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1-2

 ヤルノ・コレルはイェリの親友だった。 何があっても相手を裏切ることも裏切られることもない、彼のためならば自分の命をかけることも厭わない、そう思える唯一の男だった。 

 第一候にも選出されたことのある大貴族コレル家の長男であるヤルノとイェリが初めて出会ったのは初等学校のころ。 血のつながりはないのに、背格好や顔立ちがそっくりな彼らはよく兄弟と間違われるほどで、なぜか初めて会ったときから気があった。 それ以来、もう腐れ縁としか言いようがないだろう、高等学校、軍、飛竜隊とずっと同じものを目指し、同じ道を歩んできた。 戦場で背中を合わせて戦ったこともあった、宿舎を抜け出して夜遊びするときも、別部隊の奴らとけんかになった時もいつも一緒だったし、彼らの友達は彼らのことを悪友同士と呼んではばからない。 

 イェリが三番隊隊長、ヤルノが六番隊隊長とたがいに役職に就くようになってからは、忙しさもあって前のように頻繁に会うことも少なくなっていたが、それでもイェリにとってヤルノがかけがえのない親友だということに変わりはなかった。 

 


 そんなヤルノが珍しく真剣な顔で「お前の部下と付き合っている」と打ち明けてきたのはもう2年近く前になる。 その相手が男勝りで有名なライサだったことも意外だったが、なにより遊び人として名をはせていたヤルノが珍しく本気なのに驚かされた。 本気の親友を応援しない男はいない。 それから二人がうまくやっていたのはそばで見ていてよくわかった。ヤルノに会えば必ずと言っていいほど惚気話を聞かされたし、どこか投げやりに人生を送っていたヤルノが、驚くほど柔らかい顔をするようになったのは、イェリにとっても嬉しいことだった。 ひと月前に二人があんな別れ方をするまでは。

 


 ちょうど竜種の活動期で、イェリもヤルノも王都をあけることが多かった時期だ。 話はヤルノから直接聞いたわけではなく噂として部下から流れてきた。 それは心無い噂話がどれだけ広がっているかをよく物語っていた。 だから久しぶりに飲みに誘った先で、ヤルノが疲れ果てた顔で「落ち着いたらくわしく話す。」と言ってきたとき、イェリは何も聞かなかった。 ただ、いつものように馬鹿話をして、二人ともが酔いつぶれるまで大騒ぎをして飲み明かした。結局それが二人で飲んだ最後の酒になった。


 



 机の上に隙間がないほど並べられた皿の数にイェリは目をみはった。 焼いたベーコンやハム、何種類かの卵料理、ソースのかかった茹で芋、豆のスープ、チーズ、野菜に果物。 ライサは最後にパンが山盛りになったかごを机の真ん中に置いた。

「食べましょう。」

席に着くなり、自分の皿に取り分けた目玉焼きをズブリと突き刺し大口を開けて食べ始めた彼女をイェリはあきれ顔で見ていたが、やがて自分もパンを手に取りその上にハムとチーズを乗せて口に入れた。「おまえ、いつも朝からこんなに食っているのか?」

イェリの素朴な疑問にライサは少し驚いたように目を瞬いて、しばらくしてから口の中のものを飲み下すと、また少し笑った。

「まさか。」

新しく、スクランブルエッグとベーコンを皿によそいながら彼女は明るい口調でつづけた。

「ここしばらく、ろくに食べてなかったので、なんだかものすごくおなかが減ってしまって。」

ここ1週間で見るからにやせ細ってしまったライサを前に、情けないことに返す言葉が見つからず、イェリは黙ったままスープをぐるぐるとかきまぜた。 軍名物の豆スープは、缶を開けて温めるだけ、栄養価が高く味もそれほど悪くないすぐれものなのだが、見た目は、仲間内で「スライム」と呼ばれるような代物だ。 薄緑色のでろりとしたそれをスプーンですくって口にしたイェリの手がふと止まった。

「あれ、なんか美味いな、これ。」

見た目は変わりがないのに、いつもより格段にうまい。 ライサがちぎったパンにバターを塗りながら、ちょっと得意そうに言った。

「でしょう? 隠し味にデイルを使うんです。二日酔いにもいいですよ。」

「へぇ。」

素直に感心して、イェリはまた続きを飲む。 そういえば、何か食べ物がうまいと思ったのはいつ以来だろう。 ライサと違い食べるには食べていたが、体力を維持するため義務的に、何の味も感じない塊を無理やり流し込んでいるような感じだった。 代わりに酒は浴びるほど飲んだが。 

