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7-2



「今さら言う必要もないと思うが、俺はこの街で生まれ育った。 ライティオ家に養子に行くまでの名前はイェリ・カストレン。 父は君と同じように警備隊の副隊長をしていた。 ミラは俺の実の妹だ。」



 強くて明るい父はみんなの人気者だった。 優しくて、料理上手な母親。イェリ、ミラの順に5人の兄弟達がいて毎日それはにぎやかだった。 その上、休みの日になればアレクセイたち警備隊員だけでなく父の親友だった領主の息子のアランまでが家に集まって来てお祭り騒ぎになった。  ごく普通の楽しく幸せな家族だった。 あの日までは。


 イェリが13歳の夏も終わりに近い日、それは起こった。

 突然、空を黒雲が覆い尽くした。 夜の様な闇の中、息もつけないほどの豪雨が降り続き、街を洪水が襲った。

 「ラインファル」という名前を知るのはずっと後になってからの事だったが、大変な事が起きたというのはイェリの様な子供にもすぐにわかった。 それでもイェリには、その後なぜ父が警備隊を辞めてしまったのか、なぜ母から笑顔が消えたのか、なぜ父の友人達が家に来なくなったのか、そしてなぜ周りの友達が以前の様に遊んでくれなくなったのか、変わりすぎてしまった日常をすぐに理解する事は出来なかった。 そんなイェリに父は何度も根気強く教えてくれた。 彼は子供とも大人と同じように話をしてくれるそんな人だった。 そして、難しい話の最後には必ず笑顔を見せて言っていた。「それでも、父さんはこの街が大好きなんだよ。」と。


 あの辛い日を乗り越えられたのは、家族の堅い絆があったからだ。 それなのに、ようやくいわれの無い中傷が下火になってきた半年後、父はあっけなく逝ってしまった。 新しく働き始めた工事現場で仲間を助けようとして崖崩れに巻き込まれたという、なんとも父らしい最期だった。 


 都からライティオ家の使いという人物が現れたのは、それから一月もたたないうちだった。 同じ人物は1年ほど前にも同じ用件でイェリの家を訪れていた。 彼の話によると、たまたまタンペレを訪れていたライティオ家の夫人が数年前に亡くした息子に瓜二つのイェリを見かけ、是非養子にほしいと願っているという。 前回はイェリの父がきっぱりと断ったのだが、彼が死んだのを何処から聞き付けたのだろうか、やって来た使いの男はいかにも気の毒そうな顔で弔辞を述べた後、遠回しに「イェリが養子に行った際は、その実家にも援助を惜しまない」という様な事を言った。 丁寧に話を断って頭を下げる母が、白くなるほどきつく手を握りしめていたのをイェリは忘れる事が出来ない。 男は数日タンペレに滞在しているので、もし考えが変わったのなら伝えてほしいと言い残して帰っていった。


 その日の夜、妹達が寝静まった後にイェリは母に呼ばれた。 台所にある母のお気に入りの長椅子に隣り合って座ると、何か大事な話をするときにいつもそうするように、彼女はイェリの両手を握り真っ直ぐに目を合わせた。 


「イェリ。 あなたの父さんは、いつも大切な事はちゃんと話をして、あなたの考えを聞く人だったわね。 だから母さんも同じようにしたいの。」


母の手に少し力がこもった。


「今日、都から使いの人が来たわね。 イェリは貴族の養子になるというのがどういうことかわかる?」


イェリはゆっくりうなずいた。 前にライティオ家の使いが来たときに、父が話をしてくれた。 都の貴族というのはとても身分の高い人たちで、その家は何百年にもわたって続いている。 子供のいない貴族は家を「存続」させる為に、顔が似ていたり才能のある子供たちを引き取って育て、その中から「跡取り」というものを決める事があるのだと。


「父さんが亡くなってから、あなたはとても頑張ってくれているわ。 母さんはあなたがいてくれて本当に助かっているし、頼りにしてる。 だから母さんはあの話をお断りしたのだけど、でも、あなたの意見もちゃんと聞かないといけないと思ったの。 貴族の養子というのはなかなか成れるものではないし、都に行けば立派な暮らしが出来ていい学校にも行けるわ。 イェリ、あなたはどうしたい?」


イェリは母の顔を見つめて、それから少し戸惑いながら聞いた。


「家にはお金がないの?」


母の目が驚いて見開かれ、それから泣き笑いの様な顔になってイェリをぎゅっと抱きしめた。


「あなたは本当に優しくて、賢い子ね。 正直に言うと、下の子たちはまだ小さいし、あなたを上の学校に行かせてあげる事は出来ないかもしれない。 でも、父さんが残してくれたものがあるし、母さんも働きに出るから、贅沢をしなければ家族みんなで何とか暮らしていくだけのお金はあるわ。 だから、お金のために養子に行くなんて事はしないで。」


母はイェリを抱きしめていた手を少し緩めて、彼の顔を覗き込んだ。


「母さんが心配しているのはね、あなたがこの先この街で幸せにやっていけるかという事なの。 ミラも下の弟たちもまだ小さいからこの半年に起った事をよく覚えていないだろうけど、あなたは随分嫌な思いをしたのを忘れられないかもしれない。 ここは小さな街で周りの人も変わることがないから、この先学校に行っても、働く事になっても、この街に住んでいればずっとその辛い思いを引きずっていく事になるわ。 都に行けば新しい友達もできるし、この街では経験できない様な事がたくさんあるし、あなたにとっては、辛い事を忘れるとてもいい機会になるとは思うの。 母さんの言っている事がわかる?」  


