第8話 【魔王サタン】 前編
天界。そこは、神と天使が住む宇宙より広い世界。第一階層から第九階層と分けられてあり、森のような場所、海のような場所、空のような場所など多くの場所が存在する。中でも最も天使が集まる中心地は第一階層である。
第一階層は最も下界に近い層である。地面は雲のような固い不思議な素材だ。太陽は見えないが、不思議と明るい。アイムは、天使の子供を連れ、そんな天界に訪れていた。
「悪魔なのに輪と白い羽根がある……不思議」
悪魔が天界に居れば目立つ為、ゼパルが残した輪と羽根を身に着け、尻尾と牙を引っ込ませた。
「お前さんを天使達に引き渡してやる。良かったな、俺がお前にとって悪い悪魔じゃなくて」
アイムが向かったのは、天使の王とも言える存在が居る場所だ。正確には王というより、まとめ上げる存在である。その存在は神も悪魔も知っている。そして、人間までも知っている有名な存在だ。
「恐縮です。ミカエル様」
「何の用で?」
眩しいほどの金髪、力強い目、銀の鎧と赤いマントを羽織った美しい女性――ミカエル。彼女こそ天使の王である。
「私は下界で仕事をしている者です。昨日、下界に落ちてしまった子供を発見したので連れに参りました。この子の身元確認をお願いします」
「ご苦労。娘、こちらに来なさい、この魔道具で身元確認をしますから」
ミカエルは本を取り出し、子供の手を本で挟む。すると、本には子供の情報が写真や文字として現れる。
「この子……そうか、一般の天使が勝手に落としたから居なかったのか」
アイムは、ミカエルの強張った表情を察した。
「どうかされましたか?」
「この子は魔女の子と邪神天悪の始末を反対した女の子供です。そしてこの子も反対した一人。まぁ、母親と共に三日後に処刑される予定ですが」
「じゃあ、その子は……死ぬのですか?」
「はい。本当にご苦労、助かりましたよ」
アイムは、自分には関係ないことだと割り切り、その場を立ち去ろうとした。しかし、体は真反対な行動をした。気付くと、ミカエルを蹴り飛ばし、天使の子供を奪っていた。
「な、なにを……」
「ハハッ、やっちまった。しゃあない、とことんやるか」
周りを炎で燃やし、天使の子供を連れて下界目掛けて飛行した。当然、追っての天使達が来るが、アイムとの距離はどんどん遠くなる。
「きゃあああ!」
「黙ってろガキ!」
しかし、アイムの胸に矢が一本刺さる。
*
同時期、ジャックは魔界の補佐官サナスと話をしていた。
「アマノ様がアイムを捕らえた後、状況が落ち着いた私達は新たな魔王を決めようとしていました。ですが、そこに一人の堕天使が現れたんです」
堕天使、それは天界から追放された天使。名前の通り堕落した天使である。ゼパルもその一人であった。
「彼女は自身を魔王サタンと名乗りました」
「魔王サタン?それってあのサタン?」
かつて、魔王サタンという大悪魔が何万年も魔界を統べる時代があった。その時代は天使と悪魔が敵対していた時代。魔王サタンは、大天使ミカエルによって退治され、この世から去った。
歴史はそう語っているが、神々や悪魔の中にはまだ生きている説や、裏で魔界を支配している説を信じている者が多く居る。
「けどサタンは男の悪魔、今あんたは『彼女』と言ったよな?」
「はい、私が知る魔王サタンとは違います。名前を名乗っただけの天使です」
「そいつが何かしたの?」
「はい、彼女は悪魔だけじゃなく魔界全てを指揮し始めました。そう、独裁政治と同じです。勿論、悪魔達が受け入れるわけなく、反抗しました。しかし、それも最初だけ……彼女は強く、美しく、気高く、賢く、圧倒的で、反抗した者を返り討ちにし、彼らを許したんです。遠くから見ていた私には分かったのです。反抗していた者すらを虜にするカリスマ性、恐怖とは別の恐ろしさがありました。そして、僅か数週間で魔界を豊かな世界に変えたのです」
ジャックは、どこに問題があるか分からなかった。天使が魔界を指揮することなのか、独裁政治がダメなのか、何に困っているか話が見えなかった。
「何が問題なのか良くわからない」
「問題は彼女が心に抱いている野望です。これは恐らく私しか知りませんが、彼女は天使と神を滅亡させる気なんです。勿論我々悪魔を巻き込んでのこと……つまり戦争を起こす気なんです」
「戦争が起きれば悪魔達の平和はないから、そうなる前にサタンを倒してくれと言うんだな?」
「はい」
「やっと話が分かった。アマノ、この依頼受けるの?」
隣で椅子に座っていたアマノは、コクッと首を縦に振った。受ける気満々だ。
「受ける。平和条約はどちらかが危険に晒された時、もう一方が助ける。やるしかないわ」
