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シンバツピリオド.  作者: 楓馬知
15/43

14

 梅雨に入った。

 教室の窓からは、昨日から続く長雨がしとしとと降り続いているのが見える。

 グラウンドの所々に水たまりができており、いつもなら鍛練を積んでいる生徒たちの姿もない。

 こういう日は教室階下のジムか、グラウンドの向こうにある体育館辺りにいるのだろう。

 俺はと言うと、他の生徒に混じって授業を受けている。

 いつも使っている屋上が雨のため使えない。

 さすがにこんな日に屋外にいるわけに行かないので、心葉も珍しく教室にいた。

 俺もたまには授業に出てみようと、心葉の前の席に座って授業を受けている。

 科目は一般的な数学。

 教室には睡魔を誘う空気がもんもんと漂っている。

 机に突っ伏しているやつもそれなりにいるが、そもそも空席が多い。

 こんな光景は美榊高校では至って普通の日常なのだが、たまに授業に出れば俺の目には非日常が映る。

 誰にも気づかれないように小さなため息をノートに落とす。

 一つの数字も書かれていない白紙のノートだ。

 かれこれ授業が始まって三十分ほど経っているが、右手のシャーペンを滑らせる気にはならない。

 周囲の目障りにならない程度にシャーペンを手の中で回し、視線は窓の外の雨に向け、耳は雨音に傾ける。

 大百足の神罰から二週間あまり。

 神罰は二度来ているが、どちらも大して強くない妖魔だったため、一人の犠牲者も出ることなく終えられている。

 神罰が一つ終わる毎に安堵を覚えるが、心葉の命はその一回一回が終わりに向かっている。

 そう考えると焦りが胸の中に募っていく。

 この二週間でわかったことと言えば、意味があるのかわからないいくつかのことだけ。

 つい数日前に管狐の神罰が起きた。胴がやたらと長い一メートルくらいの狐の生き物で、突進だけしか攻撃手段がなかったの大して驚異にはならなかったが、目のも止まらぬ早さで動くので攻撃をまともに当てることが困難だった。

 結局数十匹現れた管狐を全て倒すことができず、五十分ほど校内や全ての敷地内を巻き込んだ壮絶な鬼ごっこをやった結果管狐は消え、結界は晴れた。

 妖魔を全て倒さずに神罰が終わるのはそのときが初めてだった。

 管狐のような強力ではないが倒しにくい妖魔だったからこそのことだったが、これで逆に強い妖魔が出てきたときはある程度逃げれば神罰が終わるという事実を目で見ることができたのだ。

 それともう一つ。

 神罰が起きたときは雨が降っていた。

 土砂降りだった雨だが、神罰が始まり結界が閉じると同時にピタリと止まっていた。

 何人も通さない結界だというのだから当然だが、やはり自分で確かめるというのは重要だ。

 気になって携帯電話を開けば当然圏外で、電波も通っていないことがわかった。

 あらゆるものを遮断する壁となっているのだ。

 神罰の結界。

 そもそも、あれは何なんだろう。

 校舎を覆い尽くすあの結界は、どういう仕掛けで存在しているのか。

 正午になるとアトランダムで始まる神罰。

 ただランダムというわけではない。

 絶対に意図が介入している。でなければ休日に神罰が起きないといったことが説明できない。

 ここ二週間ほどで、俺が神罰を止めようと動いていることはあっという間に広まっていた。

 何かが変わったわけではない。

 それが問題なのだ。

 俺は、俺があれほどオープンに神罰を止めると公言していたのだ。

 それに加え、誰もが神罰におかしな関わり方をすると何らかの災いが降りかかると口々に言っていた。

 半月もあれば、神罰を起こしている神から何らかの接触があるかと思っていた。

 それなのに、何一つ起きてくれない。

 予定外だ。

 回していたシャーペンを掴み損ねて床に落としてしまった。

 ため息を落としながら拾おうとすると、その前に横から伸びてきた手が拾い上げた。

「はい」

 拾ってくれたのは先ほどまで後ろに座っていたはずの心葉だ。

 鞄を持って席を立っており、俺にシャーペンを差し出している。

「悪い」

 心葉は微笑みながら頷くと、小さく手を振って教室を出て行った。

 以前は心葉の存在に畏怖していた他の生徒たちも、この二ヶ月半ほどでかなり神罰に慣れ、心葉の存在にも慣れている。

 心葉が出て行っても、誰も反応しなかった。

 俺は再びため息を吐いて、机の上のノートや教科書を整理し鞄に詰め込んだ。

 音を立てないように立ち上がり、ショルダーバッグを肩にかける。

「もう行くのか?」

 右後ろの席に座る玲次が声をひそめて尋ねてくる。

「久しぶりにまじめに授業を受けたから疲れたんだよ」

「まじめって一体……」

 玲次は呆れたように呟いた。

 立ったままでいれば本当にまじめに授業を受けている生徒の邪魔になるので、早々に部屋を出て行く。

 心葉の席を通るとき、机の上を指で撫でた。

 Aクラス最後尾左の席は、代々紋章所持者が座ってきた席だそうだ。

 なんでも、一番初めに紋章を持っていることがわかった生徒の席がこの席だったそうだ。

 俺の席が一番左の最後尾から一つ前だったという微妙な席も、最後尾である席が紋章所持者の席と決まっていたからだ。

 教室から出ると、心葉の姿はもうなかった。

 左に行けば階段があるので、そちらに足を向ける。

 教室の前の扉が開いた。

 そこからゆっくりと、女子生徒が長い黒髪を揺らしながら出てくる。

 女子生徒は立ちふさがるように廊下の中央で立ち止まったため、俺も足を止めた。

「なんだよ七海。何か用か?」

 廊下とはいえ教室では授業がしているので声は抑えて尋ねる。

 七海は俺が紋章を止めると言った日から以前よりも刺々しく拒絶の意を俺に向けていた。

 それは神罰のときでも変わらず、戦闘による連携がうまくできなかった。

 管狐の神罰のとき、倒しきることができなかったのもそれが関係している。

 これまで通りの連携をすることができていれば、管狐の妖魔なら苦もなく倒せたはずなのだ。

 七海とのわだかまりの理由ははっきりしているが、それを解消するのは困難である。

「まだ神罰のことを調べているのね」

「ああ、知らないことが多いからな。神罰の謎を解き明かさない限り心葉は救えないだろ」

「それを止めろって言っているのよ」

 七海の左手がきつく握りしめられて震えている。

 俺は無言で歩き出す。

 そして、七海の横を通り過ぎるときに口を開いた。

「止めないよ」

 七海はこちら睨み付け何かを言おうとしたが、俺は構わず通り過ぎ、角を曲がって階段を下りていく。

「止めるわけない」

 七海は追ってこようとはせず、俺は階段を下りていった。

 足早に階段を駆け下りていく。

 俺が階段を下りていく音だけが、授業中の静かな空気に響いていく。

 一階廊下まで降りてきたが七海の姿はない。

 雨が降っているから屋上に行ったわけはない。

 中庭の方へ顔を覗かせると、屋根付きの通路を歩いてる心葉を見つけた。

 おーいと後ろから声をかけると、心葉はきょとんとしながら振り返った。

「授業はいいの?」

 それはお前もだという言葉を飲み込み、苦笑しながら頷く。

「今日も何となく出てただけだからな。この高校の授業ペースはそれほど速くないみたいだし、余裕余裕」

「ホントかなぁー」

 心葉は疑るような目で見て笑う。

「じゃあ、期末テストの点数が低かったら罰ゲームね」

「くっ……そう言われると、手を抜けないな」

 別に手を抜くつもりはないけど。

 授業は自由だがテストは体裁もあるので基本的に全員出席だ。

 神罰がない日の午後に時間をかけて数日で行われることになっている。

 あと一ヶ月もすれば期末テストなので、気合いを入れておかねばなるまい。勉強する気はないけど。

「テストのことより、神罰のことなんだけどさ」

「急に話が変わったね」

 にんまりと笑う心葉に、一つ咳払いをして続ける。

「神罰と言うか、七海のことなんだけど、あいつどうにかならないか?」

 心葉は困ったような笑みを浮かべた。

「七海ちゃんね……。確かにこのまま今の状態が続いて、強い神罰が来たらちょっとまずいかもね」

 妖魔が多数の場合は勝手に戦ってもある程度戦えるのだが、少数戦ともなれば話は別だ。

 相手が一体だったときは、協力して戦う必要が出てくる。

 仲違いしている今の状態では、戦略を立てて戦うなどとてもではないが無理だ。

「理由ははっきりしているんだけどね」

 その理由が厄介だから困っているわけだ。

 教員棟を通り過ぎ、再び外に出る。

 雨は絶賛降り注いでいたので、二人とも鞄から取り出した折りたたみ傘をさす。

 傘に雨が落ちる音が小気味良く響く。

「凪君」

 呼ばれて心葉を見るが、心葉の顔は水色の傘に隠れて見えない。

 心葉が黙ったため、しばらく雨が傘を打つ音だけが耳に届く。

 やがて、雨に掻き消されそうなか細い声で呟いた。

「紋章のこと、もう止めていいよ」

「……」

 心葉から視線を外して前へと戻す。

「そうすれば、きっと七海ちゃんもこれまで通りに戻ってくれる。私なんかのことより、これからの神罰のことだよ。このままじゃ、私一人の命なんかじゃなくて、もっと大きな被害が出るかもしれない。過去統制のとれていなかった年ほど、神罰の被害は大きいことが多いんだ」

