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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
20/43

19

 翌日の終業式。

 芹沢先生が壇上で一学期の神罰が終えたことを告げている。

 始業式にはいなかったので、このような式に参加すること自体が初めてだが、広い体育館に二百人もいない生徒が整列していると、どうにも言えない寂しさがある。

 現段階で生き残っている生徒は百八十人ほどだ。

 一学期では、例年からすると死亡者は少なめだ。本来は一学期の内に多く死亡者がでて、徐々に減っていくという傾向にある。

 それは神罰に慣れていくことが理由なようだが、強力な神罰が多いと言われている今年の中で、玲次たち強い生徒が十分にいることが理由だろう。

 生徒たちはようやく神罰に一区切りをつけることができ、夏休みという真に自由な時間へと解放されるのを心待ちにしている。

 十分ほど話していた芹沢先生が締めくくるように言った。

「以上で、一学期の全行程を終了する。夏期休暇中に神罰は来ないが、二学期からも間違いなく神罰は始める。そのことを忘れぬよう、肝に銘じるように。私は、ここにいる君たちが一人でも多く生き残って神罰を終えられることを祈っているよ」

 芹沢先生は、決して全員が生き残れなどとは言わなかった。

 心葉という紋章所持者がいる以上、普通通りの道筋を辿っては、全員が生き残るという終わりはあり得ないのだ。

 これまでなら、それが普通だった。

 俺はその常識を覆すことをやらなければいけない。

 これから始まる夏休みは、もっとも活動しやすい時期だ。高校に縛られることもなく、神罰も気にせずに調べることができる。

 ただ、心の中に焦りも積もっていく。

 神罰が始まってはや四ヶ月が経過した。一年しか時間がない中で、もう三分の一が過ぎてしまった。

 この期間内に神罰を止めるか、神罰を起こしているやつをどうにかする必要がある。

 そうしないと、心葉は……。

 転校してきたため出席番号が一番最後なので、最後尾から一つ前にいる心葉を見る。

 教室で紋章所持者の位置が決まっているように、出席番号においても元々は最期であるため、俺のすぐ前にいる。

 前を真っすぐ向いている心葉の表情はここからは当然見えない。

 しかし、俯くこともなく芹沢先生の方を真っすぐ見ていることだけはわかる。

 自分にとって辛い話がされているにも関わらず、心葉は折れずにその場に立っている。

 周囲からどれほどの視線を向けられても、言葉をぶつけられても揺れることなく前を見る心葉。

 絶対に、救ってみせる。

 終業式が終わり、一旦教室へと戻る。この後、簡単なホームルームがあった後、夏期休暇へと入るのだ。

 そして、ホームルームではつい先日行われた期末考査の結果が返却されていた。

「ノオオオオオオッ!」

 全て返ってきた答案用紙を投げ捨てながら玲次が奇声を上げている。

「オオォォ……」

 電池が切れたようにバタンと机に突っ伏し、玲次はそのまま動かなくなった。

 他の生徒にとっては慣れた光景なのか、ほとんどの生徒が見向きもせずに自分の結果と向き合っている。

 俺の席の横に、全てのテストの点数と順位が記載された用紙が舞って飛んできた。

 それを床に落ちる直前にキャッチする。

「……」

 無言で目を通りしていく。

 後ろの席から、心葉が興味を示して覗き込んでくる。

 A4サイズの用紙に合計十科目ぐらいのテストの点数と平均点、順位、それから右下に総合順位が記載されている。

「……なんだこれ」

 玲次の点数は見たこともない現象が起こっていた。

 全ての科目が平均点のプラスマイナス五点を守り、その範囲で綺麗に並んでいた。

 挙げ句の果てには現在の生徒数が奇数だったため、順位は見事ど真ん中を射止めていた。

 後ろからその結果を覗き込んでいた心葉は、苦笑をして机に突っ伏している玲次を見やる。

「玲次君、いつも点数は平均点の前後を彷徨うんだ。凄いのが、いくら勉強をしても平均点を少し超えるくらい。まったく勉強をしなくても平均点を少し下回るくらいなの」

 なんか滅茶苦茶悲しくないかそれ。

 何とも言えない思いで玲次の成績表を見ていると、横から伸びてきた手がひょいと成績表を取り上げた。

 少し冷めた目で玲次の成績表を眺めるのは、いつの間にかやってきた七海だ。

「毎回いつもいつも平均点をマークするのものだから、皆、玲次を超せば平均点だ、あいつには絶対に負けないなんて変な闘争心を燃やしているわ」

 もう可哀想を通り越して憐れに思えてきた。同情する。

 突っ伏している玲次の口から魂のようなものが抜け出して教室を彷徨っている。

 教室の所々でも、成績がどうなっているかお互いに見せ合っている光景がある。

 いつもは神罰で頭が一杯で普通の高校生らしいことはほとんどできていない生徒たちだが、神罰のことがなければ普通の高校生と何も変わりない。

