二章 罪と罰
罪と罰 『とある事件』
スティッチがそんな、幼くも苦悩の幼少期を過ごしていた頃、日本では一件の事件が話題を集めていた。
『母子殺害』事件──
ある日主人が帰宅した時、愛する妻と子供が殺害されていた。
子供は生後8ヶ月の幼児。
妻は検死の結果、性的暴行を受けていた事がわかった。
逮捕されたのは、当時十九歳の未成年の少年。
過度の薬物中毒者で、逮捕された時の状態はすでに中毒末期状態にあり、容易な逮捕劇とは裏腹に、取り調べ及び裁判は困難を極めた。
取り調べにおいては容疑を一度は認めはしたものの、一審での検察側の求刑を不服とした団体が急遽名乗りを上げたのである。
その求刑とは、勿論【極刑】。
名乗りを上げたのは、いわゆる“死刑反対派”の弁護団であった。
一審では辛うじて検察側に軍配が上がり、判決は求刑通り【極刑】の審判が下ったのだが、被告側は当然のように上告。
二審では供述を大幅に変える展開となった。
当初、大筋で罪を認めていた被告がまさかの全面撤回。
事実を完全に否認し、加えて精神鑑定が被告を味方したのである。
後に、世論の目は弁護団の行動に“裏の動き”を垣間見る形となるのだが、酸いも甘いも知り尽くす一流の弁護には法の抜け穴を手繰り寄せる力がある事を見せつけられる展開となった。
結果、二審での判決は【無期懲役】と、被告に有利な判決として実質的な被告の“勝利”という形で幕を閉じたのである。
この時、世論もまた二手に意見が分かれ始め、“死刑肯定派”と“死刑反対派”の論争が世間を賑わし始めた。
常に論議されるテーマであるが、黙っていなかったのが、被害者側の夫である。
稀に見る優秀な頭脳と、ボキャブラリーに長けたその男は、淡々と、しかし真っ向から対立意見を述べ、マスコミを有効に使い、自らの意見を世間に知らしめたのだ。
もちろん、完全極刑の切望である。
一般的に見てこの手の事件や論争は極めて稀なケースではなく、過去の裁判の歴史を振り返っても例が少ない訳ではない。
裁くのは“人”。
裁かれるのも“人”である。
そして、その材料を提示するのも、弁護に立つ者も、資料を専門的にまとめあげるのも、全て“人”が遂行するのだ。
そして“人”とは、感情の生き物であると共に、関わる“人”は皆それを職業として携わっているのである。
唯一、被害者と加害者を除いて。
故に、完全な公正さは望めず、時として驚く様な結果になる事も少なくはない。
様々な材料と過去の判例に基づいた“最善”の判決が下されている。とされているだけなのである。
しかし、この事件はその後の刑罰の考え方を変える、歴史的な事件へと発展する事となる。




