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7-3




 十分な間をとってからイェリが顔をあげると、ライサはだいぶ落ち着いた表情に戻っていた。 それでも、その瞳が悲しげにゆれているのをイェリは見逃さなかった。


「出会った経緯がどうであれ、ヤルノと俺は最初から最後まで心からの親友だった。 俺にとっては今でもな。 それだけは信じてほしい。」

「・・・よく、知っています。」

「まあ、友達に言わせるとこれ以上の悪友はいないらしいけどな。 俺達の武勇伝はヤルノから散々聞いているんじゃないか?」


イェリが意味ありげに目をあげると、ライサは少し困ったような顔をした。 二人のことは今でも専修校で伝説になっているらしい。 未だにイェリに逢う度に「あの悪ガキが、よくここまで立派になったものだ。」と半ば本気で涙を浮かべる教授もいるぐらいだ。


「話を続けようか。 ライティオ家の養子になっても、俺はまだコレル家の監視下にあった。 まあ、向こうからすれば当然だろうけどな。 実家と連絡を取るのも厳しく止められていた。 第一候から退いたとはいえコレル家は大きな権力をもっていたし、彼らに逆らって養父母にも実家にも迷惑をかけるわけにはいかなかった。 それでも、不思議なもので都の生活に慣れるほど俺の帰る場所はタンペレでしかないと思うようになっていた。 ライティオ家の両親は良くしてくれたし学校に行って友達もできたが、翼竜乗りになることを選んだのはいつの日かこの街に戻って父と同じように街を守る仕事に就きたかったからかもしれない。 それから、竜騎士になるために専修校に入ってヤルノと俺は当時まだ皇太子だった陛下や他の仲間と出会った。 何人かは君もあった事があるだろう?」


ライサが神妙な顔でうなずいた。

 その政治手腕で高く評価されている現王は当時から抜きんでた才能を見せていた。そして彼には王として成し遂げなければならない事があった。共にその道を歩むことを誓ったイェリ達は、そのために自分たちも権力を動かす事の出来る立場にまで上らなければならなくなった。 特に王家の力の及ばない軍部にはヤルノやイェリのほかにも3人の仲間が入りこみ、秘かにその策略を進めていった。 

 イェリにすれば翼竜乗りになりコレル家に抗するための力を得るためには一番の近道だった。ヤルノの方もコレル家に因るところのない自分の力で手に入れた地位を欲していた。 大貴族に生まれ何の苦労もなく育っただろうヤルノが胸の内にどれだけ闇を抱えていたのかイェリには想像すらできない。 彼はコレル家のやり方を心底嫌っていただけでなく、それに属する自分すら嫌悪していた。 コレル家の力など何も必要ないだけの才能が十分にあったのに、彼はその重い枷に引きずられながら生きていた。 いっそのことコレル家の権力を笠に着るくらいの図太さがあればよかったのだろう。 ヤルノもまた、貴族でいるには優しすぎたのだ。


「俺にとってあの頃はただ楽しい毎日だった。 軍での生活は俺にあっていた。何より難しい事を考えずに上だけを目指せばよかった。 でも、ヤルノには違ったのかもしれない。 あいつの中で、何かが溜まっていくのがわかっていたのに 君という存在があいつを変えていくのに任せて、俺は見て見ないふりをしていた。 もし俺がしっかり過去と向き合ってあいつと話をしていたら、あんな事故であいつが死ぬ事はなかったかもしれない。 判ってはいる。 あいつは目の前で誰かが犠牲になるのを見殺しにしておけるような奴じゃなかった。 だが、もしあの竜種の暴走が起きたのがタンペレでは無かったら、そこが俺の故郷ではなく、あいつがこだわり続けている街でもなかったら、あいつはあんな無茶をしなかったかもしれない。 あの頃、君はヤルノの死が自分のせいだと随分思いつめていた。 けれど本当に責められるべきなのは俺だ。」


ライサは何も言わず、ただ首を振った。 何度も、何度も。


「ヤルノが死んだあと、君が子供を産んでこの街に移り住んだと知ったとき、俺もここに戻ろうかずいぶん迷ったんだ。 だが、やりかけた仕事を道半ばで放り出す事はしたくなかった。 ヤルノが出来なかった分も俺が成し遂げるのが義務だと思った。 それに、あの頃の俺はまだコレル家に対抗するための権力が十分になかったしな。 7年かかったよ。 副団長にまで這いあがって仲間の計画通り飛竜隊の改革を進めた。 最後の仕事は、君も知っての通り辺境警備隊の再編だ。 試験配備の候補地からタンペレを選んだのも俺だ。 そのことでコレル家の注目が向いて君達が見つかってしまう可能性を考えて手は打ったんだが、あんなにも早く行動を移されるは思っていなかった。 結局、その場を切り抜けるためとはいえ君の思いを傷つけるような行動をとってしまった。 すまなかった。」


