第9話 【魔王サタン】 後編
「ううっ」
「もう止めて!」
幼子が大の大人に容赦なく殴られていた。虐待をする男に、窶れた女が止めにかかっている。
「うるせぇ!」
「きゃぁっ!」
だが、止めにかかった女も殴られる。男は再び、怯える幼子を見下ろし、私利私欲の為に拳を振るう。
幼子――ジャックは、半ば七歳でこの世の理不尽さに触れた。
*
ジャックからしたら思い出の中の話だ。母親のことも、その母親の連れに虐待されたことも。
「母さん!見て!今回はかなりの収穫!薬もあるよ!」
貧しかったジャックは、盗みをしなければ生きていけなかった。食料、薬、お金、欲しい物は幸せそうな金持ちから盗んだ。ジャックに罪悪感などない。なぜなら、そのことが自分の母親の幸せに繋がることを理解していたからだ。
「あんまり無茶しちゃだめよ。もう貴方が危険に晒されるのは嫌よ」
「俺は良いって!早くあいつが来る前に食べちゃってよ!」
「ありがとね、ジャック」
ジャックにとって、母親の優しいハグだけが幸せだった。それ以外はどうでもよかった。母親の幸福と、世界の不幸だけがジャックの幸だったのだ。
だが、そんな幸せすら、世界は許してくれなかった。
ジャックが九歳になってすぐ、母親が病気で死んだ。盗んだ物が全て無駄に思えた。ジャックが盗みを行うように、神がジャックから幸せと母親を盗んだ様に思えた。
それだけではない。
「何だよその目?」
ジャックは、母親の連れの男を恨んでいた。男は母親に暴力振るうし、ジャックが盗んだ食料を奪い、薬すらも売り飛ばしていたからだ。睨まずにはいられなかった。
男のせいで母親が死んだと言っても、過言ではないのだ。
「お前、女みたいな見た目だな」
母親が死んでから、ジャックへの虐待はエスカレートした。暴力だけでなく、性的な虐待も増えるようになった。反抗は出来なかった。無駄だと思い込んでいた。
「ジャック、お前はあの女の置き土産だ。前の男に感謝しなくてはな」
とうとう、男が一線を越えようとした。ジャックを脱がし、ズボンを脱ぎ、事を始めようとする。ジャックは恐怖と涙でいっぱいだった。声は発せなかった。自分が何をされるのか、何となくだが想像が付いていた。
しかし、男は突然下半身を抑えて蹲った。
「あっ、ああああぁ!!!」
男の股間は切り落とされていた。近くに刃らしき物はないが、かなり綺麗に切り落とされていた。奇跡と呼ぶべき現象か?それとも神の悪戯か?答えはでないが、近くの台所からナイフが床に落ちた。ジャックは、絶望の中でそのナイフを見つけた。ナイフに手を取り、蹲る男を見下ろす。
「最初から、こうすれば良かったんだ」
ジャックは人としての領域を出た。その後、アマノと出会わなければ、ジャックは絶望の中で闇に落ちきっていただろう。二度と愛情に触れることなく、冷たく腐りきった世の中を這いずり回っていただろう。
だが、ジャックの心が純粋無垢な幼子に戻ることは、もう決してない。幼い頃に受けた心の傷は、癒えることがあっても、完全に治ることはない。その証拠に、ジャックは常日頃から男を警戒している。
*
凍り付いたように体が動かなかった。そして、苦しくて愛しい思い出が過ぎる。
「母さんとは、私のことか?小娘……いや小僧か?」
目の前の女性――サタンは、ジャックを見下ろしたまま問う。
「えっ、小僧です!私は男です」
「随分可愛らしい男だな。それはともかく、さっき母さんと言ったが、どういう意味だ?」
ジャックは、すくんでしまいそうな足でゆっくりと立ち上がる。
「母を探していたので、うっかり言ってしまっただけです」
「そうか……ではなぜこの部屋を覗こうとした?ここは六階、魔王とその関係者以外来ない。お前の母が私の関係者なら名前を言ってみろ」
親切で母親を探してあげようとしているのか、ただ疑っているだけなのかは分からないが、ジャックにとって逃げ出したい状況であることに変わりない。
「アマノ!」
「フフっ、そんなに大きな声で言わなくても聞こえ――」
突然、ジャックの背後からアマノが現れ、クスッと笑ったサタンの不意をついた。刀で腕を刺し、サタンの体をワイヤーで縛った。
「いつの間に!?確かに気配は一つだった」
「転移魔法、コース.レゼン!」
魔法を唱えたと同時に、三人は光に包まれ消えた。
*
三人が転移した場所は、アマノ達が天.シックスとやり合った魔界にある捨てられた城だ。そこには、アマノの執事のような存在であり、街の死神であるタナトスが居た。
「やっと来ましたか?私をこんな所に呼んで一体何の用なの――えっ、どういう状況?」
タナトスは困惑する。アマノがサタンをワイヤーで縛っている状況に。
「コース.レゼンは親しい者の場所に移動する魔法、タナトスをここに呼んだのは単に移動手段が欲しかったから」
「じゃあ、アマノにとって私は親しい存在ってこと……やっぱアマノ様ってツンデレですね」
ニヤニヤと分かりやすく喜ぶタナトスを見て、アマノとジャックは引いたような目で見る。
「タナトス、貴方はもう邪魔だから帰って」
「なるほど……いきなり現れたのはこの小僧に転移したからか。そして、このワイヤーは魔力を封じる効果があるらしいな」
