二二章 NIGHTINGALE:6
NIGHTINGALE 6
『ナイチンゲール』
サーからの依頼を受けた黒男は、その連絡をハワイ州オアフ島のホノルルで受けていた。
(俺に頼み事をするなんて余程だな……)
そう思うと何故か無性に笑いが込み上げる黒男であった。
義理の父親であるあずのサーだったが、彼にとっては所詮、利用する為の妻の父であり、市民権を得るための延長に居る存在である。
強引な入籍劇に女は上手く落とせたものの、父でありFBIの上官であるサーの反対は凄まじいものであった。
首筋をマッサージしながら異議を唱え続けた男が、恥をしのんだ頼み事である。
「ついでに一肌脱いで行くか……」
黒男はサーの、何を置いても事件解決に執着する“癖”は買っていた。
法廷での発砲事件の後、黒男は真崎吉行の身柄と刑の執行に関与して、日米間を常に行き来している。
黒男自身は結婚生活を必要としない為、訳あって“アメリカに在住する為の自宅”は持っていなかったが、ハワイ州に限らず本土へも度々訪れていた。
真崎 吉行は……
判決後すぐに移送の手続きが執られた。
移送先はアメリカ合衆国である。
移送手続きと同時に日本国籍は綺麗に抹消された。
アメリカ国籍を取得した訳ではない。
国籍“そのもの”を失ったのである。
アメリカへの身柄引き渡しは、当然国家間のBusinessとして行われた。
人身売買とも取れるこの取引ではあるが、先に確立された『日米新ハワイ条約』により保護されている。
日米間で共通の刑罰である“無期極刑”の設立。
米国では、
MPOI(Maximum penalty of indefinite)
─無期限の極刑─
と呼ばれている。
米国からの日本司法への内政干渉は死刑制度の廃止であったが、問題視され続けているテーマへの強引な解決策として日本側はこれに応じた。
更に交換案として、新刑の提案と実施に関する様々を“金”に変えた。
日本の……
日本人の“事なかれ主義”と“間抜けなきっぷの良さ”につけ込んだこの取引きは、提案した黒男にとっては有効な手段であった。
己が持つ絶対的な“正義感”の前には、他人のいかなる論理的見解も邪魔であったからだ。
日本国家と政府はこのアメリカの後ろ盾のあるプロジェクトを詭弁として利用する事に魅力を感じた。
ホノルルで仕事を終えた黒男が向かったのはワシントンD.C.
しかし行き先はパズルパレス(FBI本部)ではなくサーの自宅であった。
「やあカム、久し振りだね」
カム・フラージュ・エキストラ
サーの娘であり、米国においての黒男の妻である。
「久し振りですって?妻が夫に数年振りに会うのにたったそれだけの言葉しかないの?」
カムの愛憎に満ちた言葉すら、黒男にとっては大成に影響を及ぼさない。
「義父に用があるんだ。呼んだのは向こうだよ」
奥で二人のやり取りを見たサーは眉間に皺を寄せていた。
黒男は僅か十六にして、五つも歳の離れたカムを手に入れた。
カムは自分よりも年下の……、それも日本人の黒男に真剣に想いを寄せた。
それは黒男が思っているように、策に溺れたからではない。
それ程、カムには人の才能を純粋に見る目があったからである。
人が人を見る才。
さすがの黒男もカムのそんな人間味溢れる才能も、それを貫く人間性も見抜く事は出来てはいなかった。
黒男にしてみれば、合法的な偽装結婚でしかなかったが、経済面でのサポートはカムあってこそである。
国籍取得に要する三年もの間に、サーは再三に渡って二人の下を訪れ婚姻の解消を要求した。
しかし、断固として要求に応じなかったのは寧ろカムの方であった。
その頑なな黒男に対してのカムの想いは、現在に至っても変わってはいなかった。
黒男の躍進が始まってからというもの、残されたカムは実家に戻って暮らしている。
何歩も譲歩した挙げ句、籍を抜かない事を条件に黒男とカムの住まいを引き上げ、カムに実家で暮らす事をサーが了承させたのである。
カムの存在自体に重きを置かない黒男は、自宅が引き払われている事すら知らなかった。
サーはそうまでして黒男を愛し続ける娘が不憫でしかたなかったが、その黒男の力を借りなければならない自分に更に不憫さを感じていた。
「さあ、話を聞聞きましょうか、“お義父さん”」
改めて……、そして無理に改まってそう言う黒男に、
「お前にそう呼ばれると吐き気がするよ、この変人」
サーは嫌み剥き出しで答えた。
黒男の奇才振りは彼の歩む道を見ていれば誰にでもわかる。
娘が関わっていなければサーも少しは敬意を評し、ビジネスとして価値を見出しただろうが、父親としての複雑な感情がそれを許さなかった。