 俺たちの代は、統制がとれている方なんだろう。

 玲次と七海という二人の生徒会役員は、人望もあり人当たりもいい。その上実力も十二分にある。それだけのカリスマ性を持っている。

 柴崎のようにやや反抗的な人間もいるが、最終的には全員が二人に着いていく。

「でも、ここままじゃ……」

 俯き呟く心葉。

 きっとまた、誰かが死ぬ。

 心葉の先の言葉はたぶんそれだ。

 俺たちのせいで人が死ぬ。

 まだ二ヶ月と少ししか経っていないにも関わらず、十名近い生徒が死んでいる。

 その責任は、様々なところにある。

 死んでいった生徒がもっと強ければ。

 俺や玲次や七海、神罰で戦っている全ての生徒が、助けることができれば。

 そして、心葉が紋章を使えば、心葉一人の命で全員が助かるという事実。

 心葉にかかっている責任の重さは、俺たちの比じゃない。

 自分が紋章を使うという決心ができないとはいえ、誰にも死んでほしくないと一番切に思っているのは間違いなく心葉だ。

 俺たちが仲違いしている理由も、見当違いではあるが心葉は自分のせいだと思っているに違いない。

 だから俺は……

「ていっ」

 すぱっーんと心葉の頭を叩いた。

「いたっ! な、何?」

 心葉は後頭部を押さえながら、顔を歪めてこちらを見上げる。

「あんまり気負うな。俺たちがこんなことを考えているってことは、相手もそう思ってるはずだ。そんなに長くは続かないよ」

「だ、だけど……」

 まだ何か言いたそうに心葉に、俺は傘をくるりと回しながら口元を緩めた。

「心葉、この際だからはっきり言っとく」

 不思議そうに首を傾げる心葉の視線を受け、俺は後ろ歩きになりながら校舎を振り返る。

「これから先何があっても、たとえ島中の人間を敵に回しても、島から追い出されそうになっても、ぜっったい止めないからな。俺はな、理不尽なことが――」

 戸惑う心葉を振り返りながら、ニヤリと、自分でもわかるほど嫌な笑みを貼り付ける。

「この世で一番嫌いなんだ」


  Θ  Θ  Θ


 神罰を迎えず、休日に入った。

 今日雨は降っていないが、いつ降り出してもおかしくないほどの厚い雲が広がっている。

 休日だが高校に出てきていた俺は、当てもなく校舎を彷徨っていた。

 高校に出てくるため一応ブレザーを着て、頭には寮から着いてきたホウキが乗っている。

「肩が凝るんですけど……」

 と言っても退いてくれないので、結果頭に乗せたまま一緒に散歩中だ。

 最近毎日図書館に通い、過去の記録を調べているが、神罰そのものに関する資料は俺が知っている以上のことはあまりない。

 そもそも、神罰自体に異常を感じている人間こそ多少はいるが、行動に起こす人間まではほとんどいない。

 紋章を持たない生徒にとって、神罰は勝ちさえすれば生き残ることができることだからだ。

 紋章所持者はいずれ死が確定している身ではあるが、一人でできることなどたかがしれている。

 俺も、紋章所持者ではないが、たかが一人の人間だ。

 でも俺と他の生徒は、根本的に違う。

 俺はこの島の人間ではあるが、この島の人間ではない。

 美榊島出身ではあるが、余所者と呼ばれるほど長く外にいたこともあり、先入観のない目で物事を見ることができる。

 それに、俺は何かしでかしても失うものがない。

 唯一の親類は島外にいる父さんのみ。

 他の生徒は行動を起こすだけでも、家族や親戚の立場を悪くすることに繋がりかねないため萎縮する可能性があるが、俺にはそんな相手がいないので気にせず行動することができる。

 そのアドバンテージがどれほど大きなものなのかはわからない。

 でもそれが俺のモチベーションとなっているのも事実である。

 わからないことは多い。

 だがそれでも、少しずつ解き明かされつつある。

「いずれ必ず……」

 決意を言葉に出し、誰もいない校内を歩いて行く。

 無駄に広い土地のあちこちに足を運んだ。

 神罰の中心とも言えるこの高校のどこかに、きっと何かあると思い、ひたすら足を進めていく。

「ガァー」

 突然、ホウキが頭の上で鳴いた。

 校舎から離れ、校舎周囲の森の中を歩いているときであり、俺も何かを感じて足を止めた。

 木々の間から、炎のように赤い髪の男子生徒が現れた。

 着崩したブレザーの上着ポケットに両手を突っ込み、体はやる気なさげに脱力している。

 相手もこちらに気づいた。

 目つきの悪い双眸が真っすぐ俺に向けられる。

「御堂……? こんなところで何やってるんだ?」

 現れた御堂は俺の問いに答えず、視線をゆっくりと上げた。

「ガァガァッ!」

 睨み付けられているにも関わらず、ホウキは負けじと鳴き返す。

「ああ、こいつはホウキって言って、俺の同居動物」

 御堂は興味なさそうに視線をずらした。

 初めて見たようなのにこれほど反応が少ない人も珍しい。

「お前、休みの日にこんなところで何してんの?」

「……それはお前もだろうが」

 舌打ちをしながら顔を歪める御堂がぼそっと呟いた。

 休日に、こんな何もない場所をうろついている理由を思案したが、これと言って理由は思い浮かばなかった。

 訝しげに御堂の顔を覗き込んでいたが、御堂は再び舌打ちを吐いた。

「……お前、神罰を止めようなんてバカな真似してるらしいな?」

「ん、そうだな。今日も何かないか散策中だ」

「馬鹿なことをするやつもいたもんだな」

 御堂は俺に肩をぶつけるようにして横を通り過ぎると、校舎の方へと歩いて行った。

 何を考えているのか本当にわからないやつだ。

「ガァッ!」

 立ち止まったまま動かない俺を急かすように、ホウキが足踏みをする。

「ああ、悪い悪い」

 横の腹を撫でてやりながら、また木々の間を進んでいく。

 二時間ほど校舎の周りを歩き続けた。

 太陽は雲に隠れてわからないが、もう昼を回っている。

 不意に、遠くの方で音が聞こえた。

 遠雷だ。

 ホウキが怯えたように喉を鳴き始める。

 雷が落ちてもいけないので、頭の上から下ろして腕に抱えた。

「何もない……」

 何かあると思い、ひたすら歩き回っているが本当に何も見つからない。

「見当違いなのか……」

「ガァ?」

 ホウキは首を傾げ鳴いている。

 再び遠くで雷の音が聞こえた。

 空に広がる厚い雲は、所々を黒く染めている。

「こりゃあまた降るな……」

 遅くならない内に帰らないといけない。

 校門と反対側にある体育館の辺りまでやってきている。

 低い位置にある柵付きの窓から体育館を覗き込むが、板張りの薄暗い空間には誰の姿もなかった。

 休みだから当然か。

 誰もいない体育館を迂回し、グラウンドへと抜ける。

 巨大な体育館は迂回するだけでも一苦労だ。

 その体育館を圧倒的に上回る広さを持つ、グラウンドは体育館と同じで誰もいない。

 人っ子一人いないグラウンドはいつもより一層広く感じられた。

 中央辺りまで来たとき、空が光った。

 直後、轟音が空気を揺らす。

「おおっ。あれは近かったな」

 雷が落ちたと思しき方向を眺める。

 なんでだろう。雷が落ちると、なんかこう気持ちが高ぶる。

 一人勝手にうんうんと頷いていると、再び空が光った。

 同時に、顔にぽつっと一滴の水が落ちてくる。

 視線を上げると、空から滴がいくつも降り注ぎ始めた。

「いよいよ降り始めたか」

 早く帰らないと。こんな日じゃ洗濯もできない。

 そんな主婦染みたことが真っ先に出てくる辺り俺は、そろそろ家庭に入るべきではなかろうか。

 一人苦笑しながらグラウンドを歩く。

 だが、校舎から一人の生徒がこちらに歩いてきたので、俺は足を止めた。

「……」

 ブラウスに高校指定のスカートを着た生徒は、何も言わずにこちらに近づいてくる。

 やるせないため息を雨とともに落とす。

「ホウキ、お前は先に帰ってろ。雷に打たれるなよ」

 手を離しながら言うと、ホウキは翼を羽ばたかせながら低く飛び、寮の方へ飛んでいった。

 ホウキに雷が落ちずに帰って行ったのを見送ると、俺は肩をすくめて前の生徒へ視線を向ける。

 雨は徐々に勢いを増してきた。

 雷も近いところで鳴り始め、本降りとなってきた。

 歩いてきた生徒は、俺から十メートルほど離れたところで立ち止まる。

 長い黒髪には降ってきた雨が滴り、額に濡れた髪がかかってかなり色っぽくなっている。

 だが濡れた髪の間から覗く双眸は、鮮烈な光を宿している。

「傘も差さずに何突っ立ってんだよ。風邪引くぞ、七海」

「……そうね」

 七海は無感情な声で呟くが、濡れた髪を払おうともしない。

 再び雷鳴が轟く。

 ぶりっこ女子なら耳を押さえて悲鳴を上げるところだろうが、七海は雷など鳴っていることなど気づかないように俺を睨み付けていた。

「なんか、用か?」

 俺は尋ねながら雨に濡れて目にかかった髪を掻き上げる。

「……」

 七海は答えない。

 今日は傘を持ってきていないので、降り注ぐ雨を遮るものは何もない。

 今の俺と七海のように。

 休日でほとんど人がいないグラウンド。おまけにこの雨。

 今からここで何が起ころうと、遮るものは何もない。

 ただ、終わるのを待つのみ。

「まどろっこしいことは言わないわ、凪。今すぐ、紋章の件から手を引きなさい」

 七海がなぜ俺の前に現れたかなんて最初からわかっている。

 むしろこうなるのが少し遅いと感じるくらいだ。

 その理由はきっと、七海なりの葛藤の結果なのだろう。

 でもな、七海。

「俺は止めないよ」

 七海の顔が一瞬苛立ちに歪んだが、すぐにまた無表情に戻る。

 淡々とした表情に、強い揺らいだ感情が見え隠れしている。

「だって、心葉がこのままじゃ死ぬんだ。わかってるのか?」

 わかっていないわけがない。

 だけど聞かずにはいられなかった。

 七海のきつく握りしめられた拳には七海の苦しみが宿っている。

「いい加減気付きなさい。あんたがやっていることは無駄なの。あんたが持てる全てをかけたとしても、五十年以上も続く理は変えられない。やるだけ無意味よ」

「無意味かどうかは、俺たちが卒業するときにわかるだろ。可能性の問題とかじゃないんだよ。嫌だから、気にくわないからやるんだ」

「あんたがどう思っているかなんて知らないわ。あんたが足掻けば足掻くほど、心葉が辛い思いをするのよ。あんたの努力や頑張りや、尽くした全てが、心葉が最後を迎えるときにあの子の悲しみへと変わるのよ」

「俺がやり遂げたら、全て幸せに変わるだろ。やり遂げるさ。諦めたりしない」

「諦めるとかそういうことじゃないわ。あんたには、いえ、この世界の誰にも神の罰を止めることなどできない。全てが無駄だって言っているのよ」

「これまでの人たちができなかったから止まっていないだけだ。俺が、誰かが止めるだけで、この神罰は終わる。それで心葉が救えるんだ。そのためだったら、俺は何でもする」

 俺も七海も譲らず、雨音とともに言葉が飛び交う。

 どちらが正しいとか正しくないとか、そんなことは関係ない。

 ただ己が信じる信念を、思いの丈をぶつけるだけだ。

「平行線だな」

 肩をすくめながら小さくため息を吐く。

「今のままじゃ心葉は一年も生きられない。それが、神罰なんてつまらない理由で殺されるなんて、俺は、絶対に認めない」

 認めるわけにはいかない。

 認めてしまえばそれは心葉の死を受け入れるのと同義だ。

 七海の表情が崩れた。

「あんたに、ずっと美榊島にいなかったあんたに何がわかるって言うのよ……」

 割り切れない怒りと悲しみに溢れた感情は、黒い言葉となって放たれる。

「小学生の頃から薄々気づいてた。毎日鍛練を積まされていた。教えられなくともね。中学生に上がったときに初めて聞かされたときは、まさかと思った。冗談を言っているようにしか思えなかった。これはふざけてるだけなんだって。でもいつまでも終わらない冗談の中で、武術や法術を叩き込まれ、徐々に冗談じゃないって、現実味を帯びていった。これから数年後、自らが死ぬ戦いに赴かないといけないことを教育されてきた私たちがどれほどの思いをしたのか、あんたにはわからないでしょう」

「……」

 閉口したまま反論することができずに眉を落とした。

 俺が知らない、十年間。

 その溝はきっと、俺が感じているよりもずっと深い。

 しかしその溝こそが、今俺を掻き立てる衝動であり、意志であり、決意だ。

 これまで俺が過ごしてきた普通の人生。

 それをお前らにも、神罰という死と向き合わなくてもいい人生を歩んでほしいから、戦うんだ。

 また雷鳴が轟き、俺は視線を上げて口を開く。

「今のお前の言葉はどういうことだ? 私たちの気持ちがわかるわけがない? 本当に神罰を受けなければいけないと考えているやつなら、少なくともそんな考えは持たないだろう。自分自身でわかっているんだ。この神罰が異常だってことを。そうでなきゃ、そんな言葉が出てくるはずがない」

