第45話【神の悪戯】
幸せなひと時が地獄に染まる。ジャックにとって、それは二度目のことだった。一度目は母親との日々が崩れ去った少し前の記憶。二度目が今だ。
クルーニャにサタンの死体が操られているのが心底腹立たしい。死んで尚、命を弄ばれているような気がして、痛いくらい苦しくなる。
「クルーニャ、てめえ……」
サタンに首を掴まれているジャックは、一切魔力を出すことが出来ず、無力な人間となっている。そんな赤子同然のジャックに、邪神クルーニャの魔の手が伸びる。
「綺麗な瞳だ……お前の桃色の瞳を見ていると……死んだ友達を思い出すよ」
クルーニャは、冷たい指でジャックの瞳を触り、撫でるように瞳の奥まで触る。瞼を指で押し出し、目玉が取れてしまうのではないかと思うくらい眼球が出る。
「まさか……」
「注射したことあるか?下手な看護師は痛みを伴うが、上手い看護師程痛くないんだ。勿論、俺は上手い看護師だ」
ジャックの嫌な予感は的中する。クルーニャの手によって、木の実を取るかのように素早く眼球が抜き取られた。神経が切れる音と同時に、目の穴から血がドクドクと流れ落ちる。
「あああああぁぁぁ!!!」
じんわり広がったのは、激痛を超えた痛みだった。最初に鋭い痛みが走り、じわじわと血の感覚が走る。
「もう一つあるな。これも貰う」
容赦なく第二の痛みが走った。両目に走る痛みが、全身を縛っているようにも感じる。痛みだけならまだしも、先程まであった景色が見えなくなって、暗闇しか見えない。その暗闇は真っ暗という訳ではなく、少しずつ動いてて、形のない悪魔達が嘲笑っている感じの闇だ。
「ああああああああああぁぁぁ!!!」
悶絶の中、クルーニャの冷たい手がジャックの顔をがっちり掴んだ。何も見えないジャックからしたら、その手は悪魔の手と大して変わらない。
「俺の友達はよく言ってた。諦めるなって。けど俺は諦めることも必要だと思うんだ。今のお前のような状況なら得に……。なあジャック、命乞いをしてみろ。助けて神様、僕が全て悪いのです……その言葉をお前から聞いたなら、目も返すし、これ以上何もしないと約束する。さあ、言ってごらん」
悪魔に囁かれた人間の気持ちになった。だが、怒りと憎しみで煮えくり返っているジャックは、一切耳に入らない。プライドの高いジャックは、当然これを断った。
「愛すること諦めた子供……自分より幼い子供を虐めて勝ち誇ればいい。俺は諦めないから」
ジャックの嘲笑うような笑いは、クルーニャの表情を和らげた。悔しそうにするどころか、どこか嬉しそうにも見える。
「俺の友達はある犯罪組織に拉致された。仲間の復讐だの言って酷い拷問を受けた。青年によって凌辱もされた。そのこともあって、俺も男が嫌いなんだ。仲間だよ、ジャック。だから、お前が友達と同じことされそうになった時、助けてあげたんだよ」
ジャックは最初、優しく囁くクルーニャの言っている意味が分からなかった。でも、すぐに心当たりがあることを思い出し、痛みを忘れたかのように表情を見せた。
「まさかあの時……。あの男が蹲ったのは……」
ジャックが思い出していたのは、アマノと出会う前の記憶だ。ジャックを虐待していた男に犯されそうになった時、男が股間を抑えて蹲った奇跡のような瞬間のことを。
「俺だ。その後アマノの住む森にたどり着かせたのも俺だ」
「なぜ!なっ、何でそんなこと……俺をこの世界に引き入れるような真似をした?」
「蟻の巣に物を詰める感覚かな。あるいは蝶を捕まえて蜘蛛の巣に引っ掛ける感じ」
「意味が分からない……分かるように言え」
「意味はないってことだ。たまたまその状況を見ていて、あの男が俺の感に触り、お前をアマノと出会わせたくなった。全部神の悪戯なんだよ。孤独な神と孤独な人間を出会わせたのは俺……ちょっと悔しいか?アマノとの出会いが運命の出会いとでも思ったか?」
ジャックは表情と言葉を失っていた。一瞬にして、痛みと憎悪が吹き飛び、あまりのショックに心が無になる。
「何だ……そうだったのかよ……お前が俺とアマノを……」
「……?」
「ありがとう、クルーニャ」
ジャックは泣きながら満面の笑みを見せた。目の無い穴から血が涙のように流れ折ち、顔が汚れる程泣いた。泣いてはいるが、その笑顔は紛れもなく本物の笑顔で、幼い少年が見せる表情にしては、余りにも狂気的に見える。
「どういたしまして」
「けど許さないから……サタンを殺したことだけは絶対に許さないから……今だけ浮かれてろ」
笑いながらいうジャックは、既に壊れているのかもしれない。あらゆる情報と感情が短期間で渦巻いた為、幼い少年の身と心を蝕むのは必然的だ。
「お前さんは可愛いな。少年にしては汚れてしまっているが、その笑顔は紛れもなく純粋な少年の物だもの。一生そうであって欲しいよ」
クルーニャは疲れた表情を浮かべ、優しい言葉を淡々と吐いてジャックを軽く抱き締めた。同時に、ジャックの股間に鋭い痛みが走る。
「大人になるなよ。ジャック」
「あっ……ああああぁぁ……」
地面に落ちたのは、ジャックの小さなイチモツだ。股間からは大量の血が流れ落ちるが、クルーニャはそれを丁寧に手当していく。