「えっと、お前らの立場で平均点はやっぱダメなのか? 生徒会は上位にいないといけないんだろ?」

 玲次は廃人と化しているので、なんとも言えない表情で玲次の成績表を見る七海に尋ねる。

 七海は眉をひそめて小さくため息を吐いた。

「別にダメってことはないわ。この高校でテストの成績なんて、別にどうでもいいものよ。重要なことは他にあるから」

 最後の一言は声の大きさを落としていた。

 ここで神罰などと口にして、周囲の空気を壊さないという配慮だろう。

「私だって別にテストの内容なんて気にしたことないわよ」

 しれっと言ってのける七海。

 死んだようにじっとしていた玲次だったが、近くに魂がやってきたときにそれを鷲づかみにして口の中に放り込んだ。

 そして、机をバンと叩きながら立ち上がり七海をビシッと指さした。

「そんなこと言うならお前の成績表を見せてみろ!」

 七海は玲次に一瞥をくれると、どこに持っていたのか自らの成績表を玲次に向けた。

 俺の心葉も左右から玲次の後ろに回ってその内容を確認する。

 その成績はさすがと言うべきか、見た目や素行を裏切らない好成績だ。

 特に苦手な科目はないようで、全体的に高い点を取っていた。

 順位も全体で四位という高い位置にいる。

「出たよ出たよッ! 俺と同じでまったく勉強しないくせにいっつも上位にいる! 不公平だあああ!」

 玲次は頭を抱えて叫びまわる。

 やはりいつもの光景なのか、周囲は苦笑して二人を見ている。

「不公平とは失礼ね。私は普段から授業はまじめに聞いているし、予習復習もやっている。テスト勉強は確かにしていないけど、同列に考えられるのは心外ね」

 確かに玲次は普段から授業を真剣に受けているとは言いがたい。俺と違って授業は毎回受けているのだが、寝たりぼーっとしていたりと自由にやっている感じだ。

 神罰だと本当に頼りになるやつなんだが、勉学の方は得意というわけではないのだろう。

 当たり前だが、この成績表には戦闘技術や神力などの内容は含まれてはいない。

 競い合って伸ばすのは重要なことだが、元々戦闘技術や神力は優劣を付けるものではない。

 神罰で生き抜くために、命がけで勝ち取らなければいけない技術なのだ。

 判断基準は自らを守るために使えるかどうか、誰かを助けるために足りうる力かどうかというものだけだ。

 誰に評価されるものでもなく、自らの技術を身に付けていくのだ。

 だからこそ、この成績表は生徒にとっては形だけのものであって、それほど重要視されていないわけだが、玲次たち生徒会や島での立場が高い人間にとってはそれなりに重要なものなのだろう。

「ああ、またお袋に怒られるよー……」

 玲次は再び机に突っ伏しながら呻いて体をじたばたと動かす。

「大丈夫じゃない? 神罰では十分結果を残せてるんだから、そっち方面で褒められこそするんじゃない?」

 七海は成績表をひらひらさせながら言うと、玲次は恨めしげな視線を七海に向ける。

「甘いよ。それで許してくれるほどお袋は甘くない。親父はその辺無関心だからいいんだけどさ。うわぁ……」

 再び呻きながら足をじたばたさせ、机ががたがたと音を立てる。

「ああ……心葉、お前の点数をちょっとでいいから分けてくれ……」

 すがるような目で玲次は心葉を見上げる。

 急に話を振られた心葉だが、驚いた様子はなくただ苦笑している。毎度のことなのだろう。

「ちょっと点数を分けた程度じゃ、不動の一位は動かないだろ? ほんの少しでいい。ちょっとだけ点をくれれば、真ん中から脱出することができるんだ」

 それってほとんど誤差じゃん。何の意味があるんだよ。

 それでも玲次が必死なのは十分理解できるが、それならもっと勉強をしろというのはダメなのだろうか。ダメなんだろうな。

 勝手に自問自答して納得しておく。

 ここで何か言ったら飛び火しそうだし。

 話を振られた心葉は小さく笑って自分の成績表を取り出した。

「ははは、悪いんだけど玲次君、今回は分けて上げられる点数はないかな」

 成績表を胸の前に広げると、玲次と七海が覗き込む。

「「なっ……!」」

 そして一様に目を見開いた。

 成績表に記されている点数は軒並み高い。満点である科目もある。

 順位は二位。

 普段から図書室などで毎日勉強しており、その成績が如実に表れている。

 しかしその順位は玲次と七海からすれば信じられないもののようだった。

「心葉が二位……? 一体何があったって言うの? 神罰のことがあったから? 体調が悪かったの?」

 親ばかのうわ言のように七海が繰り返している。

 玲次は目を揺らしながら首を横に振る。

「い、いや、点数自体はいつも通り、むしろこれまでより高い点数だ。それなのにどうして……」

 どうやら二人は心葉の順位が二位ということが信じられないようだ。

 心葉の成績がこれまでより上がっているのは、おそらくほとんどの時間を自分の勉強に充てていたからだろう。要領がよくなければ自習でそこまで高い効果は得られないが、心葉はその辺り上手にやるから点数はその現れだろう。

