なきまでに潰したのよ」

「潰したって大げさな」

「そ、それが大げさでもないんだ」

 心葉が乾いた笑いを浮かべながら空になった俺のコップを取ってお茶を注ぎ足してくれた。

「結衣先輩ってね、過去数十年の間でもずば抜けて突出した対人戦のエキスパートって言われてるんだ。対妖魔って言うんなら、それなりの数がいるんだけどね。この島でも警察っていうのは、人に対しての仕事がほとんどだから、凪君はそのトップを倒しちゃったってことで……」

 つまり、俺は警察組織の人間よりも強いということを示してしまったのか。

 結衣さんはあれから体調が回復に向かっているらしく、そろそろ現場復帰できると聞いている。そもそも倒れたのも神力のバランスが崩れたことが原因の一時的なものだったので、調子さえ整えばすぐに持ち直すとは思っていた。

 どうにか結衣さんの誤解を解いてもらいたいものだが。

「もうてんやわんやしてるのよ。結衣先輩が妖刀を持っていたってだけでも驚きなのに、その結衣先輩に勝ってどうすんのよ」

「いや無茶言うなよ。負けたら島外退去だったんだぞ」

「そんな状態にしたことに文句を言ってんのよ」

 それを言われるとぐうの音も出ない。

 確かに、あの模擬戦のきっかけは御堂のことに腹を立てた俺が結衣さんを煽ったからだ。こちらに落ち度があると言えなくもない。

「でも結果として俺は結衣さんの縁切ったんだから、結界オーライってことで押さえてくれよ」

「……結果だけ丸く押さえるのが余計にイラッとくるわ」

「まあまあ」

 七海さんの心労は絶えないっすね。ほとんど俺が原因だから口には出さないが。

 素麺を食べ終わると、俺はごちそうになったお礼に食器を洗っていた。

 心葉と七海は食後の紅茶を飲んでおり、今日の祭りのことについて談笑していた。

 去年の祭りではあれが美味しかったであるとか、新作のたこ焼きは外れだったとか、どこのクラスが盆踊りで大騒ぎをして大変だったとか、そんな話だ。

 俺がいないときの話だったので、話にも入りづらく洗い物をしていたのはむしろよかった。

「それで、何時くらいから行こっか。ねぇ、凪君は何時くらいからがいい?」

「え? 俺も行くのか?」

 突然話を振られ、俺は素っ頓狂な声を上げる。

「当たり前でしょ、なんで呼びに行ったと思ってるのよ」

「飯の誘いだけじゃなかったんかい。聞いてねぇぞ」

「……そうだったかしら」

 完全に忘れてやがったなこいつ。

「ははは、でも凪君も行くでしょ?」

「って言われてもな、まだやらないといけないことあるしなぁ……」

 何をやるのかまでは明言はしないが、二人には伝わっているだろう。夏休みとはいえ、時間は限られている。

「あら、校長からはあんたの浴衣を預かってるわよ。持ってないだろうからプレゼントですって」

 ……それって逃げ道ないんではないだろうか。

「息抜きも大事だよ凪君。夏祭り、一緒に行こうよ」

 心葉がこちらに微笑みかけながら言った。

「……はぁ、わかった。行くよ」

 こんな顔で見られて断れるほどの強心臓は持ち合わせていない。

 しかもここで断ると心葉の横にいる鬼みたいなやつに狩られかねん。

 それに、不意に頭に打算もよぎった。おそらく無為に終わるであろうが、それでも行く価値は十分にあるだろう。

「玲次は氏子で神輿を先導するんだろ? 晴れ舞台を拝んでやるか」

 洗い物を終えて、俺は水道を止めた。

 夕方に再集合すると約束して、一旦別れて自室に戻った。その際に、七海から紙袋に入った浴衣を受け取った。また芹沢先生にお礼を言っておかねばなるまい。

 最近あまり寝ていなかったので、集合時間少し前まで一度仮眠を取ることにした。

 目覚まし時計を叩くように止めながら、ベッドから這い出てひとまずシャワーを浴びる。

 いざ着替えようと紙袋から浴衣を取り出した。

 そして、見事に躓いた。

「……困った。非常に困った」

 三十分くらいもんもんとえっちらおっちらしていると、インターホンが鳴った。

 やばい、もうそんな時間か。

 だらしない格好だったので手早くさっきまで着ていたパーカーを羽織りジーパンを穿くと、おぼつかない足取りで慌てて玄関まで駆けていく。

 扉を開けるとそこには案の定、浴衣姿の心葉がいた。

 心葉の好きな淡い緑色の浴衣で、薄い黄色の帯で着付けている。所々に向日葵の柄が入っており、とても夏らしい。いつもは背中に流している長い艶髪は、左側で一つに縛ってサイドテールにしている。