「ナントカと天才は紙一重と言うが本当だな」
黒男はサーの度重なる嫌みにも即答で返した。
「似て異なりますよ。日本の四季で“春”と“秋”の向かう先が違うようにね」
「だが似とるじゃないか。君の向かう先が熱い夏か寒い冬かすらわからん。しかしそれが重要なんだよ」
気の利いた返し言葉に黒男は意味ありげに笑ったが、余談はそれ以上続けなかった。
「話は今回の切り裂きジャックですね?」
黒男は概ねの状況は勿論予め理解していた。
アメリカ全土を騒がし、話題性も恐怖の度合もハイレベルなこの事件にはもともと興味を抱いていたからである。
と同時に、日米両国で既に数件の執行がなされている“新刑”への予備軍とあっては気に留めない訳がなかった。
サーに宛てられたメッセージを見せられた黒男は、更にこの事件に強い関心を寄せた。
「……、Night in gale……?」
「何か知っているのか?」
「いや……、面白いメッセージだと思ってね。FBIの見解は?」
「“夜における突風”……チームはおよそ言葉通りの大きな犯行予告……夜に犯行を犯す意味合いのストレートな見方だ」
黒男はメッセージをじっと見ながら頷き、続けた。
「サーはどう見ているんですか?」
「NIGHTINGALEは有名な看護婦だ。切り裂きジャックも医療技術者ではないかと予想されていた。それを真似ているんじゃないかと思うんだがな」
そこまで言うと、サーは首筋をマッサージしながら続けた。
「犯人は女なんじゃないかと思っとるが、チームには笑われたよ」
黒男はもう一度メッセージに目を落とし、心の中で呟いた。
(なかなか面白いじゃあないか……)
「他にもっと詳しい情報はないですか?」
そう聞く黒男に渋々口を開くサーの話を聞いて、黒男は笑いを隠せなかった。
驚く程に情報が少なく、行き詰まっている様がありありと伝わったからである。
しかし情報は正確にヒットしていた。
事件とメッセージに抱いた興味も、サーからの情報がなければ如何に黒男でも“直結”はさせなかっただろう。
サーにしてみれば勘が外れた、ただの間抜けな捜索願いにすぎない。
しかしクレアの失踪とスティッチへの疑惑はサーにとっては不甲斐ない捜索ミスであったが、黒男にとっては違った。
(まさかここでその名前を聞くなんてな……)
【Night in gale】
夜の突風(強風)と訳されるこの言葉は、続き文字で一つの単語として扱われ、
『Nightingale─ナイチンゲール─』と読む。
和名を小夜鳴鳥と呼ぶユーラシア・アフリカ産ヒタキ科の鳥の名で、春に雄が美しい声で鳴くのが特徴である。
サーの予想した近代看護教育の創始者である“Florens Nightingale─フローレンス・ナイチンゲール─”も同じスペルで綴られる。
“ナイチンゲール症候群”と云う病があるが、世話を“される者”と“する者”の間に妙な恋愛感情が芽生えてしまう心理を云う。
そしてもう一つ、
俗語として“裏切者”や“密告者”と云う意味合いを合わせ持つこの単語。
それら全てが重要な意味を持つと黒男は考えていた。
「俺の勘は衰えちまった。チームにも笑われる始末だ」
頼りなげに溜め息をつきながらサーは肩を落としていた。
「何名もの被害者を出すこの事件を指揮・担当しながら、お出かけ中の小娘とその元彼なんか追い掛けてしまう位だからな」
黒男は“Night in gale”に含まれる全ての意味をしょげるサーに説明した。
そして説明を終えると、
「あなたの勘は衰えてはいませんよ。老いて益々健在だ」
そう言った後、とある島の事をふと思い出していた。
【ナイチンゲール島】
南大西洋、イギリス領セントヘレナに属する小さな無人の火山島の名である。
周囲を断崖絶壁に取り囲まれており、島に上陸するのも大変なこの島は、黒男が学生時代から念頭に置いていた事もある島で、
条件もさる事ながら、そのネーミングにも惹かれていた。
結果としてイギリスではなく、アメリカ領土を選択して新条約を提案する事となったが、それは日本との外交や利便性を優先した為である。
よもやここでその島の名前をこんな形で聞くとは思いもしなかった黒男は、あまりの感性の近さにときめきさえ感じた。
サーは黒男の言葉を聞くや否や、身を乗り出して迫った。
「俺の勘が衰えてないだって?もう何かわかったのか?まさか犯人が看護婦ってんじゃないだろうな!」
冗談めかしながらも真剣なサーを見て、黒男もまた真剣でいて尖った口調で呟いた。
「あのメッセージには明らかな“意志”がある。恐らくは全ての意味合いを込めてのヒントを敢えて送ってきてるんですよ」