「なんでどうしてだ……。これまで一度として揺らいだことのなかった一位の座を、揺るがすようなやつこの学校には……」

「こんな状況で成績が落ちるこそすれ上がる生徒なんて普通いない……。だとすれば……」

 二人がなにやら嫌な結論に辿り着いたように動きと思考を止めた。

 これ以上、ここにいるのは危険だ。

「……さて、最近疲れが溜まってるから寮に帰って休むかな。いやー、夏休みってのはいいもんだよな」

 窓と机の間に置いていた荷物を背負いながら、先ほどまで机に伏せて置いていた成績表を折ってズボンのポケットに突っ込む。

「夏休みでも寮にいたら頻繁に会うよな何か用があったらいつでも連絡してくれじゃ、お先」

 早口でまくし立てて二人の間を通り抜ける。

 だが、すぐに左右から伸びてきた腕が俺の両肩を掴んだ。

 ミシミシと音を立てるほどの強さで掴まれた肩は、ちょっとやそっとでは外れそうにないほど力が込められている。

「……あのー、手、肩に食い込んでますよ。普通に痛いです。ちょっとこれ人を掴む強さじゃないですって」

 体を揺すろうとしても体が固定されたように動かない。こいつら仙術使ってやがる。

 二人は、にっこりと笑ってこちらを振り返った。

「いやー、凪よ。帰るのは構わないんだけど、俺たちまだお前の成績表見てないなーなんて」

「ああ、ちょっと悪過ぎてな。人に見せられる点数じゃないんだ。悪いな」

 引いてくれる可能性など欠片も考えられないが、とりあえず抵抗はする。

「私たちのを見て自分のを見せないってのはちょっとないんじゃない? 不公平でしょ?」

 本来ならここまで食い下がるはずがない七海が離れてくれる気配を見せない。

「いやいや、見ても面白いことなんてないって。俺っていう人間が確実に不幸になるのにそんなもの見てお前らSなの? 言っとくけど俺はMじゃないぞ」

 冗談を言ってごまかそうとしてみるが、二人は微笑を湛えるのみ。

 周囲に他の生徒は結構残っているが、誰も助けてくれる者などいない。今まで散々自分勝手にやってきたため、俺を助けるような変わり者はいないが。

 むしろざまあみろという視線は結構感じる。

 逃げ道はない。

 いやまだ望みは――。

 唯一味方になってくれそうな心葉に視線を向けた。

 心葉は、誰もが安堵する笑みを浮かべていた。

 そして、胸の前で両手を合わせて、にっこりと笑う。

「私も、凪君の成績表見たいなー」

 くそう八方塞がりか! 人に頼ってばかりではいけないってつくづく思う。

 そんなわけで、力尽くで突破することにする。

 なぜか都合のいいことに、今後ろにあるグラウンド側の窓は開いている。

 俺は体を急に後ろに引いた。

 玲次と七海は驚いてさらに力を込めるが、腕は俺の体をすり抜けた。

 二人はがっちりと両肩を押さえていたが、俺が廊下の方に逃げないように押さえているので、反対側に体を動かせば押さえが効かなくなり、簡単に手が外れた。

「悪いな。それじゃ」

 玲次と七海の拘束を抜け出した俺は、そのまま窓枠に飛び乗った。

「あ、これが凪の成績表っすね」

 いつの間にか横に立っていたやつが俺のポケットから成績表を掻っ攫っていった。

「なっ……お前どっから沸いた!」

 理音が奪った成績表を奪い返そうと手を伸ばすが、理音はのらりくらりとそれを躱す。

「おもしろそうな話が聞こえたので窓開けて外からやってきました」

 ここの窓を開けたのはお前か!

 どうやら、初めから俺に逃げ道はなかったようである。

 なんとか中を見られる前に取り返そうと理音へと向かうが、俺の前に先ほどまで遠巻きに見ていた数人の男子生徒が俺と理音の間に立ちふさがった。

「ちょっと待てお前らまで一体なんなんだ!」

 クラスメイトとは積極的に交流を行っているわけではないが、神罰でともに戦っている以上、多少のやりとりはある。

 今俺の前に立ちふさがっている男子生徒たちも、普通に会話するくらいの仲にはなっているが、こんな積極的に絡んでくるようなやつらではなかった。

「いつも散々授業をサボってるお前の点数を高校全体に広めるチャンス!」

「嫌がらせ?」

「戦闘技術では敵わないかもしれないけど、テストの点数では絶対に負けない! 三位の俺を甘く見るな!」

「完全な死亡フラグですね」

「なんとなく乗ってみたんだけど」

「さっさと引っ込め!」

 出てきた三馬鹿の相手をしている間に、理音が後ろにあるロッカーの上に飛び乗った。

「さあさあ皆さんお立ち会いお立ち会い! ここで凪の成績表を公開しまーす」

 理音が大声で呼びかけるとクラスメイトから拍手喝采が響き渡る。

 何これいじめ? 完全ないじめだよね?

