第20話【奇石団】
夢を見ていた。
それは現実と夢の狭間にいるような、不思議な感覚だった。
遠い記憶のはずなのに、まるで今この瞬間に起きている出来事のように、匂いや痛みまで鮮明に感じられる。
周囲では、天使や悪魔が血を流して倒れていた。
誰かの命が、また一つ、ゴミのように朽ちていく。
神々も、人々も、天使も、悪魔も――それを『戦争』と呼んでいた。
「くそっ!さっきのマモンとかいう奴と離れた!助けてもらった借りを返してねぇのに!」
魔法が飛び交う戦場を、アイムは片腕を押さえながら飛び回っていた。
折れた腕はまともに動かせない。飛来する魔法を避けながら、天使達の視界から逃れるように濃い煙の中へ飛び込む。
「んっ!?」
煙の中に入った瞬間だった。
背後から何者かに口と身体を押さえ込まれ、首元に冷たいナイフを突き付けられる。
折れた腕では、背後の相手に抵抗することも難しい。
「腕、折れてるんでしょ?」
耳元で、女の声がした。
「んんっ!」
「貴方も思ってるんでしょ?もう逃げ出したい。この戦争で殺されてたまるかって」
アイムの身体が僅かに止まる。
「私も同じことを思ってる」
声には妙な落ち着きがあった。
殺気はある。それなのに、どこか理性的だ。
アイムは、その声だけで理解した。
こいつは馬鹿じゃない。
むしろ、かなり頭が切れる。
「このまま下界に逃げない?」
女はナイフを首元から離さないまま、淡々と続ける。
「私達、戦ってるフリをするの。揉み合いながら下界への扉に入れば、誰も私達なんて気にしない。この状況で他人に目を向ける余裕なんてないから……絶対に成功する」
アイムは一瞬だけ迷った。
脳裏に浮かんだのは、先ほど自分を助けてくれた男――マモンだった。
だが、それも一瞬だった。
アイムは、首を縦に振った。
「流石。貴方は物分かりのいい男だと思ってた」
女は嬉しそうに笑うと、アイムの首を強く締め上げる。
「ぐっ……!」
アイムも抵抗するふりをしながら、震える手で下界への扉を作った。
そして二人は、そのまま揉み合うように扉へ飛び込む。
「ぶはぁ!?」
下界へ転移した瞬間、扉が消えた。
同時に女の手も離れる。
アイムは激しく咳き込み、過呼吸になりながら近くの木へ身体を預けた。
「助かった……あんた、名前は?」
「ゼパル」
女は、乱れた髪を整えながら答える。
「今日から堕天使ね」
天使――ゼパル。
可愛らしい顔立ちをしている。
それでいて、どこか大人びた雰囲気もあった。
そんなゼパルを見ていると、アイムの張り詰めていた心まで、少しずつ少年の頃に戻っていくような気がした。
「何で、俺を助けた?」
「イケメンだったから」
ゼパルは悪戯っぽく笑う。
「……あと、必死に逃げてて可哀想だったから」
冗談なのか本気なのか分からない。
それでも、アイムはなぜか怒る気になれなかった。
「俺はアイム。お前、これからどうするんだ?」
「考えてない。貴方は?」
ゼパルに聞かれ、アイムは少しだけ考え込む。
やがて、顔を上げた。
「強くなる」
「つまり?」
「人間と契約して、魂を喰う」
当時は、まだ悪魔と人間の契約が規制されていなかった。そのため、アイムには人間の魂を喰らい、力を得るという選択肢があった。
「けど、強い執念と精神力がないと、食べ過ぎで身が持たないんでしょ?」
ゼパルは少し心配そうに眉を下げる。
「そこまでリスクを負って強くなりたいの?戦争から逃げたばかりなのに」
「ああ」
アイムは迷わなかった。
「強くなりたい」
ゼパルは、そんなアイムをじっと見つめる。
「アイムちゃんは、何が目的?」
「アイムちゃっ……!?」
アイムの眉がピクリと動く。
「強くなった先に、何をするの?」
「……まぁいい」
怒るのも面倒になったのか、アイムはため息を吐いた。
「強くなって魔王になる。俺が魔王になれば、魔界や悪魔達の生活をもっと良くできる」
その言葉には、強い意志があった。
だが――。
「それ、冗談?」
ゼパルが真っ直ぐに見つめる。
「自分が魔王になりたいだけじゃないの?」
「……」
アイムは少し黙った。
そして、あっさりと肩を竦める。
「……冗談。私利私欲のために魔王になりたいだけだ」
その表情は、妙に清々しかった。
ゼパルも呆れたように笑う。
「そう。なら私も手伝う」
「何で?」
「行く先ないし。それに、これからアイムちゃんがどれだけ強くなれるのか気になる」
「足引っ張るなよ」
「はーい!」
こうして二人は、行く当てもなく歩き始めた。
