五章 異論
五章 『交わらぬ論理』
世論は相変わらず論理に論理を積み重ね、質の違う討論を“客観的”に繰り返していた。
他人の住まいに押し入り、生後間もない赤ん坊を殺害した。
母親に至っては恐怖と絶望を与えた上にやはり無残に殺害し、更に殺害後に死姦した。
この事件の、未成年の被告に対しての論である。
ある者は、
「命の償いは己の命をもって実っするべきだ」と言い、ある者は、
「少年の将来を考え、更正と共に一生背負うべきだ」と言った。
戦争に正義と悪がないように、主義主張と云うものは価値観の違いで方向性を変える。
ましてや外野席で野次を飛ばす“観客”には【正】も【非】もない。
しかし、この事件に関して云うと、“刑”の方法論の違いを論じはするものの、“加害者”と“被害者”の立場関係ははっきりしており、外野席からもどちらが【悪】かだけは明確にわかっていた。
しかし、弁護団“率いる”加害者の答弁は、殺害の間接的な否認であり殺害意志の有無の撤回である。
自ら
「悪である行為は犯したが、自分は悪ではない」と云う台本を読み上げたのだ。
台本を用意したのは、無論弁護団。
被害者の夫は『無期懲役』の判決後、怒りを露わにして取材カメラに叫んだ。
「私が望むものは、あくまで極刑です。無論上告して闘い続けます」と。
残忍な殺人すら、詭弁を働かせ正当性を主張する【悪】の姿に、論ずる事の無意味さを感じざるをえない。
この数年にも渡る裁判の行方を絶えず傍観していた黒男は、この判決と世論と弁護団の詭弁、そして被害者の夫の発言をテレビで試聴した後……、
この事件を追う事を辞めた。
更に数年の歳月が過ぎ、事件と世論が別の方向へ進む事になる日まで……。