 この島で、神罰のことを教え込まれてきた生徒は、それが普通だと受け入れてしまう。

 そういう生徒は、今の状況が異常であるとも思わない。

 美榊高校の生徒の大部分がそうだ。

 でも七海は違うんだ。

「理不尽な罰を受けて、毎年何人もの高校生が命を落としている。神の罰なら許せる? 許せるわけないだろ。五十年以上も続き、それでも終わることがない神罰。本当に神が行っている神罰だとしても、そんな理不尽許せるわけがない」

 七海は何かを押さえるように右腕の服の裾を掴む。

「……仕方ないじゃない」

「仕方ないわけあるもんか。本当はお前や玲次もわかってるんだろ。この神罰に受ける意味なんて最初からないってことを――」

「黙れ!」

 七海が吠えると同時に振り下ろされた左腕から紅蓮の炎が放たれる。

 微動だにしない俺のすぐ横を、グラウンドを削りながら炎が通過していった。

 直撃していれば、下手をすれば命に関わる攻撃は、雨で湿っていたグラウンドを一瞬にして焦がし白煙を上げている。

 七海の左腕に燃える枝が纏わり付く。

 雨が炎によって蒸発し、熱い水蒸気となって周囲に漂う。

 七海は両腕に炎を灯し、俯き気味に声を発する。

「あんたの考えがどうであれ、あんたがこれ以上神罰に背き、心葉を傷つけ続けるのなら……。あんたはもう戦わなくていい。もう、神罰がない暮らしに帰ればいい」

 島から出ろ。

 叩き付けられた言葉に胸が揺れる。

「もし帰らないなら、戦えない体にするわ。神罰じゃない今の状態で怪我をすれば、怪我は治らず自然治癒に任せるしかない。全治一年の怪我をしたくなければ、今すぐ神罰を止めるなんてバカなことは止めなさい」

 戦う意思の表れなのかはわからないが、手を閉じたり開いたりしている。

 視線を七海に戻す。

「たとえ俺は、この島の人間や神全てを敵に回しても、絶対に神罰を止めてみせる」

 鼻先を炎が掠める。

 空から叩き付けるように放たれた炎が目の前のグラウンドに炸裂した。

 飛散した炎が、ブレザーの裾や覗いた手を焦がした。

 突き抜ける痛みに顔を歪めるが、足は地面に貼り付けたまま動かさない。

「なら、力尽くで止めるだけよ」

 七海の手で炎が踊る。

 直線的に放たれる炎は、確実に俺を射貫く軌道で飛んでくる。

 俺は左手を横に引き、天羽々斬を召喚する、

 素早く右手で柄を掴み、居合いのように引き抜いた。

 同時に溢れ出した白煙を盾のように張り巡らせた。

 盾が弾いた炎は周囲に飛び散った。

 雨や水たまりが熱した鉄板に触れたように瞬時に蒸発していく。

 蒸気が視界を悪くする。

 盾を消すと正面にいたはずの七海の姿がなかった。

 一瞬の逡巡の後、右側部の蒸気を突き破るようにして七海が現れた。

 地面を撫でるように腕を振ると、地面を割りながら炎が走ってくる。

 バックステップで軌道から外れると、再び炎と自分の間に盾を作った。

 次の瞬間、地面を走っていた炎が爆ぜ、盾に炎と土を叩き付けた。

 再び蒸気で七海の姿が見えなくなった。

 雨。

 天候一つでここまで戦いにくくなるのか。

 神罰のときは集団戦になるため使えない手だが、対人戦の一対一ならこれほど厄介な戦い方はない。

 視界を覆う蒸気は仙術で体を強化し、白煙を纏っていなければ大やけどするレベルの熱量だ。

 七海は炎を操ると同時に熱で蒸気まで操っている節がある。

 ホント、色んな意味でやりづらい。

 蒸気を突き破って周囲から火球が飛んでくる。

 さしもの七海もこの蒸気の中では正確にこちらの位置を把握しているわけではないようで、火球の狙いは正確ではない。

 だが四方八方から襲い掛かってくる火球は数が多いため、数発は確実に俺を射止める軌道だ。

 俺は両手で構えた天羽々斬を振り上げ、纏わせた神力を真下の地面に叩き付けた。

 俺を中心に衝撃波が放たれ、火球と蒸気をまとめて吹き飛ばしていく。

 突如足元の地面が揺れた。

 先ほどまでは固かったはずの地面が液状化現象のように歪み始める。

 鎧武者の神罰のときに七海が行った、熱で物質を強引に溶かす攻撃だ。熱されて溶けていく地面に立っていれば足が炭化するだろう。

 瞬時に足元に白煙を敷き詰め、溶岩の如く溶けた地面の上に立つ。

 ここで安易に跳ぶのは誤りだ。

 視線を上に向けると、巨大な火球が蒸気を突き破って落ちてくるところだった。

 切っ先を地面に当て低く構え、注ぎ込んだ神力を刃に変え上方に放つ。

 刃は火球を穿ち、同時に炸裂して火球を散り散りに掻き消した。

 衝撃は周囲に広がり、蒸気も流される。視界の晴れた先に、七海が現れた。

 苛立ちに表情を歪め、手に灯る炎が怒りを表すかのように揺れている。

「どうした? 俺に全治一年の怪我を負わせるんだろ? そんな生半可の攻撃じゃ火傷が関の山だぞ」

 天羽々斬の最も優れた能力はその汎用性の高さだ。攻撃に使うだけではなく、白煙は凝固させれば金属よりも固い盾となる。特に物理攻撃ではない炎は防ぎやすい分野である。

 七海は渋面を浮かべながら両手を振り下ろした。

 空中に無数の炎の斧が現れ、一斉に俺に向かって飛んでくる。

 天羽々斬を地面に突き刺し、両手で素早く印を結んだ。

 早口で呪文を唱えていく。その間に炎の斧はすぐ前まで迫っている。

 当たるか当たらないかというタイミングで、呪文を唱え終える。

「【水牢呪】」

 眼前の空間に瞬間的に水の壁が形成される。

 周囲にある大量の水分を吸収して生成された術は、飛来した炎の斧を飲み込んでは消滅させる。

 最後の斧が蒸気を上げて消えたのを確認すると、水の壁も併せて消した。

 同時に水たまりを踏むような音が響いた。

 視界が晴れると目の前に靴の裏が迫っていた。

 天羽々斬を回収しながら体を横に翻し、七海の蹴りを躱す。

 七海は空中で体を踊らせ、もう一方の足を鞭のように振るう。

「おっと」

 しなやかな無駄のない蹴りは前髪を掠めていった。

 勢いを利用してバク転で距離を取るが、七海はすぐに距離を詰めてくる。

 両手に炎の剣を生み出し、俺に距離を取らせないように間髪入れずに攻撃を繰り出してきた。

 俺は天羽々斬でそれを捌いていく。

 七海が神罰で剣術を使っているのは見たことはない。武器という形を持っていない神器を扱っているからである。

 しかし、さすが全校生徒を率いるだけのことはある。

 両手から繰り出される剣戟には無駄がなく、研ぎ澄まされた技術であることが見て取れる。

 逆に攻撃というより一つの芸術という風に見ることもできた。それが返って攻撃を予測しやすくしているため、なんとか凌ぐことができる。教科書通りの戦い方は、妖魔相手なら強い武器となるが、対人戦となれば攻撃を読むことはさほど難しくない。

 七海の気迫は大したものだ。鬼気迫るとはまさにこういうことを言うのだろうと暢気に考えていた。

 鋭利な刃のような意志はまるで七海の持つ剣を連想させた。

 同時に、炎の剣同様、迷いに揺れているように見えた。

 七海の持つ炎の剣は、七海の心そのものだ。

 少し距離を開けると、七海は両手の剣を振り上げて叩き付けるように振り下ろした。

 俺は体をひねりながら天羽々斬を斬り上げた。

 炎の剣は二本とも根元からぽっきりとへし折れ、炎は空気に溶けて消えていく。

 驚愕に目を見開く七海の腹に、印を結んだ三本の指を向ける。

 七海は身をよじって回避しようとするが、それより先に俺の指から勢いよく突風が吹き出し、七海が後退しようとしたことも相まって十メートルほど距離が開いた。

 放たれた術が攻撃ではなかったことに、七海は再び驚き、頬をひくつかせている。

 俺は距離を取ったまま手の中で刀を踊らせ、ただただ七海を見返す。

「……ふざけてるの?」

 七海が怒りに震えた声を発した。

「どうして反撃してこないのよ……。接近戦が主力のあんたが、距離を開けるようなことまでして……」

「いや、俺はお前に怪我を負わせる気とかないから」

 大体神罰中ではないのに怪我をさせるというのは、実際かなり弊害がある。

 神罰に参加できなくなるというのも結構な問題ではあるが、本当に問題なのは七海の立場だ。

 中途半端な怪我を負ったとしても、生徒会という立場から神罰にはその責任感から無理にでも参加するはずだ。

 怪我をした状態でもし強い妖魔が現れることがあれば、七海の死亡率が格段に跳ね上がるだろう。

「お前は神罰に必要な人間だ。失うわけにはいかないだろ」

「馬鹿にするのも大概にしなさい!」

 怒気とともに顕現する炎が迫るが、天羽々斬の一降りで霧散する。

 七海は歯を食いしばりながら行く当てもない炎を彷徨わせた。集中せずに放った攻撃を払うことなくなど造作もない。

「人を虚仮にして! そうやって何でもできると思ってるんでしょ! そんなわけないのよ! あんたがどんなに抗おうが、戦おうが、立ち向かおうが、神罰を止めるなんて誰にもできないのよ! あんたが心葉を助けようとどれほどの努力を積み上げても、それは雪でできたまやかしに過ぎない。後には、心葉が助からなかったっていう事実しか残らないのよ!」