 既に止められる雰囲気ではなく、クラス全体が沸き上げっている。

 もうどうにでもなれ。

 理音はどや顔で盛り上がるクラスメイトを諫める。

 理音や他のクラスメイトたちは途中からしかやりとりを見ていなかったからか、成績表の内容を心待ちにしている様子だが、やりとりを行っていた張本人である玲次と七海は、どこか引きつった笑みを浮かべている。

「じゃじゃーん! これが凪の成績表っす!」

 高々と、広げられた成績表が掲げられる。

「「「「おおおおおおおおお……おお……?」」」」

 最初に大きな歓声が上がったが、それはすぐに小さくなり、やがて全員が首を傾げた。

 そこに書かれていた内容にクラスメイトは一様に目を点にし、玲次と七海に至っては口をあんぐりと開けて凍り付いている。

 各科目の点数の半分はほとんどの確率でなる二桁の数字である。

 しかしもう半分は、三桁の数字によって飾られていた。二進数に用いられる数字のみで構成されたその三桁は、他の点数よりも綺麗に見える。

 そして、順位の欄には一つの数字。算用数字でも漢数字でも一筆書きができる唯一の数字であり、零の概念を別にすれば最も早く学ぶ数字だろう。

 つまるところ……身の危険を感じるので逃げよう。

 少しずつ後ろに後ずさり、開けっ放しになっていた窓枠に足をかける。

 同時に、クラス中の視線がこちらを向いた。

「……それじゃ、よい夏休みを」

 右手を敬礼の立ててビシッと振る。

 微動だにせずこちらを見ているクラスメイトを放置して、俺は窓から外へと逃れた。

「「「「ふざけんなあああああああ!」」」」

 俺がいなくなった教室から怒声が聞こえてきた気がしたが、まあ気にしないでおこう。


  Θ  Θ  Θ


 成績表を見られてしまった後、一度寮に帰り荷物を片付け、ほとぼりが冷めた頃を見計らって教室に戻った。

 夕方の教室にはまだ鍵はかかっておらず、赤い西日が差し込む教室には数人の生徒を除いて全員帰宅していたようだ。

 残っていた生徒は、心葉、玲次、七海、理音の四人だ。

 俺を待っていたようで、教室に現れた俺を全員が見る。

「お前ら……マジ勘弁してくれよ……」

 四人を見るなりため息が漏れる。

 心葉は苦笑しながら側の机に置かれていた二つ折りの用紙をこちらに差し出してきた。

「ごめんね」

 先ほど残してきた成績表は何人かに回されてみられていたのか所々皺が入っていた。

 半分近くの点数が満点であるところの百点。順位はこの学年でトップの一位。

 間違いなく俺の成績表だ。

「いやー、本当に驚きっすね。僕もどちらかと言うと、玲次君と同じで散々な結果を想像していたんですけど」

 理音の後ろで予測不可能な言葉の槍を受けた玲次が胸を押さえている。

 つうか何でもいいから理音、その手に持っているメモ帳をしまえ。

 そんなことを考えたが、言っても無駄なので言いはしない。

「どどどどどどういうことだ凪……」

 ゾンビのような動きで近づいてきた玲次が、俺の肩を掴んだ。

「授業に出ていないお前が……どうして俺より高い順位を、つうか一位とか。あり得ねぇ……」

「知らんがな」

 七海はただただ静かにこちらを見ているが、玲次と同じでどういうことか知りたいという感情が如実に感じ取れた。

 七海はわかってくれたかと思ったのも束の間、ゆっくりと携帯電話を取り出しながら画面に表示された文字をこちらに向ける。

 そこに表示されていたのは芹沢先生の名前で、ボタンを押すだけで通話できる状態まで操作されている。

「カンニングしたのならこの場で言いなさい。こちらも鬼ではないから、芹沢先生に連絡するだけで勘弁してあげる」

「やめんかバカ! 大体カンニングじゃない! 普通に、実力で取った順位だ!」

「いやいやおかしいだろ! どうして勉強していないお前が一位なんて順位が取れるんだ! あれか? 勉強してないことを装って実は隠れて勉強してますってか? そんなことしてないのもわかってんだよ!」

 うん、それは間違ってないですね。

 俺は深々とため息を吐きながら、鞄に成績表をしまい込む。

「ここに来る前は普通科の高校にいたんだ。しかもばりばりの進学校。だから、今回のテストの内容って、この島に来るまでに習ってたんだよね」

 普通科も高校によって進み方はまったく違うが、俺がいた高校は二年生まででほとんどの課程を修了させ、三年生では受験勉強に備えるような高校だった。その高校に行った方がいいと父さんが言ったため行ったわけだが、その理由が美榊高校に行かせることが目的だったのだ。

 この高校に来てまともに勉強などできるわけもない。神罰について調べるとなれば尚更だ。

 だから、大学に行くのに困らない学力は三年生になるまで終えている高校に行かせたわけである。

 どこまで用意周到なんだが。

「ふむふむ。進学校に行っていたから授業もテストも楽勝で勉強なんてする必要まったくなかったと」

 理音が俺の話を聞きながらメモ帳に素早く何かを記入していく。

「あの、それって記事にしたりしないですよね?」

「え? ええ、そんなことするわけないっすよ」

 じゃあなんでメモを取る必要があるのか教えていただきたい。

 これはもう覚悟するしかなるまい。もうAクラスに知られてしまっているし、他のクラスにも噂で流れるだろう。

 もうどうにでもなれ。

 説明を聞いてどういうことか納得した玲次は、そのまま床に崩れ落ちた。

「く、くそっ……。仲間かと思っていたやつがこんな薄情なやつだったなんて……。裏切りだ」

「お前は俺にどうしろってんだよ」

 まあ、玲次にとってはテストの点数も重要なようなので、一概にドンマイで片付けることもできないが。

「そんな話はどうでもいいわ。それより、聞きたいことがあったから待ってたの」

「あれ、そうなのか?」

 てっきり俺は、しめられるのかと思ってたけど。

 未だ床でぶつぶつ言っている玲次を放置して七海は続ける。

「この夏休みは、神罰が起きない絶対的な期間であるから、私たちも自由に動けるわ。だから、この期間を使って戦力強化を図ったりする期間としても使うの。私たちはその生徒たちの強化や、下級生の強化などを行うわ」

