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3-1

 ライサの眼下には青くかすむ森がどこまでも広がっていた。 「青い森」とよばれるこの森は、三方を「神壁」とカレサレア山脈、エスタード湖に囲まれたエウロニア王国西部カウパ地方のほとんどを覆い尽くしている。 ここが「青の森」と呼ばれるのは、北方の「黒い森」のように黒い葉の木が生えているわけではなく、この森を覆う青みがかった霧のためだ。 森に生えるほとんどの木が油の多いユーカリマツやアブラシダの種類で、その木々から蒸発する油分で辺りの大気が青色にかすんで見えるのだ。 

だが幻想的なまでに美しく豊かな森が、気温が上昇し雨が少ない夏から秋にかけては両刃の刃となる。 乾燥した木の枝葉が風でこすれ合わさる、そのような簡単なことで油分を大量に含んだ木々は発火し、いたるところで野火が発生する。 そのため、カウパ州都のタンペレにある辺境警備隊にとって朝夕の巡回飛行は何よりも重要な仕事だった。

 


 やがてライサの視界に、青い森を切り取ったかのような、円形に続く灰色の壁が見えてきた。 エウロニア第8クリュエタ型居住区、タンペレの街だ。500年ほど前、ここがエウロニア連合国の一つ、カウパ公国と呼ばれていたころの首都であったタンペレは、今のエウロニア王国でも6番目に大きな街として、かつての繁栄の跡を穏やかに残している。

 街の周りを囲むクリュエタの壁は直径20ケムほど。北側の端には、このあたりでとれる石灰岩で作られた「はちみつ色の街」とよばれる、小さくも美しい街並みが広がる。 ほとんどが2階建てまでの家が続く中、街の真ん中に立つ領主館と時台の鐘楼だけが夏の午後の光を受けて、長い影を落としていた。 

建物があるのはその一角だけで、後の広大な土地には一面農地が広がっている。 北国としては温暖な気候と、クリュエタの西に沿うようにして流れるターダ川から引かれる豊富な水は、この地に豊かな実りをもたらす。タンペレが農業都市として有名な所以だ。 

だが、この地の恩恵を受けるのはもちろん人間だけではない。 「青い森」はエウロニアで「黒い森」に続く竜種の大生息地でもあった。 タンペレの街を守るクリュエタの壁にはその街の美しさには似合つかない、血と汗の歴史が滲んでいる。 それでも、この街と「青い森」を守り続けてきたというのは、ライサ達西方辺境警備隊の大きな誇りだった。 


 ライサがこの街に移り住んで6年、警備隊員として勤め始めてから4年の歳月が過ぎようとしている。 隣を飛ぶ部下に合図を送ってから、ライサは手綱を絞り、自らの乗る翼竜をゆっくりと降下させていった。


 

 警備隊詰め所の中庭に、ライサは翼竜をゆっくりと着地させた。 翼にあおられて地面から砂埃が舞い上がる。 愛竜の首筋を軽くなぜてやってから、ライサが翼竜の首の付け根にある鞍からいっきに地面に飛び降りると、ちょうど詰所の扉が開いて小柄な影が飛び出してきた。

「ライサ副長! おかえりなさい。」

「ただいま、フレイ。」

駆け寄ってきた少年に、ライサは笑顔を向けた。 去年の秋から警備隊で見習いとして働いている少年に、ライサはずいぶんと懐かれてしまっている。 憧れをいっぱいにためた瞳で見上げられると、少しくすぐったい気持になる今日この頃だ。 


 ライサはゴットリーフをかがませて鞍のベルトを手早く外しはじめた。ゴットリーフはライサ専用の騎竜で、翼に葉っぱを散らした様な斑点があるからそう名付けられたらしい。 白騎士団にいたころの翼竜から比べれば半分ほどの大きさしかないが、彼は性格もおとなしく従順で扱いやすい竜だった。 フレイに手伝わせてゴットリーフから重い鞍をはずしていると、後ろでドスンと重い音が聞こえ、砂混じりの突風がライサ達に吹き付けてきた。 いつものこととはいえ、ライサが眉をひそめてふり返ると今まで一緒に飛んでいたケケが彼の翼竜を着地させたところだった。

「へたっぴっ。」

フレイが口の中に入ってしまった砂を吐き出しながら悪態をつく。 あまりにも的確な表現に一瞬吹き出しそうになり、さすがに見習いの先輩に対する暴言を許すこともできずライサはフレイを睨みおろしたが、子犬の様にしゅんとされてしまうとそれ以上怒ることもできない。 フレイから鞍を受け取るとライサは後ろに向かって大声で叫んだ。

