1 はじめの話
数年前に書いた話を発掘したので、のんびりのんびり更新できたらなっと。
とてものんびりペースです。宜しくお願いします。
「親の同意も無いのに、未成年に家なんか貸せないよ」
今日何度目かの台詞に「またか」と、思うと同時に小さな溜息が溢れる。
似たような台詞を数時間の内に何度も聞かされ続けたせいか、落胆よりも諦めが先に立った。
「君、高校生だろ?それくらい分からない?」
「金ならいくらか融通聞くし、足りないなら働いて……」
「だーかーら、そういう事じゃないって! 常識で考えて分かるでしょ? どうしてもっていうんなら親御さんと一緒に来て!」
それでも駄目押しで交渉を試みたが、もう相手をする気はないと言わんばかりに店員は席を立ち、遠目でこちらの様子を伺っていた別の店員に話しかけ始めた。
家出か冷やかし目的だと、ひそひそとこちらを伺いながら話す姿に苛立ちを覚えるが、流石にもう突っかかる余裕もない。今日、何度こんな対応を受けた事だろう。
座っていたパイプ椅子から勢いよく立ち上がる。
ガタタンッ!!と、わざと立てた大きな音と共にそちらを睨めば、店員二人の肩が跳ね上がった。こういう時ばかりは、自分の目つきの悪さも、強面の外見も役に立つもんだと思う。
「あざっした」
苛立ち混じりに一応の感謝を吐き捨てて、自動ドアから一歩外へ踏み出した。新鮮な空気を肺一杯に吸い込んで、大きな溜息に変えて吐き出す。
「無理言ってんのは分かるけど、もうちょいマシな対応しろや」
二件目に訪れた店のお姉さんは優しかった。結局貸しては貰えなかったし、若干顔は引き攣っていたけれど。
数件前に訪れた店を思い出しながら、これからの事を考える。いつまでも店の前で立ち尽くしているわけにもいかないので、一先ず本来この時間に居るべきである学校へと歩を進めた。そろそろ午後の授業が始まる頃合いだ。
今朝、登校と同時に一限目の授業が自分の嫌いな数学だと知り、一限が始まる寸前に学校を後にしてきた。普通の学生なら事前に時間割を把握しているのかもしれないが、嫌いな授業があるという理由だけで学校から抜け出している時点で察して欲しい。「普通の学生」の括りに入れられるには、自分はあまりにも学校というものに対して不真面目だ。
学校を抜け出してしまったという罪悪感も、教師や親にばれたらどうしようという焦りも、今ではまったく感じなくなる程には常習しているし、その事について気にも留めていない。それに、苦手な数学の授業を受けるよりも、住む場所を探す事の方が今の自分には重要で重大だった。
歩きながらぼんやりと、数時間のうちに言われ続けた言葉を思い返す。
近隣にある何件かの不動産屋、隣町の不動産屋にも電話で聞いてみたが、言い方やニュアンスは違えど言われる事はほぼ同じだった。
「高校生に家は貸せない」「親の了承がないと」「保証人は?」
大体の想像はしていたし、元より期待はしていなかった。それでも、一縷の希望が、本当に少しでも、これっぽっちでも、ミジンコほどにでも、あるんじゃないかと思っていたのだ。
結果は見ての通りの惨敗。敗因は思い付きで行動した事でも、高校の制服のまま店を訪れた事でも無く、それ以前の問題。未成年、高校生、親。その全てだ。
「どいつもこいつも親、親、親って」
あいつらがまともだったら家なんていらねえんだよ。
心の中で毒づいて、今日何度目かの溜息を吐き出す。段々と憂鬱になる気持ちに、学校へ戻るのも億劫だと思い始めていたその時、制服の尻ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。手に取り、相手を確認してから通話を押すと、こちらの発言を待たずして聞き慣れた声が耳を劈いた。
「しんちゃあああああん!!!」
「!?」
「やっと出た!!今どこだよ、ううっ…。ちょっと出てくるって言ったきり戻って来ないし、俺ずっとかけてんのに出ないから何か事故にでもあったんじゃないかっておも」
切った。
高校生男子の不甲斐ない声を、今は聞きたい気分ではない。今じゃなくても聞きたくはないけれど。
