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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
17/43

16

 御堂の体は、黄泉川先生たちに遺体袋に入れられ、運ばれていった。

 生徒たちもすぐに散っていき、その場に留まろうとしていた俺も、片付けをしないといけないと理由で帰らされてしまった。

 昼飯を食べる気も起きずに、図書館の奥の席に本を広げて物思いに耽っていた。

 午後の授業は中止になった。

 不可解な謎を残す御堂の件で、教師たちがばたつき始めたせいだ。帰宅しろと言われていたわけではないが、ほとんどの生徒は御堂の件を不気味がり帰ってしまった。

 御堂の死。

 その事実が頭に重く伸し掛かって靄となっていた。

 思慮の妨げとなり、神罰のことを考えようにも頭が着いて行ってくれない。

 先日、御堂とは情報交換をしたばかりであり、この島では珍しい似た知見を持つ相手であった。

 あいつの目的は、あいつから聞けてはいない。

 島を裏から支えるという立場であり、本来の自分と偽りの自分を演じ、一つの目的のために行動をしていた。それだけは先日のやりとりではっきりと感じていた。

 御堂が何をしようとしていたかなんて、わかりきっていることだ。

 それがわかっていただけに、やりきれないんだ。

「くそっ……」

 無意識の内に、口から悪態が漏れていた。

 視界の隅で体をびくつかせる影があった。

「び、びっくりした。急にどうしたの?」

 誰もいないと思っていたが、すぐ近くに一人の女生徒が立っていた。

「……青峰か。悪い。ちょっと考え事してて」

 青峰はこの島でできた数少ない友人だが、話すのは久しぶりだ。クラスが違うため中々会う機会はないし、俺は大抵一人であちこちを回っているか、心葉が誰かに襲われないように付き添っているからだ。青峰は他の生徒同様心葉から距離を置いているので、必然的に接触回数も減ってくる。

「本を読みながら考え事?」

 俺が読んでいる本を覗き込みながら青峰は言う。

 頭の後ろでくくられた、栗色のポニーテールが揺れる。微かに濡れている髪から仄かにシャンプーのいい香りが漂っていた。

「まあね。俺はずっと外で過ごしてきた人間だから、ずっとこの島にいる皆と違って知識が少ないからな。中学生よりも劣ってると思う。だからこんな風に勉強しておかないとだめなんだよ」

 へぇと、感心か驚きを滲ませた反応をする青峰。

「青峰はなんで図書室に? 何か調べ物?」

「調べ物って、一高校生はそこまで真剣な理由で図書室は利用しないと思うけど」

「そうかな」

 確かに普通はただ読書をするために使う人が多いか。

 とはいえ、俺は曲がりなりにも進学校に通っていたので、図書室とは勉強でわからないところを調べるために使っていたという考えが強い。それなりに小説も読んだりもしたが、調べ物と言ったらすぐに図書室に行く癖のようなものまでついている。

「私は借りてた画集を返しに来ただけだよ」

「もしかて絵とか描くのか?」

「……ううん。私はあんまり……。昔はよく描いてたけど、最近は怪我をすることも増えて、ほとんど描けなくって……」

 少し寂しそうに言う青峰の指には、いくつもの絆創膏が貼られていた。

 神罰での傷は治るとはいえ、それ以外でも日常的に訓練をしているこの島の生徒にとって、怪我は身近なものだ。

 スポーツなどをするにしても障害が出るだろうし、特に絵を描くような繊細な作業にとって指先に怪我を負おうものならまともに描くことなどできないだろう。

 青峰も、神罰に縛られ自分のやりたいことすら満足にできないのだ。

 それに、あんまり描かないなどと言っているが、そんなはずはない。画集まで借りて読んでいるのだ。未だに諦めていないのだ。神罰が終わりさえすれば、青峰も好きなだけ絵を描くことができる。

「そんなことよりね。ちょっと小耳に挟んだんだけど」

 はぐらかすように手を振りながら、俺の顔を覗き込んできた。

「八城君、神罰を止めようとしているって聞いたんだけど、本当?」

「どこ情報か知らないけど、間違ってないよ」

 さらりと答えると、一瞬青峰の表情が凍り付いたように見えた。気が付けばいつものにこにことした表情に戻っていた。

「そこまで本気で考えているわけじゃないんだけどな。ただ、心葉を紋章の呪縛から解けないかどうかって考えているだけだよ」

 全てではないが本音の中に嘘も混ぜる。

 青峰は信仰深そうなやつだし、紋章のことも本当に恐れている様子がある。あまり刺激的なことを言うべきではないだろう。

 青峰はほっとしたような笑みを浮かべる。

「そっか。でもだめだぞ。あんまり神様を怒らせるようなことしちゃ」

 子どもに言い聞かせるように指を立てながら青峰は言う。

 キャラ変わってるぞとか考えていると、青峰は途端に顔を赤く染めていく。

「わああ今のなしっ! 忘れてっ!」

「お、おう」

 あまりの剣幕に押され気味に頷く。

「じゃじゃじゃあ行くから!」

 口の中で言葉をごちゃ混ぜに発しながら、青峰は図書室から飛び出していった。

 勢いよく扉が閉められ、図書室に大きな音が響き渡る。

 図書室では静かに、とか注意をする暇さえなかった。

 不意に、側に誰かが立つ気配があった。

「君がいるとなぜか賑やかになるね」

 現れたのは大量の本を抱えた司書の円谷先生だった。両腕に大小様々な本を積み上げており、もうかなりのお歳のはずなのに苦労なく持ち上げている。

「申し訳ないです。でも、俺のせいではないですよ。俺一人ならただ本を読んでいるだけです。普段はちゃんと授業にも出ていますし」

 一応弁解しておく。

「そうかね? いつも授業に出ていないと聞いているが」

 言葉こそ教師のそれだが、円谷先生は別に責めているわけではない。

 肩をすくめながら苦笑してみせると、円谷先生は机の上に視線を落とした。

「ただ、今日はあまり本が進んでいないようだね」

 机の上には数冊の本が積み上げられているが、まだ一冊目だ。

 俺はまだ読んでいない本を左に、もう読み終わった本を右に置いていく癖がある。円谷先生はその癖を既に見抜いていたようだ。おそるべし。

「そうですね。どうも進まなくて」

 言って、机の上に開いていた本をぱたりと閉じる。

 これ以上開いていたところで進む気がしないのだ。

「御堂君のこと、かね?」

「……もう知っていたんですね」

 御堂の件はついさっきの出来事だ。

 誰かが死んだことは耳に入っているとしても、誰が死んだかまで正確に把握しているのは少し驚きだった。

 円谷先生は抱えていた本を机に降ろし、寂しそうな表情を浮かべた。

「御堂君は、八城君と同じでよくここを利用していたしね。昼間会った出来事は小耳に挟んだ程度だけど、気にならないわけがないよ」

 確かに校内ではほとんどこちらに接触してこなかったとはいえ、御堂も図書室で調べ物をしている節があった。

 円谷先生と関わりがあっても不思議ではない。

「それにね、ここだけの話だけど、私は今美榊高校に勤めている生徒の中では一番の古巣なんだ。だから、島の上層部にも繋がりがあって、何かあればすぐにこちらにも情報が流れてくるようになっている」

 それなら神罰について有力な情報を知っているのかもしれないが、今はそんなことを尋ねる気すら起きなかった。

 上層部から入ってきている情報ということは、それだけ例外の出来事なんだろう。さぞ混乱しているに違いない。

 評議会の生徒は、これで理音だけになってしまったわけだからな。

 御堂の死を目の当たりにした理音は、地面に崩れ落ちたまましばらく動かなかった。

 しかし、ふらふらと立ち上がると涙一つ流さずに生徒たちの間を通って消えていった。

 誰もなんと声をかけていいかわからず、その背中を見送ることしかできなかった。

 美榊島は今揺れているだろうか。それとも、御堂が死んだ程度では、一人死んだだけで処理されて大した変化もなく、滞りなく進んでいくのだろうか。

「円谷先生、本の片付け手伝いますよ」

 積み上げていた本を書棚に戻し、円谷先生が机に置いた本も取り上げる。

「いいのかね? 調べ物をしていたようだったが」

「大丈夫ですよ。どうせ頭も回ってないですから。気晴らしになって申し訳ないですが、手伝わせてください」

 小さくやるせない笑みを零しながら、本の背表紙にあるタイトルと番号を見ながら書棚に本を戻していく。

 まだこの高校に来てから三ヶ月ほどしか経過していないが、本の位置はほとんど完璧に覚えている。タイトルと番号を確認すれば、書棚のどの段のどの辺りにあるかも当てられるほどだ。変な特技が身に付けいたものだ。