 そうじゃないだろ七海。

 俺は心葉を助けたい。当然、七海も、玲次だって死んでほしくない。

 でも、七海は違う。

「七海、聞かせてくれよ」

 天羽々斬を肩に担ぎながら、七海に問う。

 七海は口は動かさずに視線で促した。

「お前は心葉を助けたいのか。それとも違う誰かを助けたいのか……。どっちだ?」

「……何を言っているの」

 怪訝な顔に苛立ちを浮かんだ怒りの視線が頬に突き刺さる。

 その視線を撥ね除けながら、負けじと視線を返す。

「お前が助けたいのは、心葉か、それとも……」

 逃避してるばっかりじゃだめなんだよ、七海。


「心葉が死んだことによってそれを悲しむ、お前自身かって聞いてるんだよ」


 再び雷鳴が轟いた。

 校舎の屋上にある避雷針に落ちたようで、眩い光とはち切れんばかりの激音が校舎をびりびりと揺らした。

 目が光に眩み、一瞬見えなくなった七海の顔が見て取れたとき、七海の表情はなくなっていた。

 空っぽの空間に投げ出されたような二つの瞳は、俺が放った言葉を理解できないように彷徨っている。

「……にを」

 消え入りそうな声で、空気に溶けてしまいそうな声で呟く。

「何を言っているのよ……」

 口元が嘲笑するように歪んでいる。周囲の人間と誠実にまじめに向き合う七海には似つかわしくないそれだが、七海もそこまで気にしている余裕はないのだろう。

 頬は引きつり、目は俺の言葉を受け入れられないように揺れている。

 雨は一層激しさを増してきた。

 苦しそうに肩で息をする七海の息遣いは雨音が掻き消している。

 動揺しきった七海は、攻撃することも次の言葉を紡ぐことも忘れ、立ち尽くして雨に打たれている。

「お前、言ってたよな?」

 俺の声は雨音に消される音はなく七海に届き、七海は体を強張らせる。

「心葉を助けようとすればするほど、心葉が悲しむって。それは助けられる心葉だけじゃない。心葉を助けようとする側にも言えることだ。俺や、お前のようにな」

 心葉が悲しむ。

 それは同時に心葉を悲しむことを観測する人間がいることになる。

 七海は口だけをわなわなと震わせる。

「お前は、ずっと心葉を避けていた。お前は心葉と関わり続けることで、最後の痛みが膨れ上がることを拒んだ。心葉が誰かと関わり続け、死ぬとなれば確かに心葉は悲しむだろう。辛いだろう。でも同時に、それは俺たちにも言えることだ。心葉と別れるときの苦しみは心葉と相違ない。お前はその苦しみから、他の誰でもない、自分自身を守ろうとしているんじゃないのか?」

「――違う!」

 咆哮とともに吐き出された炎が俺に襲い掛かる。

 左腕を炎が掠めた。

「……っ」

 避ける気はなかったとは言え、腕を焦がした痛みに口が歪む。

 雨が火傷を冷やしていき、焼けたブレザーから蒸気が上っていく。

 攻撃を避けなかった俺に七海は驚いて目を見開いたが、動こうとする左手を必死に押さえている。

「私が、私たちがどれほど悩んだかあんたは知らないでしょう! 紋章が心葉に表れたって知ったとき、夢だと思った。信じたくなった。私に代わりに表れればいいと思った! でも神罰は変えられない。変えられたことなんてない! 神罰を止めることができる力を持った唯一の神が、心葉に紋章を選んだのなら仕方ないのよ!」

 仕方がない。幾度も聞いてきた言葉だ。

 諦め割り切る言葉であり、無責任な言葉。

「七海、仕方がないことなんてない。俺は諦めないよ。できなかったっていうのは、仕方がないことかもしれない。でも、できそうにないからやらないっていうのは、仕方がなかったんじゃない。怠惰なだけだ」

 再び炎が舞った。

 眼前で炎が爆発し、体が吹き飛んだ。

 数メートル転がったところで、激しく咳き込み、泥だらけになりながら体を起こす。

「……それ以上言ったら、本当に病院送りにするわよ」

 七海が右手を空にかざしている。

 真上には、十メートルを優に超す巨大な炎の大剣が生成された。

 降り注ぐ雨が大剣に触れ蒸発していく。

 俺はこれまで通り、七海の左手に目を向ける。

 降ろされたままの左手はスカートを握りしめたまま震えていた。

 痛みに顔を歪めながらも、余裕の笑みを顔に張り付ける。

「やれるもんなら、やってみやがれ。バカ七海」

 天羽々斬を地面に突き刺し、体に纏わせていた白煙も刀身に戻した。俺を守るものは何もない。

 一瞬の間に、七海の表情に恐れや怒り、悲しみといった暗い感情が流れた。

 血が出るほど唇を噛みしめ、濡れた瞳が揺れている。

 七海がかざした手をきつく握りしめた。

「ああああああ!」

 悲鳴にも似た叫び声とともに、腕が振り下ろされる。

 炎の大剣が飛ぶ。真っすぐ、雨を貫きながら俺を射貫く軌道で飛来する。

 動かない。避けない。躱さない。

 自分を信じてみせろ。辿り着いた答えだけを信じ抜け。

 地面に突き立てた天羽々斬は決して離さない。

「――ッ!」

 直撃すれば間違いなく死ぬ。

 全てを焼き尽くす暴虐な炎は、俺の鼻っ面数センチのところで制止した。

 制止した際に生じた衝撃が熱となって、皮膚を濡らしていた雨水が熱湯に変わり、蒸発していった。かなり熱い。

 制止している炎に雨が落ち、恐ろしい音となって耳に届く。

 確信があったとはいえ、自分が渡った綱渡りの危険に今更ながら気づき、乾いたばかりの頬に冷や汗が浮かんだが、それもすぐに消えた

 大剣の向こう側に、左手を前に出し、掴むように握りしめている。

 炎の大剣は徐々に崩れていき、熱気だけを残して消えていった。

「……はぁ」

 心臓が破裂せんばかりに打っている。

 動悸で胸を押さえたくなりそれを悟られないように冷静に努めたが、七海はこっちの様子など見てもいなかった。

 足が汚れることも気にせず膝から地面に崩れ落ち、項垂れたまま震えている。

 俺は、ぬかるみの中足を進め、七海のすぐ前に立った。

「どうして避けないのよ……」

 苦悶の声が食いしばられた歯の間から漏れる。

「お前が本気で攻撃しないってことは最初からわかっていたからな」

「はっ……私を信じてたからとかそんな甘いことを、あんたは言うのでしょうね」

 冷笑を含んだ言葉に、俺は苦笑する。

「そんな格好良いことを言えたらよかったけどな」

 予想外だったのか、七海は顔を上げてこちらを見上げる。

「お前、嘘を吐くときとか、思ってもないことを言うとき、左手を動かす癖があるんだよ。この島に来てずっと見ていたけど、本当にわかりやすかった」

 七海は驚いたように左手を抱きしめる。

「なっ……何を……」

 これまで自分の繕っていた部分を全て見抜かれていたことが恥ずかしくなったのか、七海は口をぱくぱくとさせている。

 七海は誠実だ。

 俺が知っている誰よりも正しく、真っすぐに物事を見ており、自分のやり方を信じている。だからこそ、誠実さに欠くことを無理に行おうとすると、体が反応しているのだと思う。

 無意識の行動というものはそう簡単に消せるものじゃないからな。

「なんであんたがそれを知っているのよ。それを知ってるのは……」

「なんでって……」

 そういえばなんでだろうか。

 この島に帰ってきたときには既に知っていた。

 つまり帰ってくるより以前、この島に住んでいたときには知っていたことになる。

「……昔誰かに教えられたような」

 擦れて消えそうな記憶に、確かに覚えがある。

 七海はハッとしたように目を見開き、やがてその目を落とした。

「総一さんね……」

「……総一さん?」

 聞き覚えのない名前に俺は眉をひそめた。

 七海は憂いた瞳を揺らして閉じる。

「忘れたの? 片桐総一。私たちの三つ上の、玲次の兄よ」

 片桐……総一……。玲次の兄?

「総一兄ちゃんか!」

 そうだ。

 まだこの島にいた頃、俺たちを色んなところに連れて行ってくれたお兄ちゃんがいた。

 玲次の兄だ。

「そうだったな。玲次には総一兄ちゃんがいたんだった。三つ上だから、総一兄ちゃんは今大学生か? それとも就職してる?」

「……」

 七海は答えない。

 ただ閉じた目をきつく閉じたまま、悔やむように口を結んでいた。

 その空白がなんとなく答えになってしまっていた。

「……私だって、神罰を恨んでいないわけじゃないのよ」

 顔が雨で濡れてしまっているため、涙は見えない。

 それでも七海の声は泣いているように震えていた。

「総一さんは、神罰で殺された」

 吐き出された言葉が冷たい刃となって胸を抉る。

 その衝撃は、かつての眠っていた記憶は泉のように湧き上がった。

 晴れやかな笑顔、自分たちより少し大きな体、俺たちより前を楽しそうに駆けていた。

 毎日が楽しかった。神罰なんてなかったあの頃は、普通の子どもと変わらないように、ただ毎日を楽しく生きていた。

 総一兄ちゃん。

 もう凪と呼んでもらえることはないし、一緒に遊ぶこともない。

 頭の中で、輝くような笑顔が、霞んで消えた。

 この島ではそういうことが普通にあり得る。

 改めて思い知らされる。

「美榊高校には、空白の世代というものがあるの」

「空白の世代?」

「そうよ。神罰で命を落とす生徒の割合は年によってバラバラだけど、世代によっては一割にも満たない人数まで死亡者ができることがあるのよ」

 つまりは、神罰で学年の九割が死ぬということ。

 生徒の数が二百人くらいの俺たちに世代だと、一年間の間に百八十人以上が死亡することになる。

「そんなことが……」

「あるのよ、実際。総一さんの代は、一体の妖魔に百五十人以上殺され、教職員も何人も死んだ。その神罰の最中にその年の紋章所持者も死亡したから神罰も止まったから全滅はしなかったけど、その年生き残った生徒は両手の指で足りる程よ。そういう大部分の生徒が死んだ代を空白の世代と言うのよ」

 全校生徒の九割が消える。想像もできない。

 そして、総一兄ちゃんが死んだというのは胸がひどく痛む。

 俺たちがまだ子どもだった頃、三歳とは大きな差だった。三つ上の総一兄ちゃんは俺たちよりずっと大人なお兄さんで、俺たちともよく遊んでくれた。

 七海の嘘を吐くとき癖を教えてくれたのも、確かに思い出せば総一兄ちゃんが教えてくれたことだ。

 俺が七海が左手を時々動かすことに気付いた俺が、総一兄ちゃんに尋ねたのだ。そうしたら皆には内緒だと言って、あれが七海の左手を動かす癖が嘘を吐くときのことだと教えてくれたのだ。

 あの総一兄ちゃんが、もういないのか。

 俺はもう一つ気づいたことがあった。

「そうか。玲次が使っている雷上動は、総一兄ちゃんの……」

「……ええ、そうよ。総一さんはその代で一番強い人だった。紋章所持者ではなかったけどね。その代も決して弱かったわけではないらしいけど、強過ぎた妖魔の前に大敗し、総一さんも命を落とした。でも雷上動は消えずに今年まで残っていたの。それを玲次が引き継いだのよ」

 神降ろしによって得た神器は所有者が死亡すると同時に縁が切れ、神力の供給が途絶える。所有者が生きている場合は当然残るが、所有者の神力を消費し続けるので神力の供給を絶つのが基本である。

 どちらの場合も神力が供給が途絶えるので大抵の場合は消えてしまう。

 しかし、神器に強い思いや力が残っていると、消えずにそのまま残ることがある。

 それが父さんが降ろした天羽々斬であり、総一兄ちゃんの雷上動というわけだ。

 そういえば三年前に壊滅的な打撃を受けたと聞いたことがある。その年が、総一兄ちゃんが命を落とした年だったんだ。

「総一さんが神罰で死んでしまうまで、私や玲次、心葉にとっても神罰はどこか空想の中の話だと思っていた。けど、総一さんという身近過ぎる人が死んだことで、私たちがどれほど崩れやすいもの上で生活しているかということはわかったの」