 普段は化粧などは一切していないようなのだが、今日は軽く化粧もしているのかどこか大人っぽくて綺麗だった。

「なんか……滅茶苦茶似合っててかわいいっすね」

 もう全ての照れ隠しが吹き飛んで本音が漏れた。感情って溢れると止まらないんだなと改めて思い知る。

 心葉はこれ以上ないほど照れて口をぱくぱくさせた後、顔を真っ赤にして俯いた。

「あ、あう……あ……ありがと……」

 俺の視線を合わせるのが恥ずかしいのか、視線を泳がせながら口を開いた。

「えっとね、浴衣、凪君着方がわからないんじゃないかと思って来たんだけど」

「……おっしゃる通りです」

 芹沢先生からの浴衣プレゼントは非常に嬉しかった。しかし、浴衣を持っていないというのは持ってきていないというわけではなく、単純に着たこと自体がないのだ。

 それを見越した上なのか、着付けのマニュアルも入っていたのだが、初見では何のことかさっぱりわからなかった。

 なんだ肌襦袢って、一緒にステテコも入っていたけどこれ下に着ればいいんだよな。帯の締め方なんてちんぷんかんぷんだった。

「だと思って手伝いに来たの。上がらせてもらっていい?」

 当然断るわけもなく、心葉に部屋に上がってもらい、リビングの机に広げた浴衣を見てもらった。

 一通りあるものを確認してもらう。

 ふむふむと手慣れた手つきであるものを確認し、視線を俺の服装へと向けた。

「襦袢と、ステテコはもしかしてそのズボンの下に穿いてるの?」

「うん、とりあえず着てみたけどよくわからん」

 現在俺は、パーカーの下にその肌襦袢というものと、ズボンの下にはステテコを穿いている。

「わかった。じゃあ私ちょっと横に部屋に行ってるから、襦袢とステテコの上にこの浴衣を羽織ってくれる? 帯を締めるのと正すのは私がするから」

 言うと心葉は失礼しますと言って横の部屋、寝室の方に入っていった。

 信頼されているのかわからんが、仮にも同い年の男の寝室に簡単に入っていって大丈夫なのだろうか。部屋の間取りは同じだからわかるだろうに。

 とりあえず、パーカーとズボンは脱ぎ畳んで椅子に置くと、襦袢とステテコの上から浴衣を羽織った。こんな感じでいいのだろうか。

「心葉さーん、着てみたよー」

 声をかけると、若干顔を赤くした心葉が寝室から出てきた。中に入ってようやくどういうことか気付いたらしい。

 気付かないふりをして、心葉にとりあえず羽織った浴衣を見てもらう。

「ああっと、凪君、重ね方が違うよ。それだと亡くなった人の重ね方だから逆にして」

 そっか、これじゃ死に装束だ。自分から見るとどっちかどっちかわからなくなってしまった。

 くるっと反対側を向いて素早く折り方を逆にする。

「これでいい?」

「うん、少しじっとしててね」

 心葉は帯を手に取ると、俺の前にしゃがみ込んだ。

「んしょ、んしょっと」

 心葉は俺の腰の後ろに手を回しながら、帯を俺の体に巻き付けた。

 二人っきりの部屋で心葉がすぐ目の前にいる。先ほどのいらない想像のせいで変にどきどきしてしまう。

 会話がない静かな状況に絶えることができず、手慣れた手つきで浴衣を着付けていく心葉に話しかける。

「心葉はその浴衣も自分で着付けたのか?」

「ん? うん、そうだよ。女の子は大抵着付けを習うんだ。男の子も着付けできる人は多いよ。浴衣はともかく、袴とか巫女服とかは着る機会はよくあるからね。浴衣くらいなら簡単簡単」

 ちょっと得意げに話しながら、心葉は裾や袖を引っ張って着付けを仕上げてしまった。

「おお、なんか格好良い」

 浴衣は紺色の生地に刺し子縞の模様が入ったシンプルなものだった。普段着ている服とは違い、着心地が軽く、涼しい感じが心地良い。

「うん、凪君もよく似合ってるよ」

 心葉は自分の着付けに満足したように頷いている。

「さて、時間もいい頃だから、でちゃおでちゃお。きっと七海ちゃんはもう下で待ってるよ」

 一緒に入ってた下駄や財布などの小物を入れた巾着を持って、俺と心葉はエレベーターで一階へと降りた。

「お待たせー」

 寮を出たすぐのところで、七海が待っていた。

 一緒にやってきた俺と心葉を見て、全てを察した七海はつまらなさそうにため息を吐く。

「心葉も世話焼きね。私はとても見られたものではない浴衣姿を期待していたんだけれど」

「お前は悪魔か」

 最近ドSっぷりが目に付いてきた七海。本当に怖いよこの人。

 髪はおだんごにして頭の後ろで結っており、かんざしが刺さっている。浴衣は落ち着いた青色のもので、高校生とは思えないほど大人びて見えた。なんか雑誌の表紙を飾ってそうなイメージ。