「悪いねぇ」

 深い皺が刻まれたくしゃっとしながら円谷先生は笑う。

「構いませんよ。何もできないほど、悲しいことはないですから」

 御堂のことも、神罰のことも。

 言葉の真意を汲んでか否か、円谷先生の瞳が少し陰った気がした。

 俺は手早く円谷先生が持ってきていた本を全て書棚に戻す。

「さて、他にもありますよね。じゃんじゃん運びますよ。今日は力が有り余ってますからね。雑用は俺みたいな生徒に任せてください」

 とは言っても、この高校に図書委員のようなものは存在しない。そんな時間があるのなら修練に励めというわけだ。部活動がないのもこれが理由だ。

 美榊高校の図書室の蔵書はそこらの図書館に引けを取らないが、その蔵書をほとんど一人で管理しているのが円谷先生だ。

 おまけに教頭業務までこなしている。

 そろそろ引退を考えてはどうかという考えがよぎるが、円谷先生は苦もなく一人で仕事を進めている。まったく元気な人だ。

 円谷先生は一瞬きょとんとしたが、やがて豪快に口を開けて笑い始めた。

「はっはっは! 生徒に頼り切らなきゃいけなったとすれば、私もそろそろ見切りを付けないといけないね」

「い、いえ、そこまで言ったわけでは……」

 心の中では思ってたけど。

 一頻り笑って後、円谷先生は着ていた黒いポロシャツの裾をめくり、腕に力こぶを作った。

「だが心配はいらんよ。これでもまだまだ力は残っている。君は本土での生活が長かったから知らないのも無理はないがね。この島の人間は年寄りになっても、まだ私みたいな力が有り余った老いぼれもいるんだよ。なぜだかわかるかね?」

「……神力のおかげですか?」

 円谷先生は満足そうに頷く。

「知ってるじゃないか」

「いや、知っているというわけでは……。でも、加齢とともに神力も衰えて行くって聞いてますけど」

「そうだよ。しかし、ただ衰えてなくなるわけではない。私もこれでも昔は相当な量の神力を持っていたからね。おかげでも今も僅かだが神力は残っているし、体も丈夫だ。既に八十を超えて久しいが、五十キロのベンチプレスも難なく持ち上げられるよ」

 凄いは凄いだろうが、円谷先生がベンチプレスを上げている光景が思い浮かばない。力云々よりもそちらの方が気になった。

 そういえば、父さんもおまけに仙術も使えていたし、人間離れの動きをしていたな。それも神力で体がある程度強化されたままになっていたからか。

 剣術を仕込まれていたとき、父さんは目で捉えることができないほどの動きをしていた。何度ぼこぼこにされたかわからない。

「それは確かに凄いですが、それでもこういう仕事は生徒に頼めばいいんですよ。外では図書委員会というのがあって、こういうのは大抵生徒の仕事なんですよ」

「へぇ、そうなのかい。私もここの司書しかやったことないからね、これが普通だと思っていたよ」

「悪いわけじゃないんですが、できるだけワークシェアしましょうってことです」

 先ほどの話は俺を元気付けるための円谷先生の冗談だろう。

 客観的に見れば普段通りでないのは一目瞭然だったはずだ。

 情けない話だ。

 いつもへらへらとして、何も考えていないようなバカはどうした。

 自らに言い聞かせながら、腕を開いて大きく深呼吸をし、腕を閉じながら勢いよく自分の頬を強く叩く。パシンという痛々しくも痛快な音が響き、ひりひりとした痛みが頬から顔全体へと広がっていく。

「というわけで、今日は手伝わせてください。返却数も結構多かったように見えましたよ」

 円谷先生がしげしげと俺の顔に視線を向けていた。きっと俺の顔には二つの紅葉が浮き上がっているのだろう。

 俺はカートに積まれた返却本の山を手に取る。

 体を動かせば、気分も晴れる。頭も回っていく。

 三時間ほどかけて、遠慮する円谷先生を推しきって本の整理や掃除や返却処理などを手伝いに明け暮れた。

 自然と気持ちが落ち着いていき、ある程度片付け終わった夕方には、いつも通りの平常運転まで回復していた。

「円谷先生、ありがとうございました」

 多少凝った肩をほぐし、首をポキポキと鳴らしながらお礼を言う。

 すっかり手持ちぶさたになってしまった円谷先生は苦笑した。

「なんで君が礼を言っているのかわからないね。手伝ってくれたのは君だと言うの」

「それでも、お礼を言いたい気分だったんですよ」

 小さく笑った体を大きく伸ばす。

 それから二言三言会話をして、何冊かの本を自分で貸し出し処理を行い、鞄に入れて図書室を後にする。

 腕時計で時間を確認すると既に放課後となっていた。

 部活がほとんど存在しない美榊高校の放課後はとても静かだ。グラウンドやジムで鍛える人間はそれなりにいるが、校舎に残る人間は少ない。

 俺もそれに倣い、静かに校舎を出て行く。

 玄関に出たところで、危うく前から歩いてきた生徒とぶつかりそうになった。

「おっと、わる……」

 謝りかけていた言葉が途中で切れる。

 ぶつかりかけたのは、鋭い目を充血させた柴崎だった。

「……」

 何も言わず睨み付けてくるが、俺は小さく肩をすくめてその横を通り過ぎていく。

 柴崎は止めようとはせず、そのまま校門までの回廊を歩いて行く。背中にずっと視線を感じたままであったが、振り返ることはなく校門をくぐり寮がある右手へと曲がり、感じていた視線も消えた。

 あいつは、いつも一緒にいた友人を失い、同学年ではあるが尊敬の意を示していた御堂まで失った。

 俺は、親しいやつは誰も失っていない。常に絶壁に立っている気はするが、なんとか踏み止まっている状態である。

 御堂の死は俺の中でかなり大きなものになっている。

 これまで亡くなってきた生徒は、ほとんどの生徒に無関心を貫いてきた俺にとって、そいつがどんなやつだったのか、何一つ知らないやつらだった。

 御堂も、つい先日まではその一人ではあったが、一度腹を割って話したことで、様々なことを知ってしまった。

 そんな今だからこそ、人が死ぬと言うことがどういうことなのか、刺すように突き付けられる。

 立ち止まり、ゆっくりと上を見上げた。

「空……たっけーなー……」

 御堂が死んだときと変わらず青々とした空が、雲一つなく霞のない空が虚しく広がっている。

 鞄を担いでいない方の右手を、空に伸ばす。

 視界の隅が仄かに赤く染まり始めてはいるが、空はどこまでも高く、決して届かない。

 そんな届かないところに、あいつは逝ってしまったのだ。

「……御堂、俺はもっと、お前と話をしてみたかったよ」

 誰にともなく、二度と言葉を交わすことができない相手へと、独りごちる。

 人が死ぬっていうのは、こういうことなんだと実感させられる。

 今から何かをしたいと考えても、何一つできない。

 神罰なんてなかったら、きっと当たり前に俺はあいつと友達でいられただろう。


   Θ  Θ  Θ


 寮に帰った俺は、作っておいていたクッキーを数枚腹の中に収めると、リビングのテーブルに借りてきた本を広げた。

 ホウキがちょくちょく邪魔にしにきたが、しばらく放置していると今日は相手にしてくれないと思ったのか部屋の隅で丸くなっていた。

 かちかちと、壁に備え付けられている時計が音を刻んでいく。

 ただひたすらに文字だけを追っていき、気が付けば短針が文字盤を五周ほど回っていた。

 時間を意識すると、途端に眠気がやってくる。

 大きく欠伸をし、体を伸ばすと体がポキポキと音を当てた。

「はぁ……とりあえず風呂にでも入るか」

 大体のページ数を把握し、本を閉じるとテーブルの脇に積み上げる。

 睡魔が頭の周りに漂い、もやがかかったように急激に思考力が低下している。

 風呂に入れば多少すっきりもするだろう。上がったらもうひと頑張りするとしよう。

 気を抜けばそのまま床にへたり込んで眠ってしまいたいほど眠い。ホント眠い。相当眠い。

 昼間、いくらなんでも神力を使い過ぎた。次の日までもちこすということはないが、もっと考えて行動するようにしなければなるまい。

 風呂場に辿り着くとお湯を蛇口全開にし、緩慢な動きでブレザーを脱ぎ捨てる。

 鏡で顔を確認すると、気だるげな半眼から覗く茶色い目と、曲がった薄紫色の唇が映っていた。

「なんだこのやさぐれサラリーマン……」

 情けねぇ……。

 深々とため息を吐きながら顔に手を当てる。

 シャキッとしないと、こんな顔誰かに見せられるものではない。

 風呂にお湯が溜まるまでの間に体を洗ってしまい、ある程度お湯があったところで湯船に体を沈める。

「ふぅあああ……」

 火傷しそうなほど熱いお湯が体の芯まで染みていく感覚に任せる。

 両手でお湯をすくい何度も顔にかけ、歪みきった顔をほぐしていく。

 頭も冴えていき、暗く沈んだ気分も少しずつ霧散していった。

 調べなければいけないことが増える一方だ。

 それが神罰を解き明かすほころびとなるかどうかはわからないが、無関係ではないように思う。

 小さな事件、些細な出来事、それらがただそれだけで終わるのか、果たして終わらないのか。

「現象には必ず理由がある……。どこかの物理学者のセリフだっけ……」

 その物理学者のセリフを、何かしらの事件の中で不思議な現象が起きていることに対して使われている。

 この神罰の傍らで起きている現象、事件にも、それにも必ず理由があるはずだ。

 それを元に考えながら、湯船に深々と頭を沈める。

 今日の御堂の死、あれが一体何を意味するのか。御堂は、最期俺に何を伝えようとしたのか。

 その伝えたいことが神罰には関係なく、ただ死んだだけだと伝えようとしていたとも考えられなくはない。その可能性は否定できない。

 逆に、神罰に関係ない可能性も十分に考えられるだろう。

 あいつが持っていたという鬼斬安綱。元来神を降ろすことが目的とされるため禁術に指定されているのだ。それを扱う以上、リスクがあるのは当然。結果、御堂が死ぬというのは、納得はできないがあり得ることだ。

