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5-1



 その日、警備隊の詰め所は朝からピリピリとした空気が流れていた。


「おはようございます。 副長。」


そういって、部下のケケがいつもより派手な音を立ててライサの机の上に書類の束を置いた。 彼のあからさまな態度にライサは少し呆れた顔で書類から目を上げた。


「いい加減に機嫌を直したらどうだ、ケケ。」


ライサの言葉はケケに油を注いだだけだったようで、これ以上ないようなしかめっ面のケケのこぶしが書類の上にドンっとたたきつけられた。


「自分は納得がいきません。 警備隊が軍隊に再編されるわ、王都の騎士団の連中が来るわ、そのうえ隊長が退役して、ライサ副長を差し置いてどこの誰ともわからん奴が隊長就任。 俺達をバカにするにも程があるってもんですっ!」 

「上が決めた事だ。」


冷静を装うライサにしても、すべてに納得しているわけではないが、部下の手前不満を表に出すわけにもいかなかった。 夜ごと、家のソファーのクッションが犠牲になっている事は、幸いにも息子しか知らない。


「隊長が帰ってくるまでに、その顔なんとかしておけよ。」


今朝の便で到着する軍の先遣隊のために、隊長を始め数名が空港に迎えに行っている。 それさえも、軍事機密とやらで、誰が何名来るのかさえライサ達には知らされていない。 小隊とはいえ辺境警備隊もなめられたものだ。 これでは、この先が思いやられる。


「副長・・・!」


更に言い募ろうとしたケケの言葉は、顔面にはたきつけられた書類の束にさえぎられた。いつの間にか、鬼の形相でミラが腰に手を当てケケを睨んでいた。 


「その顔なんとかしろって言われたでしょう。 少しはましになったかしら。」


真っ赤になった鼻を押さえながら言葉も出ないケケをよそ目に、ミラはにっこりと表情を変えて、先ほどの書類の束をライサに差し出した。


「はい、ライサ副長。 先月分の収支報告です。 確認とサイン、お願いしますね。」

「・・・・ありがとう。」


もう同情の言葉もない。 痛むこめかみを押さえながら、ライサはちょっとした本ほどの分厚さがあるそれを大人しく受け取った。 



「ミラさんは、悔しくないんですか。」


すっかり毒気を抜かれたケケは、それでも弱々しくつぶやいた。 ミラはまた厳しい表情でケケに向きなおる。 


「もちろん腹は立っているわ。 書類に当たったぐらいで気がすむのなら、そこの棚全部ひっくり返したっていいくらいよ。」


それは是非やめてほしいと、ライサは心から思った。


「でもね、ここで一番つらい立場にいるのは誰? あなたでも、私でもない。 副長が黙って耐えているのに、その彼女の思いを踏みにじるほど私は馬鹿じゃないわ。 それに、たとえどんな手段でも、この警備隊が強くなれるというのなら私は歓迎する。 飛竜隊、上等。 それで、この街を守れるのなら、私がばかにされるのくらい安いものよ。」


いつの間にか、静まり返った詰所にいる全員の目がミラに注がれていた。 一番近くで、彼女の強いまなざしを向けられ、ケケは無言で目をそらした。

 ミラの父親が警備隊の何代か前の副長だった事は、隊の全員が知っている。 彼がどんな死に方をしたのか、その後彼女の家族がどれだけ苦労したかも。 最前線で戦うことを望みながら、それが出来ないミラがいつもどれだけ悔しい思いをしているか、それでも誰よりもこの街を愛し、守りたいと思っているか知らないものはここにはいなかった。

 ライサは椅子から立ち上がり、ギュッと眉を寄せたままのミラの方をやさしく抱いた。


「みんな、それぞれ思うところはあるだろうが、軍の態度を変えさせることが出来るのは私達自身の行動だ。 私は西方辺境警備隊の一員であることを誇りに思っているし、なにより、アレクセイ隊長の下で働ける事を幸せに思う。 名前や管轄が変わろうが、私達が守るべきものは変わらないという隊長の意志を引き継いでいくことが、私達が今やらなければならない事じゃないか。」