 一瞬、頭の片隅に何かがよぎった。

 違和感を覚えた。

「じゃ、行こっか」

 それが何か気づく前に、心葉が下駄を鳴らしながら歩き始め、頭から消えた。

「で、祭りってどこでやってるんだ? この島に神社が多いのは知ってるんだけど、あんまり行ったことないんだよな」

「この島の夏祭りは最東端にある天照大神神社でやるんだ。当然、他にも神社はいくつかあるから、そこでも祭事はやるんだけど、出店や屋台は天照大神神社周辺でやるね」

「東か。この島って東西に長いよな。ここからだと距離あるんじゃないか?」

 美榊高校と街は西寄りにあり、東西の距離に比べれば北南の距離は短いため大抵電車で行くが、自転車などで高校と街を行き来することできる。

 しかし、この寮から行くとなると東は距離がある。浴衣では自転車に乗れないし、こんな日でなければバスや電車を使えばいいのだろうが……。

「美榊高校の職員は基本的に夏祭りには全員お手伝いとして行くから、さっきまで彩月さんもいたんだけど、先に神社に行くって。電車かバスっていう手もあるんだけど、今からじゃ混んでて難しいね。それでね、今日寮に残ったのは私たち三人だけだから迎えを呼ぶって言われてたんだけど、まだ着いてないみたいだね」