 しかし――。

「ぷはぁ……」

 湯船から頭を上げ、首を横に振ってお湯を払う。

 前髪からぽたぽたと滴る水滴が湯面に落ちて音を立て、まつげにも水滴がついて目を開けづらかったので、それを指先で払う。

 俺の考えが正しければ、御堂の死は――。

「……のぼせそう」

 長風呂は苦手だ。熱い風呂で体が温まったらすぐに出る。それがいつもの日課だった。

 明日も学校はある。この後もまだ調べたいことはあるし、さっさと出てしまおう。

 脱衣所に出て気づいた。寝ぼけて風呂までやってきたため着替えを持ってくるのを忘れてしまっていた。

 脱いだ服も洗えるものは既に洗濯機に放り込んで回してしまっているため、着る服もない。残っているのはブレザーのズボンだけだ。

 バスタオルは元々戸棚に入れてあるので、仕方なくその場で体を拭いてしまう。

 そのまま腰にバスタオルを巻き付け、フローリングをぺたぺたと踏みしめながら脱衣所を出て行く。

 服は寝室にあり、脱衣場から出ると一度リビングに入って寝室の方に行くようになる。

 湯気の上がる体をのそのそと動かしながら、リビングに出て行く。

 そして、固まった。

 リビングには俺の他にホウキがいた。自らの翼を広げながら毛繕いのようなことをやっている。それはまあいい。ホウキは俺より先にこの部屋に住んでいるのだから当然だ。

 しかしそれでも、ホウキの他にあと一人、この部屋にいた。

 リビングから玄関へと続く廊下までの間に、一人立っている。

 少し長い髪を左右でお下げにした、心葉だった。

 向こうも風呂上がりなのか、軽く濡れた髪が妙に艶めかしく、頬はピンク色に上気している。薄緑色のトップスに膝丈までのスカートを穿いている。

 対照的に、俺は全裸にタオル一枚というなんとも男らしい服装。

 ……いや、冷静に考えるまでもなくもはや服装にすらなっていない。

「ふむ……」

 努めて冷静に頭を回転させていく。

 どうでもいいが俺が物事を冷静に考えるときに行う方法は、物事を客観的に見るというやり方だ。

 突然部屋に現れた心葉。口を半開きにしたまま硬直している心葉にとっても、この状況は予想されるべきものではないはずだ。

 そして俺も、まさか部屋に突然の来訪者が来るとは思っておらず、こんな格好で出てきているわけだ。

 そんな気を抜いた状態だから、タオルも別にしっかり巻いて出てきたわけではない。

 思考は冷静に回しているつもりでも、やはり相当パニックになっていたようで、体が逃げるように半歩後ろに下がる。

 その拍子にタオルの結び目がほどけ、はらりとタオルが――

 が、すんでの所で両手でタオルを止めた。

「「きゃあああああああああ!」」

 同時に、二人に叫び声が響き渡った。



 なんとか落ち着き、俺と心葉は揃ってリビングの上に正座して頭を下げていた。

「ホント、見苦しいものをお見せして申し訳ない」

「私こそ勝手に入ってきて、本当にごめんなさい」

 お互い恥ずかしくて顔を見ることができない。

 そんな俺たちを、ホウキが冷めた目で見ていた気がしたが、間違いではないだろう。

 土下座などという人生で一度やるかどうかのイベントを、まさか心葉に対して行うとは思ってなかった。

 やがて、お互いに顔を上げたが、気恥ずかしさに顔を合わせることができずに、右へ左へと視線をずらす。

 悲鳴を上げた心葉は玄関の方へと走っていき、俺はタオルが落ちないように押さえながら寝室へと駆け込んでいった。

 状況は、さっぱりわからなかった。カードキーのオートロックで戸締まりをしているこの部屋に一体どうやって心葉が入ることができたのか。そもそもどうして俺の部屋にやってきているのか。さっぱりわからない。

 ともかくこんな姿で再び心葉の前に戻ったらただの露出魔だ。いつぞやの法術で肉片すら残さず消されても怒ることはできない。

 何度も手元を狂わせながらタンスからトランクスを引っ張り出す。トランクスを穿いてひとまず落ち着いたところで、ふと思い至る。心葉の服装だ。

「……まあ、いいか」

 考えてもわからなかったので独りごちるとジャージをタンスに戻し、薄手の黒い半袖パーカーと同じく黒のハーフパンツを引っ張り出した。

 そして、今に至る。

「夜分遅くに、申し訳ございません!」

 心葉がフローリングに頭を着きそうな勢で再び腰を折る。言葉遣いが深夜に上司へ電話をしたときみたいになっている。

「いや、別に怒ってないから。気にしないでくれ。心葉が意味もなく俺の部屋に来るとは思ってないよ」

 心葉は気まずそうに顔をあげて 小さく苦笑する。

「どちらかと言うと、意味はなく遊びに来てみたいんだけどね……」

「ん?」

「ああいや! なんでもない! なんでもないよ!」

 心葉は両手と首を横にぶんぶん振りながらごまかしにかかっている。聞こえなかったことにしておこう。

 さすがにいつまでも正座をして会話をするのは身体的にも精神的にもよくないので、俺は立ち上がるとリビングの椅子に腰を下ろし、心葉も反対側の席に座るように促した。

「それで、急にどうしたんだ? つうか、どうやって俺の部屋に入ったんだ? もしかして中途半端に開いてたりした?」

 オートロックは扉が完全に閉まらなければロックがかからない。考えにくくはあるが、帰ってきた際に靴か何かが挟まるかして完全に閉まりきらなかったのであれば、カードキーがなくてもこの部屋に入ることは可能だ。

 しかし、心葉は首を横に振って否定した。

「えっと、何度かインターホンを鳴らしてみたんだけど、返事がないからいないのかなって思ったんだけど、明かりが点いてたから。それで携帯電話を鳴らしてみたんだけど繋がらなくて……。どうしようかと思っていたところに彩月さんが来て……」

 心葉の話をまとめるとこういうことだった。

 部屋の前まで来てインターホンを鳴らしたが俺が出てこなかった。いるようだけど俺が出てこないのでどうしようかと思ったところに寮の管理人である彩月さんが現れた。そして、事情を聞いた彩月さんは目をきらりと光らせ(俺の想像)、こともあろうにマスターキーを使って迷わず俺の部屋を開けたらしい。

 その後、何の躊躇いもなく開いた部屋に心葉を押し込むと、頑張ってと握り拳を作りながら心葉を押し出したらしい。

 何やってんだあの人は……。

 痛くなった頭に手をやり、調子を整えるように拳で額を叩く。

「というわけで、頑張って入ってきたところに……」

「ほぼ全裸の俺がいたと……」

 心葉は顔を赤く染めながら首をコクコクと振る。

「……心葉さん、一応指摘しとくと、たぶん彩月さんが頑張ってと言ったのはそういう意味ではないと思うよ」

 わからないというようにきょとんとしながら首を傾げる。

「ああ、いいっす。気にしないでください」

 純真無垢な心葉を汚すのはいくない、うん、いくない。

 こんな時間に一人男の部屋に尋ねてくる警戒心の薄さにも問題がある。ほっとくとどうなるかわからない恐さが、喉に引っ掛かった魚の骨のようにひしひしと痛む。

 俺は深々とため息を吐くと、訝しげに首をひねっている心葉に視線を戻した。

「それで、どうやって入ったのかはわかったけど、どうしてこんな時間に俺の部屋に?」

 こちらから一方的に質問ばかりしているが、心葉は男の部屋だから落ち着かないのか、先ほどの見るに堪えない光景を見たからか、気恥ずかしそうにそわそわとしたままで自ら口を開こうとしないので許してもらおう。