ライサがまた首を振った。


「助けていただきました。 それで十分です。」


ライサの答えにイェリは苦笑した。 この5日間、事情を知っているアランやアレクセイはもとより、未だに怒り心頭のミラから果てはティモや、初等学校のニーナにまで、散々「やりすぎだ」とか「後先考えろ」とか叱られ通しなのだ。 その上20年以上前にしでかしたいたずらの事まで持ち出されて「あの頃からこうだった。」などと言われてはもうどうしようもない。 今更ながら、母親の言っていた人が変わらない小さな街の怖さを、イェリは身をもって知ることになっていた。 それなのに当のライサには感謝されてしまっている。


「あの日現場にいた人間には事情を話して誤解は解いておいた。 コレル家の方にも俺の嘘ぐらい調べれば簡単に見破られてしまうだろうが、都で色々と手はまわしてきた。今後、彼らがヤルノに干渉してくる事はないと思っていい。」


 イェリは一息つくと立ち上がって窓際まで行き、机の上に置いてあった水差しからグラスに水をついだ。 まるで一日中水を飲んでいないかのようにのどが渇いていた。 生ぬるい水を味わうようにゆっくりとグラスを傾けながら、ふと聞こえてきた人の声に下に目をやると、中庭で隊員達が午後の訓練の片づけをしているのがみえた。 かすかに聞こえるざわめきの中に、時折笑い声が混じる。 晩夏の夕日に照らされた安らかな一日の終りの光景に、イェリは眼を細めた。 どれだけ死に物狂いで働いても、人に頭を下げられるような地位を手に入れても得る事の出来なかったものがこの街にはある。 自分の選択は間違っていない。 

 振り向いて机に軽く腰をかけると、イェリはライサを見下ろした。 同じように夕日を受けたライサに向けて、自然な笑みを浮かべられていることをイェリは祈った。


「話が長くなったが、飛竜隊でするべき事をやりつくしてコレル家との方もついた今、俺にとって白騎士団副隊長の地位など何の意味もないものだ。 警備隊再編は俺がまいた種だから最後まで見届けたいし、何より父やヤルノが命をかけたこの街を守るという長年の夢がかなう。 俺にとってここの仕事はそれだけ価値のあるものだ。」


聡いライサの事だから、イェリが決してすべてを語ったわけではない事に気づいているかもしれない。 だがアラン領主との取引も、コレル家にした復讐も、ヤルノとの最後の約束もこの先ライサに話す事はないだろう。 卑怯と言われようとも、彼女に自分の歩んできた闇を見せたくなかった。 彼女には明るい方だけを向いていてほしかった。





「わかりました。 話してくださってありがとうございます。」


どれだけ時間がたっただろう、イェリには途方もなく長く感じた沈黙の後、ライサから出た言葉はあっけないほど簡単だった。


「それだけか?」

「はい?」


思わずもれたイェリのつぶやきに、ライサは眉をあげた。


「いや。 もっと怒られるかと思っていた。」

「貴方を怒る理由など何もないではないですか。」

「少なくとも数日前は、君は怒りたい様な顔をしていただろう?」


ライサの目が一瞬宙を泳いだ。 それを見逃すイェリではない。 数日前、顔を合わせたのがあんな状況でなければ、間違いなくライサに怒鳴られていたという自信がある。 昔のライサならここで言いくるめられてふくれっ面になっていたところだが、今の彼女は真っ直ぐにイェリを見上げなおしてきた。


「あの時は誤解していました。 貴方がこの街にいらっしゃったのは、まだヤルノの事に囚われているからではないかと。 私も長い間そうでしたから。 貴方も同じようにあの指輪に囚われて、ご自分の人生を犠牲にしようとされているのではないかと思ったのです。 でも、私の思い違いでした。 話を聞いて貴方にとってこの街がどれだけ大切な場所なのか良くわかりました。 そして、貴方ほど次の警備隊隊長にふさわしい方はいらっしゃらないです。」