しかし――。
戦争が終わってから、世界は変わった。
悪魔と人間の契約は禁止された。
アイムが人間の魂を喰らうことも、許されなくなった。
「クソっ……」
歩きながら、アイムは苛立たしげに拳を握る。
「一般の悪魔から魔王を凌ぐ強さが現れるのを恐れて、契約を禁止しやがった」
「確かに、一つの魂でも結構魔力が増えたり、身体能力が上がったりするもんね」
ゼパルは羨ましそうに呟く。
「悪魔はいいなぁ~」
「リスクがあること忘れてないか?」
「で?どうするの?普通に努力して強くなるの?」
アイムは足を止める。
その顔から、いつもの余裕が消えていた。
「バカ」
低い声だった。
「魔王だけは、これまで通り人間の魂を喰らうだろうよ」
ゼパルも黙ってアイムを見る。
「そうなれば力の差は開く一方だ。現魔王さえ死ねば、一時的に呪いから解放される。そうすりゃ、下界にいて死んだことになってる俺は、また契約ができる」
そこまで話したところで、二人は初めて気づいた。
行き止まりだ。
道そのものが、完全に閉ざされていた。
アイムにとって、それはかなりの絶望だった。
「じゃあ……魔王、殺す?」
「俺らじゃ無理だ」
即答だった。
「誰か雇ったところで、魔王を暗殺できる奴なんて数えるほどしかいねぇよ」
「私の知り合いに、とっても強い神がいるよ」
「へぇ……」
アイムは半信半疑のまま、ゼパルを見る。
「それはどこの最高神だ?それとも主神か?名前は?」
「デモ.ゴルゴン」
「……」
アイムの顔が固まった。
「知らない。無名神じゃねぇか」
「けど、主神の誰よりも強いよ」
ゼパルの表情には、一切の冗談がなかった。
「デモちゃんなら、暗殺じゃなくても魔王を倒せる」
「お前、そういうつまんない冗談言う奴だったけ――」
アイムはため息を吐きながらゼパルを見る。
そこで言葉が止まった。
ゼパルの瞳は、真っ直ぐだった。
ふざけているようには見えない。
「……わ、分かった」
アイムは少しだけ目を逸らす。
「会いに行ってみよう」
■夢から覚めて
――そして現在。
アイム本人は、遠い遠い過去の夢を見たことなど覚えていなかった。
目を覚ました瞬間、脳裏に蘇ったのはデモのことだった。
死体を見たわけではない。
死んだと確定したわけでもない。
それでも、アイムには分かった。
デモは死んだ。胸の奥が痛む。
本来なら、涙が出てもおかしくない。
だが、アイムの顔に悲しみはなかった。
そこにあったのは、むしろ燃え上がるような闘志だった。
「アイム様、起きたー!」
部屋に入ってきたルゼが、嬉しそうに声を上げる。
「おはよう」
「ねぇ、デモ君はいつ帰ってくるか分かった?」
「あぁ」
アイムは静かに答える。
「帰ってこねぇよ」
「えっ?」
ルゼの手から食器が滑り落ちる。
床に落ちる寸前、アイムが羽根を伸ばして受け止めた。
しかし、ルゼはそれどころではなかった。
「……それって?」
「あいつ、女の所に行った」
アイムは目を逸らす。
「だから帰って来ない」
「何か……デモ君の様子が変だと思ったら、夜逃げする前日だったからなんだ……」
「泣くな」
アイムはルゼの頭に手を置く。
「探し出して、ボコボコにしてやろうぜ」
「……うん」
ルゼは涙を拭いながら頷いた。
アイムは嘘をついた。
だが、アイム自身は嘘をついたつもりなどなかった。
自分の中では、それが紛れもない事実だった。
■神界・主神会議
アマノを見送ったロキは、再び会議の場へ戻っていた。
「ありゃ、まだ会議してたの?」
扉を開けたロキが、面倒そうに辺りを見渡す。
「もっと遅く来れば良かった」
「もう終わるところだ」
ゼウスは呆れたようにロキを見る。
「お前って奴は、絶妙なタイミングで来やがる」
そして、ふと眉をひそめた。
「なぜ天使を連れて来た?側近でも一階で待たせる約束だったろ」
「天使?」
ロキは不思議そうに首を傾げた。
「何のこと――」
その瞬間だった。
背後から、何かがロキの胸を貫いた。
「……!?」
白い仮面とマントを身に付けた天使が二人。
姿からは性別も年齢も分からない。
ただ、背中から伸びる白い羽根だけが、彼らが天使であることを示していた。
「ロキ!?」
主神達が一斉に神器を投げつける。
しかし、二人の天使は瞬時に扉の影へ身を滑り込ませた。ゼウスは倒れたロキへ駆け寄る。
「ロキ、大丈夫か!?」
だが――。
ロキの身体が、光の粒へ変わっていく。
「ミラー分身」
声がした。
