鉄塔
オレたちは、町外れの原っぱにそびえ立つ、高さ五十メートルはあろうかと思われる、巨大な鉄塔の前にいる。
栗山が言うには、これぐらい変わっている鉄塔は他にないのだそうだ。
だが、この鉄塔のどこが変わっているのかは、外見だけでは見極められない。
遠くから見たときは、綺麗に銀色に塗装されていたかのように見えた鉄材も、近寄ってみると所々が剥げ落ち、赤サビが浮き出て、ボロボロになっているのが判る。
鉄塔のお立ち台となっているコンクリートの台座の一角に、「昭和12年竣工」のプレートが貼ってある。
「これが何の鉄塔だと思う?」
と、栗山が訊ねてくる。
何のことはない。
「高圧電線の鉄塔だろ?」
と、オレは、軽く答える。
予測はしていたが、栗山の勝ち誇ったような笑みが返ってくる。
「よく見てみろよ。この鉄塔のどこに電線が通ってるんだ?」
栗山が、鉄塔の上部を指差す。
確かに、この鉄塔に結びつく電線など、どこにも見当たらない。
三角形に張り出した二つの枝の先端には、ベージュ色に褪せた陶製の碍子が、間抜けっぽく取り残されている。
「電線が通ってないんだったら、単なる粗大ゴミだな」
と、オレは、欠伸まじりに結論を下す。
栗山が強引にオレの腕を引っぱる。
「どこへ連れていく気だ?」
「あそこに人がいるだろ」
栗山が指差す方を見る。
そこには、竹で編んだカゴを背負ったおばさんが地面を見回しながらうろうろし、何やら地面に落ちているものを大事そうにカゴの中に拾い集めている。
「あのおばさん、何を拾ってんだろ?」
と、オレは、疑問に思う。
「おばさんにきいてみようぜ」
栗山はニヤニヤしながら、おばさんに近付いていく。
「おばさん、精が出るね」
と、栗山がおばさんに話しかける。
「おや、またあんたかい」
おばさんは栗山に一瞥をくれると、すぐに視線を地面に戻す。
辺りには、林檎のような赤い色をした実が、あちこちに散らばっている。
おばさんが拾い集めているものは、その赤い実だった。
オレは、赤い実を手に取ってみる。
林檎のように見えるが、表面には鱗模様が施され、無数の小さなイボイボが付いている。
指で押さえると果肉は柔らかく、爪を立てると白い果汁が外に染み出てくる。
「そのまま、かじってごらんよ」
と、おばさんが言う。
オレは、皮ごと一口かじってみる。
とろけるような果肉。
口の中一杯に広がる程良い酸味と甘味。
オレは、あっという間に、赤い実を一つ食べ尽くした。
「こんなに美味しい果物は初めて食べました。これは何の実ですか?」
と、オレは訊ねる。
「この鉄塔の実だよ」
と、おばさんは答える。
「へ?」
オレは耳を疑う。
おばさんは鉄塔の天辺を指差し、
「鉄塔が落とした実を拾ってるんだよ」
と、念を押すように答える。
「この鉄塔はね、いつだってあたしにお恵みを下さるんだよ。そのおかげで、貧しいあたしの家計も大助かりってわけさ」
おばさんは、真顔でそう言い、赤い実を拾い続ける。
「おい、こっちに来てみろよ」
栗山が、オレを呼ぶ。
呼んだ先には、一列に並べられた植木鉢がある。
植木鉢には、それぞれ一本ずつ棒状の鉄材が中央に突き立てられている。
「これが何だかわかるか?」
と、栗山が問い掛ける。
「あのおばさんの話だとな、鉄塔の苗らしいぜ」
「鉄塔の苗?」
オレは、目をパチクリさせる。
「すると、こいつは将来大きく育ったら、この鉄塔のようになるってのか?」
オレは、冗談半分で言う。
栗山はニヤッと笑う。
「あたしゃ、帰るよ」
おばさんが声を掛けてくる。
オレたちは、手を振って見送った。
「くくく」
不意に、背後から不気味な笑い声が聞こえてくる。
オレたちは、後ろを振り返る。
そこには、一眼レフカメラを首に提げた、ニキビ面の男が立っている。
「くくく、いーひひひひひ」
ニキビ面は、しばらく笑いをこらえた後、腹を抱えて大っぴらに笑い出す。
オレと栗山は、お互いの顔を見合わせる。
「たまらんなぁ、あのおばさん」
ようやくニキビ面の笑いがおさまったかと思うと、今度は涙まみれになって窪んだ目を、オレたちに向けてくる。
「あの、おばさんの話をきいただろ?」
と、ニキビ面が話しかけてくる。
「ああ、きいたよ」
と、栗山が答える。
「落ちてる実を拾ってただろ。何て言ってた?」
ニキビ面は、鼻息を荒くして訊ねてくる。
油断すると、たちまち顔面が緩んでしまいそうで、それを必死で堪えているのがよく判る。