 美榊島で神力を持つ者が通る通過儀礼のようなもの。それが神罰。

 だがそれは、子どもには重すぎる荷だ。

「私たちはそれから必死に力を付けた。神罰で自分たちが死なないために、友達を死なせないために。あんたももうわかってると思うけど、この島では力を付ければ付けるほど死に近づく。紋章があるせいでね。でも半端に力をつけたところで結局神罰で命を落とす。だからただがむしゃらに力を付けた」

 その結果紋章が現れたのが、心葉だったんだ。

 俺の知らない三人だけの時間。それがまた遠く感じられた。

「私に紋章が表れればよかった!」

 雨音を吹き飛ばす叫びは、痛みに震えていた。

「そうすればこんなに悩むこともなかった。私ならすぐに紋章を――」

 言い終わる前に、俺は七海の頭にズビシッとチョップを入れた。

 結構強めに入れたので、七海は頭を押さえてもだえている。涙目になりながら、恨めしそうにこちらを見上げた。

「バカかお前は。自分一人が犠牲になれば、皆助かるなら自分は死んでもいいとかそんなふざけたこと考えんてんじゃねぇ」

「で、でも、そうなれば心葉に責任を背負わせることはなかったし、玲次も生徒会なんてものに入らなくてよかった……。今年に入って死んでいった皆も死ぬことはなかった。あんたも、この島に帰ってこさせて、戦わせることなんてなかった……」

「それがバカだっつってんだ。確かに、お前に紋章が現れてすぐに使えば、心葉も玲次も、死んでいった生徒も助かった。それは間違ってない。でも、今度は生き残った心葉や玲次が今お前が感じている苦しみを味わうだけだ。立場が変わっただけ。現状は何も変わっていない」

 それに死んでいった生徒の責任は、紋章を使わなかった人間だけにも、生き残った生徒だけにも、死んだ生徒にあるわけでもない。

 俺たちは平等にその責任を背負わなければいけないんだ。

「七海、俺は神罰を止める。俺がやろうとしていることはこれまで何十年もの間できなかったことだ。でもそれをやることで、心葉が助けられるんなら……俺はやる。その他全員の生徒はおまけみたいなものだけどな」

 冗談めかして言うが、心葉を助けることは他の生徒を救うことにも繋がるから構わないだろう。

「なんでそこまでできるのよ……」

 呆れたように、理解できないように七海は呟く。

「この島で帰ってきたばかりで、あんたのことを覚えている人間なんて何人もいないこの島で、心葉のためだけに、どうして命を懸けて戦えるの?」

 理音もされた質問だ。

 俺が心葉の身を危険にまでさらして助けようとしているのは周囲から見ればそれほど不思議に見えるようだ。

 自分ではそんな自覚がないからよくわからないが。

「心葉のことが、好きだから?」

 七海らしく、それでいて七海らしからぬ問いだった。

 頭に手をやって苦笑する。

 先ほどまで嵐のように降り注いでいた雨は急激に勢いが弱まっていた。どうやら通り雨だったようで、雲の切れ間が覗き始めた。

「その理由だけでそこまでできるのかどうかは自信がないけど、一つ言えるのは、それだけが理由じゃないから、かな」

 ひどく曖昧な答え方だったが、一部の問いにはほぼ答えてしまったと言っていい。

 恥ずかしくはあるが、七海なら大丈夫だとなんとなく思う。

 七海は目をぱちくりとさせて黙ってしまったので、痛々しい空気を振り払うため、七海の額にデコピンを入れた。

「ひゃう」

 情けない声を上げて今度は額を押さえてもだえる。これで記憶を忘れてくれればいいが。

「俺は、本当にこの島に帰ってきてよかったと思ってる。お前らにまた会えたこともそうだけど、神罰に関われたことに俺は心底感謝してる」

「な、なんでよ?」

「お前も知ってるだろ。俺の母さんがなんで死んだか。母さんは俺を産んですぐに紋章を使って死んだ。そして父さんはその母さんを前に助けることができなかったことを今も悔やんでいる。そんな理不尽なことを母さんと父さんに押しつけたやつを、俺は絶対に許さない。この手でぶっ飛ばす」

 心葉のことも当然あるからだが、過去の話でも許せないことはある。

 それに父さんは、きっと今も苦しんでいる。父さんはこの島に戻れない身であるし、今それができるのは俺しかいないんだ。

 七海は額を押さえたまま口を結び、何か難しそうに眉根をよせている。

 やがて体から力を抜き、ぺたんと地面に座り込んだ。

「……私や玲次も、手伝いたいという気持ちは少なからずあるの。でも、神を深く崇めるこの島で神が起こしている神罰を止めようとする行為は、それだけで神を冒涜したとしてひどい扱いを受ける。私や玲次だけならともかく、両親や親戚たちにまで影響が出るから、私たちは手伝えない……」

 総一兄ちゃんのこともある。二人だって神罰にはそれなりの恨み辛みはあるのだ。

 でも手伝えないのは、自分以外にも被害を及ぶ可能性があるからだ。

「そんなことはわかってるよ。だから俺は一度もお前たちに直接協力を仰いだことはないだろ」

 玲次や七海にできることは、どうにかすれば自分でもできる可能性が高いから無茶なことは言えない。

 問題は評議会の事情なので、それについては理音に無理を言って頼んでいるわけだ。

 父さんもできないことは言わない。父さんは自らに背負うものがない自由に動ける俺だから島で好き勝手することを認めているのだ。

「本当に、止めないの?」

 再度、七海が尋ねてくる。

「ああ、止めないよ。たとえ、この島で命を落とすことになっても、心葉のため、この高校の全校生徒のため、将来この島を生きる子どもたちのために、なんとしても神罰を終わらせる」

 もう決めたことだ。

 この先どんなことが待っていようと、止めたりしない。

 止めることは、心葉の死を認めること。

 それだけは、絶対回避してみせる。

 天羽々斬を消し、座り込んだままの七海に手を差し出す。

「七海たちの協力が必要になったときは、迷惑にならない範囲で頼むことになると思う。そのときは、悪いけどお願いできるか?」

 七海は差し出された手を見て、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。

 自分の左手に何かを確認するように目を向けている。

 そして、これまでのことを振り払うように強く拳を握りしめた。

「一つ、約束をしてもらっていいかしら?」

 普段通りの落ち着いた七海の声に戻りながら、七海はしっかりと俺の手を掴んだ。

「なんなりと」

 恭しく頭を下げながら言うと、七海は小さく笑って立ち上がった。

「絶対に、神罰を終わらせて。心葉を、助けて」

 握っている七海の手は、もう迷いはなく、ただしっかりと俺の手を握り返していた。

 この美榊島に帰ってきて、七海と再会してからおそらく、初めて聞いた七海の本心。

 心葉のことを純粋に助けてほしいと願う、七海の心からの言葉だった。

 その願いに応えるのに、多くの言葉は必要ない。

「ああ、任せとけ」

 あとは、行動と結果で示すだけだ。

 七海は手を握っていた手を離すと、小さくため息を吐いた。

「でも、当てはあるんでしょうね?」

「まだ始めたばかりだから何とも言えないけど、気になることがいくつかある。それと市長に話を聞けば何かわかるはずなんだ。時間はないけど、なんとかするさ」

 あまり七海に詳しく言っても七海がやりにくくなるだけだ。

 この神罰を止めるということは、美榊島の黒い部分に足を踏み入れるということだ。

 そんな部分を見るのは余所者の俺が適任だ。

 柴崎たちには余所者余所者と蔑まれてきたが、そんな余所者だからできることをやってやる。

 雲が徐々に少なくなっていき、青空が覗き始めた。

 先ほどの嵐が嘘のように暖かい日差しがグラウンドに降り注ぎ、美榊高校は爛々と輝く。

 木々の間から流れた込んだ風がグラウンドを撫でる。

 水たまりの水面が揺れ、吹き抜けた風が俺と七海の間を吹き抜けていった。

 くしゅんと、七海がかわいいくしゃみをする。

 俺も水を吸って重くなったカッターが体中から温度を奪い体を震わせた。

「さっさと帰るか。こんな格好でいたら風邪引く。そうなったら神罰が来たときに困る」

「悪かったわね。バカな真似をして」

「気にすんなよ」

 七海の方からこうして来てくれなかったらこうも早く解決はしなかっただろう。

 たぶん俺から行っても話にすらならなかったし。

「いいから帰ろうぜ。目のやり場にも困るんだよ」

 校門がある方に向かって歩きながらそう言うと、七海は怪訝な顔をしながら首を傾げる。

 七海から目を逸らし明後日の方向を向きながら、指で胸をトントンと叩く。

 七海の視線がのろのろと自分の胸元に行く。

「ッッッ!? ッッ!」

 傍目から見てわかるほど、面白いくらいに動揺していた。

 先ほどまで雨が降っていたとはいえ、六月も半ばを過ぎた今日の気温はそれなりに高かった。

 神罰中は身を守るという意味でもブレザーを着るのが普通だが、神罰が起きない休日はそんなことを気にする必要がないのでそんな暑いものをわざわざ着てこない。

 だから俺もカッターだけだったし、七海はブラウスだけだった。

 そう、ブラウスだけだった。

 ずぶ濡れの七海。

 体に張り付いているブラウスは七海の肌を抜き上がらせており、色々透けていた。

 下着とか水色の下着とか色っぽい下着とか……。

「……ッ」

 七海は胸を抱えるようにしてぷるぷると震えている。

 それは当然寒さによる震えではない。

「このッ変態!」

「誰が変態だ! 言うタイミングなんてなかっただろうが!」

 むしろ先ほどの最中に言ったら最悪本当に殺されていた可能性まである。

「ってことは最初っからなのね!? 最低! 心葉に言いつけるから!」

「鬼か! そんな格好で来たお前が悪いんだろうが!」

「う、うるさいわね! あんたがはっきりしないのがいけないんでしょ!」

「責任転嫁ひどくない!?」

 それからしばらく、二人でバカな言い争いを続けた。

 昔はしばしばくだらないことで、このような言い争いになったことはよくあった。

 落ち着いた空気を纏っている七海だが、結局根は変わっていない。

 やっぱりこいつらは、何も変わっていない。

 俺は言い合いを続けながらも、小さく口元を緩めた。

 ……いや、別に七海の下着が見られたからじゃないからな。


  Θ  Θ  Θ


 なんか、二人がわちゃわちゃやってる……。

 図書館に本を返しに来たついでに教室によると、七海ちゃんと凪君が雨の中で戦ってたのが見えてびっくりした。

 最初見たときは訓練でやってるのかと思ったけど、大雨の中でそんなことするわけがないから、すぐに理由はわかった。

 私の、紋章のことで争っているんだって考えると、止めなきゃと思ったけど、私に二人は止められない。

 二人とも頑固だ。

 ただひたすらに真っすぐに、自分の考えを信じている。

 どちらも間違っていない。

 二つの解があったとして、片方が正解だからもう一方が不正解ということはない。

 きっと七海ちゃんの考えも凪君の考えも正解なんだ。

 私の問題っていうのが、ちょっと複雑だけど。

 でも、仲直りできたみたいで、よかった。

「あいつら、本当にバカだよな」

「……うん、そうだね」

 口を押さえて小さく笑う。

「なんでだろうな。一度ぶつかっとかないと気が済まないのかね」

「玲次君は凪君とぶつかっとかなくていいの?」

「なぜ俺がぶつかりゃなきゃならん。子どもじゃあるまいし」

 二人のことを子どもと言って退ける玲次君はとても楽しげだった。

 教室に来て七海ちゃんと凪君が戦い始めると、すぐに玲次君も現れた。そろそろこんなことが起きることを予想していたらしい。

 七海ちゃんの様子が最近おかしかったことは当然玲次君も気づいており、そろそろ何かをしでかすと予想していたから見張っていたらしい。

 なんだかんだで一番七海ちゃんのことを理解しているのは玲次君だ。

 総一さんがなくなったときもそうだった。

 あの頃、七海ちゃんは総一さんに一種の憧れのようなものを抱いていた。恋愛感情ではなかったと七海ちゃんは言っていたけど、私から見れば同じようなものだった。

 そんな総一さんを突然失った私たちは一様に悲しみの沼に落ちたけど、七海ちゃんの沼は底なしだった。

 私や玲次君は神罰のことが急に現実味を帯びて前を向いたけど、七海ちゃんはずっと塞ぎ込んでいた。

 一月経っても、二月経っても七海ちゃんは変わらず悲しみに暮れていて、玲次君は毎日七海ちゃんのところに通って励まし、元気付けていた。

 私はほとんど何もできなかった。

 空虚な表情で動こうともしない七海ちゃんを前に何をしていいかわからず、声すらかけられなかった。でも玲次君は私とは違い、七海ちゃんの手を引いて七海ちゃんを沼から引き上げた。

