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風に乗りシューティングスターは素晴らしい速度で飛翔していた。 これが仕事で危険な火災現場に向かっているのでなければ、この光景をどれほど楽しめただろう。 どこまでも広がる森はいつもにもまして透き通ったきれいな青色で、雲のつくりだす影が濃淡を生み、本当の水面が波打っているように見えた。 大きく蛇行しながら流れるターダ川や無数に散らばる沼に時折太陽の光が反射してキラキラと輝く。 水辺に出ていた竜種の群れがシューティングスターの影に驚いて森へと駆けこんでいくのが見えたが、それも瞬く間に後方にながれさっていく。 驚くほどの速さで飛んでいるのに聞こえるのはピンと伸ばされた白い翼が風を切る音だけで、過ぎ去る風景がなければ、空中にただ浮いているように錯覚してしまいそうだった。 このまま、いつまでもこうして飛んでいたい。 空に魅了されてしまった翼竜乗りなら誰でもそう願うだろう。 だが、近づいてくる黒い雲の塊はライサを現実に引き戻した。
「火災が第3段階まで進んでいる。 延焼範囲も・・・」
眼下に広がる光景にライサは唇をかみしめた。 不気味な色をした黒い煙が風に流され辺り一面を覆っていた。 その切れ目から、赤い炎が梢を舐めるように広がっていくのが見える。 状況は悪化していた。
「どうする。風上で着陸地点を探すか。」
「先に現状を把握しましょう。 火災が起きている範囲をなるべく低空で旋回してください。」
「了解。 飛行が荒くなるから気をつけろ。」
イェリは旋回させていた翼竜を煙ぎりぎりの高さまで降下させた。 熱と煙で気流が乱れさっきとは比べ物にならないくらい大きく翼が揺れる。 ライサは両足で体を支えながら、必死で地図に火災の状態を書き込んでいった。 一度地上に降りてしまえば火災の全体像を把握するのは難しい、この地図だけが作戦を決める頼りになるのだ。
最初に思った通り、延焼範囲は偵察隊の報告にあった時よりも長いところで1ケム近くも北西に進んでいた。 しかも火災の4割以上が第3段階まで進んでいる。 だが、今ならまだ人の手で延焼を食い止める事が出来る。
「副長。 そろそろ竜が限界だ。」
「わかりました。 これで十分です。 一度上空に戻りましょう。」
先ほどから背中の上にいてもシューティングスターの苛立ちが伝わってくる。竜種は火と煙を嫌う生き物だ、これ以上無理をさせることはできないだろう。 ライサの声を聞いていたかのように、シューティングスターは反転すると、火災の上昇気流に乗って一気に空へ駆け上った。
それにしても嫌な感じだ。 風が強くて、肌がちりちりするほど空気が乾燥していた。 何かの前触れに耐えるように大気が張りつめている。
「嫌な空気だな。」
イェリがつぶやいた声に、ライサは彼が同じことを考えている事に気がついた。
「隊長、、、いえ、副団長はフィレストラムを見た事がありますか。」
「いや、実際にはない。」
ライサの問いにイェリが息をのんだ気配がして、それから押し殺したような答えが返ってきた。
森林火災の第5段階フィレストラム。 炎が竜巻となって空へ駆け上がり、あっという間にあたりを燃やしつくす。 その中では鉄さえも気体となって形すら残さず消え去り、その熱風の速さからはワイバーンでさえ逃れられないという。 ライサ達が最も恐れるものだ。 極度の乾燥や強風などいろいろな条件が重ならなければ発生しない非常に珍しい現象だが、油分を多量に含んだ大気におおわれたこの森では、実際に過去何回もフィレストラムがおきていた。
「フィレストラムをこの目で見た事はないが、神具が使われるのは見た事がある。」
「神具ラインファル・・・。」
「まだ幼い頃だったがあれは忘れられない。 世界の、終りが来たかと思った。」
ライサは胸元を固く握りしめた。 フィレストラムがおきればライサ達になすすべはない。 延焼を食い止める事はおろか、それから逃げることすらできないだろう。 フィレストラムに対する唯一の手段は、神具「ラインファル」を起動させること。 ライサの懐にしまわれているそれは、手のひらに収まるほどの大きさの、ただの円形の金属片にしか見えないものだった。 こんなに小さなものが、なぜそのように大きな力を持っているのかライサには知る術もない。 ただ、フィレストラムが発生したときには現場の最高責任者としてライサが神具を起動させなければならない。 ラインファルがこの森で前回起動されたのは25年前になる。 そしてその光景を見たものはイェリと同じように口をそろえて言う。 「世界の終りが来たかと思った」と。
それは一瞬のうちに起ったという。 青い森全土を夜が来たかと思うほど厚い黒雲が覆い尽くし、何刻もの間息が出来ないほどの豪雨が降り続いた。 ようやく雨が止んだ時、火災の後にはただ黒く焼け焦げた大地が煙も立てずに残っていただけだったという。 森は守られた、だがラインファルが人に残したのはそれ以上の災害だった。 豪雨の後、半刻もたたないうちに氾濫したターダ川が街を襲い何人もの街人が命を落とした。 更に土砂混じりの濁流はタンペレの農地へとなだれ込み、収穫前の畑を一瞬にして泥の湖に変えてしまった。 当時ラインファルを起動させたのは副隊長だったミラの父親だ。 災害が起きたのは誰のせいでもなかったが、それだけに行き場のない怒りは警備隊に向いた。 彼は責任をとって警備隊を辞め、そして復興作業中におきた事故で帰らぬ人となった。
ラインファルを起動させることで何が次に起ころうとも、フィレストラムが発生してしまったときには神具を使って森を守るのが定められた掟だ。 掟を破れば災害よりも恐ろしい事がおきる。 それでも、その時がくれば正しい判断を下す事が出来るだろうか。 副隊長になり神具を持って現場に出るようになってからライサは幾度となく自問した。 答えはまだ出ていない。
「着陸地点を探しに行くか。」
「はい。 お願いします。」
イェリなら前の副隊長がどういう思いでその答えを出したのか知っているかもしれない。だがライサは口にしかけたその問いを飲み込んで前を向いた。