 さすがは生徒会と言うべきか。高校が休みであろうとするべきことはあるようだ。

「できれば凪にも参加してほしいのだけれど」

「……悪いな。俺はやることがあるから」

 夏休みはこの神罰について邪魔をされずに調査を進められる大切な時間だ。確かに戦力強化は大事なことではあるが、俺の目的は神罰を終わらせること。神罰さえ終わらせてしまえば、誰も戦う必要などなくなるのだ。

 俺の答えを予想していたようで、七海は表情を変えず涼しい顔のまま頷く。

「ええ、わかっているわ。だから、私たちがいない間は、心葉を凪に任せたいの」

「夏休みもやっぱり心葉が襲われる可能性はあると?」

「当然、あるわ」

 すぐ側に心葉がいるにも関わらずさらりと頷く。

 心葉も状況はよくわかっているようで、黙って七海の話の続きを待つ。

「過去、夏休みに闇討ちにあった紋章所持者は多い。高校で拘束されていない分、狙うことができるタイミングは多い。それに、四ヶ月と続いてきた神罰が、また九月からも続くと考えれば魔が差す生徒も出てくる。未だに心葉のことを快く思っていない生徒もいるわ」

 現在の状況を正しく分析している言葉であったが、あまりにストレートな物言いにさすがの心葉も苦笑している。

「不幸中の幸いと言えば、凪たちが頑張ってくれているおかげで、犠牲者が少ないことっすね。そのおかげで、紋章所持者に対する誹謗中朝は例年より明らかに少ないっすからね」

 一学期の内から生徒の死亡率が高い場合は、紋章所持者にかかる重圧は俺たちの代の比ではないということだろう。

 戦力である生徒が十分に残っているならまだしも、戦力が一学期から削れてしまえば、二学期三学期と生き残るのは厳しくなってくる。

 そうならないために、紋章所持者は紋章を使うことを考え、自分の死について考え、卒業式までの余生を考える。

 紋章所持者以外の生徒たちは、死んでいった仲間のことを考え、紋章所持者の死を考え、自らが生き残る道を考える。

 どこにもかしこにも、あるのは死だけだ。

 心の中で舌打ちを落としながら、心葉に視線を向ける。

「任せるとか言われてますけど、心葉さん的にはよろしいので?」

 心葉は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。

「うーん、そうだね。今も同じような状態だしね。七海ちゃんが言っているのも四六時中っていうわけじゃないから。街とかに行くときとかはちょっと付き合ってもらえると助かるかなって感じかな」

 実際、今もずっと心葉に付き添っているわけではない。

 ただ、寮から離れた場所や街などに行くときは、俺を伴って行くことは多い。

 吉田の一件以来、心葉が直接狙われるといったことはない。

 だが、俺を伴って買い物などに行っているときに、何度も明らかな視線を感じている。

 元々心葉を守るということが目的であるため、周囲には常に視線を配っていた。

 そのとき、俺のばらまいている視線とぶつかる目があるのだ。

 尾行する際のコツを聞いたことがある。それは追う相手の靴を見るというもの。

 人は誰かに付けられているかもと振り返っても、自分を見ている視線がなければ案外尾行されていると気づかない。視界にいる全ての人間を記録することなどできるわけもない。その中で、どの人間が尾行しているかなんて気づくものではい。

 視線がぶつかれば、その人間の姿は頭に勝手に記録される。そしてある程度移動した中に同じ人間の姿を見つければ、自らが尾行されていると気づくことになるわけだ。

 相手は間違いなくその道の専門家などではない。

 しかし、こちらに敵意を持っていることは明らかだった。

 心葉も、何度かそういう人物を見つけているらしい。俺がいることで何かが変わっているのかはわからないが、仮に襲われた場合でもある程度の対処はできる。それくらいの自負はある。

