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「なかなか、思うようにいかないものだな。」
「そりゃ、一つの国を変えようとしているのだから、そう簡単にいくはずがないさ。」
ネストリの珍しい愚痴のようなつぶやきに、イェリはグラスに残った酒を一気にあおりながら答えた。 目の前にあるいかにも高級そうなボトルはもう半分ぐらい空になっていたが、そこからまた新しい酒をグラスに惜しげもなくなみなみと注ぐ。 学生の頃はこれを舐めるように飲んだものだが、出世して良くなったのはいい酒に金を惜しまなくて良くなったことぐらいだろうか。 向こうにいるネストリも、火をつければ燃えるような酒を水のように軽々と飲んでいる。 ここにいる全員が酒に関してはザルの様なものなので、飲み始めてから一刻ほどたって、机の上に並んでいるのは空の皿より空の酒瓶の方が断然多かった。
「そういえばフィオは、タンペレまで行ってきたのだっけ。 あっちはどうだった?」
ガズの問いにフィオネルは肩をすくめた。
「まあ、予想通りというところですか。 イェリにはもう報告しましたけれど、軍部への偏見といい、自治への矜持の高さといい、あそこは地方都市の中でも一級品ですね。 東西南北の中でタンペレの西方警備隊を落とすのは間違いなく最難関ですよ。」
監察官という仕事柄、世界中を旅してまわっているフィオネルはいつも彼らの目と耳になってくれる。 立場上軽々と都から離れられない他の4人にとって、彼の忌憚ない外からの情報は何よりも貴重なものだった。
「それだけに、あそこさえ陥落させれば後がやりやすくなるさ。」
ネストリが口の中にほりこんだマンテラの実を、音を立て噛砕いて持ち前の冷酷な笑みを浮かべた。 その容貌と切れすぎる頭脳から「氷の君」とまで呼ばれるネストリは、イェリ達にとっても貴重な作戦参謀だったが、たまにどう見ても悪役の親玉にしか見えない時がある。 いや、自分達が正義の味方や善良な一般市民で無いことも確かなのだが。
「私がききたいのはそんなわかりきった事じゃなくて、小さなヤルノの事よ。」
カナルはそんなネストリを見て鼻を鳴らすと、ドンと机の上に音を立ててエールのジョッキを置いた。 彼女の隣にいたフィオネルは少しあきれたように笑ってから、ゆっくり机の上に肘をつき、組んだ手の上に顎を載せて全員を見回した。
「元気にしていましたよ。 また大きくなって、一段とヤルノに似てきたようです。 そうそう、入学祝もずいぶん喜んでくれていました。 友達もたくさんいるようですし、何より将来は翼竜乗りになりたいと言って頑張って勉強しているようですよ。 」
その場が、何とも言えない穏やかな空気に包まれた。 友人の忘れ形見の話題は、いつも喜びと、少しの悲しみと苦さを彼らの胸の内に呼び起こさせる。 同級生、友人、そして彼らとこの人生をかけた壮大な計画をともにするはずだった大切な仲間が遠くに旅立ってもう7年。 その痛みは、薄れることはあっても消え去ることは無い。
「ただ、ライサさんの方は警備隊再編でずいぶん苦労しているようでしたが。」
続くフィオネルのつぶやきに、イェリは全員の視線が自分に注がれるのを感じた。 だがあえて口を開くことなく、グラスを口に運ぶ。 またカナルが大げさにため息をつくのが聞こえた。
「しかし勿体ないことだな、イェリ。 このなかじゃお前が出世頭だっただのに、今までさんざん苦労して来て、やっとこれから面白くなるっていうときに抜けるなどと、お前は欲っていうものがないのか。 」
「何をいまさら。 俺は自分が一番私利私欲で動いていると思うけどね。」
ネストリの言葉を借りれば「よくこの個性的な面々が、ぐれて道を外れることなく出世したものだ。」ということになるのだろう。 専修校の特進クラス出身とはいえ、同級生全員が今ではそれぞれの分野で重要な地位まで上ってきている。 その中でも、30代前半で3人いる白騎士団副団長の一人となったイェリは、確かに出世頭といってもいい。 だが、なるべく早く駆け上らなければならなかったイェリに対して、他はゆっくりでも着実に地盤固めをする必要があっただけで、自分が彼らより優れているとはイェリは思っていない。 逆に、多少無理をして今の地位を手に入れたイェリが、この先白騎士団に居続けても上にあがれることはまずないだろうが、彼らはこれからも上り続けてやがてこの国を率いる一員になっていくだろう。
「俺がここまできたら抜けるっていうことは前々から言っていただろう。 俺が飛竜隊にいてできることはもうないし、向こうにいた方がお前達の役に立つこともあるだろう。 むしろ、ここまでくるのにこんなに時間がかかるとは思っていなかったぐらいさ。」
「それこそ愚問だな。 国が一朝一夕で動くかよ。」
ネストリがニヤッと笑った。
「ちょっと、みんなグラス出して。」
「おい、何する。」
突然カナルが立ち上がると、全員のグラスに問答無用で手に持ったエールを注ぎ始めた。 不幸にもまだグラスに別の酒が残っていたネストリが彼女を睨みあげるが、ライサはお構いなしに満面の笑顔で自分のジョッキを高く掲げた。
「乾杯しよ。 この国の未来に。」
イェリはあまりのカナルの勢いにあっけにとられていたが、やがて苦笑しながら立ち上がると自分のグラスを差し出した。フィオネルとガズがそれに続き、何やらブチブチといいながらネストリも立ち上がって、5つのグラスが高々と音を立てた。
こうして、この国の未来のために人生をかけようと、杯をかわしてから何年になるのだろう。 やっと今、この国は動き出そうとしている。 ただ、自分は他にやらなければならないことができてしまった。 イェリの仲間達はそれを怒るどころか、当然のように応援してくれる。 感謝してもしきれない。 ここでの自分の役目が終わった今、ここから彼らとは道を違えることになるが、それでも向かう方向は同じだとイェリは信じている。