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1-1

 

 その朝イェリが目覚めて最初に思ったことは「やってしまった」だった。 

 明らかに二日酔いの気だるい頭、知らない部屋の知らないベッド、そして隣でシーツにくるまれて眠る女。 あれだけ飲んだにもかかわらず、昨夜自分が何をしたかイェレはしっかり覚えていた。 

 ああ、これは言い訳なしのコースだ。 カーテンの隙間から洩れてくる薄明かりが、夜が明けて間もないことを教えてくれる。 職業柄長年身にしみついた習慣とはいえ、こんなときにもしっかりいつもの時間に目覚めてしまう自分がこの日ばかりは恨めしい。

 イェリはゆっくりと身を起こすと隣を見降ろした。 今日に限ってはそこにいるのが、まったく見知らぬ人物であった方がどれだけ救われるかわからない。 が、現実としては隣にいるのは眠っていても誰とすぐにわかるほどよく見知った人物、有り体にいえばイェリの直属の部下で、しかも彼の親友が愛した女だった。

 


 イェリが自己嫌悪の嵐に陥っている間に、隣で眠っていた女、ライサが唐突に目を覚ました。 寝起きがいいのも彼らの職業柄だ、ぱっと目をあけたライサは隣にいるイェリを見上げ二人の視線がばっちりと会う。 何とも言えない気まずい雰囲気から先に立ち直ったのはライサだった。

「おはようございます、隊長。」

普段職場でかわすのとまったく変わらない声色であいさつして、ライサはベッドから起き上ると、寝ぐせのついた短い金髪をワシャワシャとかきまぜ、「シャワー浴びてきますね。」と一言、シーツを巻きつけるわけでもなく立ち上がり、一糸まとわぬ姿のまま大股で歩いて奥の部屋へと消えていった。 そんな彼女の余りにもあっけらかんとした態度に、イェリは茫然とその後ろ姿を見送った。


 

イェリ・ライティオ、男29歳。彼が所属するのはエウロニア軍でも花形の白騎士団、「飛竜隊」の三番隊。彼は3年前からそこの隊長を務めている。 

 飛竜隊と言えば国内はもとより世界中にその名を知らない者はいないだろう。 神速を誇るアスカロンの大騎竜隊、幻想的なフォンファンの水竜隊、最強と言われるゴンガザの巨竜隊。 それでも数こそ少ないがエウロニアの飛竜隊ほど美しく壮麗なものが他にあるだろうか。 飛竜隊は文字通り騎士団が翼竜に騎乗して空を飛ぶ飛行部隊だ。 両翼を広げると12エムにもなる翼竜が、その薄く透ける翼をひろげて三角形の編隊を組み大空を滑空していく、その姿は子供たちのあこがれであり、すべてのエウロニア人の誇りだった。 

 イェリは全部で六番まである騎士団の最年少隊長の一人で、ゆくは騎士団隊長にもと将来を嘱望されている。 その気さくさと面倒見の良さから部下からの信頼も厚い。 一方のライサ・グリスは彼とおなじ3番隊に所属している。 身軽さが求められる翼竜乗りには比較的女性が多いが、5歳も年下で見習い時代も含めれば10年近い付き合いになる彼女を、イェリは今まで信頼できる部下という以外の目で見たことはなかった。 ひとたび遠征に出れば、男も女も関係なく、一つの天幕で肩を寄せ合って眠ることも少なくないのだ。連携が重要な翼竜部隊はイェリにとっては大きな家族のようなものだった。 もちろん軍の中には、地位にかこつけて部下に手を出しているものなど掃いて捨てるほどいたが、イェリはむしろそういう人種を軽蔑のまなざしで見ていた。 はずなのだが・・・




