二十章 LOOP:1
LOOP 『無限の輪の切れ目』
詩織に目覚めた性欲は、吉行への愛情と共に成熟し、平行線を辿りながらも……
いつしかそのグラフは“交差”していた。
愛情が廃れた訳では決してない。
ただただ、性的欲求の向上が愛情をも超えてしまったのである。
図を持たない交わったグラフ。
詩織はその接点から上の部分を、正人の身体で満たしながら時を過ごした。
いつしか、更なる快感を手に入れる為、正人の使用する“白い粉”をアルミの上で炙り、より敏感になった自身の身体を正人の欲棒で冷ましていた。
正人のルートからは、金さえ支払えばいつでも薬は入手出来た。
「ポンプ使いなよ」
そう行って血管摂取を勧める正人は、まだ頭の幼い子供のような人間である。
「私はこれで十分なの。逆耐性ね」
正人は不満気に詩織の前で、自分の腕に無造作に針を刺した。
詩織は辛うじて、吉行への愛情のお陰で過度の中毒を避けるに至っていた。
少量の摂取に留めていた事で、僅かな量で快感を得られる耐性が備わっていたのはこの時はまだ救いであった。
(私が愛してるのはアナタじゃないもの……)
一方の正人は堕落し続けながら、幸運を浪費していた。
互いに“快楽”の為に費やす、金と時間と身体。
詩織は本心から吉行を愛していた。
しかし、止まない愛情よりも急速に増幅する性欲に、腹立たしさを感じながらも、またメールを送るのである。
*月*日 0:13
詩織さん(真理子)
件: 予定
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さとし、次の予定を入れたいんだけど……
エス(SPEED─覚醒剤─)の方も宜しくね
また予定分かれば連絡ちょうだい
shiori
*月*日 0:17
正人
件: RE:
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オッケ
だいぶ嵌ってきたねえ
薬にも……俺にも
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(正人、アンタの“身体”には嵌ってるよ。でも身体にだけね……。人間としては子供に他の魅力は感じない)
詩織は本気でそう思っていた。
まるで玩具のように正人を使用し、愛情は吉行にだけ捧げた。
しかしもう一つ否定出来ない事実があった。
薬への嵌りも確実に進行していたのである。
吉行と詩織の関係は、変わらず吉行の“エゴ”行為として続いていた。
吉行が詩織の愛情を疑う事はなく、勿論詩織の素行を気にも留めていなかった。
吉行が愛情を虚像化し、詩織へ“エゴ”を使えば使う程、詩織の身体はそれを吸収し、それが吉行の興味を煽るのである。
詩織もまた愛情を高め、それ以上に性欲を高めて行った。
吉行が持つ全ての物事に対しての虚無感。
詩織からの真実の愛情すら虚像にしてしまい、挙げ句見つけた詩織への“興味”。
興味本位で始めた愚行は、詩織の愛情と性欲の混乱を招き、性の虜へと貶めた。
その生贄になると云う、偶然手に入れた“幸福”で身を落とす薬物中毒の正人。
正人によって、薬に浸かって行く詩織。
そんな詩織から、それでも尚与えられる“愛情”に真実の“形”を見い出せない吉行。
そして繰り返し行われる“愚行”
この、どこかで歪められたまま回り続けようとする、
『メビウスの輪』
ひたすら回り続けようとする三人に、小さな亀裂をもたらす“原因”は、ある日詩織の中でかすかな鼓動を上げた。
その鼓動はその後、一年半で静かに止まる事となる。
吉行は詩織の身体を弄びながら、いつも考えていた。
いつも、いつも、身体を抱きながら、愛の言葉と喘ぎの息を聞きながら、しかし心は抱けず、
いつも、いつも、いつも、いつも、それが真実であるのかを……
虚像の中にただ一人、いつも中心に居る彼の背景は、およそ思ったように動いてくれる。
それが“嘘臭く”てたまらない──
そう思えてならなかった。
気持ちに変化があるのなら、所詮は愛なんて虚言じゃないか……と。
全ての物事は、その場しのぎの“形”だけの“経過だ”……と。
永劫残る真実なんてないじゃないか……と。