 徐々に元の七海ちゃんに戻っていき、七海ちゃんはやり場のない気持ちを全て神罰へ向けた。

 戦うための力を手に入れた。

 誰かを守るための力を手に入れた。

 でも、それは神罰で生き残るための力ではなかったと思う。

 七海ちゃんはきっと、紋章がほしかったんだ。

 それを手にすれば、誰かを悲しませずに済むと、そんな考えを持って力をつけていたのではないかと思っていた。

 たぶん、七海ちゃんに紋章が現れたら、迷わず使っていたと思う。

 私はどうしてもそれを避けたかった。

 そんな風に七海ちゃんに紋章を使わせるくらいなら、毎日そんなことばかり考えて術を磨き続けた結果、私に紋章が現れた。

 安堵と絶望が一緒に来たみたいだった。

 いつか死ぬのと、あと一年で死ぬとわかるのって、こんなに違うものなんだって初めて知った。

 この紋章を使ってしまえば生き残っている全生徒を救うことができる。

 だけど、それをしてしまえば七海ちゃんを悲しませることになる。

 だから私は紋章を使えない。

 でも皆を助けるために使うのがいいのか、私には判断がつかない。

 死ぬのは、怖い。

 それだけはわかるのに……。

「お前も、なんかバカなこと考えているだろ?」

 黙りこくっていた私の顔を覗き込んで玲次は怪訝な表情を浮かべる。

「……さあ、どうかな」

 自嘲気味な笑みを浮かべながら、視線をグラウンドに戻す。

 玲次君は時々勘が妙に鋭くて困る。

 凪君も人の心を読むの得意みたいだし、私の周りってやりにくい人多いなぁ。

 いいけどと、玲次が肩をすくめて私と同じように視線をグラウンドの二人に向ける。

 グラウンドでは七海ちゃんが凪君を追いかけて校舎に入っていくところだった。

 騒いでいる二人の声は生徒棟を抜けて教員棟の方へと流れていった。そのまま寮へ帰っていったようだ。

「俺も帰るかな。ようやく気兼ねなく休める。たまの休日くらい、ゆっくりしよ」

 一度体を大きく伸ばし、一気に体を抜いてだらりとする。

 生徒を引っ張って神罰に向かわねばならなきゃいけないプレッシャーは、私には想像もできない。

 それに加えて自らの鍛練も怠ることができず、考えの先には常に神罰がある。

 紋章が表れなければ私も生徒会に入っていた。

 力を持つ者の責任として生徒を率いる立場になっていただろうが、それも紋章を持った段階で変質してしまった。

 先頭ではなく、全ての中心。

 それが今の私の、救いようのない現実だ。

「お前はどうするんだ?」

「そだね。今七海ちゃんや凪君と会うと、たぶん気まずくなっちゃうからね。もう少しゆっくりしてから帰るよ。行ってばったり、なんてなったら目も当てられないから」

 玲次君は小さく笑いながら頭に手をやった。

「確かに、面倒なことで。じゃあ先に帰るから。お前も遅くならずに帰れよ」

 お母さんみたいなことを言う玲次君がおかしくてちょっと吹き出してしまった。

「なんだよ」

「ふふっ。なんでもない」

 一瞬怪訝な顔をしたが、玲次君はすぐに体を返して教室を出て行く。

 しかし、教室を出かかったところで、扉に手をかけて止まった。

 躊躇ったようにこちらを振り返り、何かを言おうとしたが声にならず彷徨っていた。

「どうしたの?」

「あ、いや……俺までこんなこと言うの、今更なんだけどさ……」

 玲次君は一頻り迷った後、戸惑いを隠せないまま口を開く。

「絶対、紋章は使うなよ」

 玲次君や七海ちゃんから、再三言われている言葉。

 昨日まで仲のよかった友達も腫れ物を扱うようになり、まるで犯罪者のように扱われるようになった。

 そんな中でも、玲次君や七海ちゃんは、私のことを真剣に悩み、考え、言葉にしてくれた。

 そのことに、いつもいつも胸がほんのり熱くなる。

「生きられてもあと九ヶ月くらいだもんね」

 心の内を悟られないように憎まれ口を叩きながら、自嘲的な笑みを浮かべる。

「そういう意味じゃねぇよ」

 呆れたように苦笑をしながら、玲次君は遠い目を廊下の窓から続く空へと向けた。

「あいつを見ていると、本当にやりそうな気がしてくるんだよ」

 子どものように無邪気で、とても楽しそうな笑みを浮かべながら、玲次君は言う。

「神罰を、マジに終わらせてくれる気がさ」

 

  Θ  Θ  Θ


 真っ赤な顔で胸を押さえ追いかけてくる七海を巻いた俺は、寮に戻ってシャワーを浴びた。

 夏と言ってもやはり雨に濡れると冷たい。ただ熱いシャワーを浴びることもできなかったので温いお湯でゆっくり体を温めた。

「グァー」

 風呂から出てきた俺を先に帰ってきたホウキが迎える。

「あ、こら! お前濡れてんだからそのまま歩き回るな! 床びちゃびちゃじゃねぇか!」

 言ったが時既に遅く、床にはホウキの撒き散らした水が広がっている。

 ホウキは俺から離れた後、しばらく飛んで戻ったようで十分雨に打たれていたようだ。水浴びが好きなのでわざと濡れてきた節がある。水浴びしたいならさせてやるからそのまま歩き回るのだけは本当に勘弁してほしい。