 だから、心葉を放っておくことなどできない。

「わかったよ。どっか行きたいとかあったらいつでも言ってくれ。どこにでも付き合うから」

 俺がそう言うと、心葉は笑顔で頷いた。

「うん。ありがと」

 すると、先ほどまで項垂れていた玲次がぼそっと何事かと呟いた。

「……もはやただのカップぐぎゃ!」

 言い切る前に七海が玲次の頭を踏み潰した。

「悪いわね。おおっぴらにはできないけど、何か協力が必要なときは言ってくれればいいわ」

 七海が言う協力は、心葉の護衛に関してではない。

 おおっぴらにと前打っていることから考えて、神罰についてのことだ。

 そのことがとても嬉しく、つい口元が緩んでしまった。

「ああ、協力がいるときは頼むぜ」

 実際のところ、協力してほしいことはそれなりある。ただ、七海や玲次の立場上、いくつも頼んでしまって自らの家族たちにまで迷惑がかかってしまう。

 だから、俺から頼むのはただ一つ。

「でも今のところは、前々から頼んでいるあの件だけを頼む。それ以外は、俺だけでもなんとかできるからさ」

 七海は一瞬難しそうな顔を浮かべ、七海に踏まれたままの玲次もピクリと反応した。

 玲次は自らの頭を押さえつけている足をぺちぺちと叩く。

 七海が足をどかせると、玲次は立ち上がりながら服に付いたほこりを手で払った。

「それについてはこっちでも色々やってる。ただ、あんまり期待はすんなよ。お前はわからないかもしれないが、相当無茶なことなんだからな」

「いや、それは十分わかってる。だから、できる範囲で構わない。だから頼む」

 玲次は床に打ち付けて赤くなった鼻を掻きながら唸った。

 話も頃合いと思ったのか、理音はパチンと手を叩いた。

「じゃあすいませんけど、僕はこの辺で失礼するっすね。今日は忙しくなりそうですので」

「おい待てこら。まさか記事書くから忙しくなるとか言わねぇだろうな?」

「はははー、そんなわけないじゃないっすか」

 理音は満面の笑みで笑いながら手帳を背後に隠しながら後ずさる。

 ごまかす気ねぇだろお前。

 理音はそのまま教室を出て行った。

「さて、俺らもそろそろ校長のところ行くか」

 玲次がやれやれと言った様子で首をすくめる。

「呼ばれてるのか?」

「ああ、夏休みの打ち合わせだ。来年の生徒会を決めるのも、この夏に決めるからな。色々大変なのよ」

「テストの点数とかか」

「お前がそれを引っ張り出すのかよこんちくしょう!」

 嫌な話を蒸し返され、玲次は上げながら頭を掻きむしる。

「バカやってないでとっとと行く」

 七海がじれったそうに玲次の尻を蹴り飛ばした。

 うぉぉと玲次が悶絶しながら床に倒れ込む。

 次の一撃を七海が構えたところで、玲次は慌てたように跳び上がって教室の扉に体当たりしながら飛び出していった。

 七海はため息を吐きながら玲次が出て行った方を見やる。

 そして、心葉に向き直った。

 七海は無言で心葉に近づくと、心葉の首に巻かれた真夏になっても絶賛レギュラー中のショールを手に取った。

 少し着崩れていたようで、七海は慣れた手つきで心葉の首に巻き直す。

「ありがと、七海ちゃん」

 心葉は笑顔で俺を言ったが、七海は対照的に寂しそうな笑みを浮かべた。

「この夏は、しっかり遊びなさい。凪もいるし、自由に羽を伸ばすといいわ」

 母親のように諭す七海に、心葉は柔らかな笑みで答える。

「もう、七海ちゃんは心配し過ぎだよ。私は大丈夫。皆が助けてくれるから、最後まで、必ず……」

 その先に続く言葉を、心葉は言わなかった。

 開け放たれたままの窓から流れ込んだ暑い風が頬を焼いて通り過ぎていった。

 七海も出て行き、教室には俺と心葉だけが残った。

 俺は自分の席に体を投げ出す。

 持って帰らなくてもいいものまで持って帰っていたので、教科書などは机の中に詰め込んでいく。

 そのうち一冊が床に落ちた。

 側にいた心葉がしゃがみ込んでそれを拾い上げる。

「綺麗な教科書……、本当に勉強してないんだね」

「人聞きが悪いな。テスト前日に一回くらいは範囲を見たよ」

「それだけであの順位なんだ……」

 心葉が苦笑しながら俺に教科書を差し出す。

「まあ、勉強はな。ある程度傾向さえ予想すれば、なんとなくでな」

 俺が通っていた高校からすれば、美榊高校のレベルは高くはない。

 俺も勉強が好きな方ではなかったが、記憶力だけはいい方だったので、それを使えば大抵の問題は解くことができた。

 美榊高校の勉強は言うならば、幅広い基礎の勉強だ。おそらく高校では基礎だけを教え、それ以外の時間を神罰に充てる。そうしておけば、神罰に多くの時間を割くことができると同時に、基礎さえやっておけば後からいくらでも取り返しができるからだろう。

 発展問題が多くなれば俺も簡単にはこんな順位は出せないが、基礎だけなら考えるまでもなく覚えている知識だけである程度の点数が取れる。

「そんなわけで、あの点数は大したものじゃない。ただテストは強制参加だって言われたから、前に並べられた問題解いていただけだ」

「それでも凄いよ。前の学校でも成績よかったんじゃないの?」

「まさか。俺の元クラスメイトなんて俺よりずっと頭よかったよ。俺はただ記憶力がいいだけだから、ずらーと書くような計算問題とか物理とか苦手なんだ。だから、精々中の上くらいだったかな」