  扉を開ける音がして、考え込んでいたイェリが目を上げるとシャワーから上がってきたのだろう、タオルで髪を無造作に拭きながらライサが部屋に入ってきた。 いつもの訓練用の軍服のパンツに、上半身は晒一つ、髪からはまだぽたぽたと水滴が垂れている上に口には歯ブラシをくわえたまま、というこれ以上ないというぐらい色気のない恰好だった。 彼女の引き締まった身体が驚くほど柔らかった事とか、イェリの腕の中でどんなに切ない声で彼の名前を呼んでいたのかとか、そんな事が幻想のように頭の中から流れ出して行ってイェリは思わずため息をつきそうになった。 ライサの方はそんな彼を見て何を思ったのか、口から歯ブラシを引き抜いて少し笑った。

「隊長もよかったら、シャワーどうぞ。」

 

 


 やけどしそうに熱いシャワーを浴びると少し頭がすっきりとした。 とりあえず一度してしまった行動を取り消すことはできないし、10代の盛りのついた少年でもないのだから、酒に酔っていましたすみません、などと言える話ではない。 意を決しシャワーを止めると浴槽から外に出た。 

 いつの間にかライサが置いていったのだろう、浴室の扉には真新しいタオルとハンガーにつるしたイェリの服が掛けられていた。 いちばんいい正装の軍服を脱ぎ捨てるような真似をしないだけの理性は残っていたのだろう、皺もなくシャキッとした礼服を見て、少しホッとすると同時にまだ右腕についたままの黒い喪章が目に入ってきて、イェリの胸ににぶい痛みがひろがっていった。


 

 

 白騎士団の名を拝する飛竜隊は、その軍服を見れば一目でわかる。通常の軍服に加え、訓練用、正装すべて白を基調にしたもので、その軍服に袖を通すこともまた彼らの大きな誇りだった。 特に式典用の正装は、真っ白の上下に、空に溶けるように鮮やかな蒼色のサッシュと外套、銀モールの飾りという出で立ちで、一部から「仮装」と揶揄されるほどだ。 実際、昨日の葬儀でずらっと並んだ彼らは、その内情とは裏腹に場違いなほど華々しく見えた。 


 


 さすがに詰襟の上着は着る気になれず、ズボンとシャツだけを身に付けイェリは浴室から外に出た。 騎士団管轄の独身宿舎は、台所と食堂が一つになった部屋に、寝室、浴室と物置がついているだけのものだったが、大部屋暮らしの一般の兵士からすれば騎士団員はずいぶん優遇されているはずだ。 この部屋がここまで簡素に見えるのは、この飾りっけのなさからだろう。 家具や敷物などはすべて落ち着いた色の無地のもので統一され、女らしい飾り物や、花の鉢植え一つ無駄なものは置いていない。 辛うじて目に留まるのは、窓際に積み上げられた大量の分厚い書物と、壁にかかる白と蒼の団旗ぐらいだろうか。 いかにもライサらしい部屋だと、イェリは思った。

 当のライサは、台所でこちらに背を向け料理をしていた。 何かが焼ける音と、珈琲を入れる芳ばしい香りがただよってきて、イェリは急に自分がどれだけ空腹かを思い出した。 彼の気配に気づいたライサはちょっと振り返り

「今、朝食にしますからそこに座って待っていてください。」

と手に持った匙でテーブルを指した。 何か手伝おうかと口に出しかけて、自分がライサと一緒に台所に立つという光景がどれだけ滑稽かを思い出し、イェリはおとなしくテーブルについて待つことにしたが、手持無沙汰でついついライサの後ろ姿を追ってしまう。 台所に立っていてもライサはいつものようにきびきびとした無駄のない動きをしていた。 

 こんな風に、女が料理をしてくれるのを待つのはいつ以来だろう。 ふと胸によぎった甘くくすぐったい感覚は、あいつ、ヤルノもこんな風に彼女の後姿を見ていたのだろうかという想像に掻き消された。 傷口の上に何か重いものを押し付けられるような鈍い痛みがまた広がっていく。


 


 

早速ですが、読みにくいので修正しました。


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