 なんと。先生たちは夏休みのこんな時期でさえ仕事に駆り出されるのか。ただでさえ神罰なんてものを抱えた生徒の相手をしないといけないのに、本当に大変だ。

 しかも夏祭りは全日程は五日かけて行うらしく、先生たちの休みは実質お祭りの後のの数日くらいのものらしい。

 夏祭りとしては最初と最後の日が特別大きいらしく、最終日には花火も上がるとのこと。

 毎日行くほどの強者にはなれる気はしないが、それでもある程度にどんなことが催されるのかを見ておこう。

「車来たみたいだけど、あれかしら」

 確かに校門前の道を曲がって二つのライトがこちらに向かってくる。俺たちの前でゆっくりと止まったその車は、黒塗りのセダンだ。

 何か、嫌な予感がした。

 この島の黒いセダンイコールというイメージが俺の中にできてしまっているからなのだが、今そっち系の人と会うのは気まずいとさっき話したばかりだというのに。

 運転席が開き、中から一人の女性が出てくる。

「こんばんは」

 この暑い中できっちりとしたスーツ姿。声色を落ち着いていてどこか冷え冷えとしていた。

 俺たちは一様に固まった。こんばんはという言葉を返すこともできなかった。

「せ、先輩? ま、まさか先輩が、お迎え……?」

 七海の問いに女性は首肯する。

 迎えにやってきたのは、先日鮮烈な模擬戦をした、結衣さんだった。


  Θ  Θ  Θ


「この座る位置、おかしくないか……」

 誰にも聞こえないようにぼそぼそと呟く。

 運転席には結衣さん、後部座席には女子二人、助手席にはこの気まずい中、俺が押し込められていた。

 車内は冷房が効いていて心地良いのに、俺は嫌な冷や汗が体から吹き出すのをどうにか堪えようかと必死だった。

「私が迎えでは、ご不満ですか?」

「いや、そういうわけではないのですが、ちょっと意外だったもので」

「彩月さんは私にとって尊敬すべき先輩です。頼まれたのであれば断ることはありません」

 さらっと結衣さんに頼むのは、彩月さんの優しさなのか悪戯心からなのかはわからない。

 左にあるサイドミラーを覗き込むと、すぐ後ろに座っている心葉がおろおろとしているのが見える。後ろ目に見ると心葉の隣に座る七海は全て知らんぷりを決め込んでいる。

 やれやれと小さくため息を吐く。

 運転をしながら、結衣さんがちらりとこちらに視線を向けた。

「そんなに気にしなくても、取って食ったりはしません」

「いや、そう言われましても……」

 結衣さんは、無表情を緩めて微かに笑った。

「あの日は私もピリピリしていました。失礼なことをいくつも言ったと思います。申し訳ありませんでした」

 真っすぐな謝罪。そこに裏の考えや思惑などは含まれていない。

 しかし、結衣さんの頬には僅かな朱が指していた。それは夕暮れを受けてのことではないだろう。

 緊張していたのはこちらだけではなかったようだ。

 それがわかると、俺も幾分か気が楽になった。

「こちらこそ、色々すいませんでした。お体の方は大丈夫ですか? 無理矢理縁を断ち切るなんてことをして」

「それはあなたが気にすることではありません。あの場で縁を切れますなんて言われても、はいそうですかとは受け入れられなかったでしょうから、勝手に切ってくれてむしろ感謝しています。自分からだと、妖刀とわかっていても手放せなくなっていたからもしれませんからね」

 確かに、妖刀は所持者に悪影響を及ぼすが、戦闘力で言えばその力は明らかに突出したものを持っている。自分の体のことを考えるか、力を取るかは天秤にかけるのは難しい。

 しかし、俺たち神罰への参加者ならまだしも、結衣さんのような卒業した人にはそこまで大きな力は不要だ。だからこそ俺は結衣さんの縁を切断したわけだが。

「体はそうですね、ここ数年で一番気分がいいですね。気持ちも、なんだか晴れやかに気分です」

 ふふっと小さな笑みを漏らす。

 以前会ったときの結衣さんとは別人のようだ。顔色もずっとよくなっていると、血色もいい。性格まで変わっているように見える。妖刀を所持していたことで、心にもやのようなものがかかっていたのかもしれない。

 きっとこういう部分も神降ろしが禁術に指定されている所以なのだろう。

「正宗は、もう消えましたか?」

 結衣さんにちらりと視線を向ける。

 横顔からは先ほどまでの笑みは消えており、微かに懐かしさのようなものが滲んでいた。

「ええ、何日かは形を保っていましたが、ちょっと前に消えました。だから、安心してください」

「……本当に、ありがとうございます」

 ほっとしたような声音だったが、そこには他にも戦友との別れや寂しさのようなものが見え隠れしていた。

 自らの命を削り続けていた妖刀とは言え、結衣さんにとっては長年もともに戦ってきた愛刀だったのだ。

 そこに何かしらの感慨があっても不思議ではない。

 交通量は東に進むに連れて増え始めた。舗装された道には浴衣のカップルや親子連れなどの姿が見受けられる。

 横断歩道で信号が赤に変わり、白線から一メートルほど離れて停車する。

 結衣さんは後ろでがちがちになっている女子二人に視線を向ける。

「今日は両手に花で夏祭りですか。羨ましい限りですね」

「いや、そんなんじゃないですから」

 苦笑しながら否定する。

 窓の外にずっと視線を投げていた七海が少し体をずらして結衣さんの方を覗き込む。

「そんなに羨ましいなら、結衣先輩もハーレムに加わりますか?」

 こいつは一体何を言っているのだろうか。結衣さんがそんなボケに乗るわけ……。

「なっ……! な、何を言っているんでしょうか……っ」

 眼鏡の向こうの目が揺れに揺れている。

 ……なんかめっちゃ動揺しとる。

 話を振った七海も予想外の反応に固まっている。

 心葉が窓と座席の隙間に顔を滑り込ませてぼそっと呟く。

「……脈ありな感じがするんだけど、どうするの?」

 どうするのじゃねぇよどうもしねぇよ。

 無言で心葉の額に指を当てて後ろへと押し返す。

 いたたまれない空気になってしまったので、俺は咳払いをして視線を前に向ける。

「なんか、今日は人が多い気がしますね。もしかして島外からも来ているんですか?」

 結衣さんは色々ごまかすように深呼吸をして前を向く。信号が青に変わり、車は緩やかに走り始めた。

「そ、そうですね。この時期はお盆も重なりますから、島外からの人もそれなりに戻ってくるんです。この島と繋がりがない人は入ってくることはできませんけどね」

 そう言えばお盆か。俺も母さんの墓参りに行かないといけないな。父さんは、帰って来られないだろうし。

「だからわかっているとは思いますけど、力の使用は御法度ですからね。お互いのためになりませんから」

「はは……わかってますよ」

 この島では情報統制は何よりも重要だ。島の機密が外に漏れないように、様々な工夫が施されている。

 そんな中でも、無関係な人に情報が漏れるということは稀に起きてしまう。閉鎖的な島とはいっても、完全に遮断しているわけではないので仕方がないと言えば仕方がない。

 その際は、まず神力を使った島民の厳罰。そして、神力の存在を使った人間には術を施し、この島から返すのだ。その術は一種の夢を見せるようなもので、見たものを夢のように感じさせる簡単な術だ。

