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「何だか、逆に悪かったですね。」
ライサはふり返った。後ろには大きな紙袋を二つ、両手いっぱいに抱えたフィオネルがついて来ている。好奇の目にさらされる詰所ではゆっくり話もできないと、隊長の言葉に甘えてライサは仕事を早退させてもらった。 遠慮するフィオネルを半ば強引に家に誘ったものの、結局夕食の買い出しにつきあわせ、市場では肉屋の主人や八百屋のおかみさんにさんざん質問攻めにあい、挙句に荷物持ちまでさせてしまって申し訳ない気持になる。
「いえいえ、ライサさんの手料理が食べられるのですから、これくらい当然です。 それに、素敵な女性の荷物を持つのは男の名誉ですよ。」
フィオネルがにっこりとほほ笑んだ。 あまりにもさらっと出てくる台詞に、社交辞令とわかっていてもライサは思わずはにかんでしまう。 今の仕事場でこんな風にライサを扱う人間はいない。 都ではずっと普通だったこういう物言いに違和感を覚えるほどには、この素朴な田舎町になじんでしまったようだ。
続いていたはちみつ色の街並みがとぎれとぎれになり、かわりに小さな木の家がぽつぽつと建つ街はずれにライサの家はあった。 赤いペンキが少しはげかかった玄関の扉を開けてフィオネルを招き入れ、片方の紙袋を受け取る。
「助かりました。 そっちの袋はテーブルの上においてください。」
部屋の窓を全開にして、ライサはさっさと台所に入りやかんを火にかけると、買ってきたものを手早く台の上に出していった。
「今お茶を入れますね。どうぞ座っていてください。」
「ありがとう。」
さりげなく室内を見回していたフィオネルは、ライサの言葉に椅子を引いて、よく使い古されてあめ色になったテーブルの前に座った。
「ここは、変わってないね。」
「あいかわらずの田舎家でしょう。 都から比べると驚かれるのじゃありません?」
「いや、落ち着いて、僕はこのほうが好きですよ。」
背を向けていたライサにはフィオネルの表情までは判らなかったが、その声には真意がこめられていた。 昔住んでいた騎士団の宿舎とさほど変わらないような大きさの家で、家具も前の持ち主から引き継いだ古いものばかりだったが、そう言われてうれしくないはずはない。 いつもより丁寧に珈琲を入れて、焼き菓子とともに机の上に置くとライサは自分もフィオネルの向かいに腰をおろした。
「どうぞ。」
「じゃ、いただきます。」
しばらくして、フィオネルが先に口を開いた。
「随分、御無沙汰してしまいましたね。」
「いいえ。こうして来てくださるだけでも十分です。 本当にありがとうございます。」
彼の亡き親友の元恋人。 それだけのつながりなのに、フィオネルこうして僻地までわざわざ様子を見に来てくれる。 都から縁を切って久しいライサにとって、彼の訪れがどれほど楽しみで心強いことか。
「都の方はどうですか。皆様お変わりありませんか?」
「相変わらずあわただしいですよ。 最近の話題は、財務省の役人が横領で捕まったとか、新しい型のドレスがはやりだしたとか。「蟲使い」の話も随分騒がれていましたね。」
「あの、盗賊の?」
「ええ、先日も貴族のお屋敷が狙われたとかで、都の警備軍は連日不眠不休だそうです。ああ、軍といえばガズが結婚しましたよ。」
「えっ。」
フィオネル達の同級生の思いがけない吉報にライサは驚いて声を上げた。 何度か会ったことがあるが、軍でも上層部にいるガズは見上げるような筋骨隆々とした大男で、失礼ではあるが彼らの中では最も結婚の二文字から遠いように思えた。 フィオネルはそんなライサの心中を見抜いたかのように続けた。
「一番縁のなさそうな奴が結婚しましたからね。 お相手がまた、17も年下の可愛い方で、みんな大騒ぎですよ。」
「まあ。」
フィオネルの都からの便りは、それから二人が珈琲を2杯ずつ飲み終わるまで続いた。
「貴方の方は警備隊が忙しいようですね。 少しやせましたか?」
3杯目のお代わりを机の上に置いたところで、フィオネルがきいてきた。 ライサにやせた自覚は無いのだが、目が回るように仕事が忙しいのは事実だった。実際こうして日暮れ前に家に帰ってくるのは久しぶりなのだ。
「フィオ様も警備隊の再編の話は聞いてらっしゃるでしょう。 うちの隊が試験台に選ばれたことも。」
フィオネルが難しそうに形の良い眉を寄せた。 先ほどまで柔らかだった瞳が急にまじめな色に変わり、ミラの話ではないけれど、彼の濃緑の瞳には確かに人を引き付けるものがあった。
「ええ、先ほどアレクセイ隊長からじかに聞きました。」
