十一章 論議
論議 『VS』
その男は“青年”から大人の男に成長していた。
そして……、十九で逮捕されてから八度目の夏を迎えようとしていた。
梅雨の雨が何日続こうが濡れる事はない。が、クーラーのない房は湿気が強く、体はいつもベタベタする。
……しかし、それにももう慣れていた。
罪を犯し、罰を言い渡されたとして、その刑期を全うするなり処罰されるのではない。
ただ“保留”されているだけの時間は、言わば人生の隙間のようなものだ。
男はやけに早い就寝時間に眠る事が出来ず、ぼんやり窓の外を見ながら考えていた。
柵が邪魔をして、月に入る縞模様。
やがて月は窓から静かに消えて行った。
男は世間から自分の“死”を問われている事等知らない。
また、決して主観的ではない意見が自分の死を“反対”している事も知る由もなかった。
全ては蚊帳の外で行われている理論のぶつかり合いであり、論理の対峙であった。
勿論そこで“被害者の気持ち”は材料として用いられる。
その抵抗材料が“加害者の人権”である。
しかし“加害者の気持ち”が語られる事はまずない。
もし論議する者達が彼の本来の主張を聞いていたとしたら、饒舌さも少しは緩和されたかも知れない。
いや、もしかしたら途端に議論の無意味さに気付くかも知れない。
男は思っていた。
「もう死にたい……」と。
男にとって、前にも後ろにも進めずただ“確定”するのを、狭く湿気た部屋でひたすら待ち続ける事は苦痛でしかなかった。
しかも八年と云う時間。
過ぎる刑期を待つのではない。
刑罰を受けるのであれば、まだ刑が“始まって”もいないのである。
拘置所に設置されたメニューには、コーヒーやアイスクリーム、雑誌や漫画等が魅力的に書かれてあるが、金を持ち合わせない者にとっては文字の羅列でしかない。
娯楽は土日に所内に流れるFMラジオ位しかなく、その放送で辛うじて曜日の感覚がわかるのだ。
わかったからと言って、どうという事はない。
途方もない長い時間に、男の少ない気力はとうに底をつき、精神は少しずつ崩壊の道に差し掛かっていた。
それは男の精神状態と心理状態が常に困惑の極限にあったからである。
弁護士との接見でまずわかっている事。
それは“確定”する択一が二つしかないと云う事である。
『死刑』か『無期懲役』かの二択に八年もの歳月を要し、そのどちらも自分の未来を闇でしか待たない。
そんな絶望しかない未来と、ただ絶望を待つだけの毎日を送る男にとって『客観的議論』そのものが意味を成さないのである。
が……その議論も男の知らない所で行われているだけ。
そこに当事者の意志である『死』への切望は反映されない。
世論の大半は“死を持って償う”事に正論を唱え、その筆頭には被害者の夫がいた。
逆に『死刑反対派』にも確固とした理論は存在し、弁護団を擁護した。
その弁護団の代表である『重光』と云う弁護士との接見中、男は嫌と云う程聞かされた言葉があった。
「貴方の言い分や気持ちはわかりますが、もうすでに闘いは始まっているのですよ。わかりますね……。死刑を廃止させる為に、一つの事件として弁護してる訳ではないのです。」
PIERROT(道化師)。
闇の未来の為に、ただ箱の中で無意味な時を過ごすその男は、自分がすでに一個の自分でないような気になるのである。
死刑を強く望む被害者。
阻止すべく立ち上がった弁護団。
凶悪犯には死を……、と訴える世論。
人権を理路整然と語る反論。
死を強く望む被告の男。
皮肉にも、被害者とされる男と加害者とされる男の希望は一致していた。
とりまく全ての論議の中、二審での判決が言い渡された時、何の主張も出来ない被告の男はただ中央に着座して周りの雑音を聞いていた。
真相とは得てして不確かなものである。
ましてや渦中の人物の当時の心の中ほど、不確か極まりないものはない。
男は事件当日の事を……
何も覚えてはいなかった。
ニュースやワイドショーでは一件の話題を垂れ流していた。
一審、二審と闘い続けた被害者側の夫であったが、高裁での公判では完全に敗北を喫した。
公判の際、裁判官の判決材料になった四つの要点として語られたのは、
・逮捕直後の異常な麻薬中毒状態
・逮捕直後の取り調べにおいての供述
・精神鑑定の結果
・以後の供述内容の信憑性
である。
あまりに曖昧な点が多い事が殺害意志の確定を遠ざける結果となったが、被告人の側についた弁護団の力による物も多大であった。
被害者側の最高裁への上告において、マスコミを含む世論のサブテーマ。
それは『死刑』であるか、『そうでないか』である。
言い換えれば、『殺せ』『殺すな』の短絡的な極論の客観的討論であるが、“罪”に対しての“罰”の比重の問題の論議は交わる事を知らない。
『無期懲役』で一旦幕を降ろしたこの裁判は誰しも完全な終了であるとは思わなかった。
最高裁での最終審議は明らかだと思っていたからである。
しかし『有罪』であるか『無罪』であるかの論は交わされる事はなかった。
無論、誰しもが『殺害』と云う大前提は確固として認識していた為である。
正義と悪の図式。
彼はただ“悪”なのである。
一審、二審と続いた公判においても同様であり、『有罪』の罰は“死をもって償う”と云う視点と、『有罪』ではあるが“情状酌量の余地”があると云う弁論。
しかし只一人、『有罪』=『死』と云う、価値観や考察を越えた絶対的な解答を持つ人物が居た。
被害者の夫である。
弁護士の重光は彼の心情は理解していた。
愛する妻と子供を殺害された者の憎しみは計り知れない。
それでも尚、重光の目的は被告の死刑の阻止にあった。
「悪いが今死刑の判決を下される訳には行かないのだよ……それが私の仕事であり切望する理念なのだから」




