3.最終兵器、妹登場
「ああ〜もう、なんでいっつもこうなンだよォ!」
首都ネアポリスの宮城での皇太子との定例のお茶会から、竜爪島の領都ジズにあるアルタヴィッラ家の本邸に戻って来て、自室のベッドでジタバタ悶えているのはコスタンツァである。
「まあ、仕方ありませんよ姫」
ベッドの脇に控えたエコーが、頬に手を当てて困ったような表情を浮かべつつも、歳下の女主人を慰めにかかる。
「最近の殿下ときたら、お会いする前から怯えておられるものですから。姫が多少お優しくしたところで何か裏があるのではないかと勘繰られるだけですしねえ」
「チッキショー!なんだよ、アタイが何したってんだよォ!」
何したもなにも、初顔合わせの時点でメンチ切って失禁するほど怯えさせたのはコスタンツァ自身である。
それは海の女として、マフィアの“姐御”として、初対面で舐められたらその後の力関係のほとんどが決まってしまう世界で生きてきたがゆえに、それを防ぐための当然の渡世の挨拶であったのだが。だがそれが当時14歳の未成年の娘にメンチ切られて失禁→失神→気付けされてからの土下座して詫び入れさせられるコンボを食らった、当時17歳成人の皇太子アウレーリオにとってはこれ以上ないトラウマになっていたりするのだが、いまいち彼女はそのことを理解していない。
その時の恐怖が3年も経った今もなお皇太子の心に植え付けられたままなので、まずそれを解消しなくてはならないのだが、彼女にはどうしていいか分からない。
「いっそ、こちらから婚約破棄でも提案しますか」
「なンでだよ!ふざけんな絶対ヤだ!」
「その一言を、どうして殿下に直接仰れないのですか……」
その真っ赤になった顔のまま、それさえ素直に言えればきちんと伝わるだろうに。アウレーリオだって気弱だが愚鈍ではないのだから、ちゃんと本心を伝えればきっと気付いてくれるはずなのに。
「……………………アイツにこんなこと言うくらいなら、死んだ方がマシだ」
天性のツンデレ属性なのに、デレる前のツンの時点でガチに怯えられていて真価が発揮できないコスタンツァ。だからといって他に誰もいない自室でエコー相手に発揮しないで欲しい。
まあエコーはツンデレが大好物なので、澄ました顔の仮面の下で狂喜乱舞しているが。
「とにかく、次こそは殿下に姫の本当のお気持ちをお伝えするのです。まずはそこからですよ!」
「…………だァから、どうやりゃァいいっつうんだよ。もう分っかんねェよアタイはよォ」
(はぁ…………ホント可愛いわぁコスタンツァ様)
そう言ってジタバタと身悶えするコスタンツァを困ったように眺めつつ、内心で堪能するエコーであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「コスタンツァ!今日こそ僕はおみゃ、お前との婚約を破棄するるぅ!」
「せめて噛まずに言えねえのかよ、あァ?」
「ふひぃ!?」
今日も今日とて皇太子アウレーリオが婚約者に対して婚約破棄を仕掛けている。
場所は宮城のテラス、よく晴れた花季の昼下がりに、本日はこちらで陽の光を浴びながらお茶会である。
「さあ114戦目。今度こそ悲願の初勝利なりますでしょうか」
「いつもよりどもりも少ないしほとんど噛みませんし、これはもしや殿下には何かしらの秘策でもおありなのかも知れません」
「早速怯んでるあたり、なかなか厳しいかと思われますが、まずはゲートが開くのを待ちましょう」
ふたりの邪魔をしないように距離を置きつつ、トゥーリオとエコーの実況解説も舌好調だ。
「こっ、きょっ、今日はなあ!ぼぼ僕だけじゃないんだぞ!」
「誰が加勢したって無駄だろうがよ。分かってんのか?アタシとオメェとは政略結婚なんだっつってンだよ!」