 1週間前のヤルノの死は二人のすべてを変えてしまっていた。


 



 それから二人で朝食と無言で格闘した甲斐あって、あれほどあった皿は見事に全部片付いていた。 イェリは片づけをはじめようとするライサを「休んでいろ」と押しとどめて、皿洗いをすませた。ついでに珈琲を淹れなおしてふり返ると、ライサは頬杖をついてどこか焦点の合わない目で窓の外を眺めていた。 すっと通った鼻筋や、影を落とす長いまつげ、仕事中には見せない物憂げなライサの横顔は、イェリが一瞬ドキッとするほどきれいだった。 


 「珈琲を入れた。」

平然を装って、イェリは白いカップを二つ机の上に置いて自分も椅子に腰かけた。

「ありがとうございます。」

イェリのほうに向きなおったライサは、もういつもの様にきりっとした表情に戻っていた。 それでも、彼女と向かい合わせで座っていることに今更ながら居心地の悪さを感じて、イェリはカップを傾けながらさりげなく窓のほうに顔を向けた。 

 いつの間にか、外は雨が降り始めていた。 向かいにある建物が灰色にかすんで見える。一年の半分近く冬将軍が居座るこの北国で、雨が雪に変わるのもそう遠くの話ではないだろう。 しばらく静かな部屋に、白く曇り始めたガラスに当たる雨粒の音だけが響いていた。 手に持った珈琲のカップだけがやけに熱いのを感じながら、イェリはやっと重い口を開いた。

「昨日の夜の事は、」

すまなかった、という前にライサが早口でさえぎった。

「昨日の夜は、ありがとうございました。」

予想しなかった台詞に、イェリは驚いてライサを見つめ、彼女はそんな彼を見つめ返して、今度はゆっくりと言葉をつづけた。

「私ひとりでは、耐えられませんでした。 隊長がいてくださらなかったら、どうかなっていたと思います。 本当に、感謝しています。」

彼女の眼差しはどこまでもまっすぐで、イェリに謝罪の言葉を口にすることを許さなかった。 ああ、やっぱりこいつは強い女だ。


 



 イェリの大切な親友は、街を救った英雄になって無言で帰ってきた。 知らせを聞いてから、そして国葬として執り行われた葬儀の最中も、ヤルノがもうこの世にいないという実感はわいてこなかった。 白と青の正装で身を固めた飛竜隊が二列に並んで花道を作る間を、ヤルノの棺がゆっくりと運ばれて行き、やがて4頭の翼竜に釣りあげられ空高く舞い上がっていってもやはり涙一つこぼれてこない。 だが、まるで霧がかかっているようだったイェリの意識は聞こえてきた罵声によって、現実に引き戻された。

「この、悪魔っ!」

イェリ達があっけにとられている間に、髪を振り乱して駆け寄ってきた女の手が大きく振りあげられ、派手な音があたりに鳴り響いた。 一拍置いて、イェリが理解できたのは隣に立つライサの顔を女がひっぱたいたということだった。 

「おまえが、おまえがっ。」

また女の手が降りあげられる、が当のライサはそれをよけるどころか、微動だせず胸を張りまっすぐ前を向いたままだった。 ライサの反対側にいた騎士が女を止めようと動きかけたのを、すでに状況を飲み込んだイェリは眼で制した。 葬儀の終わるまで、直立不動のままここにいるのがイェリ達飛竜隊に与えられた任務だ。 ライサ本人がそれを望む限り、イェリがそれを妨げることはできない。 もう一度、頬を張る音が聞こえたが、それは先ほどより弱いものだった。 重いものなど持ちあげたこともないのだろう、美しいが、細く弱弱しいその女の手では、兵士として鍛え上げられたライサがよろめくこともなかった。

