6-1*
ライサは着なれた耐火服のズボンに足を通した。 耐火、耐熱性のある砂蜥蜴の皮から作られた服は、木々の中でもお互いを見失わないように、目の覚めるような明るいオレンジ色に染め上げられている。 同じ素材でできた鉄心の入ったブーツ、上着、帽子にゴーグルをつけ、道具類の入った小袋がついたベルトを締めてそこにナイフやライトを差し込む。 それらを身につけるだけでもかなりな重量になるが、ライサは更にその上から降下用の機具が入った袋を背負うと、複雑なベルトを素早く装着していった。 たとえ出動のない日でも、機具の点検と装着訓練は警備隊の日課だ、何も考えなくても体が勝手に動く程度には体に染みついている。 最後の留め金を締めあげ顔を上げると、隣でほぼ同時に装備をつけ終わったケケと目があった。 ケケがにやりと笑ったのを見て、ライサも思わず笑みを浮かべてしまう。 お互いに相手の装備を点検し合ってから、ライサはケケの肩を軽くたたいた。
「装備よし。 行くぞ。」
込み合った更衣室から出て中庭へつづく薄暗い廊下を進む足が、高まっていく緊張と期待で少しずつ速足になっていくのを止める事が出来ない。 重いブーツが石張りの床に当たる音が響いていた。 扉を開けた瞬間、あふれる光にライサは一瞬目を細め、次に見えた光景に大きく息をついた。 後ろに続くケケが、感嘆の声を上げる。
詰所の広い中庭には、すでに鞍をつけて準備を終えた翼竜達が勢ぞろいしていた。 カウパ辺境警備隊にいる14頭のうちの10頭までが今回の出動に参加する。 それだけでも壮観なのだが、今ライサ達の目を引き付けたのはその前にいる2頭の巨大な翼竜だった。
ワイバーン、敬意を込めてそう呼ばれる翼竜。 警備隊にいる緋飛竜の翼開長が大きくても6,7エムなのに対し、ワイバーンはその2倍以上。 全身は輝くような純白の毛におおわれているが、頭部と他の翼竜には無い体長の半分ほどを占める長い尾の先は夜明けの空の様な青色をしている。 前足が翼になっている翼竜は、地上では不格好に這いつくばるようにしか移動できないのだが、ワイバーンはかなり早く走る事ができるほどしっかりと四足で自立する事が出来、着陸している今でもその姿は堂々としていた。 神竜に属する彼らはすべての翼竜乗りがあこがれる、巨大で恐れを感じるほど美しい生き物だった。
「すごい・・・。」
口を開けたまま突っ立っているケケを後に、ライサは一回り大きなワイバーンの方に吸い寄せられるように近づいていった。 そのワイバーンの頭をなでていた人物がライサに気がつき顔を上げる。 すでに飛行服を身につけたイェリはライサを見て無言でうなずくと、一歩退いてライサにその場所を譲った。
7年ぶりに見上げるワイバーンはライサの記憶よりもさらに大きく見えた。 だが、ライサの中には恐れよりも、懐かしさとそして再びこの美しい翼竜の前に立つ事が出来た喜びが込み上げて来ていた。 巨大な空色の額に、見覚えのある一筋の白い毛が混じっている事に気がつきライサは右手を高く伸ばした。
「・・・シューティングスター。」
名前を呼ばれて、大きな二つの琥珀色の瞳がライサをじっと見据えた。
「私を覚えている?」
ライサは彼の事をよく覚えていた。 もう何年前になるだろうか、シューティングスターはライサが初めて乗ったワイバーンだった。 あの時まだ見習い学生だったライサは不安に怯えながら、同じようにこの翼竜の前に立った。 ワイバーンと他の翼竜の一番の違いは、実は大きさでも力でもなく知能だ。 彼らは人の感情を見抜くし、記憶力にも優れている。 ライサは彼らが人語を完全に解しているのではないかと思っているほどだ。 そして、ワイバーンは自分が認めた人物しか絶対に乗せようとしない。 初めてシューティングスターに認められ、教官だったイェリの後ろに乗って大空を舞ったとき。 あの日の感動は一生忘れることはないだろう。
琥珀色の目を瞬かせた後、シューティングスターはゆっくりと頭を垂れてライサの伸ばした手に口先を触れた。 嬉しさでざっと鳥肌がたつのを感じながら、ライサは彼の硬くひんやりとした嘴に手を滑らせた。 シューティングスターがのどの奥で甘えた声を鳴らす。
「忘れていないさ。」
彼が言いたい事を代弁したかのように、後ろから声がした。 ライサが微笑んだままふり返ると、イェリはなぜかまぶしそうに目を細めた。
「全員用意はいいか。 出動だ。」
アレクセイ隊長の声に我に帰ったのはライサ達だけではないらしい、中庭に出たところで呆けたようにそろって口を開けてワイバーンを見上げていた隊員達がはっとした顔になってあわただしく動き出した。
「こちらも待機場に向かいます。」
「了解。」
