2.実況のトゥーリオさんと解説のエコーさん
「時に解説のエコーさん」
「なんでしょう、実況のトゥーリオさん」
「現在の皇太子殿下の心情の解説をお願いします」
「いえ、殿下の御心をわたくしのような一介の侍女が畏れ多くも推し量ろうなどと、そのような不敬は致しかねますが」
「では、コスタンツァ様の心境は」
「そちらでしたら、意訳するなら『あ〜皇太子殿下ってば今日もお綺麗で見ていて惚れ惚れしますわねえ。眼福眼福』といったところでしょうか」
「なるほど、よく分かりました」
「コラァ、そこ!なァに勝手なことほざいてやがるッ!」
「ひぃっ!?」
お茶室の壁際で実況と解説を小声で始めた騎士と侍女に、コスタンツァの罵声が浴びせられる。
それに対してなぜか皇太子が怯えているが、いつもの事なので誰も拾わなかった。
「おーっとコスタンツァ様、我らの小声に反応しました。この距離でも聞こえているとは、なんという地獄耳」
「意訳しますと『ちょ、バカ!殿下に聞こえたらどうするの!?そんなこと別に誰も思ってなんかないんだからね!』ですね」
「ほほう、要は図星を指されて焦っておられると。それは何と言いますか、いわゆるひとつのツンデレの気配がしますなあ」
「はい。コスタンツァさまはそれはもう分かりやすいツンデレなので」
「だからウルセェっつってんだろうが!」
「意訳『ちょっと!だから黙っててって言ってるじゃない!』」
「ひぃ!?ぼ、僕は何も!?」
「あーっとここで皇太子殿下、ご自分が言われたと思って涙目に!」
「あァ?オメェじゃねぇから黙ってろ!」
「意訳『何でもありませんわこちらの話ですの。オホホホホ』」
「なるほど、あれはそういう意味ですか。一見して全く分かりませんな」
「しばらくお仕えしていればトゥーリオさんにもお分かりになるかと思いますよ」
「あー私、面倒くさいのはちょっと」
「あら残念。でしたら無理かも知れませんね」
「………………オイ」
目の前から声をかけられ、エコーがそちらを向くと、顔を真っ赤に染めたコスタンツァが立っている。どうやらエコーとトゥーリオの『実況解説』に我慢がならなくなったようだ。
小柄な体躯に、たわわに盛り上がった上半身の双丘。腰回りも非常にふっくらしていて必然的にウエストのくびれが強調されている。いわゆるミニマムグラマーというやつだ。着ているドレスも、それを仕立てるデザイナーがそのあたり心得ているのか、彼女の肢体の魅力を存分に引き立てつつも決して下品ではない、アルタヴィッラ家の家格に相応しい素晴らしいドレスに仕上がっている。そしてそれを、コスタンツァは十二分に着こなしていた。
それに加えて、美しく輝く檸檬色の長い髪と深みのある陽神樹色の瞳は神秘的で、整った顔立ちとも相まって黙っていれば栄えある帝国の皇太子妃、そして皇后として相応しい才媛に見える。
今その彼女は、頬どころか耳まで真っ赤に染まった顔でエコーとトゥーリオを睨みつけていた。
「ああ〜これはまたずいぶんお怒りのご様子で」
「違いますわよ。姫は恥ずかしがっておられるだけです」
エコーによれば、怒りで真っ赤なのではなく羞恥でそうなっているだけだという。
「なっ、ま、ちょバカおま、エコー!」
「指摘されて途端にわたわたするあたり、エコーさんが正解のようですな」
「そりゃあだって、これでも10年もお側仕えしてますからね」
そう言ってエコーは一歩前へ出る。平均的な身長ながらも痩せぎすの彼女は、コスタンツァの前に立つとどうしても見下ろす形になる。彼女の背が高いのではなく、コスタンツァが低いのだ。
「よろしいのですか、姫?」
「な………………、何がだよ」
「愛しの殿下を放って置かれても?」
「なっ、おま、何言って…………!」
「せっかくの殿下とのお茶会なのですから、私どもに構うよりも殿下にお心をお砕きなさいませ」
エコーはそう言ってニッコリと微笑った。
コスタンツァは目を白黒させつつ「あー」とか「うー」とか「おま、この!」とか言いつつも、上手く言語化出来なかったようで、結局はドスドスと足音を響かせながら皇太子の元へ戻って行った。