 何にしても色々面倒なことが起きるのだ。

 普通の島民なら厳罰でもしれているだろうが、俺がそんな真似をしたら一発で島外退去だ。飲酒運転と同じレベルの罰則だ。

 神社に近づくにつれ、人が明らかに多くなっていき、車の進みが遅くなる。しかし結衣さんの車は誘導をしている人に優先的に案内をされ、停車している車を追い抜いていく。

「これでも警察の車です。優先的に入れますよ」

 職権乱用じゃないのかコレ。

 渋滞する車を全て抜き去り、広い駐車場の一角に車は止められた。

「着きました。私はこれから仕事があるので、ここまでしかお付き合いができません。今日は楽しんでいってください」

「はい。今日は送っていただいてありがとうございました」

 先に、心葉と七海が車から降りた。

 俺は少し残り、結衣さんに一つの質問を投げかけた。

「詳しいことは警備に関わるのでお伝えはできませんが……」

 簡潔ではあったが、結衣さんは俺の質問に答えてくれた。

「ありがとうございます。それだけで十分です」

 目的を果たすのは難しそうだ。

 結衣さんは最後に綺麗な笑みを浮かべて頷くと、そのまま車を回して去って行った。

「あの笑みには絶対深い意味があるわね」

「あ、私もそう思った。やるね、凪君」

「からかうなって……」

 げんなりと肩を落としながら小さく息を吐く。

 あの様子なら、大翔さんから御堂の真意については何も聞いていないのだろう。

 結衣さんはかなり御堂のことが堪えていたようだし、信仰も深そうだ。結衣さんのような人が御堂のことを知るべきではない。大翔さんの考えも概ね俺と同じということだろう。

「さて」

 歩き出すと下駄が小気味のいい音を立てた。

「でっかい鳥居だな」

 目の前にあるのは大鳥居。赤い柱が薄暗くなってきた今でも周囲にある提灯の光を受けてはっきりと見える。

 その下を多くの人が通っていく。

 大鳥居の向こう側には、屋台や出店がお互いを押し退けるように並んでいる。わたあめやたこ焼き、焼きそばなどの定番の食べ物から、射的や輪投げなどのゲームも所狭しと並んでいる。

 既に祭りは始まっているのか最初からお祭りモードなのかはわからないが、祭りの熱狂にはただただ圧倒される。

 本土の祭りも凄いは凄かったのだが、この祭りにはただ迫力があるわけではなく大きな活力を感じる。それぞれが、この祭りを盛り上げようと、いいものにしようと奮起しているのだ。

「この鳥居を真っすぐ行けば、本殿があるわ。玲次はもう中に入って今頃祈祷の最中ね。もう少ししたら神輿と一緒に出てくるはずだから、早めに行きましょう」

 七海は人の波を押し退けるようにしてずいずいと進んでいく。気を抜いたらあっという間に置いて行かれそうだ。

「おい、心葉行くぞ」

 振り向いたが既に心葉はそこにいなかった。

「わああああああ」

 情けない声とともに心葉が人混みに流されていった。

 人でできた大波に飲み込まれて、助けを求めるように振られる両手だけが見える。

 おぼれるようにずるずると沈み込んでいく心葉。

「どんだけベタなやつなんだよ」

 人混みに手を突っ込み、そこから窒息しかけた心葉の手を掴んで引っ張り上げた。

「どうすればそんなに流されるんだよ」

「だ、だって、私ぐいぐい行くの苦手で……ハッとすると他の人たちがわーっと……」

 擬音ばかりで何を言いたいのかいまいちわからない心葉に苦笑する。

「ほら、こっちだこっち」

 掴んだ手を引き、先に行った七海を追いかける。

「あ、ありがと……」

 恥ずかしそうに頬を染めながら心葉が俯く。

 我ながら大胆なことをしているもんだ。

「お前の手って本当に冷たいんだな。寒がりは大変ですな」

 気まずさを誤魔化すために話を振る。

「うん、凪君の手は温かくて気持ちいいね」

 なにやらさらに気まずくなる一言が返ってきた。

 心葉を自分が言ったことが後になって恥ずかしくなってきたらしく、ますます赤くなった。

「まあ、いいよ。俺の太陽の手を好きなだけ握っているがよい」

「はは、ごめんね」

 人の波は止まることを進めば進むほど勢いを増していく。

 心葉は俺が手を引いていないとすぐに最後尾まで押し返されることだろう。

「お前、去年まではそんな調子でどうやって前に進んだんだ?」

「これまでは玲次君と七海ちゃんが一緒に私に合わせてくれたから。今日は玲次君がいないし、七海ちゃんも早く玲次君の晴れ舞台を見たかったみたいだから、先に行っちゃってるみたい」