しかし、間髪置かずに手の内で震え始めるそれに眉間のシワが益々深くなる。画面には、さっきと同じ名前が表示されていた。渋々ながら通話ボタンを押して、また聴こえてくるであろう叫び声に備えて耳から離した位置でスマートフォンを構えた。
すると案の定、不甲斐ないがさっきよりも力強さを増した声で名前を叫ばれる。そこから間髪置かずに何かしらを訴えてくる声の主。察するに急に通話を切られた事に対する不満、何で学校に来ないのか等々だろう。
返答を返す隙もなく喋り続ける相手を止めるべく、小さく息を吸ってから送話口を口元に近づけ「うるせえ!!」と、一喝した。
ぴたりっと、声が止まる。
相手が話し出さないのを確認して、耳元へ構え直してから口を開いた。
「今戻るから、黙って待ってろ」
そう一言だけ告げて、返事を待たずに通話を切った。
人通りが多いわけではないが、先程の一喝で人目を集めてしまったらしく、チラチラと行きかう人々の視線が刺さる。ジロリっとそちらを見やれば、そそくさと知らないふりをして足早に立ち去って行った。
「はぁっ……」
今日一番の大きな溜息を吐き出して、人目の中を足早に学校へと向かった。
***
学校へ戻ると予想通り午後の授業の真っ最中なようで、皆教室へ収まっている為か外に生徒の姿はなかった。靴を履き替えないまま外階段を上り三階へ。屋上までの階段は封鎖されているが、この外階段は各階、各教室のベランダに繋がっており、ベランダも教室事に区切りなく繋げられている為、校内を通らず、尚且つ、教師に会わずに目的の場所へと向かうのに最適なルートだ。
非常時の避難通路としての役割の為にこういった作りになっているらしいが、一度としてそういった用途で使った事はない。あくまでも「授業からサボる為の有難いルート」という認識でしかなかった。
三階、図書室のベランダ。授業中、いつもの溜まり場所であるそこに、いつもと同じようにその人物は胡坐をかいて地べたに座り込んでいた。傍らにはコンビニの袋と、ストローが刺さった状態の飲みかけのパック飲料が置かれている。
真っ赤に染め上げられた髪をライオンの鬣の様に逆立てた髪型に学ラン姿。派手な見た目に目を引かれがちだが、よく見れば整ったその顔に浮かぶ表情は、眉間に皺を寄せ、口を真一文字に結んだ険しいものだった。
その表情に思わず吹き出してしまう。「黙って待ってろ」電話口でそう告げた言葉を今までずっと守っていたのだろう。見た目とは反し、変なところで真面目で、時に打たれ弱い。彼、飯館杏里はそういう男だ。
吹き出した瞬間、こちらに気付いたのだろう。はっとした表情で杏里がこちらを見た。
「しんちゃん!!」
「はいはい、たでーま」
言いたい事が山ほどあると言わんばかりの表情を浮かべて、立ち上がろうとする杏里を制して隣に座った。置かれていたコンビニ袋を覗き込みながら、昼食を取っていない事を思い出す。
「腹減った、なんかねーの?」
「パンしかないよ」
「食っていい?」
「良いけど、どこで何してきたのか話すのが条件です」
「……そうきたか」
整った顔を不機嫌そうに歪めて、杏里はコンビニ袋を自分の方へ手繰り寄せる。
やはり電話にも出ず、やっと出たかと思いきや途中で切られ、その後ぞんざいに扱われたのが気に触っているらしい。いや、無理もない話だが。
「あー、悪かったよ。ちょっとむしゃくしゃしてた」
手繰り寄せられたコンビニ袋にそっと手を伸ばすと、杏里はすかさずそれを取り上げる。
「なんで?」
「……」
「な・ん・で?」
たった三文字の言葉に含まれる「どこで何があってむしゃくしゃしてたのか教えろ」の意味を強く感じとり、どうにも逃げられない雰囲気を察知した。逸らされる事の無い、じっとりとした視線に段々と居心地が悪くなってくる。人質ならぬパン質をとられ(元は杏里の買ったものではあるが)諦めれば良いのかもしれないが、こうなった杏里に誤魔化しが通用しないのは長い付き合いの中で嫌というほどよく分かっていた。
「分かったよ、降参だ、降参! 不動産屋行って来たんだよ。家探しに」
