第208話.朧気
しっとりと濡れ、ぷるんとした質感の唇。頬は上気して赤くなっていて、ただただ艶かしいという感想しか出てこない。
空宮がこんな顔をできるなんて知らなかった。今までは笑った顔、少し寂しそうな顔、怒った顔、拗ねた顔、眠そうな顔。そんな表情しか見てこなかった。だけど、この表情は、今の空宮が纏っているこの空気感は非常に危うい。理性を化け物に変えてしまう。
「ほら……刻も……寝よ?」
追い打ちをかけてくるように、空宮はそう囁く。その瞬間に、俺の体を熱が一気に包んだ。発熱をやめない。体から火が出てくるのではないのかと錯覚するほどに、体は熱く熱く燃えた。
(しっかりしろ俺!相手は空宮で今こいつは熱出してんだぞ!?意識も朧気で、大方明日の朝には今日のことも全部記憶から消えてる。そんなやつ相手に今何かをするのは絶対に違う。やったら絶対に後悔する)
理性という名の冷水を自身に浴びせると、俺は空宮の頬を両手で包んだ。手に触れる頬は暖かく柔らかい。
「ふぇ?」
まだ少しぼやぼやとした瞳をパチパチとさせながら、空宮はこちらを見た。どういう状況なのか正確に理解しきれていないらしい。
「どうしたの刻?一緒に……寝ないの?」
「アホか。何で病人と一緒に寝るんだよ」
「私と寝るの……嫌なの?」
少し瞳をうるっとさせながら空宮はそう聞いてくる。どうやら悪い意味で、俺の言葉を捉えてしまったらしい。
「違う違う、嫌とかどうとかの話じゃなくてだな?空宮、今のお前は病人で俺は健康体そのものだ。この場合は普通だな、病人が寝て、健康体の人間は看病し続けるものなんだよ」
「むぅ……そうかもしれないけど」
「だから、俺は空宮の看病をする。お前は寝ろ」
そう言うと空宮は布団の中にゆっくりと潜っていった。その後、少しだけ顔を出すと一言だけ俺に残していく。
「私は……刻と一緒に寝たかったな……」
「……え?」
「刻の……ばーか」
✲✲✲
朧気な意識の中私は冷たい風を頬に受けた。胸元には暖かい熱が伝わってくる。ぐわんぐわんと大きく揺れながら、私は頼りになる背中に背負われている。
「鏡坂くん、空宮さんは重くないかい?」
「大丈夫です。空宮は意外と軽いんで」
「意外ってそれはフォローになっているのかい?」
「どうでしょう?」
聞こえてくるのは聞き慣れた刻の声と、くすくすと笑う女の人の声。
(誰だろう)
頭はボーっとしていて、そこから何も考える事は出来なかった。
だけど、唯一ボーっとした頭でも分かる事がある。
私は今非常に心がモヤモヤとしています。
しばらくすると何か乗り物に乗り込んだらしい。周りからは知らない話し声が沢山聞こえてきた。
「空宮一回下ろすぞ」
「……うん」
熱で犯された体で言葉を発しながら私はそう返事をした。
少し硬い布地の座席に座らされると隣に刻も座る。自然と流れるように刻の手が私の肩に触れると、刻は私の事を引き寄せた。
「楽な姿勢の方がいいだろ」
そう言われ刻の行動の意味を理解すると、こくりと私は頷く。頭に当たる刻の肩は暖かくて、少し上下に動いていた。刻の呼吸のペースが分かるようで、少しドキリとしてしまう。
「……刻」
「ん、どうした?」
「……暖かいね」
「えへへ」と笑いながら私は刻の中に溺れていく。
熱を出してしんどいはずなのに、不思議だ。刻の近くにいれるだけで、こんなにも幸せだと感じれるのだから。
✲✲✲
途中から意識は途絶え、意識が復活する頃には私は服が替えられて布団に潜っていた。部屋の装飾を見る限り、今夜泊まる予定だったディスティニー系列のホテルらしい。
場所の状況把握ができたまではいいのだが、一つだけどうしても分からないものがあった。頬に触れていた感触。少しゴツゴツとした男の子の指。
私はゆっくりと目を開きながら、視界に入ってきた私の大好きな男の子の名前を呼んだ。
第208話終わりましたね。今回は少し空宮視点も入れてみました。朧気な意識の中でも、人は夢の中にいるような感覚で周りを感じれるものなのです。まさに今回の空宮のように!
さてと次回は、13日です。お楽しみに!
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