「魔王サタン。貴方を始末させてもらうわ」
「シュラー.フレイム」
しかし、サタンを縛っていたワイヤーは黒い炎によって燃えてしまう。
「魔法が使えない状態なのになぜ魔法を放てるんだ?それに、黒炎?」
「これは魔法ではない。魔界で契約した技だ。いつでも魔界にある黒炎を放てる。だから魔力を使わずに放てるのだ」
危険を感じたアマノは、ジャックと共にサタンから距離を取った。
「ジャックは下がって、勝てる相手じゃない」
「その子供はジャックと言うのか……良い目と顔付きをしている。そして、その瞳の奥に私と同じものを感じる。お前なら私の理解者になれる」
サタンは、ジャックの心に漬け込むような甘い言い方で言い、鋭い目で見つめる。
「なっ、何が言いたいんだ?」
「さっきお前は私を見て母さんと言った……私がお前の母親に似てるのだろ?私もお前に興味がある。どうだ?その女の仲間を止め、私と共に暮らさないか?母親に甘えるように、私に甘えて良いぞ?暖かい温もりとハグをお前にやろう……ジャック」
目を付けられたジャックは、ほんの僅か動揺する。母親の顔をした天使が、自分を必要とし、囁いてくる。
そんなジャックを、アマノが心配そうな横目で見つめてる。
「甘えても良いのか?母親のように甘やかせてくれるのか?」
「あぁ、何でも要求を受ける。私は理解者が欲しいのだ」
勝ち誇ったようなサタンの表情は、ますますアマノを不安にさせる。
「なら断る」
その一言は、アマノをほっとさせた。表情にはあまり出さなかったが、確実に表情が和らいだ。
「なんだと!?なぜ!?」
「俺はアマノに甘やかされてない。なんなら厳しくされている。だがそのおかげで俺は日々成長している。その成長をわざわざ止めたくはないね」
「なら厳しくしてやるぞ?私ならその女以上にお前を成長させてやれる」
「悪いけど今に満足してるんだ。母さんに似てても特別な感情がある訳ではない。俺の母さんは思い出の中だけの人さ」
アマノもタナトスも勝ち誇った表情でサタンを見る。動揺し始めたサタンは、目付きが悪くなる。
「そうか……なら私の元に来るよう、その女を殺すしかないな」
「良く言ったジャック、あとは私に任せなさい」
アマノは、ジャックの頭をポンッと撫で、傘からゆっくりと刀を抜く。
「神器、天之月」
「神器、光輪槍」
サタンも魔法陣から神器を出す。鉄の棒の刃は円形になっており、中途半端な刃が出ている。反対側にも刃があるが、その刃は第二の刃という感じの小さな刃だ。槍と言えば槍だが、槍にしては歪過ぎる形だ。
「我は魔王サタン、魔界を統べる者であり、この世に光をもたらす者だ。こい、アマノ」
「なるほど、堕天使なだけあるわ。引いてしまう程の傲慢さ」
「傲慢でなければ王などなれぬ。未熟でいたいけな娘ごときのお前が知ったような言葉を吐くな」
睨み合う中、アマノが先に仕掛けた。刀を振るい、空中で舞いながら光の魔法を放つ。サタンは、当然の様に攻撃を交わし、重い蹴りを入れる。
「才能とセンスは素晴らしいが、経験は浅いと見た。女は経験こそ武器だ……私の方が武器は強いぞ」
「魔界を制しただけある。思ったより強い」
「フフっ」
サタンはニヤッと笑い、手から禍々しい魔法陣を放った。その魔法陣は余りにも大きく、紫色の光を放っている。
「何かする気だ!」
「闇魔法、ブラド.ルジュール」
魔法陣から出現したのは、赤い月だった。魔界にある赤い月程ではないが、かなり大きく、今にも落ちてきそうな高さにある。
「赤い月……魔界にある赤い月と限りなく似てる」
「美しいだろ?だが、美しさとは酷さがあって成り立つ。酷さ……そう、お前の薄汚れた死体とかな」
赤い月からぽたぽたと血のような雨が流れ落ちる。その血のような雨は、落ちるスピードが増す一方だ。
「ジャックこっち」
アマノは、急いでジャックを引っ張り、神器である傘を差した。雨が傘に当たる激しい音と共に、異変が起き始めた。
「何だこれは!?」
アマノに微かに当たった赤い雨は、流れ落ちることなくくっ付いていた。慌てて服で擦ってみるが、少しも取れない。それに、その赤い雨は少しづつ大きくなっていた。
「アマノにくっ付いた雨が大きくなってる」
「分かった……吸い取っているのよ。私から血と魔力を吸い取っている。少しづつだけど魔力がなくなってくのが分かる」
「これで私の方が優位だな。それに、もう迂闊に傘の下からは出れないだろ?」
アマノは、傘をジャックに持ってもらい、目を細めて嫌そうにサタンの方を見た。
「光魔法、月読光」
アマノが魔法を唱えると、二つの大きな月が地面から現れ、上空にある赤い月を挟み込んだ。二つの輝く月が赤い月を飲み込むと、月はその場から立ち去るように上空に吹き飛んで行く。
赤い月はなくなったが、以前アマノの皮膚に付いてる液体はなくならない。アマノは、仕方なく自分の刀で皮膚を軽く剥いだ。
「はぁはぁ……」
「魔力を吸われ、強力な魔法を使えばそうなる。これで大技は警戒しなくて良いな」
「なら……さっさとかかって来たら?」
「そうさせてもらう」
再び、サタンがアマノに向かって来る。