 タンスからホウキ用に使っている青いタオルを取り出し、逃げ回るホウキを引っ捕まえて水を拭き取る。

「ああもうこんなに濡らしやがって」

 別のタオルを持ち出して撒き散らされた水を拭き取っていく。

 全部片付けた頃には三十分ほどが経過していた。

「なんか散々だ」

「グァグァ」

「お前のせいだよ!」

 励ますように鳴くホウキに突っ込みを入れる。

 ホウキはわからないように首を傾げていた。

 深々とため息を漏らし、椅子に体をどさっと投げ出して座り込む。

「いっつ……」

 座った拍子に体の所々が痛んだ。

 腕や首、服から覗いていた部分が軽くはあるが火傷を刻まれている。当然、七海の炎に焼かれたことが原因だ。

 七海には気づかれないようなんともなく振る舞っていたが、熱いシャワーなど浴びたら激痛が走るだろう。

 戸棚から救急箱を引っ張り出し、消毒をしてガーゼで覆っていく。あ、でも火傷の上にガーゼって、換えるときすっごい痛いんだよな。

 自分から躱さなかった結果のことなので自業自得であるのがなんとも言えないところだ。

 一部水疱になっている部分があり、破かない方が早くなると聞いたことがあるのでそのまま包帯で覆っておく。

 この程度なら神罰にも差し支えないだろう。

 七海は全治一年の怪我を、とか言っていたが俺たちの場合は普通の治療期間は当てにならない。

 神力を持っていること、特に身体能力を向上させることまでできる仙術まで扱えるレベルになると、自然治癒能力が常人の数倍はいい。

 仙術を日常的に軽く使用する気持ちでコントロールしていれば、さすがに休み明けまでに完全に治癒することはないだろうが体を動かしても痛くない程度には治るはずだ。

 だからそれほど深刻になることはない。

 一通り包帯を巻き終え、机に突っ伏す。

 これで、七海の問題は解決した。

 こういう言い方は嫌だが、仲間内での諍いが一番の問題になる予感はしていたので、第一ステップは終えられたと考えていい。

 周囲の生徒が俺に向ける視線は変わらず苛烈なものになるだろうが、それは大きな弊害とはならない。

 神罰においての戦闘の功績はそのまま発言力に繋がる。戦闘力が高い人間が生徒会や市との中継役に選ばれるのはそれが理由だろう。

 天羽々斬という最高レベルの神器を持ち、仙術まで使えるため、俺の立場は玲次や七海に近いものがある。

 だから紋章所持者である心葉に普通通り以上に接していたにも関わらず、変な横やりなどがなかった。そのせいで紋章のことを知るのが遅くなってしまったのは否めないが……。

 きっと俺に力もなく、神罰で何の働きもできない人間だったら、角が立つことを嫌った生徒がもっと早くに俺に紋章の事実を突き付けていたはずだ。

 でも、大事なことはこれからだ。

 七海には実際当てがあると言ったが、その当てが神罰を止める鍵になる確証はどこにもない。

 もう六月が終わる。残り時間は八、九ヶ月しかない。

 それまでに、神罰を止める、もしくは紋章の呪いから心葉を解放する。

 改めて思い返すと相当な難題だ。

 どこから手をつけたものか……。

 そんなことを考えているとインターホンが音を立て、胸もドキッと音を立てた。

「休みの日に誰だ……?」

 まさか七海じゃないよな……。下着見られたことをこれ以上根に持たれても困るんだが……。

 そうだったら居留守を使おう。ほぼ間違いなくいると判断されていたとしても、絶対に出ないのが居留守の鉄則。これ勧誘を諦めさせるコツね。

 心に決めて忍び足でドアまで向かい、ドアスコープを覗き込んで誰が来たのかを確認する。

 しかしドア一つ隔てた向こう側にいるのは、あまりにも意外な来訪者だった。

 用もないのに来るやつとは思えないので、このまま居留守を決め込むのは正しい判断ではない。

 深々とため息を吐くと、ドアを開けて来訪者と向き合った。

 来訪者は赤い髪を雨に濡らし、髪の切れ間から覗く髪は鋭くこちらを見返していた。

「何か用か? 御堂」

 来訪者、御堂は小さく肩を落とした。できることなら話したくないけど仕方ない、そういう感じの空気が見て取れた。

 少しの躊躇いを見せた後、御堂は口を開く。

「話がある。ちょっといいか」

 確認というより話したいことがあるから面を貸せという意味合いにしか聞こえなかった。

 俺も仕方ないという空気を出しながらドアを大きく開けた。

「……構わないけど、面倒だからここでいいか? 他に行くのもなんだし」

「……ああ、邪魔をする」

 意外に礼儀正しく、御堂は俺の部屋へと足を踏み入れた。靴を脱ぎ、向きを変えて置き直しながら俺の後に続く。

 俺たちは、お互い腹の中で考えていることを探るように思考を挟みながら会話をしている。

 自室に招いた人は玲次と七海を覗けば初めてだ。

 あれ? 俺友達少ないんじゃないの? 入学してもう三ヶ月。……まあいいか。

 負のスパイラルにはまりそうだったので気持ちを切り替え、御堂を部屋に通す。

「ガァガァ!」

 突然現れた来訪者にホウキが抗議の声を上げる。

 俺はもう慣れたが不自然な状況に若干御堂が戸惑っている。

「さっきも見ただろ? ほらホウキ、お客さんだからあっち行ってなさい」

 ホウキのお尻を叩きながら言うと、やや不満げではあったがホウキは別室へと歩いて行った。ほとんどホウキ用となっている部屋である。

「ほれ」

 俺はタンスからタオルを一枚取り出して御堂に投げてよこす。

 反射的に受け取った御堂は目を丸くしてタオルを凝視している。

「何不思議そうにしている。お前雨で濡れてんじゃねぇか。部屋に入れたのは俺だけど、髪ぐらい拭いてくれ」

「……悪いな」

 御堂は小さく言って、タオルで髪を拭き始めた。

 俺はその間にキッチンに入ると、ケトルでお湯を沸かしてコーヒーを二つ淹れた。

 ソーサーに砂糖とミルクを一つずつ添えて、ダイニングのテーブルに並べる。

「それで、話って何よ?」

 椅子に腰を下ろしながらコーヒーを一口飲む。俺は甘いのが好きなので砂糖とミルクを既に多めに入れてある。

 御堂はタオルを首にかけ、俺の前の椅子を引いて腰を下ろす。

「……今日のこともそうだが、最近お前が神罰を止めようとしているって話を色んなところで聞く」

「事実だからな。否定はしないよ」

 俺は軽く答えながらカップをソーサーに置く。

「それを聞いてお前はどうするんだ? 評議会の人間としちゃ、こんな不穏分子は島にいさせられないか?」

 玲次たち高校側と立場こそ違えど、神罰においての被害を減らすという理念は変わらないはずだ。校外のことを取り締まるのが普段な役割とは聞いているが、神罰におかしな関わり方をする異分子を見逃せないというのは理解できる。

「……いや、お前が椎名を、紋章所持者をルールから外させるような行動を取らず、神罰で戦うのなら、こちらとしては特に制限をかけるつもりはない」

 意外な言葉に眉を上げて御堂を見返す。

「……いただきます」

 御堂は目の前に置かれたコーヒーを砂糖もミルクも入れずにそのまま口をつけた。

「なんか、お前高校にいる間とキャラ違い過ぎないか?」

 どうでもいいことかもしれないが聞かずにはいられなかった。

 話し方といい変に礼儀正しいことといい、ギャップがあり過ぎる。本当に御堂なのかと疑問になるほどだ。

 人格や性格がそんなころころ変わるはずはない。しかし、この島では常識が通用しないのはずいぶん前に学んでいる。

 御堂は苦虫を噛み潰したような顔をした。それはコーヒーの苦さが理由ではないはずだ。

「……外だとあれで通してるんだ」

「それってわざと不良してるってことか? なんでそんな面倒な真似を」

「別にいいだろ。お前は言いふらしたりするようなタイプじゃない。だから普通でいいと判断しただけだ」

 ぶっきらぼうに言いながら、もう一度コーヒーをあおる。

 俺はふーんと意外そうに眉を上げた。

 御堂はカップをソーサーに置きながら、視線をこちらに向ける。

「今日来たのは、お前が調べている情報を提供してほしいからだ」

「そんなの、聞いてどうするんだ?」

「……」

 御堂は静かに目を落とし、湯気を上げるコーヒーを見つめる。

 言葉を選び、何かを探るような空気を出している。

「いや、やっぱそれはいいや。答えなくていいよ。その代わり、俺はお前が知っていろ神罰のことについて聞きたい。情報交換ってことで、深くは聞かない」

「……お前はそれでいいのか?」

「ああ、情報が入るなら、お前の事情に深入りする気はない」

「……そうか。助かる」

 御堂は、よく見ていなければわからないほど、小さな笑みを浮かべていた。

 しかし意外に思ったときにはもう無表情に戻り、口を開いていた。

「なら、今お前が知っていることを教えてくれ」

「期待してくれているところ悪いけど、今俺が知っていることはほとんどない。気になる点がいくつかあるっていうことだけ。それ以上の推論を重ねても意味はないだろうからな。それだけでもよければ、話すけど」

「それで構わない」

「了解。ならまずは……」

 俺は御堂に、今気になっていることについて話した。以前玲次や七海を前にしていった、神罰の疑問点だ。

 始業式の日に必ず始まる神罰や、休日には絶対に起きないこと。

 島が様々な対策を講じているにも関わらず、外れこそあれど神降ろしなどの対策を講じても弊害はないこと。

 罰を与えているにしても、紋章という一人を捧げれば神罰は終わるという曖昧な存在の意味。

「そういやお前、神降ろしでなんかヤバい神器降ろしたんじゃなかった? 大丈夫なんだろうな?」

「……こいつのことか」

 御堂は机の上に手をかざし、手の中に一降りの刀を生み出した。

「おいおい。出して大丈夫なんだろうな」

「大丈夫に決まっているだろう。確かにこの鬼斬安綱には変な曰くがある。だがそんなのは別段珍しいわけじゃない。神器として非常に強力だ。だから使っている。それだけだ」

 ノコギリのようになっている峰は凶悪な威圧感を放っており、紫色の刀身は近くで見ると一段と毒々しい。

 御堂はすぐに刀を消した。

「お前の話は、大体わかった。その辺りの疑問は俺も思っていた部分ではある」

「へぇ。それで何かわかっていることはあるのか?」

「いや、期待に応えられなくて悪いが、これと言ってわかっているものがあるわけではない。今の話を聞いて思ったが、対策の件で一つ疑問がある」

「それは?」

 聞き返すと、御堂はコーヒーを一口飲んだ。

「過去行われた対策で現在の学年の状態、三年生だけが戦う布陣になっていることだ」

「それは変なことなのか? 一年生の低学年に戦わせるより、高学年の、未熟だとしても力をつけた上級生が戦う方が被害が少ないだろうから正しい判断だろ」

「判断としてはそれで間違ってないが、問題はそれが正しく履行されている点だ。神罰の原因となった男子生徒は、当時一五歳、高校一年生だったんだ」

「何?」

 眉をすがめて聞き返す。

「間違いない情報なのか?」

「そのはずだ。年長者から直接聞いた話だから信憑性があると思うが、少なくとも俺は間違ってないと思う」

 またおかしな話が出てきたものだ。

 現在神罰を受けているのは高校三年生、一七歳か一八歳の生徒たちだ。それなのに神罰の原因となった生徒がまさか一五歳、高校一年生だったわけだ。

「神を攻撃した後、男子生徒は失踪したって話だったな」

「そうだ。さらに、同時期にその男子生徒の姉が大怪我を負って死亡している」

 初耳だった情報に、俺は眉をひそめて身を乗り出す。

「大怪我で死亡? それは神罰のこととかは関係してないのか?」

「それははっきりわかっていない。ただ、この事実を知っているほとんどの人は、攻撃をされた仕返しに神が姉を攻撃したのではないかというのが通説だ。言うならば一番初めの神罰の被害者。だから、皆語ろうとはしない」

 ますますややこしくなってくる。

 どこまでが関係ある出来事なのかがわからない。全てが関係しているのか、もしくは全てが関係してないのか、それを突き止めなければならない。

「やっぱり変だよな。神罰って」

 俺の呟きに対して、御堂は特に反応を示さなかった。

 俺はコーヒーを一口飲みながら頭に糖分を送り込む。

「一つ気になっていることがあるんだが、いいか?」

 御堂は無言で促した。

「お前は心葉が……紋章所持者が紋章を使うことに反対派か? それとも肯定派か?」

「どちらでもいい、というのが答えだな」

 悩むことなく、御堂は一言で肯定した。

 それは適当に答えたからではなく、既に考え抜いた上での結論という意図が読み取れた。

「確かに紋章所持者が死を選ぶことで他の生徒が救われるのは事実だ。だが、死の危機にあるのは紋章所持者も最初から同じ。しかも紋章所持者は死ぬことは確実だが、俺たちは自分の力次第で生き残れる。結局は自己責任だ。紋章所持者に紋章を使えって言うやつらの気持ちもわからんでもないがな」

 最後に付け加えられたような言葉は、柴崎や他の生徒のことだろう。決して他の生徒のことを反しているわけではなく、あくまで中立という意味だ。

「それが美榊島の考えだってことだよな」

「紋章所持者の人権は何十年も前に保証されている。美榊市の代表として動いている以上、そこに嘘は吐けない」

 見た目によらず相当まじめなやつである。

 学校では不良を演じているようだが、なんでそんなことをしているのか非常に気になるところではあるが。

「それが聞ければ安心安心」

 にんまりと笑いながら、俺はコーヒーを飲み干し、カップを手に席を立つ。

「おかわりは?」

「遠慮しておこう」

 そっかと相づちを打ちながら、自分のカップにコーヒーのおかわりを淹れる。

「御堂はさ、この神罰、なんで起きていると思う?」

 唐突な質問に、御堂は怪訝な顔をしながら首を傾げている。

 そして、少し考えて口を開いた。

「それは、何十年も昔の人が、神を攻撃したから、だろ?」

 俺はカップを片手に座りながら質問を重ねる。

「そうだな。それは間違いないだろう。でも、なんで神は攻撃されたからって神罰を起こすんだ?」

「……怒っているから、じゃないか?」

 怒り。

 神が罰を課している理由としてこれほど簡単な答えはないように思う。

「俺はそれがわからないんだよな。五十年だぜ五十年。たとえ怒ったとしてもいい加減熱冷ませって思わないか?」

「何が言いたいんだよ」

 御堂は少し苛立ちのこもった声を上げた。

「神罰を起こしているのは、間違いなく人間じゃない。こんなことをできる力を持っている人間がいたらとっくの昔に世界征服してる。紋章の、これは別の神なのかはわからないけど、人間が理解できない術を持っているのもその証拠だろ。でもな、たとえ神でも五十年は十分に長い時間だと、俺は思う」

 物語の中じゃ、永遠の命を持つ神や妖怪なんかは、数十年なんてあっという間なんて表現がある。でも、思考が人に比べてずっと緩慢なのなら話は別だが、そうではなく仮に人間と同じだとするなら、五十年はやっぱり人で言う五十年の長さだと考える。

