第59話【ラース対クルーニャ】前編
綺麗な桜の木の下、一人の神が髪を靡かせていた。その神はまだ少年で、黒い髪と中性的な顔をしている。
少年は桜の木の上に居る猫を見て、少し困ったように木に登り、猫を助けようと手を伸ばした。だが、猫は少年の肩に止まり、そこから羽根を広げて空へと飛んで行った。
「なんだ。羽根猫か」
少年は安心したように微笑みを見せるが、枝が折れて木から落ちてしまう。
「ててっ……」
「お前も飛べばよかろう」
少年に手を伸ばしたのは、白髪の少年だ。二人は目を合わせ、手を取り合う。
「俺は飛べないんだ」
「何かの冗談か?」
「俺には魔力はない。当然、魔法も使えない」
「どうりで。妙な気配だと思った」
「あんた、名前は?」
「ゼウス。今年入学の一年だ」
「クルーニャだ。これからよろしく」
少年達はまだ知らない。これから何兆何億生きていく二人は、全く別の人生を歩んでいくことを。
一人は英雄と呼ばれ主神の地位まで上り詰め、もう一人は闇の世界で自由奔放に生きていく。
*
ゼウスは拘束された状態でラースとクルーニャの戦いを見ていた。
(一年前、ジャックからお前の話を聞いた時は驚いたよ。儂らが18の頃、友を失ったあの事件を機にお前は姿を消した。そして、闇の世界で名の知れた邪神となった。何にも縛られず法を犯し、猫のように自由奔放に生き、自分の娯楽に他者を巻き込む程の悪党へと堕ちた。同じ主神を目指した儂とお前がまさかこんな形で再開するとはな)
ゼウスは何だか感傷的な気分になっていた。クルーニャは決して表世界に姿を出さない神出鬼没の存在。だからこそ、出会ったのが本当に久々だったのだ。決して嬉しくなかったが、懐かしい気持ちになったのは間違いない。
「がはっ!」
クルーニャがラースの胸を突き刺している。勝負が見えたかのようにも見える。だが、この場に居る全員が終わらないことを分かっている。
(この距離はまずい。奴の手に触れてはならない)
クルーニャが首元に手を伸ばした瞬間、クルーニャは磁力魔法で吹き飛ばされる。そして、ラースが何事もなかったように立ち上がり、口周りの血を拭った。
「傷口は磁力魔法で塞いでいるな。だが、それを維持するのは疲れるだろ?」
「短期決戦だ。決着を付けようぞ」
「ケッケッケ……お望み通り」
クルーニャが再びマントに隠れようとする。だが、ラースが投げた投げナイフがそのマントをクルーニャから奪った。
「なっ!」
ゼウスが表情を変えた。
それは、今まで距離を取って戦っていたラースが自ら動き、クルーニャの方へ走ったからだ。
「その距離はクルーニャが優位。敢えてそこで戦うつもりか」
ラースは飛び道具を警戒し、死角に入りながら城の壁を走る。その移動速度は、目では追えない程早い。
「奴め。自身と進む方向にある壁に磁力を付与させ、移動速度を上げてるな。近距離も自分の得意だと言いたそうだな」
クルーニャは迂闊に動けなかった。城の中心で、周りを駆け回るラースを目で捉えることは出来ない。だからこそ、魔力探知と攻撃を仕掛ける一瞬に集中している。
「ッ!」
クルーニャの体が浮いた。それは、クルーニャ自身に磁力が付与されたことを意味する。
「がはっ!」
しかし、対応は出来ない。磁力付与とほぼ同時にラースがクルーニャの真横を通り過ぎ、攻撃を当てた。
「俺に触れられるのを警戒してヒットアンドアウェイを繰り返す気だ。早すぎる余り命中率は低いが、このままでは後二三回で仕留められるな」
ラースの作戦は完璧だ。魔法の使えないクルーニャには極端に戦う手段がない。メタトロンのような物理攻撃無効や転移は使えない。ラースにとって触れられなければ勝てる相手なのだ。
「神器……魔標線」
クルーニャが取り出した神器は、ジャックが使うワイヤーの神器だ。だが、そのワイヤーの両端には小さな鉄球が付いている。
(あの神器で私を拘束する気か?何を企んでるか定かではないが、結果は同じことよ)
クルーニャの体がまた浮いた。クルーニャはラースに引っ張られ、ラースもクルーニャの居る方へ引っ張られる。だが、攻撃の準備が整っているのはいつもラースだ。
「がはっ!」
鉄球を投げようとしたクルーニャだが、やはりラースの攻撃の方が早い。
(磁力反転)
攻撃を当てたラースは、すぐさま磁力を反転させ、クルーニャとラースの間に弾く磁力を付与させた。
「がはっ!」
瞬間、ラースの背後から鉄球が飛んで来て、深いダメージを負ってしまう。
「どういうこと……だ」
「よく見ろよ」
「あ?くっつく……この鉄球くっつくぞ。そうか、磁石の鉄球か。だから磁力反転で私にくっ付いたのか」
