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翼竜は低速で飛ばす事の方が難しい。 風の向きや強さを正確に読むだけではなく、気のはやる翼竜を正確に操る技量と、乗り手と翼竜の信頼関係がなければならない。地形の影響で気流が安定しない青い森の上を、脚の遅い他の翼竜に合わせているにもかかわらず安定してシューティングスターを飛ばすイェリの腕前に、ライサは内心舌を巻いていた。
目の前にあるこの大きな背中を、ライサは見習いの時から憧れ追いかけ続けていた。 一生追い越すことはかなわないとわかっていても、その背中を追い続けていればいつか自分も高いところまで上って彼と同じ風景が見られるかもしれないと思っていた。 久しぶりに見るこの背中は、以前よりはるかに大きく見える。
出発前の作戦会議でイェリが自分たちも出動に加わりたいと言い出した時、ライサは当然反対した。 人手も輸送手段も足りない状況で二頭のワイバーンが加われば大きな戦力になる、というイェリの主張は確かに正論だったが、今日初めてこの地に来た彼らをいきなり現場に送り出すわけにはいかない。 平行線の話し合いの末にライサは彼らに二つの条件を出した。 現場ではライサ達警備隊の指揮下に入ること、そして実際の消火活動には参加せず後方支援にまわること。 自分でも理不尽だと思うこの条件に、何よりも誇りを重んじる彼らが頷くはずはない、これでおとなしく引き下がるだろうとその場にいた誰もが思ったはずだ。 だがライサ達の予想に反してイェリは「当然だ」といともあっさりと条件を受け入れた。 エウロニア王国の誇る白騎士団飛竜隊がただの辺境警備隊の命に従うなど、ライサの知る飛竜隊ではあり得ないことだった。 飛竜隊は変わった。 いや、変わったのではなく変えたのだと、ゆるぎないイェリの瞳を見てライサは悟った。 軍にかき回されたくないと、片意地を張って誇りを守ろうとしている自分たちが小さく見えた。
今、手を伸ばせば触れる事が出来るほど近くにこの背中はあるのに、それはもうライサが追い付く事が出来ないほどはるか先を歩いている。
「背中に何か怨念の様なものを感じるのだが。」
突然イェリが少しふり返って声をかけてきた。 彼の背中を睨みつける勢いで見つめていたライサは慌てて視線を外した。
「気のせいではないですか。それとも、誰かに恨まれる心当たりでもお有りですか?」
「山ほどある、と言わざるを得ないな。 空にあがったら、いろいろ問い詰められるのではないかと覚悟していたのだが。」
確かに聞きたい事は山ほどあった。 なぜ、ヤルノをあんな方法で守ってくれたのか。 なぜ、領主様や隊長と知り合いなのか、ミラとはどのような関係なのか。 コレル夫人が言っていた影武者とはどういう意味か。 そして、なぜ白騎士団副団長のイェリがここにいるのか。 だけれど、今は聞くべきではないとわかっていた。 聞いてしまえばたぶん自分はいろいろと考え込んで迷ってしまうだろう。 今は過去を振り返るのではなく、しっかりと前を向いていたかった。
「今は、作戦に集中したいので。」
「・・・・そうか。」
「帰ったら、じっくりとお話をうかがいますから。」
「心しておくよ。」
かすかに笑ってイェリは前に向きなおった。 その後ろ姿を見ながら、ライサは少しだけ気持ちが軽くなっている事に気がついていた。
「見えたぞ、あれだ。」
イェリの指さす地平線に、他の雲とは明らかに色の違うドス黒い雲が広がっているのが見えた。 ライサは急いで手元の地図を確認する。 報告にあった火災現場なのは間違いなかった。
「打ち合わせ通り、先行して着陸地点を探します。」
「了解。」
イェリが手綱を操ると、シューティングスターは大きく羽ばたいて、あっという間に隊列の前にでた。 先頭を行く翼竜を追い越す時、その後ろに乗っていたケケが手を挙げて合図を送ってきた。 飛行中は声が伝わらないため、会話はすべて手信号に変わる。 額に手をかざして「幸運を」と伝えてきたケケにライサは同じ仕草を返した。
今までゆっくりと飛んできたのがもどかしかったのだろうか、視界を遮るものがいない大空に解放されたシューティングスターは嬉しそうに嘶くと、風を切る様に速度を上げた。