「ヒント……?何故そんな事をする必要があるんだ?犯人は馬鹿なのか?」
訝しげに聞くサーに黒男は答えた。
「あなたの言う通り、ナントカと天才は紙一重ってやつですよ。春だか秋だかわかりませんが、向かう先は……闇でしょうがね」
益々黒男の言っている意味が理解出来ないサーは口調の音階を上げた。
「犯人像がわかるのか?」
「アナタの勘はすれ違ってます。厳密に言うと送り主は“密告者”であって犯人とは違う。さっきの予想通り、切り裂きジャックになぞらえた看護婦……、犯人は女性じゃないかな」
サーが見せたメッセージと、サーが語ったスティッチの名。
それは奇才であり、スティッチ本人を知る黒男であるからこそ成せる推測であった。
被害者の性別、犯行現場の意外性、手口の鮮やかさ、加えて謎の数字とメッセージ……
その他様々な特徴をプロファイリングした結果、チームが出した犯人像は男性と云う説が有力視されていた。
実質的な頭脳はスティッチであり、クレア自身は手足として動き、道具として使用されていたにすぎないこの連続殺人に限って言えば、プロファイリングチームの推測はあながち間違いではない。
いや、寧ろチームの推測は正しいと言っても良かった。
しかし、Night in galeと云うメッセージをストレートに看護“婦”に連想させたサーの勘がやはり優れていた。
更にクレアの失踪と事件を線で結んでいたサーに老いは感じさせない。
愉快犯でも、計画犯でもない。
長年に渡って蓄えた豊富な経験は、行動心理捜査よりも優れていたのである。
ただ真の犯人が一枚上手なだけだった。
「クレアと云う女をもう一度洗ってみてはどうですか?アナタの勘は冴えてますよ」
まさかといった顔のサーを尻目に、そこまで話すと黒男はそそくさと席を立ち、
「捜索はアナタ達の仕事です。僕は少し用を思い出しました」
そう言って携帯を取り出し、番号をプッシュしながら車に乗り込んだ。
目配せだけで再び別れを告げたカムは父であるサーの下に近づき、こう言った。
「素敵でしょ、お父さん?彼の知的な影と才能が魅力なのよ」
サーは娘の言葉に何も言い返せないまま、数時間後には納得せざるを得なくなる。
黒男がプッシュした番号はスティッチのものであった。
友人である二人は長らく顔すら合わせてはいない。
一度だけ互いにコールし合ったたものの、何れもすれ違いのままそれきりになっていた奇妙な親友である。
黒男は最後にスティッチと話した会話を思い出していた。
それは法廷射殺のあった翌日。
同じように電話で話した会話である。
「あの結果には満足かい?B.J」
からかいがちに訪ねるスティッチに、黒男は冷静に答えた。
「罪の過程や種類は問題じゃないさ。その罪の重さに等しい罰を用意するだけさ
」
「悪を滅ぼす正義感かい?長い裁判も徒労に終わったじゃないか」
「一人の罪人が死んで、新たな罪人が産まれただけだよ。俺の目的は変わりやしない」
「所詮はくり返すだけじゃないか?」
「悪がいなくなれば俺の正義感も費えるさ。なくならない限りは俺は正義だ。そして無くなる事はないんだよ」
「正義って“欲”を叶える為には罪人は必要って事か。欲に生きるのはどんな人間も似たようなもんだ」
「人の性は失われないよ。これから世の中は変わって行くべきだ」
「俺の欲がもし罪を犯したなら、中途半端な論理者よりも君に裁かれたいもんだな」
────
───
──
─
あの電話以来久しく話していないスティッチであったが、意外にも番号は変わってはいなかった。
それどころか、出ないと思っていた電話にコール三回で久々の声を聞かせた。
二言、三言のたわいもない言葉を交わした後、約束の時間を決めて二人が落ち合ったのは深夜のオルベラ街。
密かに落ち合う場所は幾らでもあった。
数年振りに顔を合わす二人の間には、互いに察知しあったような心地の良い空気が流れていた。
「まさか君が出向いてくるとは思わなかったな。これは運命か?」
スティッチは黒男を見てそう尋ねた。
一方黒男も冷静な口調で返答した。
「君を聴取したソウサー・エキストラがいるだろ?」
「FBIのお偉いさんか?」
「彼は俺の義父なんだよ。それも踏まえてあのFAXを見た時、俺には予定調和に感じたよ」
手にした二本のHeinekenの一本を黒男に放り投げながら、
「FAX?一体何だい?」
そう言ってスティッチは疑問を口にし、それでいて益々顔から笑みを零した。
「何故電話なんてしたんだい?」
「何故電話に出たんだい?」
スティッチからの質問は当然だが、彼へのこの質問は無粋だと黒男は反省した。