「東西南北、すべての辺境警備隊を軍部に再編し、飛竜隊の「ワイバーン」を配置するなど。 私にはそのようなことが簡単に実現するとは思えません。 都の方では何か話は出ているのですか?」
「まだ、内々に進められているようですが、飛竜隊の一部隊を動かすとなると大きな話になってくるでしょうね。 一番の問題は、内務省と国防省の軋轢がまたおおきくなることでしょう。」
ライサの問いに、フィオネルは深いため息をつきながら眉間を押さえた。 行政府の内務省は、地方行政と治安維持を、国防省は軍部を統括している。 ライサ達の辺境警備隊は名目上、内務省管轄下にあった。
「今、政府全体としては中央と地方の格差解消が大きな方針です。 ここ10年で、移住規制法の強化にもかかわらず地方から中央への人口移動はますますひどくなっています。そのために政府が推進しているのが地方の、治安、教育、福祉の改善。 その治安維持に関して、今までの警備隊の強化案を出した内務省と、軍の介入案をだした国防省、ひいては、議会の地方自治推進派と中央集権派で意見が真っ二つでね。 今回は国防省側の案が通って、まず試験的にここの警備隊だけが再編されますが、結果如何によっては国が割れます。」
フィオネルの話が切れたところで、ライサは疑問を口にした。
「それは内務省が地方自治を推進しているということですか。」
それに対し、フィオネルは大きくかぶりを振る。
「いえ、ご存じの通り内務省も含め行政府という機構自体が中央集権の産物ですから、内務省が地方自治を推進するということではないでしょう。 ただ、管轄下の辺境警備隊がそのまま国防省に再編されるのは、内務省にとって面白い話ではないでしょうし、その辺り軍部が内政に干渉してくることを避けたい地方領主と内務省の利害が一致した、というところでしょうか。」
一息つくと、フィオネルは思い出したかのようにカップに口をつけた。 ライサも自分のカップを口に運んだが、中の珈琲はすっかり冷めきってしまっていた。 またしばらくして、次に重い口を開いたのはライサだった。
「ここには代々自分達が街と森を守ってきたという強い自負があります。 警備隊だけではありません、いざというときには民間から犠牲を出してでも、これまで軍部の介入は最小限にやってきた。 私もここにきて初めて地方の実情を知りました。 今のアレクセイ隊長は元軍人ですがカウパの有力な家の出で、うまくまとめていらっしゃいます。でも、次に隊の再編となれば時期を見て引退されるでしょう。 軍部から利権争いに絡んだ人間が上に派遣されてきたとして、隊がまとまるとは到底思えません。」
「アレクセイ殿も同じことを懸念されていましたよ。 警備隊の強化は必須としても、それが行政府の利権争いになっては、結局地方の意見が反映されないまま終わるのではないかと。 アレクセイ殿のご年齢を考えれば引退はしかたないですが、副長のあなたが昇格するという可能性は無いのですか。」
今度はライサが大きくかぶりを振る番だった。
「私もここでは所詮よそ者です。しかも女で元騎士団員。 条件としてはこれ以上に悪くなれないほどでしょう。」
ライサは少しさびしそうに目を伏せた。 今でこそ、周りの隊員の信頼を得られるようになったが、警備隊に入った当初の風当たりはひどいものだった。 今は親友と呼べるまでになったミラでさえ、彼女が心からの笑みを向けてくれるまでには相当の時間がかかったのだ。 だが、現状でも精いっぱいの自分に、領主やほかの豪族、軍部のすべてをまとめる力は無い。
やがて、ライサはふっ切ったように顔を上げた。
「せっかく来てくださったのに、暗い話ばかりで嫌ですね。 夕食にしましょうか。 何かご希望はありますか。」
ライサが笑顔を見せて立ち上がると、フィオネルも寄せっぱなしだった眉の力を抜いてにっこりと笑った。
「貴方の作る物は何でもおいしいですから。 でも、できれば豆のスープ以外でおねがいします。」
「あら、豆お嫌いですか?」
「いえ、王都からカレサレア山脈を越えるあいだずっと野宿で、缶の豆スープばかり食べていましたので。 さすがに少し飽きました。」
けろっとしたフィオネルの答えに、置きっぱなしだった買い物袋を持ち上げようとしていたライサは、驚いて袋を落としそうになった。
「この時期にカレサレア山脈を徒歩で抜けてきたのですか? 一人で?」
「はい。さすがに2週間ほどかかりましたが。」
事もなげにうなずくフィオネルに、ライサは天を仰いだ。 目の前にいる一見優しそうで紳士然とした人物の、人並み外れた能力を改めて思い知らされる。
「もう、そんな命知らずなことができるのはフィオ様ぐらいですよ。」
「よく言われます。」
微笑みを変えないフィオネルに、ライサはもうあきれるしかなかった。