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7-1



 控え目にドアをたたく音に、イェリは書類から目をあげた。 いつの間にか陽は大きく傾き、窓の外にはタンペレ特有の淡い黄緑色の夕焼けが広がりはじめようとしていた。 だが、美しい故郷の夕焼け空は、悲しい事に何日たっても懐かしさよりも違和感の方が強い。 一瞬見入ってしまった黄緑色の空から目をそらすと、イェリは扉の方に顔をむけた。


「どうぞ。」

「・・・・失礼します。」


一拍の間をおいてから静かに扉が開きライサが部屋に入ってきた。 現場に出ていた部隊が五日ぶりに街に戻ってきた時には、全員が煤と汗にまみれたひどい恰好をしていたが、こざっぱりとした制服に着替え直したライサは、とても剣や斧を片手に森を駆け回っていた人物だとは思えない。 イェリの前で疲れを顔に出さないのは流石だったが、一礼して顔をあげたライサは部屋をちらっと見渡してかすかに眉をひそめた。 あいかわらずわかりやすい奴だ、とイェリは漏れそうになった笑みをかみ殺した。



 警備隊本部でイェリに用意されていたのは二階の応接室として使われていた部屋らしく、ごたごたとした下の詰め所とはずいぶんと違っていた。 趣味の良い家具や絵が置かれ、奥の日当たりのよい窓からはタンペレの田園風景が一望できる。 今はその窓際にイェリの仕事用にと大きな机が運び込まれていた。 だが、いかにも「借りてきました」という机と高さの合わない椅子ではどうにも仕事がしづらく、結果机は山の様な書類の置き場にして、イェリ本人はより座り心地の良い応接用のソファに胡坐をかいて座り込み、足元に積み上げた資料を拾い上げては読むという体勢に落ち着いている。 誰に迷惑をかけているわけでもないから構わないだろうとは思うのだが、几帳面なライサの顔には「白騎士団副団長ともあろう人がなんて恰好を・・。」とありありと書かれていたので、イェリは組んでいた足をおろして座りなおした。

 

「今回の報告書を持ってきました。」

「御苦労様だったな。」


ライサがさしだしてきた書類をイェリは受け取った。 彼女が帰ってきたのは今日の昼前、あいかわらず仕事が早い事だ。


「ありがとう。あずかっておくよ。」


パラパラと書類をめくりながら、ライサがその場を動く気配がないのでイェリは顔をあげた。


「隊長から、内容についてご説明するようにと言われました。 お時間があれば今、目を通していただけますか。」

「待たせる事になるが。」

「構いません。」


アレクセイ隊長の指示というのに少し引っ掛かるところがあったが、今やっている仕事は最優先事項というわけでもなかったので、イェリは膝の上に置いたままだった資料を足元に置いた。


「フレイ、そこにある地図をとってくれ。」

「はい!」


奥で書類の整理を手伝っていたフレイが慌てて持って来てくれたカウパ地方の詳細な地図を前の机の上に広げて、イェリはフレイを見上げた。


「それと、さっきの書類を下に戻しておいてくれ。 それがすんだら今日は終わりにしよう。」

「はい、わかりました。」


フレイは嬉しそうに頷いた。 イェリ達先遣隊がきて一番被害を受けたのは、このフレイという見習いの少年だろう。 残されている過去十年分の記録をすべて洗い直すというイェリの仕事のために手伝いにかり出されたフレイは、一日に何十回も書類を抱えて応接室と一階の書庫を往復する羽目になったのだから。 最初イェリを前にしてがちがちに緊張していた少年だが、その日の夕方になる頃には「不満」という文字が顔いっぱいに張り付くようになった。 変わっていく彼の表情を面白く観察していたイェリも流石に気の毒になって、ちょうど手元にあった菓子をあげたのだが、今度はやたらと懐かれてしまった。 もともと人懐っこい性格なのだろう、大人が話さない様な街や警備隊の噂話を色々と聞かせてくれて、イェリにとっては楽しいだけではなく貴重な情報源になってくれているのだが、小動物を餌付けしてしまったみたいで少し気が咎めないわけでもない。


「それでは、お先に失礼します。」


扉の前で深々と一礼すると、書類の束を抱えてフレイは部屋を出て行った。 少年はイェリと一緒に来た飛竜隊員達にずいぶんと感化されたようで、ここ数日で驚くほど礼儀正しくなった。 イェリですらそう思うのだから、今までの彼をよく知るライサには相当な驚きだったのだろう、まるで新種の竜種でも見つけた様な顔でフレイを見送るライサを見て、イェリはまた込み上げてきた笑いをごまかすために大きく咳払いをした。


「とりあえず、そこに座ってくれ。 珈琲でも入れよう。」

「あ、私が致します。」


開けっ放しになっていた口をあわてて閉じると、ライサはイェリが止める間もなく慌てて珈琲を入れに行ってしまった。





 芳ばしい珈琲の香りに没頭していた書類から顔をあげると、ライサがカップを両手にイェリの横に立っていた。 無言のまま数秒間見つめあって、ようやくイェリは机の上が地図に占領されていた事に気がついた。


「ありがとう。」


手を伸ばしてライサから珈琲を受け取ると、彼女にも椅子に座るように勧めてイェリはカップに口をつけた。 イェリの好きな薄めでやけどしそうに熱い珈琲。 ふと、同じようにライサと二人珈琲を飲んだ遠い日の光景が浮かんだ。 あの静かな白い部屋の香りも、窓に当たる雨の音もたぶんずっと忘れる事が出来ない。 ここで珈琲を飲むのは失敗だったかもしれない、イェリは感傷に浸りそうになる意識を無理やり書類にもどした。 