「これからどこかに行くつもりなんじゃないのか?」

 次に投げた質問に心葉は首を傾げた。

「あれ、私これから出て行くって言ったっけ……?」

「いや、なんとなく。心葉の格好を見てな」

 俺は机に肘を突いて指を心葉の服に向ける。

 女性の服装には詳しくないが、もう夜も深くなりつつあるこの時間にスカートという寝る前には似つかわしくない服を着ていた。まだ就寝するつもりはないとも考えられるが、濡れた髪を見るに既に入浴を済ませていると見える。つまり心葉はこれからどこかに行く用事でも舞い込んできたという可能性が高いと判断したわけだ。

 俺の予想を聞いた心葉はますます驚いた様に目を見開き、両手をぱちぱちと叩いた。

「……その通りだよ。実は、私もお風呂に入って寝る準備をしていたところだったんだけど、ついさっき連絡が入って……」

「連絡?」

 眉をひそめて聞き返すと、心葉は叩いていた手の指同士を絡めて机に置いた。

「うん、琴音先輩からね。覚えてる? その、吉田君のときに一度会ってるよね。理音ちゃんのお姉さんの」

 ああ、と俺は頷く。

 吉田が死んだ港での事件のときに、動揺する心葉を落ち着かせて車で寮まで送っていった人だ。スーツ姿の黒髪がとても印象的に残っている。

「用事で呼び出されたとか?」

 再び心葉がふるふると首を横に振る。

「そうじゃなくてね……」

 切り出しにくそうに言いよどむと、組んだ手の上に揺れる視線を落とした。

「理音ちゃんね……まだ帰ってないんだって……。今日のことがあってから、何も連絡がないらしくって……」


  Θ  Θ  Θ


 俺と心葉は揃って寮を出た。

 管理人室を覗き込んで彩月さんに小言の一つでも言おうと張り巡らされた数枚の窓から中を覗き込んだのだが、どこにも姿がない。文句を言われに来るのがわかっていて待避していたと見える。完全に確信犯だ、

 窓に額を当てて苦々しい笑みを浮かべていた俺を心葉が不思議そうに首を傾げていた。

 エントランスから外に出ると、涼しい風が抜き出しの肌を撫でた。もう夏になって久しいが、美榊島の夜はそれほど暑くなく過ごしやすい。

 寮から校門までの道には街灯が均一の距離を開けて並んでいる。月が出ているとはいえ、本来なら懐中電灯を持たなければ歩けないほどの暗さだが、街灯のおかげで門までの道が明るく照らし出されている。

 自然の大部分を残しつつ、人が住みやすい環境となっているのが美榊島だ。一つの街で大都市も、元々草木が少ない土地だけを利用して作った場所だと聞いている。

 理音が帰宅していない。初めそれを聞いた俺は、それくらいで大げさな、と思った。

 小学生ならまだしも、ほとんど大人の高校生三年生が十時や十一時に帰らなかった程度で知り合いに連絡を入れるほどかと。

 ただ、状況が状況だけにそんな簡単なことではないようだ。

 まず理音は寮に住んではいなく、街の中にあるマンションから高校に通っている。そして、以前も言っていたが校外で生徒が誤った行動を起こさないように監視する人間の一人である。それには定時連絡というものがあるそうだが、今回の神罰直後からその定時連絡がピタリと止まっているとのことだ。

 いつもなら組織の本部に毎日顔を出してから見回りなどに行くそうだが、理音は定時連絡どころかこちらからの連絡が一切取れないらしい。

 本部の方では、御堂が死んだことは既に伝わっており、代わりの人間や穴埋めをどうするか検討しているらしい。

 その場に理音が来ないのは咎められるべきことだが、相方である御堂が死んでひどく傷を負っているのは仕方ないことなので、しばらくは休みを与えるという風に上も判断してくれていると言う。

 しかし、そのことを伝えようとしても連絡がまったく取れず、どこにいるかもわからない。

 携帯電話の電源も落としているようで、本来ならGPSで位置を把握したりもするがそれすら使えない。

 本部の考えとして放っておけばいいとのことなのだが、心配した理音のお姉さん、琴音さんが心葉に連絡を取ってきたようだ。

 探してもいないということだが、市が持つ情報網を使っても居場所がわからないの言うのは結構シビアな状況にある。

 情報の徹底管理を行っている美榊島。それは本来、外部から来た人間を見張るためにあるものだ。

 わからないだけで、様々なところに監視カメラが備え付けられている。それにあちこちに情報源としている人間がいる。

 その条件下で見つからないということは、自ずと場所は限られてくる。

 美榊高校である。

 校門のところまでやってくると、大きな門が通る者を飲み込むように口を開いていた。

 夜間と言えど、美榊高校はある程度自由に出入りができる。教室などの鍵は掛かっているが、当直の先生に許可を得れば鍵を借りることができるし、図書室や道場、グラウンドなどを使うことはできる。

 しかし神罰のような異常な高校であっても、さすがに夜となれば人を出払っている。

 門に沿って視線を滑らせると、門柱の側面にも監視カメラが取り付けられているのがわかる。あれは高校に不法侵入する者がいないように監視するためのものであり、あれを管理しているのも評議会のはずだ。

 この美榊高校は周囲を円形の外壁で囲まれており、出入りが可能なのはこの正門だけ。俺たちが仙術を使えば苦もなく飛び越えることができるが、わざわざそこまでする理由は理音にはないはず。

 つまりこの門に理音が引っ掛かっていないということは、理音はまだ校内にいると考えることができる。

 それに監視カメラは校内にはない。見張られているという嫌な条件下で戦闘に支障が出る可能性があり、門と外壁さえ見張っていれば校内に侵入できる方法はまずない。

 監視カメラで神罰を撮影すれば、後々の生徒たちの神罰に役立つのではという考えを俺は持ったが、神罰中は精密機械はまともに動作をしないということで設置されていない。携帯電話のカメラなどもそうだが、機能はするのだが神罰の終了とともにデータまで消える、いや、取ってないことになるのだ。よもや電子機器にまで回帰が及ぶとは思いもしなかった。仕組みがどうなっているのか本当に気になる。

 脱線したが、市の連中が理音を探さないのであればこっちで探すしかない。

 気を取り直し、心葉とともに校舎を目指す。

 俺も心葉も理音がどこにいるかある程度予想はしていた。

 生徒棟自体には鍵のついた扉などはないので、苦もなく入ることができる。

 やってきたのは二階の端にある部屋、理音が一人の部員を務める新聞部の部室だ。

 引き戸の扉があるが、磨りガラスになっていて中の様子は窺えない。

 扉の前に立った心葉が一度こちらに視線を向けたので、頷いて返す。

 意を決した心葉が、引き戸の扉を二回ノックする。立て付けがよくない扉はがちゃがちゃと嫌な音を立てる。

 十秒ほど待ってみたが、中から返事はなかった。

「理音ちゃん、いる? 入るよ?」

 声をかけながら扉に手をかける。だが、鍵がかかっているようで扉は開かなかった。何度か扉を動かそうとするが、がたがたと音を立てるだけだ。

「明かりも点いてないし、ここにはいないみたいだね……」

 この部屋はおろか、生徒棟全てに明かりは灯っていない。夜だから当然と言えば当然だ。

「そうだな。でも、とりあえず開けてみるか」

 言って、左手に天羽々斬を生み出した。

「ええ!? 凪君タイムタイム! 神罰でもないのに扉壊したらさすがに怒られちゃうよ」

「んなことするかい。開けるって言ったろ」

 続いて生み出された白煙を人差し指に纏わせ、それを扉と扉の重なる部分に滑り込ませる。

 生徒棟の鍵は寮のようながちがちのセキュリティではなく、一般的な鍵によって開閉するタイプだ。

 だからこのように白煙を扉の内側に滑り込ませると……。

「よっし。これでいける、はず」

 鍵穴の辺りががちゃりと音を立てた。

 天羽々斬を消し、扉に手をかけると何の抵抗もなく動いた。

 開いた扉から、恐る恐るといった様子で心葉が足を踏み入れる。

 俺も扉に手をかけたまま部屋の中を覗き込む。

 部屋の中は真っ暗な光が埋め尽くしていた。部屋から入る微かな月明かりが逆にこの部屋の元々の光に見えた。

 以前一度だけ来たことがある新聞部の部室。床には新聞の原稿らしきものが散乱しており、ペンや消しゴムなどの筆記用具が投げ出されたように散らばっていた。

 粛然としたその部屋は、ついこの間来たときとはまったく別の部屋に見えた。

 部屋の中に動くものはない。

 だが、椅子の上に黒い塊があり、それが机に寄りかかっていた。

 心葉は一瞬驚いた様であったが、すぐに黒い塊に近づいて手をかけた。

「理音ちゃん……」

 黒い塊はビクリと揺れ、ゆっくりと動いた。

 首だけをこちらに動かし、その横側に月明かりがかかる。

「……心葉、それに凪っすか。おかしいっすね、鍵、閉めてたはずなんすけど」

「そんなことより!」

 心葉が珍しく声を荒らげる。

「今何時だと思ってるのっ。もう外も真っ暗だし、琴音さんも心配してる。帰ろうよ」

 心葉が怒るのも相当珍しいことだ。

 紋章所持者であり、そのことで周りから蔑まれたとしても、それに対して怒りを覚えた様子はなく、むしろ許しているようでさえいたあの心葉がだ。

 一人で行こうとはせずわざわざ俺を呼びに来たのも不安だったからだろう。実際心葉一人ではこの扉を開けることはできたなかっただろうし、見つけられることはなかった可能性が高い。