「ケケ! 集中がまだ足りないようだな。 外周20周して来いっ。」

ちょうど恰好をつけて鞍から飛び降りたところだったケケは、ライサの言葉にそのまま頭を抱えてうずくまった。 性懲りもなく忍び笑いをもらすフレイにゴットリーフを託し、ライサは肩に鞍をかつぎ直すと自分もこっそりと笑いながら詰所の中へとはいって行った。



 「西方辺境警備隊」などと一応立派な名前をもらっているが、ここは正規軍にも属さない小さな部隊で、「本部」などと冗談半分に呼んでいるこの建物も、隊の財政状況を映し出しているかのような慎ましいものだった。 

中庭から入ってすぐの小部屋には壁一面に棚が取り付けられていて、竜鞍や防具、槍、その他さまざまなものが平然と並べられている。 ライサは鞍と外した防具を棚に置き、もうひとつの扉から詰所になっている大部屋に入った。 

「副長。おかえりなさい。」

「おかえりなさい。ライサ副長。」

部屋のあちらこちらから声がかかる。 隊員は全部で27人いるが、今部屋にいるのは6人、2人は机に座り何かの書類を相手にし、残りの4人は隅の大机で珈琲を片手に談笑していたようだ。彼らに軽く頷いて、ライサは正面の壁の前に行き自分の名前の下にある札を「巡回」から「在室」に掛け替え、巡回欄の「北・午後」と書かれた下の枠に大きく斜線を引いた。 次にその横にある大きな地図に目をやるのはもう習性になってしまっている。 そこにはカウパ地方の詳細な地図が貼られていた。 白地のその地図に、異常を示す赤や黄の印が一つもないことを確認してやっと一息つくことができる。 といっても、この部屋のまったりした空気からして判っていた結果だったが。


「お疲れ様です。」

ライサが自分の席に着くと、すぐに目の前に珈琲のカップが置かれた。

「ありがとう。ミラ。」

目の前の、ライサと同年代の女性がにっこりと笑う。 ライサ以外唯一の女性隊員である彼女は、柔らかな金髪のかわいらしさと美人がうまく混ざり合ったような人物だった。 

隊員といっても事務や後方支援を主にするミラだったが、ライサを含め男くさい連中の中で唯一のオアシスで、彼女のこういった気配りは何よりも助けになる。 もちろん、ここに勤めるだけあっていざというときは、大男でも叱り飛ばすような勝気な女性でもある。

「ケケは、また運動中?」

片手に余ったもう一つのカップを上げて意味ありげに笑うミラに、ライサは苦笑で返した。

「腕は悪くないはずなのだけれど。」

「あの、変にかっこつけるところさえ無ければいいのにねぇ。」

「恰好をつけている相手がこれでは、ケケも報われないわね」

ケケが報われない思いを、この5歳も年上の女性に向けていることは隊の公然の秘密だ。その努力たるや涙ぐましいほどだったが、有望な若者にもかかわらずその一点に関しては残念な方向に空回りしていることが多く、ミラには未だ「可愛い弟分」にしか思われていないようだ。 

「あら。だって目の前に、強くて、かっこよくて、優しくて、翼竜の扱いも一番って理想の君がいるんだもの。 その辺の男なんてかすんじゃうわ。」

いたずらっぽく片目をつぶるミラに、ライサはやはり苦笑を返すしかなかった。


「そうそう、その理想の君に来客が来ているわよ。」

「来客?」

ライサは少し眉をひそめる。 ここにわざわざライサを訪ねてくる人物など、あまりろくな心当たりがない。

「やっぱりあなたって隅に置けないわ。 どこであんなに素敵な方とお知り合いになるのかしら。 男前だし、身のこなしも優雅で気品があって紳士って感じ。 あの、声も素敵よね。 でも何といっても、あの濃緑の瞳がたまらないわ。 あの目で見つめられてみたいわね。」

どんどんと怪訝な顔になっていくライサに耐えきれず、ついにミラは噴き出した。

「ごめん、ごめん。 冗談よ。 さっきフィオネル様って方が都からいらっしゃってね、確か去年の春先にも来られた方よ、今は上で隊長に捕まっているわ。」

思いがけない名前に、ライサは驚いて椅子から立ち上がった。 拍子に、飲みかけのカップが派手に倒れて、こぼれた珈琲から避難させるためにライサとミラはあわてて机の上の書類を取り上げる。 両手に書類とぽたぽたと滴をたらすカップを持ったまま、右往左往するライサをみて、ミラはあきれたように笑うと、サッとその両方をライサから取り上げた。

「ほら、ここはいいから、行ってきて。」

「ごめん、お願い。」

いつも冷静な彼女にしては珍しく、ばたばたとあわただしく部屋を出ていくライサを、ほかの隊員たちは驚いたように見送っていた。







  


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