黒男は大方それを予想していたからである。
そして、スティッチへはこう答えを返した。
「……殺ってたのはクレアだろ?そして背後には君がいたんだ」
スティッチは真っ直ぐな黒男の言葉に心地良さすら感じながら、
「さすがにストレートだな。でもそれを確かめにわざわざ来た訳じゃないだろ?」
そう言って黒男の心中を計ってみせた。
黒男は確信を持ってこの場に訪れていた。
「ああ……、厳密に言うと違うな。別の事を確認しに来たんだ」
通常、人の脳は常識や思い込み、様々な経験や知識から、単純なものを複雑にして考えるものである。
しかし黒男は違った。
数ある思考の中から必要な情報のみを選択し、複雑な物を完結に処理する事が出来た。
黒男はスティッチの思考と自分の推測が同じかどうかを確かめに来たのである。
「クレアとは別れてから会ったのかい?君を擁護してくれていたみたいだけれど……」
スティッチは何も言わず黒男を見ていた。
まるで次の言葉を待つように……
二人の持つ冷えたHeinekenは少し温度を高め、ひっそりと汗を滲ませた。
黒男はそんなスティッチを見て勿体ぶるのを辞めた。
回りくどい問答が必要な相手とそうでない者がいる。
明らかに彼は後者である。
「クレアはもう居ないんだろう?」
スティッチはまるで解答を得た出題者のような表情で瞼を閉じた。
黒男は、自分が知りうるスティッチと云う男とサーから聞いた情報を繋ぎ合わせて導き出した、唯一の結論を口にした。
「君は逃げるつもりは初めからなかった。でなければあのHintは不要だ。」
「Definite answer.(ご名答)」
スティッチは自分の持ってしまった“特異な性”が人の定めた常識に嵌らない事を幼い頃から理解していた。
その性を抑制する為に費やした人生は困難を極めたが、彼の博識を高める事になったのは結果論である。
結果と欲求の解消が比例しない人生に彼は終止符をうった。
きっかけは『真崎吉行』と『クレア』である。
クレアと云う実態と、スティッチと云う欲望から生まれた第三の架空の殺人鬼。
彼は“Nightingale─ナイチンゲール─)”と名付けた。
スティッチが育てた“Nightingale”は、実に二十名の命を手に掛けた。
世間で言う、“現代の切り裂きジャック”こと“Nightingale”が犯した殺人劇の中で、唯一額に【7】……
厳密には【L】の文字を刻まれなかったのは二名の夫妻。
“Nightingale”でなく、クレア本人に殺害された二人である。
そしてそのクレアは、正にただ一人、スティッチ自身が犯した殺人の被害者となった。
当のクレアが、“被害”者と感じたか否かは定かではない。
しかし人の世ではこれを“罪”と言う。
“クレア”と“ナイチンゲール”……
そして罪を知るスティッチ。
この三者の犯した殺人を、同一人物に特定させる能力を持つ人物がいるのなら、スティッチはその人物に身を委ねるつもりだった。
そして“Nightingale”と云う殺人鬼を密告したのである。
黒男もまた考えていた。
スティッチの中に猟奇に似た何かがあるのは随分と前から感じていた。
しかし自らの欲と罰の回避の為にクレアを道具として動かすなら、あのFAXは不要な物であると……
逃げ切る為に容疑をクレアに押し付けるつもりなら、クレアを手名付けたスティッチであれば十分自分の罪を消し去る事は可能だからだ。
FBIの操作網がいずれクレアに行き着いたとして、スティッチの示唆を証明出来るのはクレアしかいないからである。
そしてクレアは密告等しない。
敢えて多彩な意味を持つあの“言葉”を密告するのは、スティッチにとってクレアすら不必要なのだろうと。
ちょうどその時、黒男の携帯が静かにポケットの中で震えた。
取り出した携帯のディスプレイにはサーの名が表示されていた。
「Hello……、ええ、そうですか。わかりました」
電話口からの報告は、スティッチの筋書きの中の一節であろうと黒男を思った。
「Dead men tell no tales.(死人に口なし)
クレアの遺体が発見されたよ、スティッチ……」
スティッチは満足げに頷いた。
「しかしこれで君への容疑がかかるよ。こんなの理解出来る奴なんていやしないだろう」
スティッチは黒男のその言葉に即答した。
「君がいたじゃないか。欲は果たされた。メッセージは暗号なんかじゃない。容疑をクレアに押し付けるつもりなんかはなからないさ」
そして一言、付け足した。
「容疑者は……」
黒男もそれに声を合わせるように呟いた。
「……Nightingale─ナイチンゲール─」