 また、自分の怒りを抑えるために連れてきたのかもしれない。見たところ本気怒りモードのようだし、念には念をというところか。

 部屋が暗いため理音の顔は窺えないが、力なく動いたのが見えた。

「姉ちゃんすか、そういや、昼から連絡も入れてないっすね。こりゃあ帰ったら大目玉だ」

 理音はそんなことを言ったが、立ち上がろうとはしなかった。机の上に体を投げ出したままだ。

「ならまず謝らないとでしょ!」

「そうっすね。でも、なんかどうでもいいんすよね」

 理音から出た言葉に俺は眉をひそめ、心葉もむっとしていた。

 理音の姉と言えど、心葉からすれば自らが慕っている先輩のことをどうでもいいと言われたので怒るのは当然だ。

「なんか……何をしていいのかわからない……」

 語尾が暗さに消え入りそうに掠れていく。そこには悲壮と痛みが含まれていた。

 心葉の表情がさらにむむっとなる。

「何言ってるのっ! ほら、きりきり立つっ!」

 心葉が理音の腕を掴んで立ち上がらせようと力一杯引く。

 だが理音は立とうとはせず、椅子から転げ落ちて床に倒れた。

「おい心葉、強引だぞ」

 扉を閉めて心葉に近づき、心葉の後頭部をコツンと叩く。

 心葉は倒れた理音を前に、我に返って途端に慌てふためき始める。

「ごめんっ理音ちゃん。だ、大丈夫?」

 心葉は理音に手を差し出すが、その手は誰にも掴まれずに彷徨った。

 理音は項垂れたまま、体を震わせていた。

 そのとき、床を掴むように投げ出されている手の甲がキラキラと光っているものがあった。

 さらに、月明かりを受けたそれが滴となって落ちていく。

 俺と心葉は、理音が泣いていることに気づく。

 握られた拳は血が溢れんばかりに痛々しく握りしめられていた。

「わからない……」

 再び漏れた痛み。

「心の中、空っぽで、どうすればいいかわからない……」

 理音が顔を上げた。

 月明かりに照らされ、理音の表情が浮き彫りにされる。

 赤く充血した目、何度も滴が流れ出した跡のある頬、つい半日ほど前に会ったばかりなのに、理音はひどくやつれたように見えた。

 赤い目はどこか虚ろで、俺や心葉を移しておらず、どこか違う場所だけを切に追いかけていた。

「准は死なない、死ぬわけない……ずっと、ずっとそう思ってた……。あんなに、あんなに強かったのに。玲次や七海にも負けないくらい、ずっとずっと、強かったのに……」

 いつの間にかいつもの軽い口調ではなくなり、普通の女の子のように、それでいて弱々しい口調だった。

「なのに……いなくなっちゃった……」

 涙を目一杯に浮かべ、溢れないように堪えているのがわかるが、何度も流れ出た輝線を沿うように涙は流れていく。

 心葉は口をつぐんだ。

 先ほどまで、琴音さんに心配をかけたことを怒っていた心葉だが、理音の心境を考えれば仕方のないことだ。それに気づいたのだろう。

 理音の前に膝をつき、その背中を優しくさする。

「うっ……」

 理音は堪え切れないように嗚咽を漏らし、枯れることのない涙を流し始める。


 心葉に支えられ、理音は長い間泣き続けた。

 俺は窓際の方に離れて、理音が落ち着くのを待っていた。理音には聞かなければならないことがある。酷かもしれないが、聞いておかねばならない。

 涙声が納まるのを耳の片隅で聞き、首を傾けて視線だけを後ろに向けながら尋ねる。

「理音、今日お前はすぐに離れたから知っているのか知らないのか聞いておきたいんだが」

 断りを入れると、視界の片隅で理音が顔を少し上げた。廊下側を向いているので表情は見えないが、聞いてくれるようだ。

「今日御堂が死んだ。どうして御堂が死んだか、理音は聞いているのか?」

 少しの間沈黙があった。

 理音を支えている心葉は、無言で批難の視線を向けてくるが、俺は気にせず理音の言葉を待つ。

「鬼斬安綱の、呪い……」

 すっかり掠れてしまった声で、理音は言った。

「鬼斬安綱は、確かに強力な神器。二人とも知ってると思うけど、鬼斬安綱は使用者を殺すと言われる妖刀。准はそれをわかった上で使っていた」

 一度話し始めると、理音は次々と言葉を紡いだ。誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

「でも、鬼斬安綱は偶然准が手にした神器じゃない! わかっていたことなのにっ! 僕は……」

 吐き出された言葉はやるせなさに満たされていた。どこか、自分自身への後悔らしきものもあった。

 俺は理音が言ったことに眉根をよせて振り返った。

「偶然じゃないって、俺みたいに誰かのものをもらったってこと……はないな」

 俺や玲次や、多くの生徒が御堂が鬼斬安綱を降ろしているのを見ている。降ろした振りである可能性もあるが、御堂がそんなことをする理由がない。

 その疑問には答えたのは心葉だった。

「そういうことじゃないよ。凪君は実際やったことがないと思うけど、神降ろしは祝詞を読み上げて降ろすものなの。でも、ちょっと祝詞を変えることによって、ある程度望んだ神器を降ろすことができるの」

 しかし、この術には相応のリスクが伴うそうだ。普通の神降ろしでは大抵の場合は己の力量に合った神器を降ろすことができる。しかし、自ら望んだ神器を降ろすとなれば、自分の力量からかけ離れた神器が現れることもあるのだ。その結果、自ら降ろした神器と縁を形成した途端、体の神力を消費し尽くされて命を落とす可能性すらあるそうだ。

「心葉の言う通り、神降ろしは望んだ神器を降ろすことはできる。准の力量なら鬼斬安綱クラスの神器は降ろせるはずだとわかっていたんです。僕は反対した。目的のためとはいえ、自らに注意を集めるためにあんなことをするなんて……っ」

「自らに注意を集める……?」

 つまり、御堂は周囲の視線を自分に集めるために妖刀なるものを所持していたということか。

「凪は、もうわかっているんでしょう? 准がどうしてそんなことをしていたか。何をしようとしていたか」

「……」

 俺は答えずに口をつぐんだ。

 心葉が問うような視線を向けてきたが、俺はやるせなくなり視線を逸らした。

 俺が答えてくれないと判断したのか、心葉は未だ俯いている理音の肩に手を乗せる。

「理音ちゃん、どういうこと? 御堂君は何をしようとしていたの?」

 本来なら、心葉はわざわざ自分から相手のことを聞き出そうなどとはしない。しかし心葉は自ら理音に問い質した。

 何となく察しているのだ。御堂のやろうとしていたことが自分に無関係ではないということに。

 言おうかどうか迷っているような沈黙があった。

 不意に、理音の体の力がふっと抜けた。

「准は……」

 ほどかれたばかりの拳が再び硬く握られた。


「准は……神罰を止めようとしていたんだ……」


 わかっていたことではあったが、改めて口にされた言葉に胸が痛んだ。

 御堂は、事ある毎に俺と遭遇していた。同じ時間に同じ場所におり、同じことをしていた。この高校に転校してきて、一番一緒にいた時間が多いのは心葉で間違いなく、その次に玲次や七海と続く。その先は人付き合いを避けていた俺にとっては同じくらいの接触しかなかったはずだが、御堂と出くわした回数は妙に多かった。

 当然だ。俺がやろうとしていたことと御堂がやろうとしていたことは、同じだったのだから。

 そして、御堂は少しずつ俺に情報を与えてくれていた。

 まだ、紋章を所持することの真の意味を知らなかった俺に、紋章への疑問を与えるような言葉を投げかけた。

 何かを探すように、校内を彷徨っていた。

 根は決して悪い人間ではないくせに、周囲に自分は悪い人間だと触れ回るように悪態をついていたこともあった。不良を演じていたとも言っていた。

 御堂がやっていたことは、何をすればいいかわからなく、手当たり次第に行っている俺とそっくりだ。

 心葉は怪訝な顔をして眉を下げた。

「どういう……こと? どうして、鬼斬安綱を持つことが神罰を止めることに繋がるの?」

 理音は口を結んだまま開かなかったので、代わりに俺が答える。

「神罰を止める。その目的を達しようとしても、漠然とし過ぎたことに対して何をすればいいかわからなかったんだろう。だから御堂が取った行動は自らに周囲の視線を集めるということ。神罰で目立つというのはそれだけ自分に情報を集めることができる。だから御堂は、手っ取り早く誰もが忌み嫌い恐れる妖刀持ちというレッテルを自分に貼り付けて、自らを出来事の中心の置こうとしたんだ」