 ライサの報告書は簡潔ながら必要な情報が確実にまとめられていて、非の打ちどころがないものだった。 イェリが読み返した十年分の報告書も、昔の日報に毛が生えた程度のものから、ここ数年で王都の議会に提出しても恥ずかしくない様な物に変わっていた。 報告書に限ったことではない、日常の訓練や偵察飛行の状況など、本当にここは辺境の警備隊かと思うほどしっかりと組織がまとめられている。 おかげでイェリの仕事は驚くほど順調に進んでいた。 フィオネルの「タンペレの西方警備隊を落とすのは間違いなく最難関」などという報告に意気込んで来ていただけに、肩透かしを食らったように感じるほどだ。 



 書類を読み終えたイェリが目をあげると、向かいに座るライサはカップを両手に抱えたまま遠い視線で窓の外を見つめていた。 これだけの事を4年、いや、実際には副隊長になってからの2年でやり遂げる、それほどの気力がこの小柄な体のどこに詰まっているのだろうと不思議になる。 あいかわらずきれいなその横顔には、イェリの知らない強さがあった。 前から強いやつだとは思っていたけれど、今のそれはもっと奥が深い。 それは彼女が責任ある立場になったからだろうか、それとも母親の強さなのだろうか。 やっぱりこいつには自分の手など必要ないだろう思ってしまう。 大体、自分より強い相手に手を貸そうとするなどおこがましいにも程があるではないか。 ライサが一人で乗り越えた壁をイェリはまだ登りはじめてすらいないのだから。

それなのにイェリの周りにいるのはそう思わない人物ばかりの様だ。 お節介なのはフィオネルだけではない、ライサの報告書にいちいち説明など必要ないのを一番よく知っているのはアレクセイ隊長のはずだ。 イェリが無意識のうちについてしまったため息に、ライサが厳しい顔をしてこちらを向いた。


「何か、不手際な点がありましたか。」

「いや、すまない。 報告書には何の問題もない。 この短時間でよくまとめてある。」

「ありがとうございます。」


少しほっとしたように、ライサの目が柔らかくなった。 彼女の立場を考えれば質問の一つでもしておいた方がいいだろうと、イェリは机の上の地図を覗き込んだ。 


「確認をしておきたいのだが、地図でいうと延焼範囲はどれくらいになる。」

「はい。 出火元とみられるのはこのあたり、着陸地点から回り込んでここに防火帯を敷きました。 我々が到着した時点での延焼範囲はここからここまで、最終的にはこれだけの範囲になります。」


 ライサの指が迷いなく地図の上を滑っていく。 身を乗り出した彼女の髪から洗いたての石鹸の香りがして、イェリは思わず眉間に手をやった。 まったくいい年をして、それがどんな高価な香水よりも魅惑的だと彼女は知らないのだろうか。 アレクセイ隊長は紳士的な人物だが、周りは体力を持て余している野郎の集まりなのだ。 男と二人きりの部屋でそれがどんなに無防備か教えてくれる人物はいなかったのだろうか。 ライサのこういうところは全然変わっていない。 ここ数年イェリの周りに集まってくるのは、美しく洗練され、それをいかに武器として使うか熟知している都の女達ばかりだった。 彼女達の駆け引きにはうんざりさせられるだけだったのに、ライサの何気ない仕草には気をひかれてしまう。 ライサの方はイェリを異性として意識しようとは爪の先ほども考えていないだろうに。 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきてイェリは持っていた書類を机の上に放りだした。 ライサが驚いて顔をあげる。


「報告書について聞きたい事はそれだけだ。 次は君の質問を聞こう。」

「私の質問、ですか?」

「言っていただろう、『帰ったらゆっくりお話をお伺いします。』ってな。 今がいい機会だろう?」

「それは・・・。あの時は、私も混乱していて色々と失礼な態度をとりました。申し訳ありません。 私が詮索するべき事ではありませんでした。」 

「そんな、毒にも薬にもならないような言い方はやめないか。 俺はむしろ君こそが唯一話を聞く権利を持っている人物だと思う。」


いつもは真っ直ぐに視線を合わせるライサが、珍しく目をそらせてうつむいた。 彼女の気持ちはわからないでもない。 お互いに板についた「上司と部下」という役で接するのは、何も考える必要がなく楽だった。 だがそれでは何の解決にもならない事をお互いに気づいてしまっている。 手の中にある珈琲と睨みあること数秒間、ようやくライサが顔をあげた。


「先ほど下で、ここの警備隊が軍に編入されれば、貴方が隊長に着任される事になるだろうと聞きました。」

「そうなるだろうな。」 

「それは、貴方があれほど望んでいらした白騎士団副団長の座を蹴るほどこの仕事が価値のあるもの、という事ですか。 その理由を教えていただきたいのです。」


いきなり核心をついてきたライサに、イェリは苦笑を隠せなかった。 やはり彼女も事をうやむやのまま終わらせたり、忘れてしまったふりができるような人間ではない。 


「少なくとも俺はそう判断した。 それが正しいのかはわからないけどな。 理由と聞かれると俺の身の上話から始めなければならなくなる。 だが、もし君が知りたいというのなら全てを話そうと決めていた。 楽しい話ではないし、君には辛い話もあるだろうが、それでも構わないか。」


ライサがゆっくりと頷くのを見てから、イェリはとっくに空になってしまっていたカップを差し出した。


「長い話になる。 その前に、このうまい珈琲をもう一杯入れてくれないか?」



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