コスタンツァは決して馬鹿な娘ではない。自分と皇太子との婚約が、家同士の政略に基づくものであるときちんと理解していた。だからたとえ怯えられようが怖がられようが、この婚約を破棄するつもりも破棄させるつもりもない。
そもそも彼女はエコーの指摘通りに彼が好きだった。だからその意味でも婚約破棄を受け入れるつもりがないのだ。
だが皇太子の横に進み出てきた人物を見て、コスタンツァは驚きに目を見開いた。
「お姉さま、いい加減諦めて下さいな」
「お、オマエ…………!」
そこに現れたのはチェチーリアである。アルタヴィッラ家の三女でコスタンツァの妹、今年13歳になる。
チェチーリアはコスタンツァとは違って邸の中からほとんど出てこない、いわゆる深窓の令嬢であった。彼女はもともと国内の有力貴族か取引先の外国にでも嫁がせるべく、幼い頃からきちんとした令嬢教育を施されていて、おかげで物腰もたおやか言葉遣いも完璧、コスタンツァとは打って変わって淑女らしい淑女であった。
容姿は年齢に見合っていてまだ幼さが残るが、それでも貴族として何恥じるところもない堂々たる立ち居振る舞いで、彼女の横に立つ皇太子もいささかも怯えた様子を見せない。ていうかチェチーリアにまで怯えていたら本当にただの臆病者である。
「ぼっ僕はこのチェチーリアと新たに婚約するっ!だから政略についても心配ない!もうお前みたいな怖い女はウンザリなんだ!」
もし本当にチェチーリアと婚約し結婚することになれば、その怖い怖いコスタンツァが義姉になるのだが、果たしてそこまでアウレーリオが気付いているのかどうか。
「あーっとこれは殿下、初っ端から“最終兵器”を繰り出して参りました。一体いつの間にチェチーリア様と話をつけられたのでしょうか」
「確かチェチーリアさまは最近、首都にお買い物に出かけられましたね。おそらくはその時にこっそり密会なさったものかと」
「おおーっと、それは婚約者がありながら不貞を疑われかねませんが。殿下にしてはなかなか思い切った手を打ってきましたね」
「チェチーリアさまも、常々『都会暮らしをしてみたい』と仰ってましたからねえ。他国に嫁に出されるくらいなら自国の皇太子、という心情は分からなくもありません」
「ちょっとエコー!?何をそこで知ったふうな解説してますの!?」
「おーっとチェチーリア様、この距離でも正確に我らの言葉を聞き分けているようです。姉妹そろってなんという地獄耳!」
「というかアルタヴィッラ家の一男五女は全員耳がいいですよ。耳だけでなく目もいいですから、海に生きる一族としては次世代も安心ですね」
「なるほど。いち早く敵を発見し危険を察知するためには必要な能力、というわけですな」
「ちょっと!?返事なさい!わたくしの声が聞こえないのですか!?」
「それはそうと、先ほどからコスタンツァ様がやけに大人しいような……?」
「………………あ、これはいけませんね」
エコーが黙りこくったまま立ち尽くすコスタンツァに目を向け、頬に手を当てて思案顔になる。つられてトゥーリオもコスタンツァを見、ふたりの顔の向きに気がついてチェチーリアもコスタンツァを見た。
「…………………………あァ、そうかよ」
コスタンツァがボソリと呟いた。
それはあまりに小さくか細い声で、離れているエコーたちはもちろんアウレーリオにさえ聞き取れないほどだった。数歩の距離を隔てて立つ耳のいいチェチーリアが何とか聞き取れた程度である。
「お姉さま?」
普段の荒々し……もとい、活発で快活なコスタンツァらしくもない、どことなく悄然とした雰囲気にチェチーリアが訝しげに声を上げる。だがコスタンツァはそれに返事をするでもなく踵を返す。
「お、おい?」
その期に及んでようやくアウレーリオが異変に気付いた。だが彼にはなんかちょっとおかしいことしか分からない。
「…………邪魔したな」
そしてコスタンツァはポツリとそれだけ言い捨てると、足早にテラスから去って行った。