 俺とは対照的のやり方である。俺は転校当初こそ転入生という肩書きのせいで目立っており神罰では派手な立ち回りをしているが、日常的に見れば背景のように周囲に溶け込んで傍観者であることに努めている。

 そうすることで様々なことを客観的に把握できるのだ。

 御堂のように周囲の意識を自分に集めるようなことは俺にはできないだろうし、これが俺にあったやり方だということも理解している。

「その通りだよ……凪……」

 体を起こした理音は、自らを嘲笑うような力のない笑みが浮かんでいた。

「准は僕にどうするか話した上で、自分を偽り、鬼斬安綱を手にし、一人孤独に神罰を止めるために戦っていた……っ」

 涙を堪えるようにきつく口を結ぶ。

 理音は語った。

 御堂は本来なら知らされることがない小学生の頃から神罰の存在を聞かされており、神罰で生き抜くための力と、生徒たちを統制することを目的として教育をされてきた。

 同時に、すぐに神罰への疑問を抱き、子どもながらに隠れて神罰について学んだ。高校生に上がる頃には目的は完全明確なものになっていた。

 神罰を止めるという、一つの目的だ。

 この目的を持つということは、この島では限りなく少ない。

 俺から見れば、神罰に疑問を持たずに生活をするというのは明らかに異常な状況。

 しかしこの美榊島では、そういう目的を持たないように教育をされているのだ。そこに悪意はない。ただそんな考えを持った生徒ばかりが高校に広まってしまえば、神罰が正常に行われなくなる。

 そうなれば、神罰はこの島全土に及ぶ最悪の結果となる。

 だからこの島では神罰を止めようなんて考える人間は滅多にいないし、いたとしたら蔑まれることは目に見えている。今の俺がいい例だ。

「准は鬼斬安綱の呪いなんて信じてなかった。仮にあってもそんなものに負けたりしないって……」

 御堂なら言いそうだ。付き合いこそ短いが、表情も崩さす言い放つ顔が浮かぶ。

 だけどその結果は……。

 理音は両手で顔を覆った。指の隙間から、また一滴の涙が流れる。

「それなのに……なんで呪いなんかで……死んじゃったの……准……っ」

 御堂は死んだ。

 その事実だけは変わりようがない。

 鬼斬安綱。あの妖刀を手に入れてしまった段階で、御堂が死ぬことは決まっていたのかもしれない。

 もっと必死に止めておけば。強引にでも止めさせておけば。自分が一緒にいれば。

 理音の心中に渦巻いているのは、きっとどうしようもない後悔ばかりだ。

 後悔、先に立たずなんて言葉があるが、そんな当たり前のことでさえ、この島では重すぎる後悔になる。

 どう足掻いても取り返せない。どうにかすれば回避できそうな、全てが事故死のような神罰にとって、その後悔はずっと苦しいものになる。

「あんな刀……無理にでも折っておけば……」

 理音は後悔は、夜の暗さに溶け、どこまでも深い闇へと落ちていった。


 心葉は理音を支えるようにして、部室の外へと連れ出した。

 扉は開けたときと同じように煙を使って鍵を閉める。

 当直の先生にも見つかってはいなかったようで、来たときと同じルートで昇降口の方に回った。

 理音はおぼつかない様子でふらふらと歩いて行くが、横で心葉が支えながらなんとか前に進んでいく。

 俺は数歩下がったところを、何も言わずに着いて行く。

 初夏の夜風は暖かく、それでいてどこか冷たい。校門から昇降口までの長い回廊を流れるその風は、理音の苦しみを洗い流してはくれない。

 理音の後ろを歩く俺には、風とともに流れてくる理音の痛みがひしひしと伝わってくる。 俺も心葉も、理音にかけられる言葉など一つも持ち合わせてはいない。何をかけていいか、わからない。

 校門のところにやってきて、天羽々斬の白煙で理音を門の外に運び出すと同時に、真っすぐ南へと延びた道から大きなライトが二つこちらを照らしていた。眩しさに目をすがめていると、一台のセダンが緩やかなスピードで俺たちに近づいてきた。

 夜の中でも月明かりを受けて光るシルバーのボディに、プライバシーガラスによって全ての窓が阻まれて黒の向こうにどんな人が運転しているかも見えない。

 校門の前に横付けするように止まった車から、運転手が降りてくる。

 黒のパンツスーツを纏った女性だった。黒く長い艶髪が潮風になびく。

 現れた女性は、いつか見た理音の姉、白鳥琴音さんだった。

「姉ちゃん……」

 理音は、堪え切れずに顔を歪めた。

 琴音さんの胸に飛び込むようにしてしがみつき、嗚咽を漏らして泣き始めた。

 そんな理音を琴音さんは優しく抱きしめ、落ち着かせるように背中をさする。

 琴音さんは俺と心葉に視線を向けると、小さく頭を下げながら目礼をした。

 俺と心葉も頭を下げて返す。

 しばらく泣き続けた理音は、赤く泣きはらした目をこちらに向ける。

「すいませんす。二人とも、今日は助かりましたっす」

 いつもの軽い口調に戻りながら理音はそう言った。

 まだ押さえ切れていないものがあるが、姉に吐き出したことで少しは楽になったようだ。

「明日からはまたいつもの自分に戻るっす。心配しないでくださいっす」

 必死に作ったであろう笑顔を浮かべて理音は言う。

「いや、お前は明日は来なくていいよ。二、三日休んでも罰は当たらない」

「そうだよ。無理はせずに、ゆっくり休んで」

二人の言葉に理音は渋面を作る。

「いや、でも……」

「今のお前がいたところで、神罰の結果は変わらない。ただ一人死亡率の高いやつが増えるだけだ」

 わざと辛辣に言い放つ。理音は頭が悪いわけでも融通が利かないわけでもない。今はただ正しい判断ができなくなっているだけだ。

 そんな理音を神罰に参加させるわけにはいかない。しかし中途半端に認めてしまえばもとより強制参加である神罰への参加は避けられないだろう。だから無理にでも引き離しておいた方がいいのだ。

「安心しろ。お前が抜けていた間に、誰も死なせないって約束する。一人の犠牲者だって出さない」

 だから好きなだけ御堂のことを思ってやれ。

 心の中で、そう付け足した。

 理音が黙ったまま決めかねていると、それまで口を挟まなかった琴音さんが理音の頭に手を乗せた。

「ありがとう、二人とも」

 鈴のような綺麗な声で丁寧な言葉を紡ぎながら、琴音さんは再び頭を下げた。

「この子は責任を持って数日の休養を取らせるから。高校内にメンバーを二人とも入れなくなるのは厳しいけど、今のこの子が神罰で戦えないであろうというのもまた事実。しばらくは大人しくさせておくから安心して」

 理音は少し不満げに眉をよせていたが、反論しようとはせずに目を伏せた。

「理音、帰るわよ」

「……うん」

 か細く答え、理音は黒塗りのセダンの後部座席に乗り込んだ。琴音さんは最後にもう一度頭を下げると、運転席に乗った。

 理音を乗せた車は、ゆっくりと動きだし、来た道を帰っていった。


 理音の車が見えなくなるまで心葉と静かに見守った。

 二人だけになり、ふっと張り詰めていた空気が切れてため息を吐く。

 心葉は理音を乗せて去って行った車の方をしばらく眺めていたが、やがてよろよろと後退すると高校の外壁に背中を押し当てた。

「理音ちゃん……大丈夫かな?」

 不安そうに心葉が呟く。

「大丈夫だ。理音は強いやつだと思うし、どうすればいいかも、きっと知ってる」

 それに、と俺は続ける。

「気づいちゃいけないことには気づいていなかったみたいだし、割り切れるさ」

 俯いていた心葉が、訝しげに眉を曲げてこちらを見上げた。

「何のこと? 気づいちゃいけないことって」

 俺は頭に手をやりながら、空に浮かぶ月を見上げる。ここに来たときより少し傾いた月は、変わらず俺たちを照らしている。

「心葉だっておかしいと思っているところはあるんだろ。御堂のことだよ」

 少し怯んだように心葉は口をつぐむ。

 やはり、心葉も何か気になっていることがある様子だ。

 今日御堂が死んだ。それは間違いない事実だ。

 惨殺された。しかしそれは神罰が原因ではない。神罰が終了した後に息があったことから考えても、それは間違いない。そのルールが間違っていなければの前提の話だが。

「気になることがないわけじゃないよ」

 心葉はぽつりと呟いた。

「でも、御堂君が死んだのは神罰じゃない。それなら、あの妖刀以外に考えられないんじゃない?」

「まあ、そうかもしれないけど、心葉が気になっていることってなんだ?」

「それは……」

 言いにくそうに顔を歪めた後、再び口を開く。

「御堂君の怪我が、ちょっとどうなのかなって」

「ああ、そうだな。俺もそう思うよ」

 理音は御堂を見た後、あまりのショックに崩れ落ち、そのまま呆然としたまま去っていった。だから御堂の怪我をよく見ていないのだ。

 おそらく集まっていた多くの生徒も離れて見ていたためわからないだろう。

 しかし、俺と心葉はすぐ近くで見ていたからわかるのだ。

「別に、おかしいことじゃないのかもしれないけど……どうなんだろうね。刀傷以外があるって」

 心葉が気にしているのは、御堂の傷、それも刀傷のことだ。俺も同意見だった。

 妖刀とされる鬼斬安綱。その呪いが存在するかどうかは別であるが、その呪いが刀である鬼斬安綱によってもたらされるものである以上、普通なら刀傷というのが一番しっくりくる。