先に視線を外したのはイェリの方だった。 ゆっくりと首にかけている鎖をはずし、その先についていた銀の指輪を手のひらに乗せて見つめる。 自分はライサの思っている様な出来た人間ではない。 この指輪に囚われてないと本当に言えるだろうか。 少なくとも、ヤルノと最後に交わした言葉がなければ、今イェリの心を占める感情は生まれなかったかもしれない。


「指輪、か。もし、俺がまだこの指輪に囚われていると話していたら、君はどうしていた?」


イェリと同じように指輪を見つめていたライサは、少し考えた後、眉を寄せてものすごく真面目な顔をした。


「貴方の友人の代わりに、一発殴っていたと思います。」

「なぐ・・・。 っはは。」


なんともライサらしい答えに、今度こそ耐えきれずイェリは噴き出した。  先日コレル家の護衛を黙らせた腕前からして、ライサに殴られればただでは済まないだろう。 だが、彼女になら殴られてもいいかもしれない。一頻り笑った後、まだ込み上げてくる笑いを何とか収めてイェリは机から離れた。 

 今ならなぜ、親友が彼女を選んだのかわかる気がする。

 ただ真っ直ぐなのだ、彼女は。 弱さも、間違いも受け入れて、折れてもまた真っ直ぐに伸びていけるのだ。 だから焦がれるのだ、曲がって生きてきた自分達は。 見ていたいと思うのだ、あるがままの自分を見てくれる彼女の笑顔を。 

 イェリはライサの前まで来て跪くと、何事かと怪訝そうな顔をするライサの手の中に自分の持っていた指輪を握らせて彼女の顔を見上げた。


「それじゃあ、これを言ったらやはり君に殴られるのかな。 正直に言うと、さっき話した理由はただの口実にすぎないんだ。 本当のところ俺はずっと囚われ続けている。 君の涙に。」


ライサの目が、大きく見開かれた。


「おかしいだろう。 君の事は見習いの頃から知っていて、うまく飛べずにふくれっ面をしているところも、仲間と大騒ぎをして笑っているところも見てきたのに、あの夜から君の泣き顔しか思い出せなくなった。 ずっと心配だった。 君がまた、あんな風に一人で泣いているのではないかと。 だからもう一度君の笑顔が見たかった。 君が笑顔でいられるものを全部守りたいと思った。 俺がこの街に戻ってきた一番の理由は、ただそれだけだ。」


イェリの口から告げるつもりのなかった言葉が、ただ自然に出てきた。 それでも、口に出してしまえばこれが一番ライサに伝えたかった事なのだとわかった。 


「ヤルノの代わりになりたいわけじゃないし、なれるとも思っていない。  殴られる覚悟もできている。 けど、どうか君と一緒にこの街や君の大切なものを守っていくことを許してくれないか。」 


 今日最後の光が見つめるライサの顔に長い影を落としていた。 この街に戻ってきてから初めて、イェリはこの黄緑色の夕焼けがきれいだと思った。 硝子瓶の中に閉じ込めたように静かで心地よいこの部屋の空気まで、懐かしい黄緑色で満たされている気がする。 イェリは片手を伸ばして、ライサの瞳からこぼれた一雫の涙をやさしくぬぐった。


「・・・ずるい。」


ようやくライサから洩れた言葉は予想していたどれとも違って、イェリはその手を止めた。


「ずるいです、そんな言い方。 怒れないじゃないですか。」


ライサが泣き出しそうな頬笑みを見せた。 イェリはその手をライサの頬から頭へと移すと、少し立ち上がって、まだ濡れている彼女の目もとにそっと口づけた。 そしてライサの髪をくしゃっと撫ぜると、彼の親友なら見慣れていた違いない、片方の口元だけをあげて、まるでいたずらが成功した少年のように笑った。


 はからずしもそんな顔をしてしまったイェリが「やっぱり、誠意が足りないので殴らせてください。」と言われて口論になるのはその少し後のお話。



 


 その日、ちょっとした用事で二階に上がってきたティモ班長は、紳士で知られる自分達の隊長が応接室のドアに耳を押し当てて、何やらニヤニヤしながら盗み聴きをしている、というとんでもない光景を目撃してしまったのだが、幸いにも彼は、秘密を自分の胸の内だけにしまっておくことができるという稀有な才能の持ち主だったため、黙って回れ右をしてこっそり廊下を戻って行ったのだった。

 





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