観念の意を込めて両手を小さく挙げると、杏里の目から力が抜けて、そこに驚きの色が混じった。
「家って誰が住むの?」
「俺」
「一人暮らし? 親父さんには?」
「言うわけねーだろ。そもそも暫くまともに顔見てねーわ」
「それって無謀って言うんじゃ……」
「うるせえ、良いから人質を解放しろ」
矢継ぎ早に繰りだされる質問に短く返して、右手を差し出す。杏里は驚きから困惑へと表情を変え、握り締めたままのコンビニ袋からパンを取り出し、差出された掌に載せた。焼きそばパンだった。
「家を出たがってるのは知ってたけど、何で急に?」
高校を出たら家を出る。以前、そんな話をしたのを覚えていたのだろう。家の人間との折り合いの悪さも、家を出る事を簡単に許してくれるような親ではない事もその時に話していた。だから、無謀という言葉が出てくるのも分かるし、その通りだとも思う。
困惑の表情を消さないままで、杏里は袋から紙パックの飲料を取り出した。付属のストローを取り出して飲み口に差し込むと、それをこちらに向かって差出してくる。
紙パックに書かれた銘柄はいつも自分が飲んでいる野菜ジュースのものだった。どうやらあらかじめ自分の分も用意してくれていたらしい。
「朝見かけた時に昼飯持ってなかったと思って。はい」
「悪い。助かる」
此方の考えを察してか、一言そう付け加えながら差し出された紙パックを受け取る。
いつもは近くのコンビニで昼食を買ってから登校するのだが、今日は寄らずに登校していた。その為、コンビニの袋を持っていなかったのだが、どうやらそれに気付いていたらしい。
杏里のこういった気の利くところには度々助けられているが、どうせなら可愛い女の子であってくれないものかとも思う。願ったところで、体格の良い派手な男子高校生が華奢で可愛い女子高生になる事はありえないので、口には出さずに野菜ジュースを口に含んだ。飲み慣れた野菜ジュースの独特の風味と甘みが口内に広がっていく。
話を促す事をせず此方の言葉を待つかのように、杏里は自らも隣に置いてあった紙パック飲料に口をつけた。
きっとこのまま話を続けなくても、杏里は先は促すことはしないだろう。それどころか、自ら別の話題に切り替えるかもしれない。こちらの気持ちを知ってか知らずか、昔から家の事となると深く追及してこないのだ。
本当に気の利く気遣い屋である。ただ、そこまで気を遣われてそれに甘えてばかりいるというのも、正直格好悪い。
「この前話したろ」
ジュースを傍らに置いて、パンの封を開けながら徐に口を開いた。
「新しい妹が出来たって」
「聞いたけど、いつ聞いても聞きなれないよね。新しい妹って」
「だって事実ですし」
「いや、せめて新しいってのはいらないんじゃ?」
「だって既に一人いるもんよ。間違ってなくね?」
「うーん……? 間違ってない、か?」
「それに、母親が生んだわけじゃなく他所から養子で来たんだぜ? 俺としちゃ、妹っていう実感もねえ」
袋から半分取り出した焼きそばパンを、大きめの一口で頬張り咀嚼する。
「親戚から引き取ったんだっけ?」
「ん」
一ヶ月近く前。親戚から小学生の女の子を引き取る事になった。
どうしてそういう事になったのか、両親は詳しい説明を避けた。だが、あの両親が親戚と言えど他人を養子として迎え入れるというのは余程の事だと、家中の人間が理解していた。もしくはとても優秀な子で親父が欲しがったとかか?とも思ったが、養子を迎え入れると告げた時の険しい表情を見るにそういう事ではないのだろう。
気づけばその子は部屋を与えられ、家族として、新しい籍を与えられていた。
「一緒に住み始めたはいいけど、どうにも居心地がわりーんだわ」
「変わった子なの?」
「そうじゃなくてだな、家の中」
「そんなの前から居心地悪いって言ってたじゃん」
「そうじゃなくて、なんつーか……。見てるのが、気持ちわりーんだよ」
「家族」として迎え入れられた「義妹」。
ただ、それは本当に籍と住む場所を与えられただけで。
「誰も、あいつに話しかけねえ」
引き取った両親はそこに彼女がいないかの様に、実の兄弟達はまるで異物でも見るかの様に、それぞれの日常をあの家で過ごしている。