「ありがとうございます。ですが問題があります」
「何?」
「今の魔界、特に悪魔達が住む中心地帯は出入りが厳しいのです。アマノ様ではすぐにバレてしまう可能性が……」
「なら作戦がある……ジャックが悪魔として潜入する。ジャックなら悪魔の羽根があるし、多少の変装で悪魔になりきれるわ」
サナスは顔を引きつり、心配そうにジャックを横目で見る。しかし、ジャックの表情に迷いや恐怖はない。
*
「ここは……確か天界から下界に逃げてて……」
アイムが目を覚ますと、ベットの上に居た。窓から外を見てみると、天界や魔界ではないことが分かった。人間界、つまり下界だ。おまけに、羽根に刺さった矢はなくなっており、傷の手当てがされてる。
「起きましたか?」
「誰だあんた?」
目の前に現れたのは、見るからに優しそうな若い男性だった。見た目も匂いも雰囲気も全て人間だが、どこか違和感がある。
「私のことはカイとお呼びください。貴方はアイムさんですよね?連れの子供から聞きましたよ」
アイムは、違和感の正体に気付く。それは、人間であるカイが、悪魔であるアイムのことが見えていることだ。それどころか、天使の子供も見えている発言をした。
羽根を出したままのアイムは、ゆっくりと羽根を引っ込めた。
「俺の背中……見たか?」
「羽根、ですよね?そういうの見える体質なんです」
何者なのか?その考えが過ぎる。生まれつき幽霊が見える人間が居るように、生まれつき悪魔や天使が見える者なのか……思考が止まない。
「子供は無事か?」
「はい、怪我一つないです」
部屋のドアが開くと、天使の子供がチラッと顔を見せた。
「起きました?」
「起きたよ」
「なんでアイム様は私を助けたの?」
「アイム様?えっ、理由、理由はない」
子供は涙を浮かべる程、感謝の意を表した。
「アイム様が矢で撃たれた後、あの人が助けてくれたの」
「カイさんだろ?」
「違う。カイさんの所まで連れて来た神が居るの」
「神だと?」
すると、再びドアが開く。
「やあ!目覚めのアイム!」
そこには、もう見ないと思っていた神が居た。
「デモ、お前なんで生きて……」
そこに居たのは、死んだはずのデモ.ゴルゴンだった。
*
厳重な警備と設備で守られている現魔界。サナスは、その魔界にある、最も発展した中心地帯に戻っていた。
「お帰りなさいませ補佐官殿、そちらの子供は?」
サナスは、悪魔の子供を連れて戻った。悪魔の子供と言っても、ジャックが変装した姿に過ぎない。
「魔界で迷子になっていた子だ。疲れ切っている……早く休ませたい」
「分かりました」
悪魔が住む街は、サナスの言う通り発展していた。赤い月が落ちた夜だというのに、灯りで眩しい。おまけに、祭りでもあるのかと思うくらい悪魔達は賑わっており、魔王の住む『魔境の屋敷』は改装され、大きく立派になっていた。
「今です。行ってください」
「ありがと」
悪魔の人込みに紛れた瞬間を狙い、ジャックはサナスと離れた。そして、人込みをかき分けて魔境の屋敷に向かう。
「門番が居るのは当然か……」
屋敷に入って行く悪魔を見ながら、侵入する方法を考える。屋敷に入る時、悪魔達は必ず身分証のような物を見せる。ジャックには身分証なんて物、当然持っていない。
「新しい魔法を使えば侵入出来るかもしれない。いや、して見せる。闇魔法、ネロ.スキア」
ジャックは、入口に入ろうとした悪魔の影を慎重に踏む。すると、影は水のようになり、ジャックの体は溶けるように沈んだ。
「あ?今……気のせいか」
悪魔が背後を振り向くと、ジャックの姿はなくなっていた。影も普通の立派な影だ。
「身分証を確認します」
その悪魔は、身分証を門番に確認させ、屋敷に入った。屋敷は広々としており、一階では何かの集まりがあった。悪魔は、その集会に参加しようとしているようだ。
「あ?また気のせいか」
悪魔の影から出て来たジャックは、黒いマントを羽織って六階に繋がるエレベーターに乗った。
「ネロ.スキア、影を操る魔法の初期魔法。他者の影に潜む魔法……特訓しといて良かった」
六階に着き、エレベーターのドアが開く。周りを確認して魔王の居る部屋まで辿り着く。そして、ドアの隙間に目を通そうと、ゆっくりとドアに手を置く。
しかし、突然ドアが開き、ジャックは前に手をついて倒れてしまう。
「何をしている?」
「すみません!私その――」
ジャックは、ごまかそうと反射的に悪魔の子供を演じるが、目の前に居る女性を見て言葉と表情を失った。白い羽根、美しい姿、綺麗な肌、黒い髪、宝石のような紫色の瞳、上から見下ろすその女性が魔王だという確信より、真っ先に懐かしさを得た。
「……母さん?」
女性は、今は亡きジャックの母親にそっくりだった。