 だが、御堂の体の傷は刀傷以外にも、打撃によって与えられたと見られる骨折などの怪我が見られたのだ。

 考えるまでもないことかもしれない。呪いがどのように所持者に死をもたらすかがわらからない以上、憶測でしかない。ただ、本当に所持者の命を奪うだけなら、心臓を一突きにするだけで事足りる話なのだ。

 突然現れた刀身が体を切り刻むのか、所持者を操って自傷行動を取らせるのか、所持者の致命傷を瞬時に作り出すのか。今となってはわからない。

 ただ、それが今回の件を紐解く鍵になった。疑問に持つことができた。

「御堂は、鬼斬安綱の呪いで死んだんじゃない。別の理由で死んだんだ」

 先ほどの理音の話を聞いて確信した。

「……どういう、こと?」

 心葉が壁から背中を浮かし、目を見開いて問いかけてくる。

 俺は壁から離れるように歩き、道の脇に生えている木に背中を預けた。

「前提を変えて考えてみる」

 言葉を選びながら口を開く。

「俺たちがまず考えた可能性は、神罰によって御堂が死んだということ。しかし、御堂が神罰終了後も生きていたことから考えるとこれはあり得ない。次に考えたのが、鬼斬安綱によって呪い殺されたということ。でも心葉も言ったけど、打撃などにより骨折と思われる外傷があったことからも考えると、死因に疑念が残る。その前提を変えて、どういう理由で御堂が殺されたかではなく、御堂がどういった経緯であの怪我を負ったのかと考える」

 真っ先に考えつくのは、美榊高校の死亡者の大部分を占める神罰。だが先にも言った通り神罰後に生きていたことが確認されているのだから同様に違う。

 それならどんなことが御堂の死に繋がるか。答えは簡単だ。

「御堂の死は、神罰でもなければ鬼斬安綱の呪いでもない。御堂は、誰かに殺されたんだ」

 一番簡単に人が死ぬ理由。誰かが誰かを殺す、だ。

 あまりに非日常的なことが溢れている故に盲点となっている死因。それが御堂の死の原因だ。

「だ、誰かって……」

 心葉は驚きに目を揺らす。

「なんで、誰かに殺されたって、そんなことになるの?」

 理由はいくつかある。

「普通、腕を切断されるレベルの怪我なんて負うものじゃないが、この島では神罰で戦うために刀剣の類いがそこら中にある。凶器には困らない」

 そんな証拠を残しているとは到底思えないが、高校が所持している武器が相当な数あるのだ。もしものときのためにと言うわけだ。

「誰かに殺されたとするなら、御堂の死因も納得できる。刀傷はもちろん刀剣でやられたもの。御堂もただやられるわけじゃないから抵抗したときに負ったダメージがおそらく骨折だったんだろ」

 対人において刀剣を用いて戦う場合、ルールで縛りもしなければ戦いの中ではあまっている足などを使うのは珍しいことではない。誰かに直接攻撃されたと考えると刀傷以外があることも不思議ではない。

 それに、何も足を使わずとも、斬ることを目的とした刃を持ち、尚且つ打撃を目的とした鈍器の両方の武器を持つ武器も存在する。

「でも、それなら鬼斬安綱の呪いで説明がつくんじゃ……」

 俺は視線を上げて心葉を見る。

「御堂の右手、切断されていたその手は見たよな?」

「う、うん。それは見たけど……」

 それが何なのかと問うような視線を向けてくる心葉。

「あのとき、御堂の右手は血だらけだった。でも、手のひらにだけは明らかに血が付いていなかった」

「そう……だったかな。よく見てないからはっきりとはわからないけど。それがどうかしたの?」

「考えてみろよ。もし誰かに襲われたとしたら、普通どうする?」

「それは……抵抗する、かな」

 自分が吉田に襲われたときのことでも考えたのか、心葉の表情はどこか暗い。

 俺をそれに気づかないように振る舞いながら続ける。

「一般人ならともかく、戦闘技術も高い御堂のことだ。不意を突かれたとしても反撃しようと動いたはずだ。そのときにあるものを手にした」

「鬼斬安綱……っ」

「そうだ。襲われた御堂は咄嗟に鬼斬安綱を持ち出した。が、最初の一撃で右腕を斬り飛ばされたんだ。そのときに刀を握っていたから手のひらには血が付いていなかった」

「いや、でも、体を操られて自傷をしたって可能性も……」

「それはないよ。右手に刀を持って右手を斬り落とすなんてことは、逆立ちしたってできっこない」

 おそらく御堂が襲われた流れはこうだ。

 蜃の神罰が終わるまで、御堂はあちこちを回って調査を続けていた。そして、神罰が終わり、気を抜いていたところを襲われた。咄嗟のことにも鬼斬安綱を具現化し応戦しようとしたが、反撃をする前に腕を斬り落とされる。おそらくこのときまだ刀は握られたままだったんだ。そのせいで手のひらには血が付いていなかったんだ。

 その後、逃げる隙も与えられないまま致命傷を与えられた。

「それと、御堂が誰かに殺された、他殺だと考えられる理由がもう一つある。あの場には、あるべきものがなかったんだ」

「あるべきもの?」

「そうだ。お前もさっきから言ってるだろ?」

 何のことかわからないように首を傾げる心葉。

「わからないか? 鬼斬安綱だよ」

 心葉ははっとして口を押さえた。

「通常、神降ろしで得た神器は縁と呼ばれる神力の回路によって所持者と繋がる。この縁を絶つには、神器所持者が自ら絶つか、もしくは所持者の死亡することが条件だ」

 そこには玲次が持つ雷上動のような、所持者が死んでも残るという例外も存在するが、基本的に所持者が死ぬと神器は縁からの神力の供給を失い消滅する。

 実際、これまでの神罰で何人も生徒が死に、その際にほとんどの生徒は神器を手にしていたが、所持者の死と同時に消滅している。

「仮にあのとき、御堂が鬼斬安綱の呪いで死んだとすると、あの場には鬼斬安綱が残っていないとおかしいんだ。なぜなら、俺たちが駆けつけた段階で御堂はまだ生きていたからな」

「……凪君の考えが正しいなら、御堂君の右手には本当は鬼斬安綱が握られていたはず。でも、私たちが駆けつけたときにどこにもなかったっていうことは……」

「その通り。鬼斬安綱は御堂を殺した犯人が持ち去ったんだ。あの場に残しておけば、細工でもしない限り御堂の傷が鬼斬安綱によって刻まれたものでないということはすぐにわかっただろうからな。しかし広いとはいえ校内だ。いつ他の生徒がやってくるかわからない。そんな細工をしている時間はなかっただろう。現に、御堂が致命傷を与えられてから死ぬまでの短い間に他の生徒が御堂を見つけている。だから犯人は、御堂を殺した、正確には止めを刺したと考えた時点で、鬼斬安綱をあの場から持ち去ったんだ」

 逆に御堂があの場で生きていなければ、今回の件は間違いなく鬼斬安綱の呪いということで終わっただろう。

 鬼斬安綱がない理由も縁が切れているため当然であるし、蜃という害意がない神罰だと考えられていても、例外でそういうことが起きたと処理される。

 神罰では何が起こるかわからない。

 きっと、御堂はそのことを伝えるために意識を保っていたんだ。あれほどの傷を負い、意識が吹き飛んでもおかしくない状況にもかかわらず、御堂は最後まで意識を貫いていた。

「で、でも、それなら動機は何? 御堂君が死ぬことは私たち生徒にとっても痛手だし、名家の血が一つでも減るのは、この島の誰にとっても不利益だよ。……動機がないよ」

 心葉は疑うことをしないわけではない。

 疑うことを恐れているだけだ。

 生まれてから一度も島を出たことがない心葉にとって、人口が数十万人になると言限られた島の中だ。

 そこでずっと過ごしてきた誰かを疑うなんて、心葉はしたくはないんだ。

「あるさ。動機なら」

 俺は疑う。

 誰であろうと、信用するわけにはいかない。

 そうでなければ辿り着けない。

「理音の話を聞いて確信した。御堂は、神罰を止めようとしていた。だからだ。だから殺されたんだ」

「それって……」

 心葉が大きく目を見開いた。

「そうだ。御堂の死の原因は鬼斬安綱にはない。御堂が殺された理由は、神罰を止めようとしたからだ。この島に来て、神罰におかしな関わり方をする者は不審な死を遂げるって話を聞いている。御堂の死はまさしくそれだ」