「元から家族愛がどうとか言うような甘ったるい家じゃねーし、そういう奴らだって俺は知ってる。でも、相手は小学生だぜ?」
「うん」
「学校から帰ってきて、飯とか風呂とか以外で部屋から出てこねえ。土日もずっと閉じこもってる。それでも、誰も気にも留めやしねえ」
普段なら父親に自ら話しかけるなんて事は絶対にしない。だが、引き取っておいてこのままでいいのかと、先日、実に数ヶ月振りに父親に対して口を開いた。返ってきた言葉は「お前には関係ないだろう。それに、こちらだっていい迷惑だ」と、冷え切った一瞥だった。
「最高に胸糞わりいし、反吐が出る」
思い出した苛々を飲み込むように、手にしていた焼きそばパンを限界まで口に頬張る。「そうだねえ……」と、隣にいる杏里が呟いて此方をみる。その眼はどこか悲しいものを見るような、でもどこか優しい目だった。
「んだよ、そのめは」
限界まで頬張った焼きそばパンを口から零さないように喋る。
「いや、しんちゃんの小さい頃もそんなだったのかなーって思ったらちょっと悲しく……」
パンを飲み込んで、肘で軽く杏里を突く。
「やめろばーか。同情とかいらねーから。くれるならもう一個パンくれ」
「ほい」
本当に出てきた。同情の代わりにチョココロネ。しょっぱいの次に甘い。完璧かよ。
「だから家を出るんだ?」
流れるような動作で、空になった焼きそばパンの袋と入れ替えるようにチョココロネを手渡される。空の袋はそのままコンビニ袋へ。
恐らく、このチョココロネも俺の分として買っておいたのだろう。杏里がいつも買うのはメロンパンだ。一連の動作と完璧な気遣いに、なんでこいつ男なんだろう。と、話にはまったく関係ない事を再び考えながら手渡されたパンを見つめ「おう」と、返す。
「一人で?」
封を開けて一口齧り、横を見れば此方を伺うように覗き込んでくる杏里の顔。
「あ?二人に決まってんだろ」
「もう一人は妹ちゃん?」
「以外に誰がいんだよ」
そう答えるや否や、杏里は整った顔を嬉しそうに破顔させた。
「何笑ってんだよ、気持ち悪い」
「いやいや、やっぱしんちゃんだなーって! 妹って実感ないとか言ってても、結局は優しい!」
「優しいか?」
「優しいじゃん?」
「……ぺっ」
「褒めたのに唾をはかれた!!!」
やたらと嬉しそうな姿に唾を吐く真似をして、淡々とパンを口に頬張る。
「でも、家が見つかんなきゃ話になんねえ。どこも親の同意がねえと家は貸せないの一点張りだった」
「あー、だろうね。なんなら俺ん家来る? 母ちゃん超歓迎すると思うし、妹ちゃん小学生ならうちのチビ達と話合うんじゃない?」
「アホ。俺だけならまだしも、あいつも一緒だ。最悪、親父にお前と母ちゃん誘拐犯呼ばわりされんぞ?迷惑かけるわけにはいかねーよ」
「うっ……。俺は良いけど、母ちゃんにそれは困る」
「だろ?」
「……ごめん」
「謝る意味がわかんねーよ。気にすんな」
「んー……」
杏里の家は母子家庭だ。杏里と母親と弟二人と妹二人。父親が居ない代わりに母親が働いて、弟と妹の面倒を杏里が見ている。何度か面識があるが屈託なく豪快に笑う人で、てきぱきと家事をこなす。「肝っ玉母さん」と言う表現が似合う人だった。こんな人が居るのかと、初めて会った時の衝撃は今でも忘れられない。
そんな人に引き取られた方があいつも幸せだったろうに。
「ま、そもそも出てくつー話も俺が一人で考えてるだけで、まだ誰にも言ってねーし」
「んんー」
「高校さえ出れば多分どうにかなるし、それまで待って、あいつ連れて家出ても」
「んんんー」
「聞いてんのか?」
話を続ける横で腕を組み、眉間に皺を寄せながら何かを考える素振りを見せる杏里。
「しんちゃん」
「あ?」
唸りながら左右に揺れていたかと思えば、ぴたりっと止まって、急に慎重な面持ちで名前を呼ばれた。
「ちょっと個性強めの人に会う気ある?」
「は?」
まさかその言葉がすべての始まりになろうとは、この時はまだ思いもしていなかった。
突拍子もない杏里の言葉を理解する前に、午後の授業の終わりを告げるチャイムが高らかに鳴り響いた。