 まあ、成績のことはともかくと、続ける。

「夏休みか。今日から大体四十日。この期間で何ができるかが勝負の肝だな」

「やっぱり、あの猫又ちゃんから聞いた情報を調べるの?」

「そうなるな。まずは、神罰の起源から調べていこうと思っている」

「神罰の起源っていうと、昔この島の生徒が神を攻撃したって言う?」

「そうだ」

 俺は頷いて、机の中から一つの紙袋を取り出してそっと机に置く。

 慎重に封を外して、中から一冊の古い本を取り出した。

「それは?」

「これは、神罰が起きる原因となった時期に書かれた日誌だ。この島を管理していた人がつけたものらしくて、神罰が初めて起きたことなんかも書かれている」

 これを記録していた人は、既にこの世にはいない。当時既に四十歳くらいの人だったようで当然と言えば当然だ。

 その人は、結構偉い人だったようで、自らの仕事にも責任を持っており、誰に見せるわけでもないが自らの仕事を振り返るために付けていたものらしい。

 全部円谷先生から聞いた話だ。円谷先生の上司であり、とても親しくしていた人だったようで、そのツテでこの日誌をその人が亡くなったときに譲り受けたとのことだ。

「これによれば神罰が始まる原因となった出来事は、神罰が始まった後に島に公表されたようだ。ただ、神を攻撃した後の失踪した生徒のことは有名だったことだから納得した人たちが多かったらしい」

「それは有名な話だね。でも、それってただの原因、だよね? 調べられるの?」

「わからない。わからない、けど……」

 口をつぐみ、再度口を開いたときに、教室の扉が開けられた。

「おや、まだ残っていたんですか? そろそろ教室を閉めますよ」

 現れたのは白い半袖シャツに紺のスラックスを穿いた天堵先生だ。

 言われて外を見ると、もう夜の帳がおり、空はかなり暗くなっていた。

「すいません。遅い時間まで残っていて。天堵先生ももう帰られるんですか?」

「ええ、今日はこの後教職員の集まりがあるんですよ。飲み会みたいなものですけどね。だから、今日は早いですがもう高校を閉めるんです」

 天堵先生は机の上の本に視線を止めると、こちらに近づいてきた。

「これは、ずいぶん古いものを読んでいますね」

「天堵先生もこれを見たことがあるんですか?」

「ええ、私は赴任して数年ですけど、赴任する辺り色々な資料に目を通しましたからね。神罰のことについて、生徒より知識が少ないとなっては、アドバイスの一つもできませんからね」

 天堵先生はこのまじめな部分が生徒に人気なのだ。いつも真摯に相談に乗ってくれて、親身に答えてくれるため非常に高い信頼を得ている。

 それは、ほとんど関わりを持っていない俺ですらよくわかる。

 天堵先生は少し困ったような表情を浮かべて言う。

「知っていますよ。神罰を止めようとしてるんですってね。悪いことは言いません。すぐに止めた方がいい。命がいくつあっても足りませんよ」

「命がいくつかあれば足りる程度なら、どうにかやってみせますよ」

 強がりを言ってみせると、天堵先生はやれやれという表情でため息を吐いた。

「これを見ているということは、神罰が始まった辺りのことを調べているんですか?」

「この現象に理由があるなら、この神罰という現象の理由は神を攻撃した生徒ということになりますよね」

「まあ、それはそうですね」

 天堵先生は言いづらそうに言いよどむ。

「先生は、この辺りのことについて何か知りませんか? この無知な生徒に、何かアドバイスなどいただけたら嬉しいんですが」

 ふと思い立ち冗談めかして言ってみる。

 天堵先生は困ったように眉をひそめたが、やがて小さくため息を吐いて言う。

「そうですね。私が知っていることは大したことではないですよ。八城君の方が、今ではよっぽど深く知っているんじゃないでしょう」

「そんなことはないですよ。まだまだわからないことが多いからこうして手をあぐねているのです」

 天堵先生は少し唸って口を開いた。

「この日誌に関連したことで言えば、神罰の原因となった生徒は、まだ高校一年生だったということくらいですかね」

「ああ、なんか噂でそんなこと聞きましたね。それ、やっぱり間違いないんですね」

 御堂が教えてくれた矛盾する情報。天堵先生まで知っているとなると事実なのだろう。

「ええ、そうですよ。ケイネンを迎えたばかりの子どもだったと言うのに、可哀想な話です」

「ケイネン? ケイネンって何ですか?」

 聞き慣れない単語に心葉が首を傾げて聞き返す。

「ああ、最近はあまり使わない言葉ですものね。基本的に昔の元服と同じ意味で使われます。十五歳になったということですね。字はこんな風に書きます」

 天堵先生はポケットから取り出したメモ用紙にボールペンでさらさらと字を記入してこちらに見せる。

 そこには笄年と書かれていた。見慣れない珍しい字だった。

「あれ、でも高校生一年生だったんですよね? それなのに十五歳になったばかりだったんですか?」

 心葉が鋭い質問をする。ちょうど同じことが気になっていた。

 天堵先生は微笑んで指を立てた。

「簡単なことですよ。その子は早生まれだったんです。三月生まれで、高校生になった直後にそれがあったんですよ」

 天堵先生は机の上の古本を指さした。

 まだ本当に子どもだったんだな。可哀想に。

 そう思っていいのかどうかはわからないが、それでもそんな感情が胸の奥底からふつふつと沸き上がってきた。

「そういえば、その神罰を引き起こす原因となった少年には姉がいたって聞きましたよ。それに少年が失踪した直後に大怪我を負って亡くなったとか」

「え? そんな話聞いたことないけど」

 心葉が首を傾げながら疑問符を浮かべる。

 御堂から聞いた情報だ。

 心葉が知らないほどとなると、御堂はかなり真剣に調べていたんだろう。

 天堵先生は眉を落として首を振る。

「ええ、その通りです。不運な話です。この美榊島で大昔から続いてきた一族の二人だったのですが、二人の死をきっかけに両親共々急逝しています。呪われた一族、神宮司。神の名がこの島でどれほど高い地位の人間かは簡単にわかるでしょう。島の上層部では、その名を出すことすら忌み嫌われています」