イェリはまたゆっくりとうなずいた。 本当は、母の言っている事は難しくて全部は良くわからなかったのだけれど、母が自分の事を心配してくれているというのは良くわかったから。


「でも、都に行ったらここにはめったに帰って来れなくなるんでしょ? 僕がいなくなっても母さんは大丈夫?」


また母が、前よりも強くイェリを抱きしめた。 耳元の母の声がかすかにふるえていた。


「母さん、イェリがいなくなったら本当にさびしくなるわ。 でもね、母さんはイェリがどこにいようと幸せでいてくれる事が一番うれしいの。 だから、イェリがそうしたいと思うのなら、母さんはあなたが都に行くのに賛成するわ。」



 

 次の日、イェリは母と一緒に使いの男が泊まる宿を訪れた。 一晩考えてイェリが出した結論は都に行くことだった。 母や兄弟と離れるのはもちろん嫌だったけれど、憧れていた都に行くのや上の学校に入ることも、そして母には言わなかったけれど家にお金がもらえるというのも確かに魅力だったからだ。 だが一番の理由は、父があれほど愛していたこの街をこれ以上嫌いになるのが怖かったからかもしれない。


 

 イェリが騙されていたと気がついたのは、都に行ってすぐのことだった。 ライティオ家の養子と言うのは世間の目を欺くためで、実際にイェリを必要としたのは都の大貴族コレル家だった。 当時、第一候として権力争いのただなかにあったコレル家は、一人息子のヤルノを守るため彼の身代わりにする子供を探していたのだった。 訳も判らぬイェリを待っていたのは、影武者として必要な教養や武術を詰め込まれる毎日だった。 嫌がれば、婉曲にタンペレの家族の事を脅された。 豪華すぎる衣服や食事は与えられたが、学校に行く事はもちろん部屋から出るのも許されず、家への手紙はすべて検閲された。  コレル家としても事が露見するのはまずかったのだろう、約束通り実家への金銭的な援助は行われたようだったが、母が病に倒れたと知らせを受けた時も帰ることは叶わなかった。 そして、身代わりとして誘拐犯や暗殺者に狙われる日々が始まった。




「あの頃の事は話したくないし、話す必要もないだろう。 幸運というのか、俺はコレル侯が失脚するまでの2年間を生き延びた。」


少し息をついてイェリはライサの表情をうかがった。 明るい話ではなかっただけに、ライサの顔は戸惑いや悲しみで暗く曇っていたが、その中に憐みの色がない事がイェリには救いだった。


「あなたはライティオ家のご両親と、とても仲がいいと思っていました。 とてもよいご家族だと。」

「実際に仲がいいからな。 そういう風に見られていたのなら嬉しいよ。 彼らのやった事が正しいという気はないが、二人にも事情があったんだ。 先代の当主がコレル家に莫大な借金をしていてね、彼らも脅されていた。 ライティオの両親には感謝している。 俺が身代わりとして用済みになった時、自分たちには害にしかならない俺を本当の養子として引き取ってくれた。」


コレル家の「用済み」がどういう意味を刺すのか正確に理解したのだろう、ライサは形の良い眉をひそめた。 ライティオ家に引き取られなければ今イェリは生きてないだろう。 貴族でいるにはたぶん、人のよすぎる彼らがイェリを引き取ってくれたのは罪悪感に因るところが大きいだろうが、それでも二人とも実の子供のように愛情を持ってイェリを育ててくれた。 感謝こそすれ二人を恨む気はない。 金に困っていたのは彼らも同じはずなのに、イェリを学校にまで行かせてくれた。


「そこでまさか本物のヤルノと一緒になるとは思ってなかったけどな。 初めて会った時は驚いたよ。 確かにこれだけ似てればいい影武者になっただろうってな。 で、どうせ気位の高い貴族のお坊ちゃんだろうと思っていたのに、話をするといい奴なんだ。」


憎むとまでは言わなくても、事の根源となったヤルノを好きになれるはずもないと思っていた。 だが、初めて話したその日のうちに二人は親友になっていた。


「本当に不思議なくらい気があったんだ。 だけど、一番驚いたのはコレル家の面々かもしれないな。」

「彼は、・・・彼はその事を知っていたのですか?」


ライサが初めて、問いを口にした。 聞かれるだろうとは予想していたのに、イェリは大きく息をして気持ちを落ち着かせなければならなかった。 そして、なるべく表情を変えないように淡々と答えを告げた。


「出会った頃ヤルノは何も知らなかったはずだ。 けれど、何時、どのようにして知ったかは分からないが、ヤルノはすべてを知っていたよ。 俺があいつの影武者だった事も、俺が最初の一人ではなかった事も。」


ライサの表情が泣き出すのをこらえるかのように歪んだ。 イェリはその顔を見ないように、カップを傾けて苦いだけになってしまったぬるい液体をのどに流し込んだ。

  




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