「鉄塔の実を拾ってるって………」
栗山が最後まで答えるより早く、ニキビ面は再び笑い崩れてしまう。
オレと栗山は、あきれ顔でニキビ面を見守っている。
「その赤い実ってさ、本当に鉄塔が実らせたものだと思うか?」
笑いから解放され、復活したニキビ面が訊ねてくる。
オレは、栗山の表情を窺う。
栗山も、オレと視線を合わせ、肩を竦めてみせる。
「そいつはよ、オレがばらまいてんだ。そしたらよ、あのおばさん、マジで鉄塔が実を落としたと思い込んでよ。うはははは。あの植木鉢もよ、オレが鉄材差し込んでやったのさ。うはははははは。もう笑いが止まんねぇよ。うははははは」
ニキビ面は、またもや腹を抱えて笑い出す。
「そんなことして、何が楽しいんだ?」
と、オレは訊ねる。
ニキビ面は、笑いを止め、オレの顔を睨む。
ニキビ面の顔は、涙と鼻水が満面に広がりベトベトになっている。
オレには、こいつの顔の方が、腹が痛くなるほど笑えるような気がする。
ニキビ面が説明するには、奴自身が発刊している同人誌に、『鉄塔を我が子のように愛する老婦人の観察日記』という題材で連載を始めたところ、これがかなりの好評を博したため、ずっとあのおばさんの観察を続けているのだ、という。
「そうとは知らずによ、あのおばさん、おめでてぇよな」
と、ニキビ面が言い残し、帰っていく。
おめでたいのはお前の頭だと、オレは、率直に思う。
「世の中には、いろんな奴がいるもんだな」
栗山が、悟ったように言う。
「そういう奴らがいる限り、お前の趣味も尽きないわけだ」
と、オレが言うと、栗山は、ほくそ笑む。
その時、「くくく」と、背後から笑いをかみしめる声が聞こえてくる。
オレたちは、後ろを振り返る。
そこには、おじさんと呼ぶには、そろそろ抵抗を感じさせそうな年輩の男が佇んでいる。
不本意だが、一応、この男をおじさんと呼ぶことにする。
「くくく、うひゃひゃひゃひゃひゃ」
おじさんは、しばらく笑いを堪えた後、腹を抱えて大声で笑い出す。
オレと栗山は、お互いの顔を見合わせる。
「たまらんのぉ、あやつには」
ようやく、おじさんの笑いがおさまったかと思うと、今度は涙まみれになってる窪んだ目を、オレたちに向けてくる。
「あやつの話をきいただろ?」
と、おじさんが話しかけてくる。
「ああ、きいたよ」
と、栗山が答える。
「盛んに写真を撮っておっただろ。で、何て言ってた?」
おじさんは、鼻息を荒くして訊ねてくる。
油断すると、たちまち顔面が緩んでしまいそうで、それを必死で堪えているのがよく判る。
「おばさんをからかってるって………」
栗山が最後まで答えるより早く、おじさんは再び笑い崩れてしまう。
オレと栗山は、あきれ顔でおじさんを見守っている。
しばらく笑った後、おじさんは
「すまんすまん」
と言って、復活する。
「おまえさん方の言うおばさんってのはな、実はわしの女房なんじゃ。ひゃひゃひゃ。女房の奴がな、あんな若造にだまされてると思うか? ひゃ。女房はな、だまされてるふりをしておるんじゃよ。そうとは知らずに、ひゃ、あの男、毎日のように赤い実をここらにばらまいていくんじゃ。ひゃひゃ。おかげで、わしらは食べるのに困らんわい。うひゃひゃひゃひゃひゃ」
おじさんは、またもや腹を抱えて笑い出す。
「ところで、こいつは、何の実なんですか?」
と、オレが訊ねる。
笑いを邪魔されたおじさんが、オレの顔を睨み付けてくる。
おじさんの顔は、涙と鼻水が満面に広がりベトベトになっている。
オレには、おじさんの顔の方が、腹が痛くなるほど笑えるような気がする。
「知らんよ。そんなこと」
おじさんは、機嫌を損ねてしまったようで、ブツブツと愚痴を呟きながら帰っていく。
「世の中には、いろんな奴がいるもんだな」
またもや、栗山が悟ったように言う。
「そういう奴らがいる限り、お前の趣味も尽きないわけだ」
と、オレが言うと、栗山は、苦笑する。
「ただな、これだけは言っておくぜ」
と、栗山が誇らしげに言う。
「オレが、今までに興味を持った奴ら全員が、幸せな奴らばかりだってことだよ」
「違いねえや」
オレも、彼の言葉に頷く。
幸せな人種を傍らで見ているオレたちもまた、幸せな人種に属するのかもしれない。
その時、不意に栗山が後ろを振り返った。
「どうした?」
と、オレが訊ねる。
「いや、あのおじさんを観察してる奴が出てこないかどうか確認しただけだよ」
と、栗山は答える。
オレは、腹を抱えて笑った。
(了)