次の瞬間、ロキはゼウスの背後に何事もなかったかのように立っていた。
「ギリ避けられたけど、結構強い天使だよ」
主神達は一瞬だけ安堵する。
だが、その直後。
「……いつの間に!?」
アヌビスが声を上げる。
誰も気づかないうちに、一人の男がテーブルの上に座っていた。
男は、白と金の石の欠片を手にしている。
シヴァとアヌビスが同時に神器を振るった。
男は欠片を盾のように構え、二人の攻撃を真正面から受け止めた。
「これは凄い」
男は欠片を眺めながら、口元を吊り上げる。
「主神をも凌駕する力と魔力が秘められてる」
「その欠片を置け」
ゼウスが睨み付ける。
「そうすれば命だけは助けてやる」
「おいおい」
男は鼻で笑った。
そして、ゆっくりと背中の羽根を広げる。
「自分の命の方が危ないってこと……分からないのか?」
「何だと?」
「今、欠片を持ってるのは俺だ」
男は欠片を軽く掲げる。
「こいつは持ってるだけで力を与えてくれる。しかも、あんたら主神共は昨日の戦いで疲労が残ってる」
男の視線が、傷の残る主神達を順番に通り過ぎる。
「こっちは三人。どう考えても不利なのは、あんたらだと思うぜ」
「調子に乗るな」
ゼウスは一歩前に出る。
「これでやっと同等と言ったところだ」
「どっちでもいいさ」
男は肩を竦めた。
「俺達はこれから、この欠片を集めて神々を滅ぼす」
その言葉に、主神達の表情が険しくなる。
「それまで、せいぜい呑気に暮らしてな」
「魔法が使えないこの状況で、ここから逃げられるとでも?」
「逃げられなかったら、わざわざ顔を出さないさ」
男はそう言って、テーブルからゆっくりと降りる。
その動作一つ一つに、余裕があった。
「欲しい物は全部手に入れる」
男の口元が歪む。
「金、地位、権力、力、愛――そして、神のいない世界」
その目には、長年積み重ねてきた憎悪が宿っていた。
「俺は、お前ら神々が嫌いでな」
男は欠片を握り締める。
「ずーっとチャンスを待っていた」
そして――。
「デモ.ゴルゴンが欠片を残したと知った時、俺は思ったね」
嬉しそうに笑う。
「これは、デモ.ゴルゴンが俺に与えた力だって」
「図々しい考えだな」
「お前ら神ほどじゃない」
男は即答した。ゼウスの眉が僅かに動く。
「結局、私利私欲の塊ということか」
「そうだ」
男は胸を張った。
「俺は強欲の悪魔、マモン」
そして、二人の天使を指差す。
「俺達はこの欠片を集めて、希石に戻す。そして、それを俺の物にする」
マモンは楽しそうに笑った。
「俺達のことは……そうだな」
少し考える素振りを見せてから、指を鳴らす。
「『希石団』とでも呼んでくれればいい」
マモンが背を向ける。
「世間に広めとけよ」
当然のように、神々が動いた。
「逃がすか!」
神器がマモンの首へ迫る。
だが――。
二人の天使が割り込み、神器を受け止めた。
次の瞬間、主神達の身体がまとめて吹き飛ぶ。
「あの天使達……」
ゼウスが立ち上がる。
「傷を負っているとはいえ、我々を蹴り飛ばすとは……」
「マモンとか言ったな?」
ゼウスは睨み付ける。
「余裕こいて逃げようとしても無駄だ。ここは魔法の使えない場所。お前が逃げた瞬間、後ろから叩き潰す」
「お前にとって、魔法が使えない状況は絶望らしいな」
マモンは振り返る。
「でも、俺達にとっては違う」
その瞬間、天井が激しく揺れた。
「……何だ!?」
轟音。
次の瞬間、天井を突き破るようにして大量の水が流れ込んできた。
津波そのものだった。
建物の外から押し寄せた水が、地下施設を一瞬で飲み込んでいく。
「ぐっ……!」
「水だと!?」
主神達が水に呑まれる。
マモンと二人の天使は、まるで最初からこの状況を知っていたかのように、水の流れに身を任せて上空へ浮かび上がっていく。
そのさらに上。
姿を隠している、もう一人の存在がいた。
――この水を操った者だ。
「さらばだ、バカ神」
マモンは水に揉まれる神々を見下ろし、愉快そうに笑う。
「俺達、希石団とその団長マモンを警戒して、これから怯えて暮らすがいい」
やがてマモン達の姿は、水煙の向こうへ消えていった。
その顔に浮かんでいたのは、勝利の喜びではない。
これから始まる争いへの、期待だった。
「フン……」
最後にマモンは、流されながらも立ち上がろうとする主神達を見下ろした。
「流石、主神と言ったところだ」
そして、手の中の希石を握り締める。
「だが――欠片が現れた今、その強さも意味を持たなくなるだろうよ」