「ああ、可愛いジャック。これからもよろしく。今回はお前の負けだが、次は勝てるよう努力しろよ。諦めるな」
クルーニャの言葉は全てふわふわしてて、ジャックの知らないクルーニャが自分を包んでいるようだ。その時、不思議と苦しくはなく、心が温かいお湯に浸かっているような感覚すらあった。
クルーニャは、ボロボロになったジャックをその場に寝かせ、サタンを手元に引き寄せる。
「何してるの?」
その時、ジャックの聞きなれた声が聞こえた。クルーニャは、ゆっくりと横に立っている声の持ち主を視認する。声の持ち主――アマノは、青ざめた様子でこちらを見ており、少し困惑している。
「クルーニャ、なぜ貴方がジャックと……ジャックに何をしたの?」
「魔法を掛けた。魔法の使えない俺が唯一使える、魔力を使わない素敵な魔法を」
クルーニャはそう言って、サタンの死体を抱えたままゆっくりとその場を去った。アマノはそれを追わなかった。追っても無駄だと分かっていたし、直感がクルーニャを追うことを拒んでいたからだ。
「ジャック!」
ジャックの悲惨な姿を見て、アマノは唖然とする。目がないから治癒することも出来ないし、手当したところで見えないままだ。
「……?」
「もう大丈夫、私のこと見える?」
しかし、ジャックは不思議と目を開けれた。視界に広がるのは、さっき見ていた景色と、こちらを覗き込むアマノの姿だ。当然、なぜ見えるか疑問に思ったが、アマノの顔を見て瞬時に理解した。
「アマノ……目が……」
アマノの瞑っている片目から血が流れ落ちていた。残った左目は、綺麗に綺麗に笑っている。
「良かった。見えてるわね」
「アマノ……ご、ごめんなさい。こんなことになるなら、最初から行き場所を教えておくべきだった」
「何が……あったの?」
ジャックは涙を堪えたまま、この数時間で何があったか全て話した。サタンがもうこの世に居ないこと、クルーニャが行った邪悪な行為、自分とアマノが出会えた本当の理由、全てを離した。アマノからしたら、記憶を見れば済むことだが、それを敢えてジャックの口から聞いた。
「サタンには温泉で出会ったわ。だから、ほんと……残念」
話を聞いたアマノは、ジャックにかける言葉を失っていた。どんな表情で、どんな風に接していいのか分からない。複雑な心境だ。
「アマノ……悔しい。身勝手にサタンを殺されたことも、クルーニャに歯が立たなかったことも……何もかも悔しい」
歯を食いしばって涙を流すジャックを、アマノが無言で包み込む。そこに言葉はないが、ジャックの悔しさを受け止めるような優しい何かがある。
*
数日後、天界と魔界を繋ぐ扉が作られた。それは、神と天使と悪魔が正式に平和条約を結んだことを意味する。過去の戦争のこともあり、今までお互い興味を持たない関係だった。
それを変えたのはアマノという女神の存在だ。アマノは悪魔達と個人で平和条約を結んでいた為、神と天使と悪魔の一時的な協力関係をスサノオを通じて提案した。
当然、ゼウス辺りが反対したが、奇石団へ対抗する戦力不足が深刻化していた為、半ば仕方なくその提案を採用した。
「アマノ様には敵いませんなぁ」
「ありがとうサナスさん」
「決めたのはあくまで魔王様ですよ。儂は何も……」
天界と魔界を繋ぐ扉が開かれたその日、天界第一階層で大きな祭りが開かれた。友好関係を築くのに必要なことではあるが、皆そんなことを忘れているかのように祭りを楽しんでいる。
そう、誰も彼もが楽しんでる。
「……」
アマノとジャックもそうだ。二人共、広場の中央でクレープを食べて穏やかにしている。
そんな二人を遠くから見てるのは、ハット帽を深く被って突っ立てるクルーニャだ。人混みの中、黄昏た様子で一人映画を見るような目で二人を眺めてる。
「さて、どんなエンディングにしようか」
クルーニャは、目線にある二人の首元に手を伸ばし、それを掴むように手をグッと握る。それもまるで、掴めない物を掴もうとしてる子供のように。
「ッ?」
「どうしたの?ジャック」
ジャックが何かに気付いたようにそちらを見たが、そこにはもうクルーニャの姿はなかった。あるのは、祭りを楽しむ民主の姿だけ。
「照れちゃう!」
ジャックの目線の方向からポム吉が突然現れ、ジャックの手元に飛び込んで来た。
「わっ!何だお前か」
ジャックはそう言ってポム吉を叩く。ポム吉はそのままポンッと跳ね、アマノとジャックの間に座った。
「僕のクレープは?」
「そんな美味しいオヤツがあると思うのか?お前のようなクマに」
ジャックは、そう言ってポムを睨むように見下ろす。
「そんな!?しょんなしょんなしょんな!」
ポム吉は、手足をばたつかせて騒がしい。ガッカリしてるどころか何だか嬉しそうにすら見える。
「あるよ」
だが、ジャックが隠していたクレープをポム吉に渡した。
「やった!ありがとジャック!」
「フフッ」
アマノは、そんな二人を微笑ましそうに見ている。
「あっ」
だが、ポム吉はクレープを持った瞬間、クレープの重りに耐えきれなくなって椅子から転げ落ちる。更に、そこに通りかかったカラスがクレープだけを持って行って空へと消えた。
「しょんなーー!」