「あいつも素直じゃねぇな」

 普段はつんけんしているくせに、あいつも玲次も世話の焼けるやつだ。玲次も七海が見に来てくれればそれは喜ぶだろう。

 心葉もしんどそうだし、七海も俺や心葉がいない方が感情を表に出しやすいだろう。俺は歩く速さを落とした。

 ずっと前を先行していた七海が後ろを気にして振り返る。俺が姿勢を低くすると心葉を察してくれて身を縮めた。

 七海はしばらく俺たちを探しているようにきょろきょろとしていたが、肩をすくめて前へと進んでいった。

「お節介だねぇ、凪君も」

「ほっとけ」

 七海が俺たちを見失ったところで、また前へと進んでいく。

 祭事において氏子の役割がすぐで終わるということもあるまい。これほどの大きな祭りだ。玲次の晴れ舞台を見る機会はまだあるだろう。

「俺も本土とかの祭りじゃ、よく友達とはぐれたもんだよ。皆は強引に行くけどさ、俺は譲ってばっかだからすぐ置いてかれたよ。見つけられる気もしなかったから、皆で止めた駐輪場で一人花火見てた」

「へぇ、意外だね。凪君って、もっと積極的な人だと思ってたよ」

「女の子の手も簡単に繋ぐし、って?」

「いやぁそういうわけじゃないけど」

 心葉はおかしそうに笑う。

「俺はそんな熱を持った人間じゃないよ。本土での俺は死人も同然だった。何をすればいいかわからない、やりたいこともない、ただ、周囲がそんなことをしているから、同じ道を通らないとってな」

 自分ができるだけの勉強をして、自分ができるだけの役割をこなして、何の特徴もない生活だ。

 周囲の人間からしたら、俺はおそらく背景の一つと変わらない程度のものだったろう。

「エスニックジョークって、知ってるか?」

「あの、民族とか国民を現したって言う?」

「そうそれ。一番有名なのがたぶん、客船から沈没する乗客にどう声をかけて飛び込ませるかっていうものだと思う。日本人は、皆飛び込んでるって言ったらいいっていうのがあるんだ」

「ああ、つまり流されやすいって言う」

「そういうこと」

 周囲の人間に流されるまま、なんてことない日常を生きていた。

 過去を思い出しても、あまり楽しかったり嬉しかった印象的な出来事はない。惰性だけで生きてきた俺の人生に、意味などなかったのだ。

 屋台や出店などが固まっているところを抜け、ちょっと人通りが少なくなって心葉が俺の横に並んだ。

「なら今の凪君はアメリカ人かな」

「アメリカ人?」

「うん、アメリカ人には確か、ここで飛び込めばヒーローですよって言うんだよ。今の凪君はさながらヒーロー、勇者だよ!」

「勇者ねぇ……」

 引きつった笑みを浮かべながら自分には似合わない単語を口にする。

「そんな大層なもんじゃないよ。俺はただ子どもなんだ。自分が納得がいかないことは許せない。理不尽は許せない。それだけなんだよ」

 これまで多くの人が通り道をなんとなく歩いてきたから、社会に当たり前にある納得できないことも理不尽も、俺は経験していないだけなんだ、きっと。

 心葉のひんやりとした柔らかい手が、微かに強く握られた。

「そんなことないよ。凪君は、子どもなんかじゃない。納得できないとか、理不尽とかじゃなくてね、心の中に真っすぐとした折れない芯を持っているんだよ。世界中の皆にとってそうでなくても、凪君は私にとっての、世界で一番凄い勇者だよ」

 心葉の言葉が、真っすぐに俺の心に落ちる。

 それは、暖かいものとなって満たされていく。

「俺が勇者ってことはさ、心葉は、お姫様かな」

 一瞬ぽかんとした心葉だったが勇者との関係性を理解したのか、ポンと音を立てて、顔を上気させた。

「はっはっは」

 リンゴのように顔を赤くし俯く心葉を尻目に、豪快に笑いながら歩みを進めて少し先を歩く。

 俺の顔も、きっと赤くなっているだろうから、見られたくなかったのだ。

 落ち着きを取り戻した心葉に案内をされ、天照大神神社の本社前にやってきた。摂社や末社は、周囲やここに来るまでにいくつか存在しているが、本社は別格に造りになっている。神殿の屋根と平行な面が正面に来ており、左右対称の造りとなっている。高床式倉庫のように高い位置に床があり、神殿入り口に向かって階段が伸びている。