上昇速度の違うワイバーンは最後尾からの出発になる。 シューティングスターの手綱を取ったイェリの前をライサは慌てて歩き出した。
元々木の上や崖に巣を作る翼竜は、かなり狭いところにも正確に着陸する事が出来る。 試してみようとは思わないが、訓練すれば時塔の先端にとまる様な芸当も不可能ではないはずだ。 それに引き換え離陸の際はかなりの距離を滑走するか、高いところから滑空するように飛び降りないと翼竜は飛び立つ事が出来ない。 それは、並はずれた飛行能力を持つワイバーンといえども変わりなかった。 そうした理由から警備隊の建物は街の端の高台にあり、中庭を出たすぐ裏はタンペレの農地を一望できる崖になっていて、そこに傾斜のついた滑走台が作りつけられている。
警備隊の出動を告げる鐘が鳴らされる中、隊員が乗った緋飛竜が次々と滑走台から飛び立っていっていく。 待機場まで来るとイェリはかがんだシューティングスターの翼を伝って身軽に鞍の上に飛び乗った。 二人乗りの鞍の後ろには、ワイバーンの大きな背中いっぱいに荷物がくくりつけられている。 かがんだとは言っても3エム近くの高さにある鞍を見上げていたライサを、イェリがいたずらっぽい目で見降ろしてきた。
「手をお貸ししましょうか、副長殿?」
挑発して部下の士気をかきたてるのがイェリのやり方とは分かっていても、ライサはカチンときた。 この男の前で無能な所を見せるのなど絶対にご免だ。
「大丈夫です!」
若い時に身につけた事は忘れないというが、白い翼に手をかけると体は自然に動いてくれた。 少しの事なのに、いつもより目線が高いと景色の見え方が違う。 ライサが危なげなく鞍に座ったのをニヤッと笑って見届けると、イェリは前を向いて手綱を鳴らした。 ゆっくりと後ろ脚で立ちあがったシューティングスターは大きな翼をいっぱいに広げて離陸態勢に入る。 ライサは大きく息をして、鞍を固く握りしめた。
「いくぞ。」
「はいっ!」
ライサの声に、イェリはもう一度大きく手綱を鳴らした。 ライサの左右にある大きな翼がゆっくりと羽ばたきを初めて、土埃が辺りに舞い上がる。 羽ばたきは徐々に早くなり、頭をもたげたシューティングスターは一声嘶くと滑走路を走りだした。 視界が揺れる。 振り落されそうな激しい震動。 ガクンという大きな衝撃とぶつかってきた空気の塊に息がつまりそうになる。 次の瞬間、風の音が変わった。 言葉にできない浮遊感に、気がつけばライサは空にいた。
こんなにも違うものか。 わかっていたはずなのに、久しぶりに乗るワイバーンにライサは圧倒されていた。 光を浴びて輝く白い翼が羽ばたくたびに、どんどんと高度があがっていく。 イェリは街の周りを旋回するようにしてシューティングスターを上昇させていった。 見慣れぬ白い巨大な翼竜に、街の人たちが驚いて立ち止り見上げている。 ライサの視界を一つの建物がかすめた。 警備隊出動の鐘を聞いて飛び出してきたのだろう、校庭でこちらを見上げて手を振るたくさんの子供達。 ほんの一瞬だったが、ライサは確かにその中に探していた小さな人影を見つけた。
コレル夫人に言われるまでもない、ライサは自分を悪い母親だと思っている。 でも、ライサはこんな方法しかわからなかったのだ。 大切なものを守ることも、自分が犯した罪を償うことも。 昔はただ憧れて、翼竜に乗る事がただ楽しくて上だけを見て飛んでいた。 でも今は、ここに帰ってくるために空にいる。
「行ってきます。」
口の中で小さくつぶやくと、ライサはしっかりと前に視線を戻した。
ライサ達の目の前には、クリュエタの灰色の壁が迫って来ていた。 竜種から街を守る壁は、低いところでも200エムを超える。 壁際の上昇気流に乗って舞い上がるとシューティングスターはいっきに壁を越えた。 ライサの視界に青一色の世界が広がった。
地平線まで続く青く霧がかかった森、空を映して輝く川とたくさんの湖。はるか遠くには青灰色にかすむカレサレア山脈、そして青い空。 森の霧もこの高度までは届かない。 ここまで上がってきて初めて見る事が出来る、下から見えるくすんだ色ではなく、空はどこまでも透明な青色をしていた。 頬を切る風が心地いい。 イェリはシューティングスターを大きく旋回させると、先に上空にそろっていた翼竜の後につけた。 三角形の編隊を組んだ翼竜達は北を目指して速度を上げた。
AKINOさんのChance to Shine という曲を聴いたときにこのシーンのイメージが浮かんできてこの話を書き始めたのですが、まさかここまでたどり着くのにこんなにかかるとは思ってもいませんでした。
お話のほうは終盤です、もう少しお付き合いいただけると幸いです。