 御堂の死も、十分不審な死と言える。御堂がもし俺たちが駆けつけるまでに生きていなければ、神罰中に死んでしまっていたら、鬼斬安綱を持っていなければ、完全に不審な死として処理されていただろう。

 気が付けば、心葉が心配そうな視線を俺に向けていた。

 一瞬どうかしたのかと首を傾げたが、心葉の次の言葉で意図がわかった。

「もしそうなら、凪君今すぐ神罰を止めることを止めて。凪君まで、殺されちゃう……」

 濡れた瞳を揺らしながら、心葉は切に言葉を紡ぐ。

 心配性だな。

 心の中でそんなことを考えたが、心葉の心配ももっともだ。

 俺は今の今まで、神罰を止めようとすると人間は死ぬなどという話は、迷信だと思っていた。

 不審な死なんていくらでもある。美榊島は離島とはいえ、数十万人の人口を誇っている。そんな中で、不審な死を遂げる人間がある程度いてもおかしくはない。

 神罰なんて異常なものがあるから、不審な死をそれと結び付けるのはおかしいことではない。

 この島で積極的におおっぴらに神罰を止めようなんてする人間はいない。だからこそ、不審な死を遂げた人間の理由は、後付けで神罰に関わったからなどと考えられているのではないか。これが俺の考えだった。

 だが、今回の件でそれは間違いだと悟った。

 御堂の死。あれは間違いなく神罰を起こしているやつがやったことだ。

 様々な証拠がそれを証明している。

 俺の考えが正しいとするなら、御堂よりも明らかに神罰を止めようとしている俺が狙われるのは間違いないだろう。

「大丈夫だ。確かにこれから俺には命を狙われる危険が付きまとう。でも、悪いことばかりじゃないんだ」

 命を狙われるのはデメリットだが、メリットも十分に存在する。

「まず、なぜ神罰を止める人間を排除するのか。この神罰が完全無欠の付け入る隙のないものであるなら、神罰を止めようとする人間に干渉する必要なんてない。むしろ島の人間に直接関わろうとすることにこそ、危険が伴うはずだ」

 もし排除するときを誰かに目撃でもされてしまったら、それだけでこの神罰自体が崩壊してしまいかねない危険がある。そんな危険まで冒して排除しなければいけない理由があると考えるべきだ。

「この神罰はやっぱり、止められないものじゃないんだ。だから妨害をかけてくる。それなら、神罰を止めることはやめるべきじゃない」

「で、でも、もし凪君を襲ってきたら……」

「それはそれで大丈夫だ。向こうから来てくれるんだ。返り討ちにしてやるだけ。それなら一発で神罰を止めることができる」

 もちろんそれには危険が伴う。あの御堂を反撃する間もなく殺害したやつだ。俺が勝てるかどうかも問題ではある。心葉には言えないが、死ぬことになってもどこのどいつが神罰を起こしているのか、はっきりとした証拠を残して死んでやる。そんな結末は、願い下げだけど。

 未だ怯え、体を震わせる心葉の肩にそっと手を乗せる。

「安心しろ。絶対俺は死んだりしない。約束するよ」

 だから、お前も絶対死ぬんじゃないぞ。

 言葉には出さずにそう付け足した。

 心葉は戸惑い視線を彷徨わせたが、やがて俯き気味に頷いた。

「……わかった。でも、無茶だけはしないでね?」

 上目遣いでお願いするように告げる心葉に、俺は曖昧な笑みだけを返した。できない約束はするべきではない。

「今回わかったことがもう一つある」

 次に心葉に何かを言われる前に、先に他にわかったことを言う。

「……神罰を起こしていない人、だよね?」

「そうだ。神罰を起こしているやつは間違いなく人間ではなく、神だ。だからこそ、人の姿をしていたり、誰かの体を奪って成り代わったりなんてことは簡単にやってのけるはずだ。だとするなら、生徒や教職員、整備や庭師などで出入りする人間、もっと言えば美榊高校外の人間、全てが神罰を起こしている神であってもおかしくはない」

 どこにその神がいたとしてもおかしくはない状況だ。どんな方法を採っているかわからない以上、誰であってもおかしくはない。

 しかし、今回のことでほんの少しではあるが除外された人間もいる。

「御堂が殺されたのは神罰が終了してからほんの短い間。その間教室にいた、俺や心葉、玲次や七海、天堵先生の授業を受けていた生徒は全ては、アリバイがあることになる。当然、柴崎のような蜃を狩りに出ていた生徒は十分可能性として考えられる」

「……凪君は、やっぱり校内に神罰を起こしている神様がいるって思ってるんだね」

「当然だよ。神罰を起こしている以上、内部にいた方が色々やりやすいだろうからな」

 今回のことで、心葉や玲次や七海が神罰を起こしているやつではないとはっきりとわかった。三人については絶対ないという自信がほしかったため、確実な根拠を持てたことで心に大分余裕ができた。

 しかし、実際クラスメイト以外の人間の無実を証明するのは不可能に近い。

 自分の目で確実に見たもの以外を鵜呑みにするのは危険過ぎる。御堂が殺されたとき教室にいなかった生徒は確実に違うと言えるが、それ以外は誰かに聞くなりしなければいけない。それなのに、そのとき誰といたかなんて聞きにくいし、それが正しいかもどうかも判別できない。

 生徒の中に神罰を起こしているやつがいて、誰々といたよなどと答えられてしまえば逆にわからなくなってしまう。それなら自分の見たものだけを信じた方がいい。

 ただ、気になることがある。

 なぜ、御堂は神罰が終了してから殺されたか。

 さっき心葉にも言ったが、御堂が神罰中に殺されていれば、疑問の残る死ではあるが神罰によって死んだと処理されたはずだ。たとえ実害がないはずの蜃の神罰であっても、妖魔がどのような攻撃をしてくるかなんて研究されているわけでもないのだから、完全にはわかるはずもない。

 だとするなら、なぜ御堂は神罰が終了後に殺されたか。

 その理由は、もしかしたら……。

「あら、二人ともこんなところで何をやってるの?」

 突然声をかけられ、俺と心葉は弾かれたように振り返る。

 俺は咄嗟に手を腰に回したが、現れた人を見てほんの少し警戒を緩めた。

「彩月さんこそ、こんなところで何やってるですか?」

 問いかけて、視線が彩月さんの手元に行く。彩月さんの両手には大きな袋が二つ抱えられており、中からパンや野菜が顔を覗かせている。

「こんな時間に買い物行ってるんですか?」

 心葉が目を丸くして尋ねる。

 彩月さんは小さく肩をすくめてみせながら笑う。

「自慢ではないけれど、ほとんど私一人で寮の管理をしているのよ。これくらいの時間でないと、寮を空けることはできないわよ」

 そんな忙しい時間にわざわざ心葉を俺の部屋に押し込むような暇な真似をしているのかこの人は……。

 恨めしげな視線を向けていたが、彩月さんは知らん顔で心葉の方を向く。

「そんなことより、こんな時間に二人で外にいるなんて……。まあ、二人ともおめでとう」

 ……何がおめでとうなんだ。

 俺と心葉は揃って口をぽかんと開けるが彩月さんは止まらない。

「ああ、なんだったら、今日は帰ってこなくても大丈夫よ? 本当ならいけないことだけど、今回は特別に見逃してあげる。どっちのかの部屋に泊まるって言うんなら、朝には戻っておかないとだめよ。誰かに見られたりしたら大変なことに――」

「ちょっと待ってください彩月さん! いきなり何言っているんですが! 私と凪君はそんな関係じゃないですよ!」

 心葉が顔を真っ赤にしながらぶんぶんと両手を振る。

 俺はその傍らでただただ苦笑する。

 心葉の反応には満足したように頷いていた彩月さんだが、俺の反応は些か不満だったようで可愛らしく口を膨らませる。

「……理音ちゃんを連れ出してくれてたんでしょ? さっき擦れ違ったわ。ずっと高校から出てこないと思ってたから、心配していたの」

 彩月さんが穏やかに微笑むが、すぐに寂しげな笑みに変わった。

「また、一つの幸せな未来が途切れた」

 彩月さんは、そのまま何も言わずに寮へと帰っていった。

 俺と心葉も、それ以上何も言わず、彩月さんが見えなくなったところで寮へと戻った。

 御堂が生きて神罰を終えていたら理音と御堂の間には、きっと幸せな未来が待っていたはずだ。

 その未来は、永遠に途絶えた。

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