まあその迫力にまたアウレーリオが怯えていたのだが。
「コスタンツァ様も、あのお言葉遣いさえ改まれば殿下もあそこまで恐れることはないかと思うのですがね」
戻っていくコスタンツァの背を見送りながら、トゥーリオがため息をつく。気性はともかくとして言葉遣いさえ改まれば、殿下は少々のことならお許しになるのに、と。
「あら、コスタンツァさまはあれでもお気を使われて、穏やかなお言葉を選んでおられますのよ」
「え、あれでですか」
実のところコスタンツァは、シュラクサイマフィアを束ねるアルタヴィッラ家の姫として、父ファブリチオに代わって荒くれどもを率いて海に出ることもある娘だった。というか年端もいかない頃から彼女は率先して海の女として陣頭に立ってきていて、だからマフィアたちの間では姫ならぬ“姐御”として通っていた。そんな彼女だったから、普段の口調もマフィアたちの話すスラングたっぷりの海賊言葉だったのだ。
なので、皇太子と会っている時の彼女は、実はこれでも余所行きのお淑やかな言葉遣いである。
「はい、そうですよ。というかあれがいいんですのよコスタンツァさまは」
やや呆れ気味なトゥーリオ。
対してエコーは頬に手を当てうっとりした表情。
しかしこれはその美貌や可愛らしさに見惚れているというよりも…………
「つかぬことを伺いますが」
「はい、なんでしょう」
「その心はその、いわゆる『893の妻たち』的な?」
「まあ!やはりトゥーリオさんはお分かりになるのですね!」
それは、お互いある程度分かっていたことでもあった。そもそも『実況』も『解説』もこの世界では一般的ではない仕事だ。
ついでに言えば『地獄耳』も『ツンデレ』も元はなかった言葉である。『ツンデレ』が広まったのはごく最近で、『地獄耳』に至ってはこのふたりが使ってから彼らの周囲でのみ聞かれる言葉だ。
そして『893の妻たち』、略してヤクつま。任侠映画史に残る人気シリーズで、そんなものを詳しく知っているのは日本人くらいなものだろう。
そう。実はこのふたり、どちらも地球は日本からの転生者である。
「ま、それはそれとして」
「はい」
だがふたりはそこから話に花を咲かせたりはしない。お互いに同郷だと分かればそれ以上言葉は要らないとでも言うように、澄ました顔で実況解説に戻る。
いや戻るのならふたりとも、護衛と侍女の仕事に戻るべきなのだが。
「さっきからコスタンツァ様が黙りこくってますね。一体何があったというのでしょうか」
「ああ、それは意訳するまでもなく、何から話していいか分からなくて困ってるだけですね」
実際、コスタンツァは困っていた。侍女に皇太子の相手をしろと言われて戻ったはいいものの、何を話しても怯えられそうで何も話せない。というかむしろ何を話題にすれば彼が喜ぶのかサッパリ分からない。
結果として彼女は、「あー」とか「うー」とか言いながら身体を揺すったり手を無意味に上げたりして、それで不必要に彼を怯えさせているだけだったりする。
「というかコスタンツァさま、今日のお土産品をお渡しすることさえ忘れてしまってますね」
「え、それ、お教えしなくてよろしいので?」
「はい。ああして困っているのを見るのも私好きなので」
エコーはニコニコしながらとんでもない事を言う。
「それに、いよいよ困ったら私に助けを求めますから、お教えするのはそれからでも遅くありません。だからそれまでは堪能しないと」
すごい、この人趣味のために仕事を疎かにするタイプのダメな人だ。
と、自分のことを棚に上げて内心呆れるトゥーリオである。
「エコー、おいエコー!どうすりゃいいんだどうにかしろオイィ!」
「あー、早くも呼ばれてしまいましたね、残念」
言葉通りに本当に残念そうな表情を浮かべながら、エコーは脇に抱えていた包みを持ち直すと、うっすら涙目になりながら必死で救援要請を発する主人の元へと歩み寄って行った。
それを見送って、本当にこの人ブレないな、と変な意味で感心するトゥーリオであった。