 本社の前、人だかりの中心には立派な神輿が鎮座している。全体的に金色の装飾によって装飾された小さな神殿のように造られた神輿。天辺には大きな鳳凰が翼を広げている。

 神輿の周囲には神輿を担ぐ二十代くらいの人たちが、鯛口シャツや白股引、足袋などでがちがちに固めて立っている。全員本社に向かって頭を下げ、自分たちの役目が来るのを待っている。

 本社からは、太鼓を叩く音と祝詞が聞こえてくる。

 人だかりの人が少ないところを狙って分け入っていき、俺と心葉は最前列までやってきた。

 俺たちが来たのは祭事の終盤であったようで、数分経つと祝詞が終わった。本社から神主や氏子たちが降りてきた。

 神輿は五日をかけて美榊島を回る。神主や氏子たちはそれに付き従い、島中の神社を巡り、その場所場所で祭事を行っていくのだ。

 立派な装飾の袴に身を包んだ神主が神輿を前に、再び祝詞を読み上げる。事実上、この美榊島の神主の中でトップに立つ人なのだろう。本土では神社庁という神道の人たちによって構成された組織があるが、この美榊島は独自の組織を持つと聞く。

 短い祝詞の後、周囲の人たちを大きな盛り上がりを見せた。喝采に包まれる中、二十人以上の若者たちによって神輿が担ぎ上げられた。

 人だかりが割れ、神輿の行く道を空ける。

 神輿が人の合間を縫って進んでいく。

「あ、玲次君だよ」

 心葉が左手で神輿の右後ろに従う氏子に目を向けた。

 言われるまでそれが玲次だと気付かなかった。玲次の姿は、いつもの脱力した雰囲気を微塵も感じさせないほどきっちりとした服装をしている。神主とはまた別の種類の袴を纏っており、祭具を手にゆっくりと進んでいく。