ならば騙し騙し、今の“形”だけを取り繕えば、取り繕えさえすれば、全てが上手く行くのだ……と。
そんな吉行に、その後もたらされた吉報は、彼の歪んだ思考に“強引”に割り込んだ。
「吉行……愛の結晶よ。赤ちゃんがいるの……今、お腹に。」
吉行が手にした写真には、透けて見える程の小さな“存在”が映っていた。
自分勝手に、思うままに生き……
取り繕い、様々な“形”を手に入れてきた吉行であった。
だがしかし、そこに映る“存在”は、望む望まぬに関わらず……、意志すら表に出さず、絶対的な“真実”として目前に居た。
そしてこの世に誕生する前から、いつしかどちらかが死に、終わりの日が来る時まで、確固とした“形”を示し続けるのである。
その刹那。
吉行は初めて、心の底から詩織とお腹の子とを抱きしめた。
“愛おしさ”を感じながら……
虚像等ではない。
嘘偽りなく、例え目前から消え去ったとしても証明される“血の繋がり”と云う真実。
「詩織……アリガトウ」
詩織は嬉しさのあまり泣きじゃくった。
詩織は、初めて“受け身”で得た吉行からの愛情表現に歓喜していた。
今まで吉行の腕の中で感じてきた“愛情”とは、全く違う抱擁であった。
そしてまた、詩織自身も授かった小さな命を愛おしくてしかたのない気持ちでいっぱいだった。
愛する人の子供が産める。
その初めての喜びは至福のものであった。
「性と薬に溺れてる場合じゃないよね。もう正人とは終わりにしなきゃ……」
*月*日 1:32
詩織(真理子さん)
件: RE:RE:遅くにごめんね
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明日逢えるかな……
話がしたいんだけど
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このメールを送信した後、詩織は心の中でこうおもった。
(明日の快楽で最後……。正人とも薬とも……)
この典型的で絶望的な
“中毒症状”
この魔のサイクルに詩織が気付くには……まだ少しの時間を要する事を、詩織はまだ知らなかった。
妊娠発覚から一週間後、詩織は三ヶ月の妊婦として正人と待ち合わせた。
初めて出逢ってからおよそ一年と数ヶ月。
もはや書店で遠回しな待ち合わせ等しない。
国道沿いの郵便局。
そのポストに遅れて到着する詩織は、
ハザードランプが五回点滅する間に、正人を乗せて再び走りだした。
いつものように、ラブホテルの一室で唇を重ねながら、正人のパンツのジッパーを降ろす。
その一重で切れ長の目で舐めるように見つめられると、まだ成人すらしていない少年である事を忘れるのだ。
そこに愛情はない。
あるのは性欲だけ……
正人もまた、
そこに愛情はない。
あるのは金欲と性欲だけ……
このぼやけない感覚が一時の野生化を呼ぶのである。
正人に洋服をはぎ取られた詩織は、ベッドの淵に正人を腰掛けさせ、その前に膝を付いた。
詩織は、目の前にある十代の“それ”だけに視線を移し、正人は詩織からの金で買ったブランドのポーチから“粉”とアルミを取り出した。
口に大きな“モノ”を含み、鼻でしか息の出来ない詩織の顔の横で、アルミの上に乗せた粉を下からライターで炙る。
詩織はそれに気付きながら、
「今日だけよ……、最後だから、今日で辞めるんだから……」
と心の中で何度も呟き、十数分後には……
涎を垂らしながら腰を振っていた。
快楽や快感は、本能に根ざした報酬である。
性欲ばかりがその限りではなく、欲することに本能が反応する事は、生物としてはごく自然な事なのだ。
人はその報酬を“我慢”し、不快感と云う“罰”を受けながらも、必要な快感を目標に変えて、先に見据える事の出来る生き物である。
しかし麻薬は、その、人としての“正常”をも狂わせる。
「ところで話ってなんだったの?」
互いに体の反応がなくなるまでくたくたになり、痙攣を起こす詩織に正人は聞いた。
「また今度話すわ……」
詩織の身体は、“また”次を求めてしまっていた。
無知であると云う事と、軽率であると云う事は時として大きな“罪”である。
詩織が犯している罪は、後の事件の拍車をかけて行った。
それが大いなる“罰”になる。




