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春寒の頃

 会食を終えて眞子達と別れた二人は、いつの間にか自然と手を繋いで街を歩いた。白い息を吐き、互いに寒いねと呟く。それはとても幸せな時間だった。

 ふと、レストランでの由佳の言葉が蘇り、志緒の胸に影をさす。『……あんな地味な人なんかより、私を……』

 黒川は、あの言葉をどう思ったのだろうか? 由佳に何と答えたのだろうか? あの時は咄嗟に、聞かない方が良いと思って逃げたが、今になって気になって来た。

 そんな志緒の気持ちが分かっているかのように、黒川はポツポツと話を始めた。


「義妹がおかしな事を言い出したのを、君と眞子は聞いたのだろうか?」

「あ……」

 知らないフリは出来なかった。だから、志緒は正直に頷いた。


「彼女の様子と言うか、気持ちには以前から薄々勘づいていた。志緒たちが手洗いに行った時に、いきなり『自分と結婚すべきだ』と迫られたのには驚いたけど」

「……戻ると由佳さんの声が聞こえて……、眞子ちゃんと引き返しました。聞いてはいけないと思ったんです」

 志緒の答えに、黒川は苦笑した。

「僕は一人で義妹と戦わされた訳か」

「ごめんなさい。義妹さんにも、気持ちを伝える時間は必要なのかもしれないとも思いました。でも……」

「ん?」

「正直、怖くて逃げたのかもしれない……です」

「怖かったの?」


 志緒はコクンと頷いた。そして、長年の友となってしまった自分の『悪い習慣』について口を開いた。


「貴方の事は信じているのに、どうしても最悪の結果を想像してしまうんです。私はそんな性分なんです」

「志緒は心配性なんだね」

「世の中に『絶対』は無いから」


 夜には元気そうな顔色でお喋りしていた人が、翌朝に急変して亡くなるという事が実際にはある訳で……この世に『絶対だ』と言い切れる事など、何一つないのだと、志緒は身をもって知っている。しかし、それを恐れて逃げる自分は弱い人間だという事も、志緒は判っていた。


「ごめんなさい。これは私のビョーキみたいな思い込みなんです」

「分かるよ、お姉さんの事を言っているんだね。僕はそんな志緒を守ってあげたい。悪い事を思い煩わないようにしてあげたいんだ」

「……ごめんなさい」

「謝る事じゃない。いずれにしても、僕は義妹にはっきりと言ったから、『君は僕のいもうとでしかない』とね」



 翌日には『森』へ帰る黒川は、この夜も志緒の部屋に泊まった。いずれ結婚する二人だが、明日になると一旦別れが待っている。

 恋人同士の期間に、この質素なアパートで過ごした時間は、後になってきっと、二人の懐かしい思い出になるのだろうと志緒は思った。

 例えば……ずっと後の冬に黒川の家の薪ストーブの前で、二人コーヒーを飲みながら話すのだろう。『そう言えば、あの夜貴方は……』などと。


 志緒はずっと、自分は年をとって死ぬまで一人ぼっちで過ごすのだと思っていた。

 両親とは、喧嘩をしたわけでも気まずい関係でも無いが、あれから……18のあの時から今まで、心の内をさらけ出す事は出来ないでいた。それは姉の若い死が落とした影で、志緒はずっと後悔と罪悪感に苛まれていたのだ。10代の頃の自分の過ちを贖罪する為に、自分の甘えや安らぎを禁じていたと言える。

 そして、その凍った心の一角をいとも簡単に融かしてくれたのは、今隣にいる黒川だ。忘れもしない、あの手紙が志緒を変えた。


『……貴女はご自身の過去の行動をかなり罪深く考えすぎです。高校生の貴女の反応はしごく当たり前の事だったと思いますし、お姉さまもご理解されていたのではないでしょうか? 驕った言い方かもしれませんが仕方が無いのです、ただの姉妹喧嘩だったのですから……』


 志緒の隣で温かいお茶を飲んでいる黒川は、自作の聖母像を眺めながら言った。


「ご両親にもご挨拶に伺わないとね……今回はやっぱり都合がつかないの?」

「ごめんなさい。来月にはきっと」


 関西に住む両親は今四国遍路に夢中になっていて、車でゆっくりと旅をしている。無理を言えば自宅に戻ってくることは可能だが、志緒は無理強いをしたく無かった。いつもそうだが、志緒は両親に対して無邪気に振る舞う事が出来ないでいた。そんな志緒をきちんと理解している黒川は、決して急かす事はしない。


「うん。僕は来月のスケジュールを空けて待っているから、ご両親の都合のいい日を教えてくれる?」

「はい」


 

『紹介したい人が居ます。時間を作ってもらえますか?』

 そう切り出した電話に、母は珍しく上ずった声を上げた。

『時間ならいつでも作るわ、二人でいらっしゃい』


 そうして……志緒が黒川と実家に向かったのは、東京で黒川の娘眞子と会った日から1月後の休日だった。




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