 神宮司か。

 その名ほどこの美榊島に似合う名前はないだろう。

 神罰の原因となった神宮司。

 その少年がどこに消えてしまったのだろうか。

 五十年前に高校生一年生。であるなら、今も存命している可能性は十分にある。

 しかし、この限られ管理し尽くされた島で、そんな大仰な名前を持つ人間が人知れず生きていくことなど可能だろうか。

 思い切って尋ねてみようとかと口を開こうとしたとき、天堵先生が手をパンと叩いた。

「さあさあ。話もこれくらいで。そろそろ教室を閉めるので帰ってください。あんまり遅いと寮監の林原さんが心配しますよ。彼女も今日は集まりに来ますからね」

 彩月さんは帰りで遅くなったからと言って少々怒ったりはしないが、それでも謎の監視能力によって生徒が寮にいるかどうかをほぼ完全に把握しているので、あまりに帰りが遅いと携帯電話に連絡が入ることもある。

 それにこれから飲み会があるというならば、早めに帰った方が心配をさせずに安心して飲みに行けるだろう。

「わかりました。今日は帰ります」

「さようなら。休みの日でも私たちは大抵は校内にいるので、何か知りたいことがあればまた来てください」

「ありがとうございます」

「飲み過ぎないように気を付けてくださいね、修司先生」

「善処します」

 心葉に釘を刺された天堵先生は、顔を引きつらせながら苦笑をしていた。


 Θ  Θ  Θ


「明日から夏休みかー。なんだか実感沸かないなぁ……」

 寮まで帰路の途中で、星が光る空を見上げながら心葉がぼそっと言った。

「なんでだ?」

「だって私、この一学期授業にもまともに出ずに、ほとんど自由にしてたでしょ? だからほとんど毎日が休みの気分だったんだよね?」

「あー……」

 確かに俺もこの数ヶ月、高校に通っているという気分ではなかった。

 四六時中神罰のことが一杯で、右から聞いて左へ聞き流すだけの簡単な作業。誰でもできるアルバイト感覚で授業を受けていた。

 必ず参加しなければいけない正午前後の時間以外はどこで何をしていても問題がないなんて、高校の都合で拘束される時間が圧倒的に少ない。

 高校に通っていると言っても、まったく実感が湧かない。

「思い返して見れば、辺鄙な生活やっているな。この島に来たのが、もう何年も昔みたいだ」

 少し瞼を降ろして視界を閉ざすだけで、この島にやってきたからのことが走馬灯のように通り過ぎていく。

 父さんにこの島に行くように言われ、偶然が重なって神罰に巻き込まれた。

 初めて人が死ぬのを目の当たりにし、俺がなぜこの島に呼ばれたのか、その理由を知った。

 神罰の真実を知り、心葉の境遇を叩き付けられ、神罰を止めることを決意した。

 神罰の真相を知っていく中で、自分の出生の秘密を知った。

 七海と激突し、御堂の死を目にした。

 数え切れない出来事の中で、自分がどれほど無我夢中にやってきたのかを再確認する。

 俺の目的は、どれほど日が経とうと、俺がどんな経験をしても変わりはしない。

 俺は、絶対に――

 軽やかに前を歩いていた心葉が、ゆっくりと立ち止まる。

 釣られて、俺もその場で立ち止まる。

 真上にある校門のライトが俺たちを照らし出し、綺麗な舗装されたアスファルトに二つの影を落とす。

「ねぇ、凪君」

 心葉が首を傾けて、俺の方を見る。

 綺麗な笑顔、失いたくない笑顔、俺が絶対に守るべき笑顔が、光っていた。

 心葉の声が夏の暖かい風に乗って届く。

「この島に帰ってきて、よかった?」

 その問いに、どんな意図が含まれていたのかはわからない。

 だからこそ、俺は何も考えずに、ただ答えた。

「もちろん、よかったよ」

 即答が意外だったのか、心葉は目をしばたかせる。

「それは、どうして?」

「お前にもう一度、会えたからだよ」

 二言目もすんなりと出てきた。

 心葉が目を大きく見開く。

 嘘偽りのない、俺の本心。

 俺がこの島に帰ってきて一番よかったことは、心葉、お前にもう一度会えたこと。

 そして……。

「帰ろうぜ」

 心葉の横を通り過ぎ、門をくぐる。

 通り過ぎる心葉の横顔に、朱が差していたのは決して気のせいではないだろう。

 俺の顔にも差しているであろうことはほぼ間違いない。


 そうだ。この島に帰ってきたことで一番よかったと思えるのは、心葉、お前にもう一度会えたことだ。


 そして――


 お前を助けることができるために、ここに帰って来られたことだ。

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