「そう。お前の弱点の一つだろ?俺が予習してないとでも思ったか」
「フン。調子に乗るなよ小僧」
ラースは手に持ってる鉄球を手放した。すると、鉄球は凄いスピードでクルーニャに吸い寄せられる。だが、クルーニャはワイヤーを器用に操り、鉄球のスピードを緩めてキャッチする。
「消えた?いや、上か」
クルーニャが鉄球に気を取られた瞬間、ラースは城の二階に上がっていた。一階に居るクルーニャを見下ろし、食器棚から大量のナイフを取り出す。
「魔法を使えぬ神よ。これはどうする?」
ラースが上空に投げたナイフは、全てクルーニャ目掛けて飛んで行く。
「ちっ」
クルーニャにとってこれを捌くのは容易い。だが、その後隙が生まれてしまう。負傷を負っている今、その後のラースの攻撃に対応するのは難しいだろう。
「神器、黎冥刀」
「全て弾けるかな?」
刀を出したクルーニャだが、決してそれを構えない。ナイフがすぐ近くに飛んで来ているのに、平然としている。
「ッ!」
飛んで来たナイフが空中でゆっくりと止まった。かと思えば、何かに弾かれたようにナイフが空中で反射する。
「これは……ワイヤーか?この城にワイヤーを蜘蛛の巣のように張り巡らせていたか」
「お返しするぜ」
ナイフが一本ずつラースの方へ飛んでくる。だが、その全てはラースの磁力魔法で弾かれる。
「数を増やすぜ。二本同時だ」
「バカめ。時間稼ぎか?」
ナイフが同時に二本ラースへ飛んで行く。だが、妙なことにナイフは一本しか反射されない。もう一本は、スピードを加速させてラースの頭目掛けて飛んでくる。
「このガキ。磁石で出来たナイフを混ぜやがったか!」
「ケッケッケ、気付くのが遅いぜ」
ナイフを受けたラースがよろめく。しかし、ナイフは間一髪キャッチされている。
「ギリ、セーフってとこか」
「いや、アウトだよ」
ラースの背後で囁いたのはクルーニャだ。その手は、ラースの首を掴んでおり、ラースを神から無力な人間へと変えてしまっている。
「がはっ!」
「俺がお前に触れたから、魔法で止血していた胸の傷口が開いたようだな」
「はぁはぁ……やるね坊や……このラースをここまで追い込むなんて」
「お褒めに預かり光栄だ。で?お前はどんな言葉を残して死ぬんだ?」
ラースの胸から大量の血が流れ落ちている。これ以上血を失えば、出血多量で死ぬだろう。それだというのに、ラースから恐怖や絶望を感じ取れない。クルーニャもその違和感に気付いていた。
「私の魔法が解けた。傷口が開いたということはそういうことだな?」
「そうだが、何が言いたい?」
「傘を用意した方がいい」
ラースがそう言った瞬間、天井が崩れ落ち、それがクルーニャ達の元へ落ちた。
「磁力で天井を支えていたのか!この戦いの保険として!」
ゼウスの居る一階は、二階が傘になっていて無事だろう。だが、天井のすぐ近くに居るクルーニャとラースは諸に瓦礫の下敷きになった。
「くっ……」
「運任せだった。いつもドジで運の悪い私だが……やはり私は神だ。これからは全てが上手くいきそうだ」
形勢逆転だ。
瓦礫によってクルーニャは負傷し、ラースは奇跡的に助かった。ラースは賭けに勝ったのだ。
「あの日を思い出すな、クルーニャ。ラストに玩具にされたお前の女、そしてそれをただただ見ることしか出来なかったお前。お前と同期のゼウスは主神にまでなった。お前は何か変わったか?」
ラースはそう言い、地に這いつくばるクルーニャの腕を踏み付ける。傷口を踏まれたクルーニャは、下唇を嚙み、必死に今を堪えている。
「何兆年億生きた癖に何も成せない。一方ジャックはどうだ?奴はたった一年で世界を救った英雄になり、アマノを失った苦しみから立ち上がり、このラースとその野望を阻止した。素晴らしいな」
更に、クルーニャの両手を壁に押し付け、そこに短剣を深く刺し込む。
「お前は全く逆だな。何年時間を費やしても何にもなれず、友を失った苦しみから逃げ、このラースに勝つこともできない。情けないな」
クルーニャの表情は死んでいた。いつも余裕な態度のクルーニャだが、今だけは深い絶望の中に居た。
「だが、お前が私の計画を何兆年と遅らせたのも事実。だからどういたぶってやろうか考えていた」
ラースの瞳は今までで一番暗い。死人のような、それでいてどこか超越した存在にも見える。そんな瞳でクルーニャを見下ろし、ゆっくりとクルーニャの顔を上げさせ、目を合わせる。
「けど、もうどうでもいい。私もお前ももう死ぬだけだ。そこに怒りも憎しみもない。お互い楽にいこうぞ」
クルーニャの死んだ瞳にはラースの姿は見えていない。見えているのは、苦くて愛おしい今は亡き友人の姿だ。