「そんな時間を過ごしたのに、それなのに変わらず罰を起こし続けるなんて、普通あり得ないだろ、どんだけ暇なんだよって話だ」

 御堂は渋い顔で口ごもる。反論しようにも的確な答えが出てこない、そんな感じの顔だ。

「あちっ」

 淹れたばかりのコーヒーが思いの外熱かった。

 カップ片手に悶絶し唇の痛みが取れるのを待つ。

「だが、神がこの島に終わることのない罰を与えていることが目的なら、おかしな話ではない。一つのシステムと課しているならあり得ない話じゃないだろ」

 俺は涙が浮かんでくる目じりを拭いながら言う。

「いいや、それはないだろ。俺が気になっている点はさっきも言ったけど、神罰には作為的な点が多々ある。それから考えると、完全自動のシステムなんてものがあるとは考えにくい。始業式の日や休日は当たり前だけどバラバラだ。過去休日とかに関わる対策は行われてないからな」

 それにしても、システムか……。

 御堂が使った言葉だが、考えてみればこの神罰はシステムのように正しく実行されている部分はある。

 仕組みや仕掛けがあるのか、それとも……、

 思案の海に足だけ浸かったぐらいのときに、御堂が口を開いたことで引き上げられた。

「怒りや恨みが理由じゃない、それがお前の考えなのか?」

「ん、ああ、そうだな。相手が人外だからって思考を止めるのは簡単だけど、どうも納得し切れなくてな。この神罰は、何かの意味があってやっているんじゃないかってな」

 拭い切れない違和感が常に頭を覆っているような感じだ。

 ねっとりと絡みつく蜘蛛の糸のように振り払い切れず、不快感がただただ募る。

「でも、そんなこと考えたところで答えが出るはずないからな。神罰を起こしている神を引っ捕まえて直接聞き出すさ」

「捕まえると言っても、手掛かりはあるのか?」

「ない」

 きっぱりとした言い放つ俺に、御堂が口をぽかんと開ける。

 流れる沈黙の間に、ちょうど飲みやすい温度になってきたコーヒーに口をつける。

 御堂は頬をひくつかせて身を乗り出した。

「ふざけてるのか?」

「まさか、こっちは知り合いの命がかかってるんだ。ふざけるわけないだろ」

「なら、悠長なことを言っていていいのか? さっきはお前も言っていたが時間は限られているんだ」

「わかってるよ。ただ俺の第一優先は現紋章所持者を救うこと。その結果、神罰を止めるのはついでみたいなものだからな」

 別に神罰を起こしている神を見つけることが可能かどうかすらわからない。

 人知の及ばない相手だ。そもそも人の形をしているかもわからない。

 ただ、神罰のきっかけになった男子生徒に攻撃されたという件で、攻撃を受けたという事実があるから実態があることは間違いないというのが唯一の救いだ。

「そういうお前は、何か手掛かりはあるのか?」

 逆に尋ね返された御堂はすっと目を細めた。

 これはある意味微妙な問題だ。俺が信用に足るかどうかを考えているのだろう。

 思考の邪魔はせずゆったりと待っていると、御堂はおもむろに口を開いた。

「俺もあるわけではないが、推測はできる」

「と言うと?」

「神罰を起こしている人間は、この島の誰か、人間に成り代わっている可能性が高いだろう」

「ん、確かにそれが一番考えられる可能性だな」

 神は、自らに似せて人を作ったと言う。

 神罰を起こしている神がどんなやつなのかはわからないが、その言葉が正しいならその神も人の形をしている可能性はある。

 それに、動きやすさで言えば人の姿が最も容易だ。

 神罰を起こしている方法がどんなものなのかは想像もつかないが、起きているという事象は確かに存在している。

 それなら起こしている神がこの島のどこかにいると考えるのが至極当然の考えだ。

 俺は眉を上げて御堂を見やる。

「問題は、どこのどいつかと言うことだが……お前、俺にそんな話していいのか? 俺がその神だとは考えないのか?」

 いきなりずばり核心を突いた問いに、御堂の顔が一瞬引きつった。

 再び考えるような短い間の後、小さく息を吐く。

「……その可能性も否定し切れない。お前だって、俺がその神である可能性を捨ててかかっているわけじゃないだろ?」

「当たり前だ」

 対照的に考える間もなく答えた俺を、御堂は不思議なものを見るような目を向ける。

「それに考えなしにこんな話をしているわけじゃない。お前はずっと島外にいた人間だ。内側のことはそれほど管理が厳重ではないが、外からくる人間に対しては徹底している。お前が島を離れて十年間一度もこの島に戻ってきていないのは間違いない事実だ。既に調べもつけてある。お前がその神だって可能性はなくなったわけじゃないが、それでも他の人間よりはずっと少ない」

「合理的だな。俺の場合は、たとえ神であったとしても有益な情報を零してくれたらラッキーくらいに思ってるから」

「……見かけによらず冷たいことを言うんだな」

 冷たいことを言っているつもりはない。

 俺は俺なりの合理的なことを言っているだけだ。

 どこの誰だかは知らないが、この島の人間の中に神罰を起こしている神が紛れ込んでいる可能性は高い。だとするなら、自分以外の人間に平等に神が潜んでいると考えて動くべきだ。

 こんな風に神罰のことを聞きに来ている御堂だからとしても例外ではなく疑う。疑ってかかるべきなのだ。

 相手は神だ。

 こちらが考えている当たり前など通じるはずもない。

「ん?」

 不意にシンプルな着信音が響いた。

 自分の音かと思って携帯電話を取り出したが、こちらのものではなかったようだ。音は違っても反射的に取ってしまうってあるよね。

 正面に座る御堂のスマートフォンから発せられている音だった。

 表示がされているであろう画面を見た御堂は渋面を浮かべて舌打ちをした。

「理音からだ」

 あいつか。こいつら普通に仲いいんじゃなかろうか。

 黙っててくれと断って、御堂は電話に出た。

『どこに行ってるんすか! 休みの日だからって僕らがほいほい遊んでちゃだめでしょ!』

 スマートフォンから音が飛び出し、御堂の右耳から左耳へと音が貫いていった。

 あまりの大きさに俺まではっきりと理音の声が届いていた。

 机に肘を突いて苦笑していると御堂がますますしかめっ面になり、椅子から腰を上げて距離を取った。

「うるせぇな、わかってるよ……すぐに戻る……しつこい……ああ、悪かった……わかったからでかい声で話すな。切るぞ」

 話を切り上げるように言い、深々とため息を吐きながらスマートフォンをズボンのポケットにしまう。

「急ぎの用事か?」

「いつものことだ。俺たちの役割は校外で問題を起こす生徒の取り締まりだ。本来校外にいる時間が多い休日の方が必要な時間は多い」

 確かにそうだ。事実以前吉田が心葉を襲ったときも休日だった。

 土日だと言うのに仕事をしなければならないというのは、学生というよりもう社会人のように思えた。

 そう考えると、見てくれは不良にしか見えないのにずいぶんと大人びて見えてきた。

「悪いが帰る。これ以上遅れれば上から何を言われるかわからない。不審に思われても困るからな」

「ああ、でもその前に一ついいか?」

 御堂は視線で促した。

「あいつにも頼んでいるんだが、俺は市長に会いたい。必ず市長が、何かの手掛かりを持っているはずなんだ。だから直接会う機会がほしいんだ。そのアポイントを取ってほしい」

「……市長、か」

 呟きながら困ったように頭を掻いている。

「美榊市の市長は、滅多に表には出てこない。というより、出てこられないということが正しい。普通の社会は組織の人数はピラミッド状にいるものだが、美榊島の社会はあの人だけが上に立ち、その下に数え切れない組織がくっついている、無茶な形なんだ。この島は比喩でも何でもなく、あの人一人でこの島の社会を支えているんだ」

 この御堂が尊敬しているような口ぶりで話す市長は、俺が考えているよりもずっと凄い人なんだろう。だからこそ、この社会がひどく危ういものに見える。

 その市長が一人でこの島を切り盛りしている理由は、なんとなくわかる。

 この島は外部から孤立している。そのため、外の誰かと協力して行うということが難しいのだ。

 幸い、想像を絶するとは言ってもなんとか一人で回せる範囲の仕事量だったのだろう。一つの都市となっていても範囲が限られている島だ。目の届く範囲だから、島のあちこちの問題を市長一人でなんとかするも可能だった。

 そしてそんなことをしなければいけなかった理由は、おそらく神罰にある。

 神罰のせいで、不用意に外部に何かを頼るということができないのがこの島の現状だ。島の経営を誰かに任せたとして、その人が抱え切れなくなって島の機密が外部に漏れ出もしたら、それだけで美榊島が終わる可能性がある。

 外部の人間を下手に入れて、神罰でも干渉されでもしたら、その後神罰がどのように変わるかわからない。

 だから市長が一人で行った方が、管理しやすかったのだろう。

「まあ俺みたいな一市民が……いや、そもそも市民と認めてくれているのかも怪しいし、そう簡単に拝謁できるとは思ってないよ。でも、俺が直接頼むよりはお前たちから頼んでもらった方がチャンスは大きいと思ってな。どうしても会わなきゃいけないんだ。頼む」

 頭を下げて懇願する。

 正直こればっかりは自分で行うのは厳しいと感じている。

「……今日話を聞かせてもらった借りもある。できるだけやってみよう」

「悪いな。迷惑かける」

「いや……。まあそれはいいが、次外で会っても、普通には話せないからな」

 不良で通すからということだろう。結局なんでそんなことをしているのかは聞くことはできなかった。

「コーヒー、ごちそうさま。タオルも悪かったな」

「気にするな。次来たらそのときは茶菓子でもごちそうするよ」

 俺の言葉に御堂は小さく苦笑していた。

 手早く靴を履いた御堂は、一度こちらを振り返る。無言のまま何も言わないと御堂に首を傾げていると、御堂が口を開いた。

「気を付けておけよ」

「え? 何に?」

 呆けた声を上げながら聞き返すと、御堂は眉根をよせていった。

「神罰を止めようとすることは相当な危険が伴う。神に直接命を狙われている状況にあると言ってもいい。だから、気を付けておけ」

 再三言われてきたことだが、その言葉は俺を心配して言ってくれていることだ。

 見た目と違って結構優しいやつなんだな。

 俺は笑いながら肩をすくめてみせる。

「……お前もな」

 御堂は口を固く結んだままじとっとこちらを見返してきたが、そのまま何も言わず部屋から出て行った。

 来客がいなくなったことをドアが閉まる音で感知したからか、ホウキがよちよちとリビングに戻ってきた。

 俺は二人分のカップを机から取り上げると、流しに持ってき手早く洗い始める。

 意外な来訪者だったが、御堂の意外な一面を見ることができたし、有意義な情報も交換できた。

 あとは、市長にさえ会うことができれば、何かが掴めると思うんだけどな。

 御堂も何か探り探り、色々とやっているようである。あいつも思うところがあるんだろう。

 それにしても、休日と言えど中々ハードな一日だった。

 七海とお互い加減をしていたと言っても神器を持ち出しての戦い。

 意外な来訪者、御堂との情報交換。

 一日として何も起きない日がないのが、この島に戻ってきてからの毎日だ。

 充実している分、それなりの体力を使う。

 カップとソーサーを洗い終え、そのままのろのろと歩いていて寝室まで辿り着く。

 火傷が少し痛んだが、それでも構わず睡魔が大波のように押し寄せてくる。常に軽い仙術を身に纏って傷を治すというのは便利ではあるが相応の体力も使う。

 俺は、ベッドの上に体を投げ出し、重い瞼を閉じた。

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