「……なんか、格好いいな」

 ただただ感嘆してしまう。

 普段はおちゃらけた印象しか持たない玲次だが、やるときはやるもんだ。

 俺たちの少し横で、バシャバシャとカメラのフラッシュが焚かれている。玲次は結構なイケメンだし、性格も女子受けがいい。人気があるので追っかけか何かだろう。

 玲次の視線だけがこちらに向いた。しかし、それは俺たちに向けられたものではなく、カメラのフラッシュが焚かれている方だった。

 ふっと口元が緩む。

 再びカメラのフラッシュが光る。

 俺と心葉は揃ってそっち方向へと目を向けた。

 先ほどまで俺たちと一緒にいた青い浴衣を着たやつがデジタルカメラを連写していた。

 見たこともない女の子女の子した笑みを浮かべて、玲次に向かって小さく手を振っている。

 玲次もそれに手を振り返す。

 そして、ちょっと横にいた俺と心葉に気付き、こちらにも手を振ってきた。

 玲次はそれっきり前を向き、また祭事に意識を戻していった。

 玲次の視線を追って、カメラ少女がこちらに気付いた。

 狐につままれたような表情をしていたカメラ少女、七海は口をわなわなと震わせている。

 俺と心葉は顔を見合わせる。

 頷き合い、揃って七海に向かって親指を立てた。

「「グッ」」

 わかっているよという生易しい視線を送ってやる。

「――――ッ!」

 羞恥と怒りに顔を染め、隠すようにカメラを巾着にしまった。もう既に遅いが、

 神輿が去って行くともに、周囲の人たちも神輿を追っていった。

 人が少なくなったところで、どす黒い炎を背負った七海がじろりとこちらに目を向けた。

「突然いなくなったと思ったら、二人でしけ込んで結構なことで……」

 七海に言われ、未だに心葉と手を握り合っていたことに気付く。

「「わっ!」」

 お互いにぱっと離れ、照れ笑いを浮かべる。

「このラブコメカップルが……」

 呪詛のように唱える七海。

「お前にだけは言われたくねぇ……」

 これが俗に言うクーデレかと思ったが、口にすると殺されそうなので止めておいた。

「べ、別におかしなことじゃないから、ね? 七海ちゃん落ち着いて」

 心葉に宥められて七海はふーふー言いながら気持ちを静めた。

 客観的に見て十分おかしな風景に見えたが、これも口にするのは止めておこう。

「……私は神輿に着いて行くわ」

「あ、だったら私たちも――」

「あんたたちはここで遊んでなさい」

「え、でも」

 七海ががしっと心葉の肩を掴む。

「……いいから、あんたたちはここに残って」

 有無を言わせぬ笑顔が心葉に向けられる。

「はい……」

 心葉が小さくと頷き、続いて七海の目がこちらに向く。

「わかったから早く行けよ。神輿、行っちまうぞ?」

 笑いそうになる口を必死に噛み殺しながら七海に告げる。

「あんた、祭りが終わったら覚えてなさいよ」

「いやー、忘れろって言われても無理でしょ」

「くっ……!」

 悔しそうに歯を食いしばる七海は、それ以上何も言わずに恨めしげな視線だけを残して、足早に神輿を追いかけていった。


「海で玲次君がそんなことを?」

「ああ、自分は総一兄ちゃんの代用品だとか、今でも七海は総一兄ちゃんのことが好きだからとか、珍しくなよなよしたこと言ってたよ」

 本社から再び出店が並んでいた場所に返りながら、あの日玲次が聞かせてくれた心中を、心葉に話した。別に止められていたわけでもないし、玲次も心葉になら怒りはしないだろう。

 そっかぁと、心葉は悲しそうに呟く。

「七海ちゃんが総一さんを好きだったのは、たぶん間違いないと思う。でも本人に聞いても違うとしか言われないよ。嘘を吐いているんじゃなくて、わからないだけみたいなんだけどね」

 七海は元々嘘を吐かない。

 心葉のことを俺に隠していたときでさえ、極力言葉を減らし、誤魔化していたが決して偽りはしなかった。それは七海の真摯な気持ちを体現した。

「でも、今もそうだとは限らない。少なくとも私は、七海ちゃんが玲次君を代用品と見てるなんて絶対にあり得ないって思う」

 そこには、子どもの頃から姉妹のように育ち培った関係からきた自信があった。同様の言葉を吐くなら俺にもできるが、決して同じ重みになることはない。心葉だから言える言葉だ。

「そうだよな。傍目から見ても、玲次のことを何とも思ってないようには見えないよな」

 普段の関係と言い、先ほどの珍行動といいだ。

 小さく息を吐き、眼下に広がる大鳥居まで真っすぐ伸びた出店の光によって象られた道。本社は低い山の上にあり、中腹からはその景色を見下ろすことができる。

 足を止め、心葉と二人で幻想的な空間に浸る。

「まあ、神罰が終わればはっきりするだろ。俺たちの役割の大部分は神罰だ。神罰が終われば、自然とそれ以外のことに目が向く。そうしたら、お互いのことに気付くだろ」

 今は、きっとまだわからない。

 お互い、死ぬ可能性がある戦いの中で、お互いの気持ちなど伝える余裕などない。それを伝えてしまえば、もう後戻りはできないからだ。

 だからこの島は、許嫁という形で現状を誤魔化しているのだ。

 周囲が決めた取り決めだからと、心の片隅で偽ることができる。自分たちの意思ではない、相手が死んでも生きていける。割り切ることができるのだ。

 でも、伝えてしまえば、もう戻れない。変えられない。逃げられない。

 心葉のひんやりとした手が、俺の手にぶつけられた。

 少し低い位置にある小さな顔を見下ろす。

 心葉も、こちらを見返してきた。

 お互いに、どちらからともなく、再び手を握る。

 周囲には多くの人が行き交っているのに、世界に俺と心葉しかいないように錯覚する。

「私たちも、神罰が終われば、何か、変わる?」

 潤んだ目に、吸い込まれそうになる。

 胸が苦しくなった。

 何か言ってあげたい。答えてあげたい。

 ただ、胸から言葉はいくらでも溢れてくるのに、それは声になる前に霞み、音になることはない。

「――変わる」

 その言葉を絞り出すのが、大変だった。

「俺が、変えるよ。神罰を、この島を、玲次と七海を――」

 視線を前に向け、空へと移す。

 空には、太陽と対極をなす満月が浮かんでいる。

「俺と、心葉の全てを変える。だから――」

 先に言葉を、もう続けることができなかった。

 心葉はそこまでの答えで満足したのか、子どものように無邪気な笑みを浮かべた。

 そして、俺の手を引いた。

「行こ。祭り」

「……おう」

 俺も笑みを返す。

 これでいいのかはわからない。

 父さんに話したら、根性なしと笑われるかもしれない。

 皆から見たら中途半端だとけなされるかもしれない。

 今の俺にはこれが精一杯。

 それでも、俺は、俺たちの関係は確実に前に進んでいる。

 神様、許されるなら、この時間が、いつまでも続きますように。

 俺たちの未来に、力を貸してください。

 この祭りで、俺たちは神を待っていた。

 神が訪れてくれたのなら。

 どうか、どうか――

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