ライサが部屋を見回すと、あちらこちらから力強い頷きが帰ってきた。 


「俺、顔洗って出直してきます。」


俯いていたケケは、真っ赤になった顔を上げて踵を返すと部屋から駈け出して行った。 たまに、熱くなりすぎる事はあるが悪い青年ではないのだ。 ライサはミラの方からそっと手を外した。


「大丈夫?」

「ええ、ありがとうライサ。 もう大丈夫よ。」

「じゃあ、ミラのいれたおいしい珈琲が飲みたいのだけど。」

「了解。 すぐ入れてくるわ。」


そう言ったミラは、もういつも通りの笑顔を見せた。 彼女がその場を離れてから、ライサはそっと息を吐き出した。 ああはいったものの、このような状況がこの先しばらく続くのかと思うと気が重くなる。 せめて、次に送られてくる隊長が少しでも理解のある人物であることを願うばかりだ。




 ミラの入れてくれた珈琲を飲んでいると、廊下が急に騒がしくなった。 バタンと音を立ててケケとフレイが部屋に駆け込んでくる。


「副長、大変です!」


何事かと、全員の視線が集まる。 一瞬、巡回飛行隊に何かあったのかと思ったが、それならば、裏口から誰かが駆け込んでくるはずだ。 「どうした。」 と言いかけたライサは、フレイの後ろから駆け込んできた小さな人影に目を奪われた。 鍛冶屋の息子のエーリク。 ヤルノより3つ年上のしっかりした子だ。 今は学校に行っているはずなのになぜこんなところにいるのか。 


「おばさんっ、大変、なんだ。 ヤルノがっ。」


走ってきたのだろう、顔を真っ赤にして息も切れ切れのエーリクにライサは駆け寄った。


「ヤルノが、どうかしたの?」

「ヤルノが、つれてかれちゃうよっ。」 


エーリクの前に座り込んだライサも、周りに集まってきた隊員達も、エーリクの言いたい事が理解できずに困惑顔になった。 ライサはケケを見上げた。


「俺も良く分からないのですが、この子がいきなり駆け込んできて。 学校に知らない人達がやって来て、ヤルノを連れて行こうとしていると。」


ようやく事態を理解して、ライサは自分の背中に冷たい汗が流れるのを感じた。 目の前のエーリクを覗き込んで聞いた声が、かすれている。


「どんな、人だった?」

「全然知らない人達。 お屋敷にいる人みたいな服を着た女の人と、黒服の男の人がいっぱい。 都から来たって言っていた。」


一瞬気が遠くなりかける。


「それで、ヤルノは。」

「今、先生達が必死に止めてるよ。 おばさんを呼んできてって。」


無意識のうちにライサは立ちあがった。 都から来た貴族。 黒服は護衛の者たちだろう。 それが誰かは聞かなくても分かった。 ついに見つかってしまったのだ。 なぜ。 なぜ、あの人は自分からすべてを奪ってしまうのだ。 大切なものを全部。


「ライサっ。」


力いっぱい揺さぶられて、はっと我に帰ると、ミラに両手をつかまれていた。


「しっかりして、ライサ。 早く学校へ。」


ミラに手を引っ張られて、2,3歩前に出たライサははっと立ち止まる。


「でも、」


隊長が不在でこのような大事な日に、今、ライサが詰所を離れるわけにはいかない。 だが、立ち止まったライサの背中を力強く前に推したのはケケだった。


「行ってください、副長。 ここは僕たちで何とかなります。 フレイ、お前は隊長に連絡を。」

「分かった。」


いつもケケと言い争いばかりをしているフレイが素直に頷いて、一瞬ライサを見上げた後部屋から駈け出して行く。 


「人手が必要でしょう。 わしらも、すぐに追いかけます。」


横から隊で一番古株のティモがライサの肩に手を置いて言った。 ライサはぐるっと部屋を見渡したが、全員が真剣な顔をしている。 彼らに詳しい事情を話した事は無いのに、誰もライサがヤルノのもとに行くことを疑問に思っている様子は無い。 じわりと、涙が出てきそうになるのをこらえて、ライサは頭を下げた。


「ごめん。お願いします。」


後はもう迷うことなく、ミラを連れてライサは走り出した。 







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