「お前のせいでっ。」

なおもつかみかかっていこうとする女を、後ろから壮年の男性がようやく止めた。

「やめなさい。」

何の感情もこもっていない声で押し止める男の腕を振り払おうと、女は醜い唸り声を上げ暴れ続けた。 これが、あのいつも憎らしいほどつんと澄ましているコレル夫人だろうか。イェリは自分でもわかるほど冷たいまなざしで、親友の母親を見つめた。 いつも、人を見下したように細められている目は、血走って狂気の色に染まっている。 夫の腕の中でやっと暴れるのをやめた夫人は、その目をライサに向け、ふるえる手で彼女を指差した。

「お前が、息子をたぶらかしたんだっ。 お前が、ヤルノを殺したのよ!」

直立不動を保つライサの顔が、死人よりも蒼白になっていった。 イェリは目の前にいる醜い女を殴り倒したい衝動を抑えるために、爪が食い込むほどこぶしを強く握りしめなければならなかった。 

 「ヤルノを殺したのは、自分達だろう。」 そう叫び返せたらどれだけ楽だろう。 ただライサの身分が低いという理由だけでヤルノとライサを別れさすために、自分どれだけ汚い手を使ったかこの女は忘れたのだろうか。どれだけ二人が傷ついたか、心の中に闇を抱え続けていたヤルノを追いこんでしまうぐらい傷つけてしまったか、この女は気付いているのだろうか。

「この、悪魔め。お前が、死ねばよかったのにっ。」

手を上げるよりも、自分の言葉のほうがライサを傷つけられると気がついたのだろう、夫人はヒステリックな口調で罵声を続けていた。そのひきつった顔が笑っているようにさえ見える。 

イェリは自分の自制心の限界を感じていた。 周りにいる仲間達からも、殺気にも似た空気が流れ始めている。 ただ、真っ直ぐ前を向き続けるライサの心情を思いやって、彼らは微動だせずにそこに立ち続けていた。 

「コレル夫人。 葬儀の場です。 それくらいにしておかれてはいかがですか。」

緊迫した場に似つかわしくない、穏やかな声がした。 声の主を振り返って睨みつけた

夫人の眼が、一瞬怯えたようにさ迷う。

「王太子殿下。」

見事な白金色の髪を持つ物腰の柔らかそうな男は、しかし、そこにいるだけで場の空気を変えてしまう王者の風格を持ち合わせていた。 今日彼は、王族として壇上に立つのではなく故人の学友として葬儀に参列していたはずだ。 後ろにいたコレル氏が慌てたように一礼をし、放心した妻を引きずるようにその場から去って行いくのを、表情を変えずに見守っていた王太子だが、彼をよく知る者からすればそのまなざしが静かな怒りで揺らめいているのが簡単に見て取れた。 

 やがて、彼はイェリと目を合わせてかすかに頷き、その隣のライサを心配そうに見やってから、従者を引き連れてその場を立ち去って行った。 隊の誰かが、大きく息をつく。 イェリは隣のライサを盗み見たが、彼女は今にも倒れそうなほど蒼白のままだった。 だが、それから葬儀の終わるまで彼女は涙一つ見せることなく耐えぬいた。



 

 今、イェリの目の前に座るライサは、つきものが落ちたように穏やかな顔をしている。 確かに昨日の夜、酔いつぶれた彼女をここまで送ってきたイェリを引きとめたのはライサだ。 だが、それまで何の感情も見せなかった彼女が、イェリの腕の中ではじめて涙を流したのを見たとき、すがりつく彼女を抱きしめてそのぬくもりを感じた時、救われたのはイェリのほうだった。 自分のほうこそ一人では耐えきれなかった。 たとえ昨夜二人の間にあったのが恋愛といった感情からかけ離れたものであったとしても、自分より深く傷ついているライサを、愛おしいと、守りたいと本気で思ったのだ。 その思いが、イェリを深い喪失感から救い上げてくれた。 礼を言わねばならないのは自分のほうだ。

 イェリは空になったカップを机の上に置き、片手をライサのほうに伸ばした。 その頬に触れかけて、ふと思いなおし、昔よくそうしたようにライサの頭に手を乗せ、短い乾草色の髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。 当時は「子供扱いしないでください!」と拗ねたように頬を膨らませたライサだったが、今は少し困ったような顔でイェリのされるままになっていた。

「一人で抱え込むなよ。 辛くなったらいつでも言え。」

「ありがとうございます。」

イェリの手の下で、ライサは困ったような顔のまま少し微笑んだ。






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